2017年4月3日月曜日

【陰隲録】功過格表㊶ 大難を大吉に  五十善 仕事を世話しよう②




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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら




功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

五十善に相当する

一人の流離を救免す。





【職業差別】


そもそも論として、無職というのはすでに語感からして否定的イメージが強いものです。
有職だろうが無職だろうが、本人の価値には何ら関わりないはずです。

ところが、世間様は無職というと、途端に評価が低く見積るものです。
この差別待遇はなぜ生じているのでしょうか?

これは単純な理由があります。

なぜなら、職業というのは人間を測るパラメータとしては物凄く便利なものだからです。

人間の脳と言うのは、膨大な情報処理を無意識に行っていますが、表面意識ではそれらの結果だけ受け取っています。
表面意識で処理することはほんのわずかな領域の情報だけなのです。

表面意識のメモリはかなり少なく、その小さなテーブルでは大量の情報処理は出来ないようになっています。
例えば、呼吸や心臓の動きなどを意識的にずーっとやろうとしたら、非常にめんどくさいでしょう。

このめんどくさいという言葉が、人間の脳においては、全てです。


新しく出会った人間を評価するのは、意識と無意識両方が処理します。
その時に、意識が処理するのは、ほんのわずかな部分しか処理できません。
大部分が無意識で処理するのです。

会った人が理由は無いけど何となく嫌だとか何となく好きだとかは、この無意識の領域の処理の結果です。

ちなみに、無意識を過大評価する風潮が多いですが、無意識と言っても、所詮は一個人の経験しかないのです。
人間ごときの無意識ですので、普通に生存のデッドオアアライブに関する重大な選択を間違えます。

親がDV親だと、自分の配偶者もDVになったりする負の連鎖は、これのためです。

人間の脳は、生物の原始的脳や、動物の脳、人間の脳と階層構造があります。
ところが人間は、こうしたありがたい奥の脳である本能様を無視します。

幼少時の経験の記憶と経験から、お馬鹿な人生選択フラグを立てて自滅ルートへ進もうとするのです。

例えば、配偶者選択で、
「ダメ人間だったパパに似ている♪好き♪」
という表面意識(ある程度、個人的無意識の領域なのですが)の愚かな選択肢に対して、生物・動物脳様が、
「おい、馬鹿!やめろ」
というツッコミをしてくれますが、無視して自滅の方へ向かうことも多いのです。
※無論、逆もあります。動物脳が人間社会で障害になることもあります。

で、何が言いたいのかと言うと、人間の脳、特に表面意識は、情報処理においてメモリが少なく、スペックが低いので、なるべくサボろうとします。

膨大なタスク処理を、何とかこうにかサボって手抜きしようとするのです。
※そうしないとパソコンみたいにフリーズしてしまいます。
フリーズと言うのは、生命において死を意味します。

他の生物の餌にしてくれと言うのと同義語です。
そのため、フリーズを回避するためには、手抜き処理して脳のメモリ使用量を下げる必要があるのです。


新しく出会った人間を処理しようとする時、脳はその人間のことを瞬時に見分けなくてはいけません。
長年の人間の進化史において、基本、知らない人間と言うのは敵です。
これは、人間の歴史どころか、アメーバの時代からずーっとそうでした。

自分と家族以外の生物は基本、敵か食べ物なのです。

そのため、人間の本能の搭載機能として、相手を敵としてどういう存在なのかを、瞬時に判別する機能が備わっています。

この判別は、重要な機能なので、無意識も行いますが、表面意識も行います。
とは言え、表面意識はメモリが少ないので、手抜きをしようとするのは同じです。

その結果、より少ない情報でより多くの情報を得られるような処理をしています。
それが、職業による判別です。



【職業こそ人生】


人間は見た目が9割という身も蓋もない現実は、今では相当認知されています。
当たり前ですが、見た目というのは、人間の判別方法において、圧倒的に重要な情報です。

江戸時代に、東海道を歩いているとしましょう。
道の向こうから歩いてきた人間が、仮に、侍か山賊かの二択だとして、その二択を判別することは生死を左右します。

ちょんまげに袴を着て偉そうにしていたら、まあ侍ですし、モヒカンにバギーに乗ってヒャッハーとか言いながら老人から種もみを強奪していたら、まあ山賊でしょう。

当然、この二択を間違えることは、死に繋がります。
そして、この死に繋がる選択肢を回避するのは、別に無意識の情報処理能力を使う必要すら無く、見た目で判断出来るのです。

しかし、現代社会はこうしたわかりやすい身分制による見た目で判断できる時代ではありません。
四民平等を経て、経済大国となった日本は、一見して人間の上下を見分けられません。
(実は、本能的に判別してるし、相によっても可能なのですが)

そのため、別の判別手段が必要になります。
それが、職業です。

厳密に言えば、職業以外にも色々とあります。
出身地から宗教まで、人間を判別する基準は色々あるのです。

しかし、その中でも、職業は、相当な上位の判別基準です。
例えば、同じ50台の人間がいたとして、
非正規雇用の派遣社員です!と言うのと、日本国の総理大臣です!と言うのでは、たかが職業の情報でも、その得られる情報量は圧倒的です。

非正規雇用でも総理大臣でも、同じ服を着ていたらわかりません。
職業と言う情報を得ることで初めてその違いがわかるのです。
(まあ、同じ服を着ていても、違いはわかるとは思いますが)

そもそも、人生の大部分は職業人です。
当たり前ですが、フルタイムで働いている場合、労働時間だけでも8時間以上。
通勤まで含めれば、12時間以上。
一日6時間は寝ているとして、残りの18時間の内、三分の二。
要するに、人生の三分の二は職業をしているのです。
(変な言い回し)

要するに、職業というのはその人間そのものなのです。
人間は社会的動物というのはさんざん言ってきましたが、職業こそがその人間をあらわす実相であり、本質なのです。

士農工商の時代やカースト制度から、人類は全く卒業出来ていません。
そもそも、卒業卒業と言うが、一体何から卒業すると言うのか?
この職業支配からの卒業です。

スキルも性格も人脈も収入も社会的評価も、全て職業から多大な影響を受けます。



【登竜門】


上記を考えれば、開運において、いくつか対策が立てられます。


一つは職業選択は重要にという点が上げられます。

学生時代に対して考えもしないで職業選択すると大変です。
さらに、同じ職業でも会社ごとに違います。

氷河期の就職難では、どこでも入れれば良いということもあるでしょうが、それでも事前に相当な調査をすべきなのです。

これは有る意味、生まれによる運と同じです。
人間は人生を変える分岐イベントとして、まず生まれること、そして職業、結婚などがあります。

これらは、その後の人生を決定的に変えます。
日本に生まれるのと北朝鮮に生まれるのでは、相当人生が違ってきます。
職業と結婚も同じです。


そして、二つ目はこれほど職業や見た目が重視されるのですから、とっととその二つを変えられるのなら、変えるべきです。

人間は、一度定住した場所を移動するには相当なエネルギーが必要です。
ブラック企業に入ってしまった。
地雷嫁と結婚してしまった。
お洒落や化粧を知らずに成長してしまった。

これらの習慣を、人間が更新するのが難しいことは、豊河も知っています。
正直、育った環境のままに流されるのが人間です。
開運が難しいのはこのためです。

そのため、どうしてもダメなら、次の奥の手を使って下さい。



三つ目は、これらは、結局、運がからんでいます。
というより、それまでの総決算としての、運の結果です。
例えば、どこに生まれるかは、その前の人生の総決算です。
人間世界だけでなく、六道のどこに行くかは当然、生前の業の結果です。

通過儀礼の話にもあったとおり、人間の文化は職業や結婚に際して、一度死んでから新しく生まれ変わるのです。
アフリカ部族が大人になる儀式として、バンジージャンプをしますが、あれは通過儀礼、生まれ変わる儀式なのです。

職業と結婚は、それと比較するほど、重要なタイミングなのです。
そして、生まれ変わりと同じならば、当然、その前の業の総決算でもあります。
生まれ変わりほどではありませんが、サブの生まれ変わり総決算です。

当然、生まれ変わりに、それまでの善悪の業の積み重ねが求められるように、職業と結婚選択にもその採点試験があります。

もちろん、何もしなければ、生まれた業に引きずられて、決まっている職業や結婚に運命のまま決まってしまいます。

しかし、生まれ変わり(死後の世界)に対して、善悪の業を知り、陰徳を積み、過ちを改めることで、変えられるのと同じように、これらは(ある程度)変えられるのです。

生まれた瞬間に、大部分の命運が決まってしまっても、その後の人生の運命は変えられるのです。
この陰隲録の、主人公、袁了凡も、それを悟って陰徳で運命を変えました。

受かるはずの無かった科挙合格や高官職や、子供(結婚と家庭関連)、そして寿命や戦勝の名誉まで、命運を変えてしまったのです。

中国の科挙(今で言う国家公務員上級試験)では、受かる人間や受からない人間の正否は、本人の徳によって、最後までたゆたっています。

【陰隲録】謙虚中るに利あり⑩ 新世界の神不要論

その、人間の運は陰徳(反対に悪行も)で、三年程度のスパンで変更されるというのが基本です。

陰徳の総量具合によって、変えられるレベルは違うかも知れません。
それでも運命は変えられるのです。


ブラック企業に入る運命が、グレー企業に入る運命に改良出来るかも知れません。
浮気をすれば、包丁で刺してくるヤンデレ妻を娶る運命が、竹刀で叩く程度のDV妻を娶る運命に改良出来るかも知れません。
シャブ中毒になる運命の子供が、シンナー中毒程度に改良できるかも知れません。

上記は誤差内程度の開運ですが、陰徳レベルによっては、ブラック企業がホワイト企業になる可能性だってあるのです。
ヤンデレ妻がDV妻どころか、大和撫子になる可能性だってあります。
シャブ中の子供が、あの子に夢中になる程度で済むかも知れません。



ちなみに、そもそも論として、労働自体というより、働く必要があるのか?
という根元的な問題があります。

上記はあくまで働く必要がある人限定の話なので、労働する必要の無い人には無用の話です。

ソクラテスもイエスも釈迦も、やつらは、他人から恵んでもらって生きている乞食でした。
太古の昔から、働くのは奴隷階級で、上流は労働などせず、芸術や哲学をしていました。

これだけ人類の文明が進んで生産力、供給力がアップした意味、労働に価値はありません。
ここらへんの話は、また別途やりましょう。

とりあえずは、運命は変えられるというありがたいお説教(自分で言うなと)を頭の隅に置いて頂ければそれで十分です。


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