2017年4月5日水曜日

【陰隲録】功過格表㊷ ひょっとしてこの世界の天才偉人英雄はチートを付与された異世界転生者なのでは?  五十善 仕事を世話しよう③





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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら




功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

五十善に相当する

一人の流離を救免す。




【逃げちゃダメだ】


今、世間様で流行の異世界転生物は、21世紀の浄土念仏信仰だと、以前も話題に出しました。

ちなみに、異世界転生物とは何か?

という素朴な疑問にお答えすると、
およそWEB上の小説投稿サイト『小説家になろう』(なろう小説)などのWEB小説にて、流行のジャンルです。


現代人が異世界に行って活躍するというありきたりな話です。
ネタとしては昔からある内容で、
分類としてはラノベ(ライトノベル)に位置します。

なぜか現代において、このジャンルが異様に流行っている、というより、投下作品と売れ行き、資本主義における需要と供給の回転が多いのです。


このジャンルを、漫画家の鈴木みそ氏が、わかりやすく漫画にしています。

なろう小説入門
http://mfbooks.jp/topics/2543/
http://mfbooks.jp/topics/2752/
http://mfbooks.jp/topics/3101/

ここの、島耕作という例えは、その通りでしょう。
団塊世代の、島耕作や金太郎の位置づけだと思います。
ある年代層の、理想の夢物語なのです。

古くは、水戸黄門や金さんなどの時代劇がそうでした。
恐らくは、見ている世代が死に絶えるまで続く可能性があります。

ちなみに、ネット上に、汗牛充棟の量があるため、上でも紹介されてる、無職転生をWEBで読むだけで良いでしょう。
私の世代は普通に読めました。

ただ、違う世代(ゲームをしない世代)だと面白くないので、読んでみてダメだったら、このジャンルは、スルー対象ですね。

さて、そんな異世界転生物の、基本は、大体下記の内容です。

①主人公は、現代の日本にいる。が、ニートやフリーターなどぱっとしない人生である。

②ある日、主人公はトラックなどに轢かれて死んでしまう(トラック転生とも呼ばれています)


③神的存在に、異世界への転生を示唆される。


④異世界(RPGゲーム的な、中世レベルの文明と剣と魔法の世界)にて記憶を持ったまま、生まれ変わる。


⑤異世界では主人公はチートな能力を付与されている。


⑥チート能力や現代知識で主人公は、異世界において有利な人生を歩み、地位と名誉とハーレムを形勢する。




ドラクエやFFなどの、RPG的なゲーム世界の延長上にあるので、その意味では別に珍しくもありません。
ゲーム自体が擬似的な仮想空間の世界だからです。

現在はさらに、オンライン型の参加型ゲームや、さらには、近未来においてバーチャルリアリティ(仮想現実)の可能性が見えているため、ある程度のリアリティがあり、ラノベというSFの世界の話としては、それほど変な話ではありません。

しかし、世間から問題にされている点が、次の点です。
特筆すべきは、そのご都合主義の内容です。

⑤のチート能力の付与や⑥の現代知識で、基本、主人公は異世界でも、苦労しません。

初めから強者であり、身元不明の流民(今回の条項に関連してますね)であるにも関わらず、あっという間に、魔物やモンスターを退治し、国難を救い、貴族の身分をゲットし、領地を治め、姫様をゲットします。

中世レベルの文明のため、ハーレムや性奴隷なども余裕です。
※大抵、若いイケメンに転生しています。

要するに、現実世界のニートやフリーターとは真逆の人生なのです。

ここに、これは単に、現実逃避の自慰では無いのか?
という、身も蓋も無い評価があるのです。

ぶっちゃけ、私もそう思います。

しかし、この現実逃避文学は、それだけで済む問題では無い話なのです。




【進撃のブルーオーシャン(アヘン)】



前々から、この異世界転生物が、21世紀の念仏浄土信仰だと言うことは話にしてきました。
しかし、考えてみれば、21世紀のこの平成時代が、中世の鎌倉時代と同じというのは、一体全体、何事でしょうか?

中世の時代に爆発的に念仏信仰が流行ったのは、要するにそれしか無かったからです。
当時の庶民は、現世の救いの道がゼロでした。

戦乱や飢饉など地獄としか言いようが無い状態です。
心の救いとなる宗教は、基本助けてくれません。
神道はあの世の面倒を見てくれないし、仏教は貴族や金持ち用の宗教だった。

そんな折に、寄進も戒律も修行も不用な、来世の極楽浄土を約束してくれる念仏信仰が、需要にジャストミートしたのです。

大衆用の宗教というブルーオーシャンに、濡れ手で粟で参戦したのが、鎌倉仏教だった。
これは、武士用の宗教として市場に参加した禅も同じです。
人を殺しても良いという、他ではくれない大義名分と救いをくれるからです。

もっと言えば、宗教も小説も漫画も映画も、哲学も思想も全部同じなのです。
古今東西の、共通する普遍の真理は、

「人は見たい物を見る」

ただ、それだけなのです。

異世界転生物も、現代の報われないゲーム世代が、自分たちの慰めに必要だったから読まれているのです。
鎌倉時代の仏教も、当時の大衆が必要だったから流行したのです。
釈迦の時代もイエスの時代も、当時の社会的な環境が、彼らの教えを必要だったからこそ、ヒットしたのです。

この項のテーマは、


○一人の流離を救免す。

です。
まあ、単純に仕事や家が無い人を助けましょうという話です。

しかし、助けるのは物質的なだけではありません。
智恵や情報を与えるというのとは、さらに別に、精神的に救いを与えるというのも、またこれに当てはまるのです。

仕事が無いのは、現代社会の世界的な資本主義の流れによる矛盾と言えます。
逆に言えば、動かしがたいものです。

個人レベルでは、目に付く人を助けるだけ(それでも十分陰徳なのですが)かも知れませんが、
このように、心の部分で救いを与えるのも、大きな陰徳なのです。

しかも、ハード(物質)と違ってソフト(情報)コンテンツは、媒体(昔なら本や人、今ならネット)を経由することで、ネズミ算的に、救いの対象を増やすことが可能なのです。

所詮、現実から逃げるアヘンなのでは?
という、意見もありますが、それを言ったら、先ほども言ったように、宗教も漫画も全部そうなのです。

人間はパンのみに生きるのではありません。
生きるにはアヘンが必要なのです。

アヘン無しに底辺を生きるのは大変なのです。
例え、簡便な自慰行為だと毀誉褒貶がある長編のアヘンだとしても勘弁してあげなければ、いけないのです。





【穀潰しが!(ペッ)】




まあ、こういうと、じゃあ作ってみろ!
という、無理なツッコミが入りますが、もちろん、無理です。
このような時代を作るシステムを作るには、二つの要素が必要です。
才能と社会です。

後者は、上述したので説明不用でしょう。
社会が、大衆が必要だったからこそ、受け入れられたのです。

前者は、当然、そのニーズを察し、システムを構築する才能です。
その分野において一流品を作る才能が必要です。
※厳密にはニーズを理解しなくても、時代の動きで死後、認められることもあります。

運命学の世界では、これを先天運と後天運と呼んでいます。
本人の才能や資質を先天運。
社会の環境や周りの環境を後天運と呼びます。

両方そろえば、社会で頭角を顕しますし、さらには時代に名を残すことも可能です。

片方だけだったら、まあ何とか成功する程度です。
「天才の俺を時代が理解しねえ!」とか、
「別に自分は何もしてないんだけど、時流に乗って成功しました」
とか、人間社会ではよく聞く話です。

もちろん、両方ダメだったら、底辺です。

ここらへんは、東西の占星術で算出出来ます。
先天運と後天運はどういう感じか?
というのは大体分かります。

しかし、世間の占いは全てそうですが、ここで問題が生じてきます。
じゃあ、運命はわかったからどうするの?
という、当然のツッコミです。

基本、対処法はありません。
宗教の神仏は何もしてくれません。
そもそも、宗教はアヘンなのです。
アヘンは心を癒してくれますがただそれだけです。

ここに、開運法の価値があります。
まあ、一番良い開運法は、そもそも運命は因果応報の業で形成されているため、陰徳で解消・相殺するのが一番良いのです。

先天運と後天運両方ダメでも、何とかなります。
片方だけダメで、もう片方は良かったら楽勝です。

何も言わずに三年、陰徳をやってみましょう。
※実質、三年も不用ですが。

運命が変わり、その後も油断せずに陰徳を続けていれば、終生、上り調子の人生です。
ついでに死後の世界も余裕でクリアです。

もしも、陰徳を積んでいる人間が悪所に堕ちるのを、助けず見て見ぬ振りをするようなら、その時、初めて神を呪ってもよいでしょう。

とは言え、実際には世の中には神も仏もいます。
しかし、初回くらいは助けてくれますが、基本、やつらは助けてくれません。
本人に徳が無いと、助けない(助けられない?)役に立たない連中なのです。

天は自ら助くる物を助ける。
神や仏は、役立たずですが、因果応報の天は確実です。

そう信じないものしか救わないセコイ神仏はあてにしないで、自分の徳を頼りにしましょう。

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