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その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。
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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
三十善に相当する
◯一人の受戒弟子を度す。
新章突入!
(ほんとは章でも何でもないのですのが前回までの無職の項の連載長かったので何となく)
今日から新しい条項です。
今までは、50ポイントプラスでしたが、30ポイントプラスの項です。
【人事】
◯一人の受戒弟子を度す。
基本的に、宗教は人が媒体します。
もちろん、経典とか教会インフラとかもありますが、仏法僧の三宝と言うように、媒介としては人が重要なのです。
絶対神ヤハウェですら、自分自身の教えを広めるのに、人(預言者)を使います。
そのため、正法の後継者を作るのは、結構重要な事です。
30ポイントプラスということも頷けます。
なお、ここで言う受戒弟子というのは、布教による信者獲得というよりは、もうプロの出家レベルの話になります。
新興宗教なら在家ではなくて、もう全財産寄付して、本部に24時間勤務するプロのレベルですね。
普通の布教勧誘だと、別項にあって、もっとポイントは下がります。
もちろん、実際に自分の弟子を作らなきゃということでもありません。
受戒や出家には色々とお金やマンパワーがかかるのでその整備や事務や寄付なども、十分この戒律にかかるでしょう。
もっと言えば、宗教的な組織だけのことではなく、世界の善に寄与する正法ということで、学校教育や資格に関わる同様のことも範囲内ではないかと思います。
結局、人を作るというのが一番難しいのです。
この人を作るというのは、個人の資質もさることながら環境や社会のシステムとの相性もあります。
どんなに個人の資質が優れていても、時代が合わなければ世に出ないなんてことはざらです。
嚢中の錐という言葉がありますが、特定の環境でしか才能を発揮できないというパターンは往々にしてあるのです。
人殺しの才能は、戦乱の時代でないと宝の持ち腐れです。
平和な時代には狩猟者か犯罪者にしかなれません。
適材適所に、個人の才能を輝かせる場所に置いてこそ、個人も周りも幸せになります。
その意味で、この項は、先の無職の項と同じく、人事関連の陰徳と言えます。
その人の才能を見抜いて、その人が一番光り輝く場所に置いてやる、その手伝いこそが陰徳になると言えましょう。
もちろん、可能性として、本人の資質がどうしようもなく、単純作業の奴隷にしか場所が無いという場合があります。
奴隷が天命であると。
その場合は、開運しかありません。
奴隷が天命であっても、開運することによって、高級奴隷になれるかも知れません。
ローマなどの高級奴隷は一般に、一般市民よりも遥かに待遇が良かった例があります。
このくらいになれば奴隷かどうかはもうあまり関係がありません。
本人の希望次第で奴隷をやめて市民や貴族の身分を手に入れて、そのまま今まで通り、管理職になることも可能です。
スタート地点は、前世の因果応報か、神の適当なパラメータ分配かわかりません。
しかし、ポーカーと同じで、配られたカードで人生をスタートするしかないのです。
陰徳によって良いカードを揃え、人生に勝利することも出来ます。
ぜひ、頑張って勝利して下さい。
次回以降も、この項でまたダラダラと話をしてきますが、たぶん無職の項よりもそんなに話ことは無いはずです。
(たぶん)
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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
五十善に相当する
◯一人の流離を救免す。
無職シリーズが23回目を突破!
功過格シリーズ全体だとすでに62回目。
行き当たりばったりで書いているこのブログは、基本的に、豊河というより上位の見えない存在の代筆です。
つまり、それほど現在の労働問題が、深刻だということでしょう。上位存在が何か訴えたいことがあるということです。
というより、豊河如きを媒介にすることがすでに人事選択を間違ってるような気がしますが。
・・・まあ、いいや!(思考放棄)
【ムーブ】
およそ、現世、世界、生き物全て、要するに存在全てにはある共通性があります。
それは、「動いている」ということです。
人間が動けば「働いている」ことになりますが、別に働かなくても、生きているだけで少なくとも動いています。
動物という言葉がありますが、無機物と動物の差は、文字通り動いているということです。
しかし、一見動かないような無機物ですら、ミクロに見ると、原子が動いているのです。
また、外部からの力を加えれば、あっけなく、変化し動きます。
諸行無常という法則の通り、この大宇宙の中にいる全ての存在はなぜか、動いてしまうのです。
上はマクロな天体から下はミクロの素粒子まで一瞬たりともとどまらずに動いています。
働きたくないでござると言っても、世界は全く遠慮なく、ぐいぐいと動いています。
世間様がヒキコモリやニートに厳しいのも、これが本当の理由です。
サメと同じで止まってしまうと死んでしまうからです。
動かない物は死と同じで存在していない物と認識してしまうのです。
異端を弾圧するのは、中世キリスト教だけではありません。
生物の基本です。
生物である以上、存在している以上、動かなければ世間から敵とみなされます。
しかし、これは逆を言えば、この世に属す必要がなければ動く必要はありません。
この世から脱出しようと思えば、動きを停止すればよいのです。
古代から瞑想や座禅は、この意味があるのです。
睡眠や死も同様です。
およそ、東西のあらゆる修行体系において、瞑想と夢や死が、修行の体系に組み込まれているのはこれが理由です。
要するに世の中の流れから超絶しようと思うならば、停止することが重要です。
世界は動いているのが当たり前で、これは陰陽で言えば能動的な陽にあたります。
しかし、陰陽は双方で成り立ちます。
イエスも釈迦も、どんな偉人も必ず陽の行動だけでなく、陰の動かない時期を実施しています。
パソコンもスマフォも、起動しっぱなしだとダウンしてしまいます。
電源ケーブルを繋げて充電する必要があるのです。
一日、必ずこの充電期間を設ける必要があります。
毎日の睡眠だけだと誰でも実施しているので、頭一つ秀でることは出来ません。
流派は問わないので、瞑想でも気功でも良いので、陰の停止時間を儲けましょう。
これも、開運の極意の一つです。
陰陽が整うと、正常のバランスが整うのです。
【螺旋運動】
マクロ単位、つまり宇宙が動いているというお話を先程しました。
月が地球の廻りをぐるぐる回っていて、地球自身もぐるぐると自転しています。
さらに地球が太陽の廻りをぐるぐると回っています。
これが、朝昼晩の変化や月の満ち欠け、春夏秋冬の一年の変化などの暦の原因です。
地球から見たら天動説の如く天球はぐるぐる回っていますが、実際は地球が動いています。
しかし、太陽系の中心たる太陽自身も、銀河から見たら所詮は下っ端です。
銀河をぐるぐると回っています。
めんどくさいことにさらにその銀河もぐるぐると回っているのですから、もう何がなんだかわかりません。
太陽が銀河をまわる様子を動画にするとこんな感じです。
ピッコロの魔貫光殺砲のように銀河の軌道を動いているのがわかります。
さらに銀河が回っているのですから、もう何がなにやらわかりません。
当然、地球の上に載っかっている我々人類も、このよくわからない軌道に載って高速移動しているわけです。
これは否応なしに運命として載っかっている拘束移動なわけです。
いくら人間が頑張ろうが努力しようが、これを逆回転させるとか無理ゲーです。
太陽は東から上り西に沈むのです。
まあ、これが光速移動するとエライことになるのですが。
さいわい、そこまで行っていません。
だから何だという意見も聞こえてきますが(幻聴)、要するに、我々の世界はループ(厳密には螺旋運動)な動きを強いられているわけです。
動くというのは、無秩序に動いているわけではなくて、大局的には全てこの螺旋運動に帰結します。
我々の身体やあらゆる物質もミクロで言えば、このぐるぐる回転する運動を一時も止めることはありません。
諸行無常の法則は上から下まで適用されているのです。
マクロとミクロが螺旋運動ならば、その中間のミドル層も同じなのでは?
という類推適用が当然出てきます。
【中の人】
マクロとミクロ、天と地が同じ原理原則で動いているならば、天地人の三才の、中間の人も同じはずです。
つまり、人間や社会は螺旋運動をしているのでは?
という類推です。
そして実際そのとおりです。
マクロやミクロと同じように、螺旋運動をしているのが人間です。
これは人間社会を見ると一目瞭然です。
巨視的なレベルですと、
1600年周期で人類の文明は一巡します。
東西の文明の興亡は900年周期です。
国の興亡のループだとお隣の中国史を見れば一目瞭然です。
毎回、毎回、同じようなループを延々と繰り返しています。
以前、春夏秋冬の人生の比較の話をしましたが、王朝誕生、二、三代目の繁茂、瓦解、分裂、統一と、飽きもせず何千年もやっています。
国よりも小規模な組織である企業や家庭なども、同じようにパターンがあります。
人間社会は、大昔からほとんどシステムは変わっていません。
その証拠に、刑法の内容はほとんど一緒です。
殺し、盗み、強姦、詐欺・・・。
中身がほとんど一緒なのです。
人間個人も同じです。
やれ、体の具合が悪いだの、ブラック企業だの、女にモテないだの先祖代々全く変わっていません。
先祖代々同じような人生をループしている螺旋運動です。
※螺旋運動ではなく、子供のおもちゃの、コマに例えている占術家もいます。
宇宙のどうしようもない螺旋運動に載らざるを得ない人間は、太古の昔からほとんど同じことをやっています。
諸行無常の法則は現象だけであり、構造(関数)は普遍であると以前指摘しましたが、役者が変わっているだけで、人生劇場の演目は変わりません。
諸行無常であり、かつオリジナルが無い、諸法無我なのです。
この無意味な人生を渡っていくには、どうすれば良いのでしょうか?
一つには、もう馬鹿馬鹿しいからこの無限螺旋ループを辞めるというのも手です。
とっとと、解脱すれば問題解決です。
もう一つは、まだ、世界に未練がある場合は、開運してのうのうと暮らすことです。
開運方法の陰徳も古代から変わりません。
時代的な価値観は変わっても大本の原理は普遍です。
因果応報の原則に従い、他人に陰徳を積めば、自分が開運します。
そして、この開運も古代からやっているループです。
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・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
五十善に相当する
◯一人の流離を救免す。
食物連鎖の話が続きます。
【万物の霊長】
食物連鎖は、ピラミッド型です。
当たり前ですが、逆ピラミッドでしたら、捕食者の方が多いのですぐに食料の被捕食者がなくなってしまうでしょう。
例えば、地球上に人間は60億人以上います。
しかも、毎年増え続けているのです。
これは、人間よりも下位の家畜や穀物などの被捕食者が多いから可能なのです。
人口爆発の問題は、為政者の頭を悩まし続けている問題ですが、単純に、人間の上に捕食者がいないからという理由です。
街から一歩フィールドに出ると、モンスターが闊歩しているようなRPGワールドと違って、地球上には人間の捕食者は存在しません。
あえて言うなら虎とか熊とかサメとかですが、人間が武器をもつようになると捕食者の座から滑り落ちました。
つまり、人間がこの地球上で万物の霊長として、ぶいぶい言わせるせるようになったのも、捕食者として強者だからです。
所詮、世界は弱肉強食のアニマルワールドです。
家畜を強制収容所で食うために収容したり、水辺で魚類を強制連行したりしても何のおとがめも無いのは、単に強いからです。
恐竜が闊歩している時代ならともかく、もはや地球上に人間より強者が存在しない今、やりたい放題です。
そのため、被捕食者と思っている自然を壊しまくって、自然から逆襲されたりして、かえって自滅しています。
まさしく自業自得なのですが、このアホな話は、フラクタル構造(入れ子構造)として、人間内部でも起きている構図です。
【金の卵を産む鶏を殺す】
イソップ童話に(イソップだったかな?)金の卵を産む鶏(ガチョウだったような)の話があります。
金の卵を産む鶏がいました。
そのどう見てもお前は鶏じゃないだろという、レアな生き物をゲットした男がいました。
当然、毎日、金の卵をゲットしてウハウハな不労所得生活を満喫していました。
が、ある日、毎日産むのだったら鶏の中にはもっと大量の金があるに違いないとアホなことを考えて、鶏を殺して中を漁ってしまいました。
もちろん、中には誰もいませんよとなって、金の卵を産む機会を失ってしまった話です。
この笑い話は、この地球が出来てから飽きるほど繰り返されてきた実例です。
人類も例外ではありません。
例えば、江戸幕府です。
江戸幕府が滅んだ理由はいくつかあります。
黒船や大震災と言った外部条件もありますが、江戸幕府システムの耐久年数が過ぎていたという内部条件が一番大きいのです。
組織体が内部条件で滅ぶ条件は、人体に喩えてみると良くわかります。
大別すると二種類あり、脳と手足の連携がうまく行っていないのと、脳か手足がどちらかなくなっている場合です。
上下の情報伝達が出来ていないのと、上下どちらかが激減するのと二種類です。
※両方の時もあるのですが。
大抵、システムである内臓諸機関が、ダメダメな状況が併発しています。
さて、その一つの脳か手足がどちらか無い場合が、今回のこのパターンです。
要するに、民が死んでいるんですね。
この理由は簡単で、単に中間搾取、お上が民から巻き上げているのが理由です。
手足である民が壊死している状態です。
江戸時代には捕食者として武士階級がいたのですが、武士は基本的に仕事はしません。
厳密には行政官としての仕事をしますが、ぶっちゃけ大した生産はしていませんでした。
で、この捕食者の武士が人口の7パーセントくらい。
他の捕食者の身分と合わせると一割くらいのニートが江戸時代には存在していたのです。
10人に一人くらいのニートならなんとかなりますが、困ったことに、ただのニートではなく、重税をかけて搾取するニートです。
江戸時代、何度か飢饉が起きて、天下には人が人を食う地域も多々有りました。
餓死もバタバタ万単位で起きています。
が、武士が餓死した例は江戸時代には一件もありません。
江戸時代の生産力なら全人口が飢えて死ぬことはまず有りえません。
要するに、民が飢えているのはシステムに問題があったのです。
今の時代も同じです。
今の日本は、失われた20年といいつつ、ずーっとバブル時代と同じくらいの日本全体の資本があります。
GDPの数値は対して変わってないのです。
ところが、富の搾取と格差により、内部はすでにガタガタです。
中間層は壊滅し、市場は縮小し、数十年後には貧困世代が定年世代になります。
膨大な社会保障は一体どうするのでしょうか?
恐らく、どうせ大震災でクラッシュするから将来なんてどうでもいいという為政者の考えが裏にあるのでしょうが、その意味で言うなら日本国に未来はありません。
金の卵である民から搾取すれば、やがて全体が滅ぶのです。
厳密に言えば、逃げ切れる世代にとっては、少なくとも自分が生きている間はなんとかなるので、自分たちさえ良ければ、合理的な行動ポリシーなのです。
金の卵を産む鶏を殺すのではなく、誰かに売ってしまって大金を得たと言っても良いでしょう。
親が、子供のために尽くすのは、豊かな社会だけです。
基本、貧しい社会は、子供は親の奴隷というのが、実情です。
親に孝行しろという儒教が、戦乱の時代は無視されるのはこれが原因の一つです。
戦乱が終わって平和で豊かな時代でないと、孝行したいような親がいないからです。
鎌倉時代の武士だって御恩と奉公の関係でした。
御恩が無いのに奉公する武士はいません。
親子だって同様です。
【確実に儲かる話を貴方だけに】
さて、金の卵を産む鶏の話ですが、上述したように世の中には、わざわざ殺して台無しにするアホや、子孫に残さずに売り払って自分だけ利を得る公益に反する個人主義者が結構います。
そんな連中はともかく、我々が金の卵を産む鶏をゲットするにはどうしたらいいでしょうか?
一般の財テクですと、予算を株や不動産などの利益を産むキャッシュフローを取得せよという話になります。
例えばマイホームを買うならアパートを買って家賃収入でペイしろとかそんな感じですね。
株だの起業だの色々と財テクはありますし、大多数の人がうまい話に引っかかって没落していきます。
しかし、当然、財運が無ければ金の卵どころか不良債権をしょいこむ可能性が高いのです。
日本には、こういう財テク話で、バブルの時以降、塩漬け不動産として樹海にダイブする人が大量生産されているのです。
まあ財運がある人はこういう財テクでガンガン稼いで下さればそれでいいのですが、問題は、大部分の人は財運が無いからです。
何かノーリスク・ハイリターンの話は無いものでしょうか?
どこかに金の卵を産む鶏は無いのでしょうか?
このブログを読んでおられる運の良い方は、その金の卵を産む鶏をすでにゲットしています。
不良債権に成ることのない、ノーリスク・ハイリターンの投資ファンドを既に知っているのです。
その金の卵を産む鶏と投資ファンドの名前は、陰徳と言います。
絶対に不良債権になることのない財テクです。
バブルの土地のように値下がりしないし、サブプライムのように破綻しないのです。
イエスは天に宝を積むことを、腐らないし虫がついてボロくなることもないし、盗まれない安全安心プランと呼んでいます。
日本政府が、初めから破綻するぞと自分から言っている年金でも無いのです。
※受給年齢がガンガン上がり受給額がガンガン下がる保険投資を破綻していると普通は言います。
陰徳は何があっても絶対に無くなりません。
保険会社や政府どころか、日本が消滅しようが、人類が絶滅しようが無くなりません。
どんな鉄壁の高性能の金庫よりも安全です。
金庫は利子がつかないし、かえって管理費がかかったり保管してある物が価値が下がったりしますが、陰徳は一切無関係です。
利子が複利レベルで、膨らんで帰ってきます。
現世のうちからすでに、リターンが莫大になって帰ってきますが、死後のリターンはもはや天文学的単位の儲けです。
たかだか、現世のはした金の陰徳で、何万年何億年の天界極楽人生(人なのか?)をゲットできます。
前々から言っているように、どうも日本国は長くありません。
核か大陸国家の侵攻か大震災(噴火)か原発か、あるいは全部でしょうが、どんな投資対象もやがてパーになります。
一番確実で安心でノーリスク・ハイリターンな陰徳に投資しましょう。
本当に賢い人間は、陰徳という財テクに投資する人間なのです。
世間にはインサイダー情報という内部の人間しか知らない投資情報があります。
近々上場するぞと言う企業の情報や、戦争や天災の情報があれば大儲けできます。
しかし、陰徳という天界のインサイダー情報の前には、所詮、はした金です。
陰徳というインサイダーを知っている者は、他の人間よりも圧倒的に有利なのです。
このブログに来ている縁のある方々は、前世の功徳のおかげか何かで、このインサイダー情報を知ることが出来たのです。
もはや数年以内の開運と、死後や来世の王侯貴族などは遥か足元に見る人生を約束されているのです。
本当なら、高額な情報商材として販売しなければならない情報ですが、豊河はこうして、無料で縁のある皆さんに(恩着せがましく)公開しています。
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【環境適応】
前回のポピュレーション調整では、進化論の弱肉強食とセットで併せてよく語られます。
しかし、進化というのは、環境に適応できるか否かが全てです。
一般に、弱肉強食というイメージ認識が強い進化ですが、
厳密には間違いで、運の要素が非常に大きいのです。
例えば、恐竜は人間の先祖の哺乳類よりも遥かに強かったのです。
が、それでも地球規模の環境変化に適応出来ず滅びています。
体が大きく強い恐竜はそれが弱肉強食の頂点に立っていました。
そして、環境の変化に適応できなかったのもその強さのためです。
弱く小さな小回りの効く哺乳類が生き残って、強く大きな恐竜が滅びたのです。
要するに、強いかどうかというより、環境にあっているか否かという運の要素なのです。
この進化の法則は、強者と言えども、運の要素には勝てないことを意味します。
戦国時代にブイブイ言わせていた武士が、江戸時代にリストラされたように、運の前にはあっけなく敗退するのです。
猛きものも終には滅びるのです。
ひとへに風の前の塵に同じなのです。
この適応の問題は、今回のテーマの求人の話にも容易に繋がるものです。
若者が職が無いという現在の日本社会の問題の原因は、マクロ視点では、グローバル化とITによる効率化によるリストラです。
しかし、日本企業がイノベーションについていけない理由として、
従来の戦後の日本的経営のシステムが足を引っ張っていることが理由の一つです。
要するに、新しい世界の環境への適応できないケースですね。
日本は、冷戦後の環境に異常に適応して空前絶後の繁栄を成し遂げてしまいました。
その宴の後始末は、まだ続いています。
【サイクル】
では環境の適応と言うのは何でしょうか?
はっきり言ってしまえば、人為的な力は一切無関係の自然の循環(サイクル)です。
恐竜の自己責任による努力など無意味に、恐竜という種のサイクルなのです。
個人に、生老病死のサイクルがあるように、種にも生老病死のサイクルがあります。
このサイクルは、全てに共通な物で、春夏秋冬のサイクルがわかりやすい代表格でしょう。
生まれて、少年少女、青年、中年、老年、死などのサイクルは春夏秋冬と同じです。
個人も種も国も全てそうです。
ちなみに、春夏秋冬は四段階のサイクルです。
スタート地点の発生から、成長で登っていき、頂点に辿り着き、衰退で下降し、消滅する。
円を描くように、このループを万物が回るのです。
この四つのサイクルは、西洋の古代哲学では地水火風の四大です。
中間を入れれば東洋哲学の五行にもなります。
さらに、突き詰めれば、省略してしまえば、発生と頂点と消滅の上昇と下降だけに集約出来ます。
イメージとしては、上下の棒だけのイメージですね。
上に上がって頂点まで行ったら下がる。
太陽の一日の動きを見るとこれがわかります。
夜と昼です。
朝、昼、夕方、深夜と6時間ごとに分ければさっきの春夏秋冬と同じです。
成長と衰退だけに集約出来ます。
発生と消滅。
生と死と言い換えてもいいでしょう。
これを陰陽と言います。
現代文明の電子機器が全てゼロと一のオンオフで成り立っているのと同じように、世界はこの陰陽で成り立っています。
もっと言えば、生と死の陰陽しか、世の中には存在しないのです。
全ての存在はこの法則の中に入っています。
その意味で、陰陽道というのは、生死の道なのです。
必然的に全ての宗教だろうが職業だろうが全ては陰陽道に包含されます。
全人類は陰陽道の信者なのです。
釈迦だろうがイエスだろうが、陰陽道の教徒です。
その証拠に、彼らは大言壮語しても、あっさり生まれたからには死んでいます。
彼らが生まれたのは2500年前と2000年前です。
その後、今でも生きているならまだしも、当然のことながら彼らは凡人と同じように、死んで、生きていません。
陰陽道(生死)なんかに負けない(キリッ)!
→陰陽道には勝てなかったよ・・・。
という、お約束の流れなのです。
口では偉そうなことを言っても身体は正直だなあぐへへへへ。
と言う、エロ同人の世界なのです。
【超人】
世界がどんなに複雑になったとしても、結局、この陰陽に集約されます。
この陰陽の他は、些事に過ぎません。
時代が変わろうが、地球上の支配種が変わろうが、全てやっていることは同じです。
生と死の陰陽でしか無いのです。
マクロの世界だろうが、ミクロの世界だろうが、全て同じです。
どんな生物も物質も、生まれた後は、一切の例外なく、死に向かいます。
生まれた時から、全ての存在は死ぬことが決定しています。
基本的に、全ての哲学、宗教は、陰陽道に喧嘩を売る形で存在しています。
ギリシャのイデア論とユダヤ人の絶対神から始まった、永遠不滅の絶対神は、
陰陽道に支配された現世のあらゆる存在に対するアンチテーゼです。
死への恐怖から宗教は生まれました。
需要があれば供給が産まれる。
要するにそれだけ、我々人類は死にたくないということです。
道教の不老不死も、仏教の解脱も、要するに死にたくないということからスタートしています。
陰陽道の生死のループは、それだけ人間から見ると抵抗があるということです。
まあ、気持ちはわかります。
死ぬだけだったら、まだあれですが、だいたいはスパッと死ぬのではなく、ダラダラと苦しみが続くのが人生です。
貧乏だったり病気だったり闘争の弱者だったりと色々と苦しみがあるのです。
さらに言えば、我々は、自分に関係ないどうでもいい存在だったら、死のうが消滅しようが別に意に介しません。
自分やお気に入りの存在が、死んだり消滅したりするのが苦なのです。
そう考えると、厳密に考えると、我々は死が嫌なわけではありません。
執着のある対象(自分やお気に入り)が死んだり消滅したり苦しんだりするのが嫌なだけなのです。
死と言う現象自体に、問題があるのではなくて、それを嫌だと思う認識のシステムに問題があるということです。
つまり、世界そのものに問題があるのではなくて、自分の認識に問題があるということです。
いつも言っているように、宗教の究極はこのような自分の認識の自己責任論に帰結してしまいます。
要するに、自己責任論は、因果応報や新自由主義の資本家のプロパガンダだけではありません。
生物と言うのは、全く理由が不明のまま、自己責任論の世界に放置させられて、人生ゲームをさせられています。
一体、誰が何のために生命を発生させているのか?
やはり最終的には、哲学で言う「なぜ存在しているのか?」という存在論そのものになってしまいます。
しかし、釈迦が無記や毒矢のたとえで逃げているように、解答最悪、理由など判明して無くても、とにかく無意味でかつ危険なループに我々は存在しているということだけは、確実なのですから対策法が重要になります。
そして、宗教の言うように、永遠不滅の完全体が、果たしているかどうか(我々がそこに行けるかどうかも)は、謎です。
あるのなら、そこがゴールなので別にいいのですが、無い場合は、結局、このループのゲームを終わらせる必要があります。
ここに、輪廻の停止という仏教(インド哲学)の解脱の話になります。
しかし、さらに最悪を想定するならば、解脱という救いすら無い可能性も考慮しなければなりません。
永久に輪廻のループを無意味に繰り返す可能性です。
ニーチェの言う永劫回帰です。
我々は、無意味なループを未来永劫繰り返すことの出来る超人になれるでしょうか?
ぶっちゃけ無理だと思います。
豊河は昔、単純作業の仕事(工場とかのライン作業)を社会勉強のためにやったことがありますが、ひたすら苦痛でした。
よし!もう一時間くらい経ったろうと思うと10分くらいとかざらです。
たぶん、ループの三順目くらいで飽きるでしょう。
そもそも、キン肉マンを読む限り、超人と言っても、ひたすらプロレスしてるだけの3K労働職のようですし、あまり楽しい職業ではなさそうです。
※そもそも超人は職業なのか?
しかし、こう言ってはなんですが、別にループしても構わないのではないかと言う意見もあります。
生まれ変わりでは記憶の消去が前提としてあるからです。
※たぶん、前世のことを覚えていると、飽きるからでしょう。
この記憶の消去というのは、何もしなくても(解脱しなくても)、人生とは一回きりの一発勝負だとも言えます。
記憶が無いというのは、別人格と同じですし。
そうすると、そもそも解脱をする必要がなくなってしまいますが、少なくとも、今世で生きている限りは、苦しみにあう可能性は高いですし、現在進行形で苦しんでいる人にとっては必要でしょう。
また、そもそも来世が人間界でなかったら、記憶リセットされない可能性もあります。
※記憶が無くて地獄で反省しろと言われても反省しようがないですし。
まあ、こういうリスクがありますので、来世の保険も兼ねて、陰徳を積んで開運して無事に今世をすごしましょう。
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・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
五十善に相当する
◯一人の流離を救免す。
【質量保存の法則】
ポピュレーション(人口)調整というものがあります。
一般には、人口爆発の対策として語られることが多い分野です。
もしくは、自然界の食物連鎖の結果として語られることが多い概念です。
世の中は、理系と文系を貫く世界の法則がいくつかあります。
理科の時間で、皆さんが習った質量保存の法則もそれです。
別名、幸福量保存の法則と呼びます。
要するに世界の幸福や不幸や資源などは、一定の量しかないので、
それは奪い合いになるというろくでもない法則です。
誰かが幸福になれば誰かが不幸になるのです。
正義の味方が誰かを救ったり、どこかの共同体を救えば、
その分だけ、地球のどこかで誰かがその分しわ寄せが来るのです。
【人口問題】
ポピュレーション(人口)調整は、食物連鎖と同様のシステムです。
ピラミッド型のシステムで、上位の捕食者が増えれば、下位の被捕食者は減ります。
逆に、捕食者が減れば、被捕食者は増えます。
分かりやすく言えば、猫が増えれば、ねずみの数は減りますし、猫が減れば、ねずみの数は増えます。
例えば、今、うなぎが絶滅しそうな感じですが、うなぎなんて元々マイナーな食べ物(生き物)でしたが、
中国人という捕食者が増えたことで、絶滅しそうな状況です。
まったく、シナ人は度し難い連中ですね。
※日本人のうなぎ捕食量を見てみぬふりをする優しさが豊河にも存在した。
自然界と同じく、人間界にも同様のメカニズムが存在します。
食物連鎖と同じく、下位の餌がなくなれば、上位の捕食者は不用になり、必然的に減数するのです。
例えば、戦国時代という戦乱の時代には武士と言う捕食者がいっぱいいました。
蠱毒の壷の如く、お互いに殺し合い、領土を奪い合い、誰が地上最強か競い合いました。
ノブ、ヒデ、ヤスの三傑(天下の英雄に気安い呼び名をする不敬罪)が日本の天下統一を果たし、太平の世が訪れました。
で、不用になった捕食者が大量リストラされたのは、過去記事で述べた通りです。
半島(大陸)に不法投棄のポイ捨てしたり、国内で大量リストラしたり、マジに物理首切りしたりと、色々と人口調整したのです。
明治以後も拡張政策で同じようなことして、冷戦後も、今、同じ状況にあります。
今のグローバル化の時代は、日本のみならず世界の先進国で似たような状況にあり、全世界規模でリストラになっているのです。
ちなみに、これだけ聞くと、ろくでもない話なのですが、安い労働力を提供できる発展途上国は大喜びです。
日本→中国→東南アジア→アフリカと今まで貧困化だった地域が、文明の恩恵を受けられるようになって、全世界規模の視点では、実はとっても良いことなのです。
【椅子取りゲームの宴】
グローバル化とIT化により、賃金の低下と効率化は指数関数的に進み、
すでに、各国の先進国は棄民政策を実施しています。
座席の数は限られているのです。
安定した中流階級の正社員の席は、かつての先進国の中だけでなく参加国が増えています。
この全世界規模の椅子取りゲームの難易度は、日々上がっており、座席の数すらも文明の進歩、効率化によって減ってきています。
当然、席に座れない余り者が余剰します。
この21世紀ですら、江戸時代と、問題の構造が一緒なのです。
一体全体どういうことでしょうか?
今でこそ、職業選択の自由がありますが、家を継げない次男三男が悲惨だったことは過去記事で説明してます。
ただし、ひと昔前だったら、こうした余剰人口は、育児制限(一人っ子政策)や対外拡張政策や移民が可能でした。
我が国でも、近代以後に爆発的に人口が増えた日本国政府は、移民と対外拡張政策を実施。
ある程度軌道にのりましたが、第二次大戦という巨大イベントで敗退し、
あえなく全員引き上げられ、しかもその後の対外拡張を封印させられました。
今では、当時の成功例は南米への移民くらいです。
しかし、現代の先進国では、(平時には)そこまでの強権は不可能です。
国外にポイ捨て出来ないのなら、国内で人口を削減するくらいしか手はありません。
一般人と違って、長期的視野を持つことの出来る優秀な日本の官僚は、人口問題を早期から把握して対策をとりました。
グローバル化とIT化の波を隠れ蓑として、国内の人口削減を実施しました。
※マッカーサー時代の占領政策にもこれ幸いと、戦前には出来なかった政策を火事場泥棒的に詰め込みました。
日本の為政者のやり方は、お雇い外国人社長にやらせる式の、このやり方が多く見られます。
その結果、現在の40歳代はごっそりと中間層から転落。
正社員から非正規へ。
正社員だとしても給与を半減させられました。
その結果、結婚率や出産数は激減。
諸説ありますが、数千万人程度が、日本の適正人口と言われていますので、
このまま順調に、日本の人口が減り続けることが、シンクタンクの人口問題解決策の青写真です。
【宴の後】
先の大戦でも、日本軍は無茶苦茶な作戦で戦地に大量投入しましたが、その理由の一環がこれです。
戦争と経済は密接にからんでおり、戦争前の大恐慌は要するに大量リストラの時代だったのです。
穏健な経済リストラで対処出来なかった若者の余剰人口が、戦争という公共事業で処理されました。
戦後に連合軍に占領下になるのはすでに戦時中ですら予測されていたことです。
その時に、占領者およびそれに従う敗戦下の日本の為政者に逆らうエネルギーと知力を持った若者をなるべく処理していく。
神風特攻隊を含めた異様な作戦の裏がこれです。
人間をマクロな数値でしか見ないのは、一般社会では異常ですが、為政者という立場ではそれは必須のスキルです。
そうでないと、とても億単位の人間を統治出来ないからです。
我々が、庶民の目から見た変な政府の政策は、裏から見ると、こうした理系の非人間的な話がモデルのことが多いのです。
ナチスと組んでいた当時の日本は、優生学を信望していた日本人は相当数います。
こうした政府の裏の顔は、普通は表に出ませんが、たまにひょっこり顔を覗かせます。
基本的に、人口問題の青写真は、まだ日本国という単位で考えられた話です。
まあやってることはろくでもないのですが、一応、国益としては正しいのです。
ただし、震災と原発と言う、時限爆弾が日本列島には絶対的な宿命として、残っています。
この問題は、もう国内レベルの問題ではなく、世界規模の資本の話になります。
単純に国内統治の問題ではなく、世界レベルの間引きの話になってくるのです。
この場合、日本の裏の顔はさらに冷酷なものになります。
元々、日本国には主権はありません。
植民地とか属国という言い方がよく使われますが、厳密にはプエルトリコのような「自治領」というのが、一番正鵠です。
もっと厳密に言えば、それは、アメリカとかの国の単位ではなく単なる「資本」です。
日本はわかりにくいですが、わかりやすい国だと、韓国がIMF以降国の自治権が無いのと一緒です。
この裏の顔は、先の3.11の時には、相当出ていました。
百聞は一見に如かずです。
今も、貴重な低放射線量の人体実験モルモットとして実験場にされている子どもたちの図は原爆の時代と変わっていません。
原発クラッシュ後の官僚のシナリオは、計画停電と称して、東京の電気を止めて、預金と交通を封鎖。
要するに国民が逃げ出すのを閉じ込め、棄民する。
自衛隊機で支配者層だけ西に逃がす。
報道機関は徐々に空にする。
※天皇陛下が、場所がわからない場所のビデオメッセージを出してましたがそれです。
3.11の時は、このシナリオが中途半端に施行された状態でした。
交通はストップさせた。
計画停電はまったく無意味とあとでバレましたが実行した。
寄付の振込ラッシュ如きで、みずほ銀行がダウンした。
やってることが、満州の時の棄民政策と全く一緒なのです。
国が主権がなければ、政府や軍が国民を守る必要はありません。
主権が海外の資本にあるならば、国民などどうでもよいからです。
そして、これはいずれ来る「本番」の予行演習です。
泣いても笑っても、日本で震災と原発の本番はいずれ来ます。
しかし、より大きな世界単位の枠組みの青写真では、すでに日本の未来は核廃棄物のゴミ捨て場としての未来です。
【そしてループへ】
震災や噴火だけなら、まだ日本は復活出来ます。
※実際、何度もの震災を日本は(時の政権がクラッシュしながらも)生き残ってきました。
しかし、放射能で生物が死に絶えた国では、もはやどうすることも出来ません。
まあ、別に人間が住めない地域になっても、日本列島そのもの、ひいては地球そのものはどうでもよい話です。
我々だって、体についている60億もの細菌のことなんてどうでも良いのです。
人類の文明の歴史が5000年間かけて作り上げた汚染は、人間が壊滅したあと5000年かけて自然は戻すだけのことです。
億年単位の大自然の歴史から見れば、瞬く間です。
そして、また5000年かけて高等生物が、核で滅ぶまで同じことを繰り返します。
まあ、下手な鉄砲も数打ちゃ当たるといいますので、もしかすると核の時代を次の地球上の種が乗り越えて次のステップに進めるかもしれません。
しかし、それが一体どうしたと言うのでしょうか?
進めたら進めたでまた次の技術的問題でループが開始されるのです。
そして、この大宇宙では同じようなループがどのくらい発生しているのでしょうか?
輪廻は個人で語られることが多いのですが、ループするという構造は、個人レベルだろうが地球単位のマクロ単位だろうが同じです。
共通するのは「無意味」という言葉です。
ループしても先に進んでいるという螺旋説は結局、質量保存の法則の範囲内です。
全体を見れば、必ず進歩した分、どこかで退歩しています。
六道の天界に行ってもそこがゴールではなく結局、輪廻をまたループするだけです。
ここに来づけるか否かが、仏教の核を手に入れられるかどうかの瀬戸際となります。
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陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
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その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。
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【前回の補講】
前回までの、因果応報の話がようやく終わり、本題に戻る・・・と行きたいところですが、重要なことを言い忘れていました。
(なぜ忘れるのか・・・)
ぶっちゃけ、因果応報の有る無しはどうでも良いのです。
あろうがなかろうが、無意識のプラシーボ効果や死ぬ間際の脳の破壊による大量麻薬で、死後の世界も個人の認識に存在するのです。
重要なのは、因果応報理論は、
傲慢になることと薄情になることという、嫌なやつを生成するということだけです。
ここが一番重要な点です。
これは、「開運すると偉くなるので、力の暴走に注意して下さいね」といつも言っている話と同じです。
なるほど、因果応報の効果(陰徳の効果)というのは絶大です。
誰でも、淡々とやっていれば、時間はある程度かかりますが、あっけなく運命は好転します。
よく風水が開運の白眉などと呼ばれますが、予算も手間もかかる風水など一般人は手が出せません。
誰でも簡単に出来てかつ効果が大きい、陰徳に勝る開運法は無いのです。
※実際に、金持ち華僑はこれを知っているため、陰徳をせっせと積んでいる。
しかし、簡単であるため、いつも言っている、力を持った暴走になりやすいのです。
人間は、現金な生物ですから、自分が苦しい時は、被害者ヅラするくせに、余裕が出てくると、途端に、弱者は自己責任だと言いたがる度し難い生き物です。
ましてや、陰徳は因果応報理論に基づいたものです。
前回まで指摘したように、開運すると、容易に自己責任論者になる危険性があるのです。
なにしろ、善因善果・悪因悪果がモットーです。
今の自分の地位は自分の善行の手柄、他人の失敗や不幸は自業自得の天罰という、考えになりやすいのです。
※というより、因果応報論はそういう考えなのです。
ナチス・ドイツの優生学の信奉者にエリートが群がったのは偶然ではありません。
高収入のエリートほど自己責任の新自由主義の信奉者が多いのと同じです。
以前から、耳にタコが出来るほど何回も言っていますが、今、皆さんが何かしらの不幸な境遇にいて、何をやっても這い上がれない、這い上がる気力も無い、なんとかして開運を望んでいるのでしたら、それは運がいいのです。
要するに、皆さんの守護して下さる見えない高次の存在が、ストップをかけているからです。
それだけ、皆さんの前世の功徳とか信仰心かご先祖様で、守られているのです。
もし、このガードがなかったらどうなるか?
今の、未熟な倫理・道徳観のまま、手段を選ばずに成功してしまうでしょう。
その後に待っているのは、派手に回りを巻き込んだ自滅です。
別に、ご本人だけが自滅するならまだいいのです。
腕力、能力、知力、権力、魅力、本人が望むままにあらゆる力を手に入れて成功していた者が、道徳のブレーキが壊れていたらどうなるか?
歴史はその実例をたくさん提示してくれます。
当然、身の破滅のみならず死後は天文学的な地獄の刑期が待っています。
そんなことになるくらいだったら、何としてでも、成功させまいと守護者たちが頑張るのが当たり前です。
一般のイメージに反して、守護霊や守護神は、人の足を引っ張るのが大好きなのです。
それは出世レースの蠱毒の壺のように、他人を蹴落とし出世させまいとする伏魔殿です。
守護者達は、心を鬼にして今日も貴方の人生の成功を邪魔しているのです。
もし貴方が、人生でこいつさえいなければ、この障害さえなければ・・・!と思うところがあったら、この記事を思い出して下さい。
ユング心理学ではシャドウと言いますが、要するに、無意識が必死になって貴方に気付かそうとしているのです。
そしてこの妨害がなければ、気づかないまま先に進んでいれば、貴方はもっと酷いことになっていたのです。
人生の妨害者、障害者に、気づけたら感謝するようになるでしょう。
まあ、気づかないうちは憎悪の対象かも知れませんが。
で、とりあえず補講は終わりましたので、次回こそ本題に戻りましょう。
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因果応報理論にエラーがあるので、言い訳を考える話が前回でした。
今回も、その続きです。
【言い訳③ そもそも因果応報自体、無くね?】
そもそも、四民平等の近代以降の価値観で、生まれた瞬間に差別をするのは、現代人から見て問題外です。
自分が成功したのは自分のおかげ、
他人が不幸なのは自業自得という浅ましい思想など、
もはや人類には不要です。
因果応報自体が、近代以前の恥ずべき黒歴史だったのです。
さて、そんな悪しき迷信が天動説並の間違いであり存在しなかったとしたら問題は解決します。
前世の業など無いため、カルマの清算など不要です。
生まれによる身分差別は撤廃出来ます。
自分の成功が自分のおかげなどという傲慢も無くなります。
※才能や努力のおかげという観念は残るので、厳密には無くならないと思いますが。
不幸な者は自業自得という薄情な者もだいぶ減るでしょう。
しかし、その場合、因果応報のメリットである道徳的抑止という面が無くなるリスクが存在します。
自業自得の利点である、陰徳の促進や、悪行の抑止の利点がなくなってしまうのです。
その対策としても、次の理屈で対応できます。
社会上の法律で対応出来ない見えないところでの悪事は、無意識が自罰をするという理屈です。
およそ、人間の無意識は、因果応報の自罰の観念を持っているので、例え因果応報が無くても、勝手に作動します。
無意識が悪行に対して運命を狂わせ自罰させるように動くのです。
逆に、善行に対しては、自尊心が高まり、自分を成功させるような方向に無意識が誘導させるのです。
因果応報でなく、無意識という新しいブラックボックスを導入することで、因果応報の代わりにさせます。
さらに、来世に関しても、死ぬ間際の脳内麻薬大量分泌の理論でなんとかなります。
人間は、瞑想や苦行で大量に脳内麻薬を合成することが可能です。
圧倒的な快楽や全能感、神との遭遇に、宇宙との一体感を感じるのはこれが原因です。
しかし、所詮は、死の疑似シミュレーションです。
死ぬ間際の脳内麻薬の量は桁違いです。
大量の脳内麻薬は、人間の認識領域を一変させます。
天国だろうと地獄だろうと、薬物パワーでトリップさせてくれます。
走馬灯を見るという現象がありますが、死の寸前の一瞬の間に人生を体験想起させる現象です。
走馬灯如きですら、人生の数十年分を一瞬で体験するのです。
死ぬ間際の脳が壊れた状態で出る本当の、大量脳内麻薬の状態だと、何万年何億年の脳内体験になってもおかしくありません。
要するに死後の世界というのは、本人の脳内で体験出来るのです。
そこで天国になるか地獄になるかは、本人の潜在意識次第でしょう。
当然、悪行を積んできた人間と陰徳を積んできた人間とでは違うでしょう。
これで、ますます因果応報は不要になりました。
【言い訳④ そもそも別にあってもなくてもどうでもよくね?】
さらに4つ目の言い訳です。
今更な話ですが、ちゃぶ台返しとして、こんなロジックもあります。
そもそも、近代のロジックは別に神聖視する必要はありません。
人権一つとっても、別にそれが絶対的な真実なのではないのです。
当たり前の話ですが、人権も民主主義も近代システムの何もかもが、仮想的に作られただけの話です。
一例を上げれば、日本国憲法です。
前文では、天賦人権論が宗教的に記載されていますが、考えてみれば、こんなバーチャルな思想で現代文明は成り立っています。
数学と同じく、仮想されたモデルの中でお約束として、仮想の前提があり、その前提の元でロジックが展開していきます。
因果応報も、輪廻転生や解脱も、全部同じです。
仏教だけでなく一神教の神学も、全部同じです。
人間は、仕組みがブラックボックスであっても、生活に利用出来れば、使うのに躊躇しません。
近代モデルも、宗教モデルも、結局、根拠不明のブラックボックです。
しかし、使えればよいのです。
一番最初の定義が、論拠不明であやふやであっても、そのあとの論理展開があり、そのロジックが人類の役に立っていれば、それは真理として稼働していきます。
因果応報論は、色々と問題がありますが、生まれによる差別や弱者や不幸を是正しなければ、人類の統治OSとしては役に立ちます。
要するに、普通に生きている限り(在家)であれば、問題は無いのです。
本当のことを知る必要があるのは、プロの出家や為政者だけです。
彼らは、「密教」として、本当のことを知っています。
つまり、自分たちの宗教教義が、仮のモデルだという実相をです。
釈迦は、在家の信者には、簡単なゆるい戒律と布施(要するに陰徳ですね)をして、天界に生まれ変わるような教義を説きました。
ところが、プロの出家には、世界が諸行無常で諸法無我で一切皆苦だということを述べました。
在家用の顕教と、プロ出家用の密教では違う教えを説いたのです。
この、バーチャルな幻影を、大乗仏教では「空」と呼んでいます。
本来、無決定な世界に、仮想的に人間が自分の都合で色をつけただけなのです。
近代の創始者も、彼らは自分たちの教義が嘘ということはたぶん知っていました。
あくまでもモデルとして、社会契約論などを仮想し、その上で民主主義や人権などを論理体系の中に入れていきました。
それが、近代に必要だったからです。
科学が発達しグローバリズムになった世界では、封建主義や王権主義や神聖国家よりも、民主主義、資本主義の方が効率がよかったからです。
そうした、時代の必要に応じた仮想モデルが表向きの世界です。
それを取っ払ってしまえば、後に残るのは、人間というエゴに満ちた、弱肉強食の世界です。
本来、生きる意味も、道徳も何も無い世界ですが、先人たちは、集団が、全滅しないように、色々と頭を悩ませて「嘘」を作ってきたのです。
最悪、生まれ変わりも因果応報も無い可能性があります。
それだと、あまりにも殺伐としている世界になるため、幻想で色をつけているのです。
天才釈迦はそれを喝破したからこそ、それを見越して、この世からのエスケープを推奨しています。
また、百歩譲って、世界の真理としては、因果応報などがあり、生まれによる差は厳然として因果応報で存在しているとしましょう。
この場合も、世界の実相と表向きの幻影は別なものです。
因果応報があるからといって、それを社会的な差別として政策にするかは別問題です。
前回と今回の色々な言い訳のように、因果応報理論と上手いこと社会的な政策で折衷する処理する必要は今後とも、続くでしょう。
もともとブラックボックスでなあなあでやっているのが世界なのです。
一神教に至っては、誰も神など見たこともないのに、十億単位の信者がいて、世界を支配しています。
要するに、世界は、大人の事情のなあなあで成り立っており、我々はその幻影の上で暮らしています。
因果応報があろうがなかろうが、ぶっちゃけ対して変わらないのです。
あってもなくても、個人レベルの開運には変わりません。
これが結論です。
釈迦自身は、こういう宇宙論や因果論や死後や輪廻の話しに関しては無記(無回答)を貫きました。
因果応報があろうが、なかろうが、どうでもよかったからです。
上記したように、在家と出家で、教義を変えました。
在家は、因果応報があったら開運や死後の成仏ができるし、因果応報がなくても無意識や脳内麻薬で幸福になれます。
出家は、因果応報があろうがなかろうが解脱すればどうでもいいからです。
つまり、やっぱり因果応報があろうがなかろうがどうでも良いのです。
何で仕事の紹介の話をしているのに、長々と因果応報の話になっているのか、書いている豊河もさっぱりわかりません。
ほんと、豊河のお筆先は何がしたいのかよくわかりませんね。
まあ、次回からまた仕事の紹介の話に戻りましょう。
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【前回のあらすじ】
所詮、この世は奪い合いの弱肉強食の世界。
猿から進化した万物の霊長たる人類も、所詮、畜生の同類です。
およそ、生物は、どんな高等な種族であれ、生存には食料が必要です。
食料が満ちていれば、争いは起きませんが、供給が少なくなれば、資本主義の原理により、価格は高騰し奪い合いになります。
他人を殺さなければ生きていけない修羅道が、あらゆる生命の現世の本質です。
少しでもIQが高ければ、そんな鬼畜修羅道のこの世の本質は見えてきます。
インドの王族のボンボンだった釈迦も、若い頃、絶対に死なず老いない不老不死を求めて苦悩した結果、出家しました。
人間の身体であれば、生老病死の危険性は常にあるからです。
他者との殺し合いや、食料(金)の奪い合い、怪我や病気や老化や死と言った不幸も同様です。
釈迦はIQが高かったので、こういった人生のリスクを把握し、解決方法を求めました。
しかし、21世紀の日本人は、すでに教養としては釈迦の時代を遥かに凌駕しています。
この生命のリスクも十分に知っているため、少しでも生存率を上げるために、開運を考えるのです。
このブログに起こし頂いている方々は、そんなIQの高い皆さんです。
長期的なリスクも認識出来ずにいる、世間の凡百共とは一線を画している方々です。
このブログでは、そうした人生のリスクを回避するための開運の方法として、陰徳を特に奨励しています。
その陰徳は、因果応報理論によって、構成されています。
善因善果、悪因悪果の法則です。
しかし、その法則は、前回考察したように、重要な問題を孕んでいます。
自業自得の結果になってしまうため、傲慢と薄情を喚起しやすいのです。
言ってしまえば、弱者を手助けしない嫌な奴になってしまうのです。
マクロ的レベルになると、カースト制度や自己責任による搾取にまでなってしまいす。
さらに、自業自得は、陰徳にも影響が出ます。
陰徳のために弱者や不幸な人をを手助けしようとすると、それが彼らにとって余計なことになってしまうのです。
なぜなら、彼らが不幸なのは、自業自得理論ですと、前世のカルマのためであってまさに自業自得だからです。
彼らは、前世の悪業の解消をするために、今の不幸な状況になっていると結論になるのです。
こちらの勝手な感情で、彼らを助けてしまっては、彼らのカルマが解消されません。
それどころか、助けられたことで、ただでさえ多い悪業のカルマポイントが、また無駄に増えてしまいます。
助けられるのは、助けられる方にとって善因善果のポイント消費であり、さらなる借金だからです。
つまり、こちらが陰徳を積もうとして、困っている人を助けるのは、彼らにとって余計どん底に落とすだけの悪業なのです。
世界の質量は一定であり、どこかが増えれば、どこかが減ります。
金は誰かが儲ければ誰かが損をします。
こちらの陰徳ポイントが増えれば、相手の陰徳ポイントが減ります。
弱肉強食の奪い合いの世界の真理は、ここにも適用されてしまうのです。
前回の話はこういう話でした。
弱肉強食の世界から逃れられるようにしてきた陰徳が、まさかの展開です。
奪い合いのルールは、どこまでも適応されるのでしょうか。
所詮、この世は穢土なのです。
では、我々の開運のための陰徳は、結局、自己満足の偽善の仮面をつけた搾取に過ぎないのでしょうか?
まあ、実際、たぶん、そうなのでしょうが、開運を目指す皆さんのために、豊河が頭を捻って、陰徳を正当化する言い訳を考えてみましょう。
【言い訳① 猶予期間(モラトリアム)】
日本において、本来、学問をするはずの大学生は、基本、遊んでいます(真面目に勉強する人も多いですが)。
現在のシステムでは、受験と社会人の間の猶予期間(モラトリアム)になるからです。
何事にも、この猶予期間はあります。
例えば、刑法でも初犯は、執行猶予期間はあります。
反省の余地があるからです。
再犯だと刑罰が厳しくなるのです。
因果応報理論だと、不幸にあっている、困っているというのは因果応報的に考えて、悪行の結果です。
自分がやったことの報いで、こうなっているのです。
しかし、因果応報はともかく、天は慈愛に満ちた存在です。
常に天が下の人間を許そうと虎視眈々と狙っています。
生命が苦しみに会っているのを看過出来ないのです。
スキあらば、助けようとしているのです。
自分の手駒(皆さんのような善人)を使い、彼らを助けようとします。
助けられた方は、陰徳で助けられたことで、猶予期間を与えられます。
その猶予期間に、今後は、前世の業を償うような、世界のために善行を積むようになれば、新しく積んだ善行でカルマの借金が相殺されるかも知れません。
つまり、陰徳で助けることはたしかに、カルマ的には余計なお世話かもしれませんが、モラトリアムの仮釈放で更生のチャンスを与えられたのです。
そのモラトリアム期間で、正しい道に歩んでくれれば、陰徳で助けた価値はあります。
【言い訳② 刑期終了のジャストタイミング】
そもそも、我々は因果応報の業(カルマ)の存在を認識出来ません。
そういうものがあるな程度にはわかりますが、細かいポイントはさっぱりです。
現状、天界サーバにある管理下の、自分たちのカルマポイントが、どのくらい貯まっているか見ることが出来ません。
PONTAカード(ローソンのポイントカード)ですら、WEBで見ることが出来るのに、カルマポイントは見ることが出来ません。
PONTAにすら劣っているのが、業システムです。
管理会社はユーザビリティというものをどう考えているのでしょうか?
占星術は天機を見る物なので、ある程度は見ることが出来ますが、それでも、陰隲録の袁了凡のように途中から陰徳で運命改善を志すと、運命は変わってしまいます。
その場合だとさらにカルマポイントはわからなくなります。
資産(貯金)が今、いくらあって、負債(借金)はいくらあるのか?
およそ、資本主義を歴史的に推進するのには、複式簿記という資産を管理するツールが必要でした。
資本の正確な把握は、投資や経営に必須だからです。
軍や国家のような大規模組織では、これは当然です。
糧秣や税金や予算を把握していない組織など、滅びて当然です。
「見える化」は資本主義の鉄則なのですが、
しかし、これが個人のカルマになると途端に見えなくなってしまいます。
そもそも論として、陰徳、冥律という、陰や冥々の存在だから仕方がないと言えば仕方がないのですが・・・。
要するに、こいつらは、目には見えないだけでなく、今どのくらい貯まっているのか把握出来ないのです。
で、要するに何が言いたいかというと、貴方が陰徳で助けた相手は、ちょうど相手の悪業のカルマの清算分が終わったタイミングだったのです。
要するに、貴方じゃなくても(貴方だということに何らかの縁があったのでしょうが)、どっちみち誰かが助かったり自動で助かったりする
タイミングだったのです。
カースト制度なども、一生、そのカーストで居なければいけないかどうかは、本人の業次第ですので、別に一生その身分でいるなどと、システムに固定された話ではないのです。
無論、一生、カースト制度に縛られた人は、そういう業だったのでしょうが、貴方がおせっかいでカーストをやめさせたとしたら、それはそれで、その対象の人はそのタイミングで「カーストの業がちょうど終わったタイミング」だったのです。
つまり、陰徳で、助ける側の我々が、相手の業の次第を気にする必要はありません。
相手が「なぜ自分を助けた!まだ償いが終わってないんだ!」とか、「く・・・ッ!こ、殺せ!(女騎士風に)」とか言ってきても気にする必要はありません。
どうせ、業のポイント状態なんか見えないのです。
もしかすると、その通りなのかも知れないし、そうでないかも知れません。
助けたあとで、相手が再び自罰の道に行っても知ったことではありません。
それこそ、自己責任というものです。
命を助けたことで、こちらは、善業百ポイントゲットをしているのです。
あとがどうなろうと、知ったことではありません。
※まあ、厳密にはその後のフォローはした上げたほうが良いとは思いますが。
そもそも論として、今、書いていて思ったのですが、別に陰徳の奪い合いでもいいではありませんか?(開き直り)
盗みは犯罪ですし陰徳のマイナスにもなりますが、陰徳を奪うのは間接的な盗みですが直接的ではないのでセーフと行っていいのでは無いでしょうか?(たぶん)
世の中、盗まれる方が悪いのです。(言い訳がめんどくなって思考放棄)
盗まれるマヌケはこの厳しい世界で生きてはいけません。
弱肉強食なのです。
世の中、食うか食われるかの二択です。
勝者は肉を食べて生き残り弱者は飢えて死ぬのです。
陰徳を盗むのです。
相手に善行を施して、相手の陰徳ポイントを減らし、こちらの陰徳ポイントを盗むのです。
「くそぉ、一足遅かったか。豊河教の信者どもめ、まんまと盗みおって。」
「いえ、あの方々はなにもとらなかったわ。私のために善行を施してくださったんです。」
「いえ、奴はとんでもないものを盗んでいきました」
「…?」
「あなたの陰徳です」
今日も長くなったので、次回に続きましょう。
(何事もなかったかのごとく)