2017年4月25日火曜日

【陰隲録】功過格表59 うなぎが絶滅するのが先か養殖に成功するのが先か?うなぎと日本人のチキンレース 五十善 仕事を世話しよう⑳




このブログの全体地図はこちら
はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)

なお、皆さんの記事の感想大募集です。
陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
記事下のコメント欄や、メッセージやメールで、お気軽にどうぞ。

その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら




功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

五十善に相当する

一人の流離を救免す。




【質量保存の法則】


ポピュレーション(人口)調整というものがあります。
一般には、人口爆発の対策として語られることが多い分野です。
もしくは、自然界の食物連鎖の結果として語られることが多い概念です。


世の中は、理系と文系を貫く世界の法則がいくつかあります。
理科の時間で、皆さんが習った質量保存の法則もそれです。
別名、幸福量保存の法則と呼びます。

要するに世界の幸福や不幸や資源などは、一定の量しかないので、
それは奪い合いになるというろくでもない法則です。

誰かが幸福になれば誰かが不幸になるのです。
正義の味方が誰かを救ったり、どこかの共同体を救えば、
その分だけ、地球のどこかで誰かがその分しわ寄せが来るのです。



【人口問題】


ポピュレーション(人口)調整は、食物連鎖と同様のシステムです。

ピラミッド型のシステムで、上位の捕食者が増えれば、下位の被捕食者は減ります。
逆に、捕食者が減れば、被捕食者は増えます。

分かりやすく言えば、猫が増えれば、ねずみの数は減りますし、猫が減れば、ねずみの数は増えます。

例えば、今、うなぎが絶滅しそうな感じですが、うなぎなんて元々マイナーな食べ物(生き物)でしたが、
中国人という捕食者が増えたことで、絶滅しそうな状況です。
まったく、シナ人は度し難い連中ですね。
※日本人のうなぎ捕食量を見てみぬふりをする優しさが豊河にも存在した。



自然界と同じく、人間界にも同様のメカニズムが存在します。
食物連鎖と同じく、下位の餌がなくなれば、上位の捕食者は不用になり、必然的に減数するのです。

例えば、戦国時代という戦乱の時代には武士と言う捕食者がいっぱいいました。
蠱毒の壷の如く、お互いに殺し合い、領土を奪い合い、誰が地上最強か競い合いました。

ノブ、ヒデ、ヤスの三傑(天下の英雄に気安い呼び名をする不敬罪)が日本の天下統一を果たし、太平の世が訪れました。

で、不用になった捕食者が大量リストラされたのは、過去記事で述べた通りです。

半島(大陸)に不法投棄のポイ捨てしたり、国内で大量リストラしたり、マジに物理首切りしたりと、色々と人口調整したのです。

明治以後も拡張政策で同じようなことして、冷戦後も、今、同じ状況にあります。

今のグローバル化の時代は、日本のみならず世界の先進国で似たような状況にあり、全世界規模でリストラになっているのです。

ちなみに、これだけ聞くと、ろくでもない話なのですが、安い労働力を提供できる発展途上国は大喜びです。


日本→中国→東南アジア→アフリカと今まで貧困化だった地域が、文明の恩恵を受けられるようになって、全世界規模の視点では、実はとっても良いことなのです。




【椅子取りゲームの宴】



グローバル化とIT化により、賃金の低下と効率化は指数関数的に進み、
すでに、各国の先進国は棄民政策を実施しています。
座席の数は限られているのです。

安定した中流階級の正社員の席は、かつての先進国の中だけでなく参加国が増えています。

この全世界規模の椅子取りゲームの難易度は、日々上がっており、座席の数すらも文明の進歩、効率化によって減ってきています。


当然、席に座れない余り者が余剰します。

この21世紀ですら、江戸時代と、問題の構造が一緒なのです。
一体全体どういうことでしょうか?

今でこそ、職業選択の自由がありますが、家を継げない次男三男が悲惨だったことは過去記事で説明してます。

ただし、ひと昔前だったら、こうした余剰人口は、育児制限(一人っ子政策)や対外拡張政策や移民が可能でした。



我が国でも、近代以後に爆発的に人口が増えた日本国政府は、移民と対外拡張政策を実施。

ある程度軌道にのりましたが、第二次大戦という巨大イベントで敗退し、
あえなく全員引き上げられ、しかもその後の対外拡張を封印させられました。
今では、当時の成功例は南米への移民くらいです。

しかし、現代の先進国では、(平時には)そこまでの強権は不可能です。

国外にポイ捨て出来ないのなら、国内で人口を削減するくらいしか手はありません。

一般人と違って、長期的視野を持つことの出来る優秀な日本の官僚は、人口問題を早期から把握して対策をとりました。
グローバル化とIT化の波を隠れ蓑として、国内の人口削減を実施しました。

※マッカーサー時代の占領政策にもこれ幸いと、戦前には出来なかった政策を火事場泥棒的に詰め込みました。
日本の為政者のやり方は、お雇い外国人社長にやらせる式の、このやり方が多く見られます。




その結果、現在の40歳代はごっそりと中間層から転落。
正社員から非正規へ。
正社員だとしても給与を半減させられました。

その結果、結婚率や出産数は激減。
諸説ありますが、数千万人程度が、日本の適正人口と言われていますので、
このまま順調に、日本の人口が減り続けることが、シンクタンクの人口問題解決策の青写真です。



【宴の後】



先の大戦でも、日本軍は無茶苦茶な作戦で戦地に大量投入しましたが、その理由の一環がこれです。

戦争と経済は密接にからんでおり、戦争前の大恐慌は要するに大量リストラの時代だったのです。

穏健な経済リストラで対処出来なかった若者の余剰人口が、戦争という公共事業で処理されました。

戦後に連合軍に占領下になるのはすでに戦時中ですら予測されていたことです。

その時に、占領者およびそれに従う敗戦下の日本の為政者に逆らうエネルギーと知力を持った若者をなるべく処理していく。

神風特攻隊を含めた異様な作戦の裏がこれです。

人間をマクロな数値でしか見ないのは、一般社会では異常ですが、為政者という立場ではそれは必須のスキルです。

そうでないと、とても億単位の人間を統治出来ないからです。

我々が、庶民の目から見た変な政府の政策は、裏から見ると、こうした理系の非人間的な話がモデルのことが多いのです。
ナチスと組んでいた当時の日本は、優生学を信望していた日本人は相当数います。

こうした政府の裏の顔は、普通は表に出ませんが、たまにひょっこり顔を覗かせます。


基本的に、人口問題の青写真は、まだ日本国という単位で考えられた話です。

まあやってることはろくでもないのですが、一応、国益としては正しいのです。

ただし、震災と原発と言う、時限爆弾が日本列島には絶対的な宿命として、残っています。

この問題は、もう国内レベルの問題ではなく、世界規模の資本の話になります。

単純に国内統治の問題ではなく、世界レベルの間引きの話になってくるのです。

この場合、日本の裏の顔はさらに冷酷なものになります。

元々、日本国には主権はありません。
植民地とか属国という言い方がよく使われますが、厳密にはプエルトリコのような「自治領」というのが、一番正鵠です。

もっと厳密に言えば、それは、アメリカとかの国の単位ではなく単なる「資本」です。
日本はわかりにくいですが、わかりやすい国だと、韓国がIMF以降国の自治権が無いのと一緒です。


この裏の顔は、先の3.11の時には、相当出ていました。
百聞は一見に如かずです。
今も、貴重な低放射線量の人体実験モルモットとして実験場にされている子どもたちの図は原爆の時代と変わっていません。

原発クラッシュ後の官僚のシナリオは、計画停電と称して、東京の電気を止めて、預金と交通を封鎖。
要するに国民が逃げ出すのを閉じ込め、棄民する。
自衛隊機で支配者層だけ西に逃がす。
報道機関は徐々に空にする。
※天皇陛下が、場所がわからない場所のビデオメッセージを出してましたがそれです。

3.11の時は、このシナリオが中途半端に施行された状態でした。
交通はストップさせた。
計画停電はまったく無意味とあとでバレましたが実行した。
寄付の振込ラッシュ如きで、みずほ銀行がダウンした。

やってることが、満州の時の棄民政策と全く一緒なのです。
国が主権がなければ、政府や軍が国民を守る必要はありません。
主権が海外の資本にあるならば、国民などどうでもよいからです。


そして、これはいずれ来る「本番」の予行演習です。
泣いても笑っても、日本で震災と原発の本番はいずれ来ます。

しかし、より大きな世界単位の枠組みの青写真では、すでに日本の未来は核廃棄物のゴミ捨て場としての未来です。


【そしてループへ】


震災や噴火だけなら、まだ日本は復活出来ます。
※実際、何度もの震災を日本は(時の政権がクラッシュしながらも)生き残ってきました。

しかし、放射能で生物が死に絶えた国では、もはやどうすることも出来ません。
まあ、別に人間が住めない地域になっても、日本列島そのもの、ひいては地球そのものはどうでもよい話です。

我々だって、体についている60億もの細菌のことなんてどうでも良いのです。
人類の文明の歴史が5000年間かけて作り上げた汚染は、人間が壊滅したあと5000年かけて自然は戻すだけのことです。
億年単位の大自然の歴史から見れば、瞬く間です。

そして、また5000年かけて高等生物が、核で滅ぶまで同じことを繰り返します。
まあ、下手な鉄砲も数打ちゃ当たるといいますので、もしかすると核の時代を次の地球上の種が乗り越えて次のステップに進めるかもしれません。

しかし、それが一体どうしたと言うのでしょうか?
進めたら進めたでまた次の技術的問題でループが開始されるのです。
そして、この大宇宙では同じようなループがどのくらい発生しているのでしょうか?

輪廻は個人で語られることが多いのですが、ループするという構造は、個人レベルだろうが地球単位のマクロ単位だろうが同じです。
共通するのは「無意味」という言葉です。

ループしても先に進んでいるという螺旋説は結局、質量保存の法則の範囲内です。
全体を見れば、必ず進歩した分、どこかで退歩しています。

六道の天界に行ってもそこがゴールではなく結局、輪廻をまたループするだけです。

ここに来づけるか否かが、仏教の核を手に入れられるかどうかの瀬戸際となります。




0 件のコメント:

コメントを投稿