2018年11月29日木曜日

勝手に線引きする人間という生き物 時間編











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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。





時間



で、前回、空間を勝手に人間は線引きするという話をしました。

しかし、体(空間)の区切りだけでなく、人間はもう一つの次元軸をも、勝手に分割しています。

それは時間です。

地球に勝手に空間軸の線を引いているのと、同様に、自然界に存在する時間というインフラを、人間は勝手に線引きしています。

過去・現在・未来という三段階の時間軸の線引きは、人間ならば、みんな勝手にやっています。

予定だのスケジュールだの、さらに詳細に分割しているのです。

そのくせ、勝手に、時間に遅れたりすると、やれ寝坊だの遅刻だの遅延だの、わめきはじめるのが人間です。

土地もそうですが、人間は何様なのでしょうか?

空間も時間も勝手に、人間が線引きしているのです。

空間の線引の理由は、前回、お話したように、体の枠があるからです。

空間的に限定されている体の枠があるからこそ、人間は空間に線引するのです。

要するに、自分(の体)に空間的に関係あるかどうかです。

自分と他人との領域に、人間は線引するのです。

では、時間軸を勝手に線引きするのはなぜでしょうか?

それも、同じです。

人間の自分の体の都合です。


サイクル


人間の体というのは、空間の限定であると同時に、時間の限定でもあります。

生物という枠組みの中では、どうしても、様々な生理のシステムに拘束されます。

例えば、人間は、一日に必ず、睡眠が要ります。
食事も必要です。
水が無ければ、3日で死んでしまいます。

このサイクルは、天体と連動していて、地球の自転の、朝昼晩が一日。
月の回転周期の一ヶ月。
地球の太陽公転の四季の一年。

それぞれに、人間の生理は対応しているのです。


そして、一番重要なのは、人間は、生老病死があり、みんな必ず死にますが、そのサイクルは、春夏秋冬に例えられます。

そして、春夏秋冬で等しく滅びる人間は、次から次へと、新しく生まれてきます。
そして、どんどん死んでいく。

さらに、大きな範囲の社会的組織も同様です。
家にしろ、企業にしろ、国にしろ、春夏秋冬で、どんどん生まれて、どんどん死んでいく。

よく、遺伝子や情報が子孫や社会に伝達されるから、永遠に生きるという話がありますが、しかし、自分自身が死ぬことには変わりません。

自然界もサイクルがあるように見えて、地球や太陽だっていつかは死にます(億年単位ですが)。

このように、時間も制限がある以上、細かくさらにスケジューリングするのは、当然です。

生存競争に生きるために、個人の予定から、マクロは、農耕の予定から、治水の予定まで、昔から、時間の管理は人類にとって必要な物なのです。

永遠に生きるなら話は別ですが、期限がある以上、人類は一瞬たりともムダには出来ません。


完全体



今まで見た来たように、人間は、なぜ空間と時間を、勝手に区切るのか?

という問題は、結局、有限の体があるからです。

全知全能の体なら、ともかく、有限の体で、寿命も有限。

全知全能には程遠く、無知無能までは行きませんが、不完全知不完全能です。

で、実は今までが前フリなのですが、ここから、本題に入ります。

何かと言うと、要するに、人間は、上記したように、不完全な存在です。

故に、完全を求めます。

有限の存在だからこそ、無限を求める。

そういう存在なのです。

なまじ、知能があるからこそ、自分が不完全、有限だということに、気づいてしまったのです。

人類の苦悩と宗教はここから始まります。


で、また次回に続きます。


2018年11月27日火曜日

勝手に線引きする人間という生き物











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所有権


この、地球上には、本来、誰々の物という物はありません。

昭和天皇は、雑草という草はありません。
という、有名な言葉を残していますが、実は、草自体に名前がついている草などありません。

人間が勝手につけているだけです。

この地球上の全ての物は、本来、誰のものでもなく、一切の名前などついていないのです。

人間が勝手に、地球の上に国境を引いたり、自分ちの敷地だと、線を引いているだけなのです。
ちなみに、人間だけじゃなくて、動物も勝手に縄張り争いをしています。

地球から見たら、寄生虫如きが勝手に、所有権を主張しているわけです。

ただ、今の所、地球は自分の表面の所有権を主張していないため、みんな勝手に自己主張しています。





で、土地だけでなく、空間上の色々な物に、人間は所有権を主張しています。

もっと言えば、土地や物を含めた、「空間」を勝手に、切り取って自分のものだと言っているわけです。

家だろうが、国境だろうが、人種や民族だろうが宗教や、敵味方に分かれて、空間を分割セグメントしているのです。

じゃあ、何で、人間や動物は勝手に、地球上の空間を切り貼りしているのか?

答えは簡単で、体があるからです。

人間が希薄な生命体で、体の境目が曖昧だったら、多分、というより十中八九、所有権など起きていません。

体が分割しているので、自分の生命を、自己保存しなくてはいけなくなり、食糧や安全を始め、衣食住が必要になります。

そのため、縄張り争いや食糧争いから、殺し合いを始めるのです。
猿でも人間でも全く同じです。

要するに、体があるからこそ、色んな問題が起きているのです。

体がマテリアルで物質的であり、かつ、感覚が共有されていない、分割、独立しているということが問題の根本です。

例えば、感覚が共有されていて、誰かが、痛みを感じれば、みんなが痛みを感じるように、人間の仕組みがなっていれば、争いや貧困は起きないでしょう。

たぶん、進化のリスク回避(病気やウイルスで全滅しないために)で、体が分割されていて、かつ感覚や思考が共有されていないのです。

リスク回避は、バラバラの個の方が、生き残る確率が高まるからです。

あと、単純に同じグループだと、創造性が止まってしまいます。
外部からの風がないと、創造性は発揮されません。

体を分割し、他、様々に空間でセグメントされていなければ、今の人類の発達は無かったでしょう。

ここに、生物の進化のための、神の計画が垣間見えます。

長くなったので、続きます。













2018年11月21日水曜日

黄巾の包囲網を打ち破れ! 賊軍共を思い上がらせるな!











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三国志


皆さんは、三国志をご存知でしょうか?
※いや、普通にご存知と思いますが・・・。


で、その三国志には、初期の方ですでに、漢朝が末期状態です。

何しろ、飢饉は起きるわ反乱は起きるわ、政府は腐りきってるわで、ろくな時代ではありません。


で、結果、漢朝が滅んでしまい、我々が知っている、魏呉蜀の三国志になるのですが、初期の方で黄巾党という連中が出て来ます。

まあ、中国によくある農民の反乱で、三国志の英雄たちにボコられて消滅するのですが、この、黄巾党は、太平道という、宗教団体です。









で、三国志はフィクションとして色々なメディア媒体に出てきますが、一応、史実を元にしています。

史実を元に脚色したフィクションの三国志演義が元ネタですので、日本の三国志は同人誌の同人誌のようなものです。

で、、大河ドラマの元ネタに戦国時代の史実があるように、一応、マジで太平道という宗教連中がいたのです。



で、この太平道、要するに、後の道教です。

こういう、中国の民間呪術や仙人伝説が、老荘思想を吸収して、さらに、仏教もパクって今の道教が出来ています。

太平道は、黄巾の乱でボコられて消滅したのですが、同時代の、五斗米道は今でも生き残って、道教の有力宗派(正一派)になっています。
※台湾には子孫すらいる。

で、その太平道ですが、どんな思想を持っていたかと言うと、

吉凶や禍福は当人の行いから起こるという考え。(これは人々の行為を監視する鬼神すなわち司過の神の存在を示し、緯書の影響を示唆する[4]。またこれは後述の治癒行為の結果説明にも使われる。)
善行の積み重ねが長寿につながるという考え。

要するに、陰徳思想を持っています。

というか、このブログで紹介している陰騭録は、道教思想や仏教思想の流れですので、まあ、道教の祖先の太平道が同じ思想なのは、当然なのですが・・・。


要するに、陰徳道は太平道なのです。
(どうでも良い結論)









2018年11月20日火曜日

資本の回転と救済論











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資本回転


それなのに僕ら衆生は、どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのに、その中で、一番になりたがる?

元々、人間は平等な存在です。
神の前で平等でも、法の前で平等でも、平等に価値が無いでも何でもいいのですが、とにかく、平等なのです。

ところが、人間には自我があります。

もっと、言えば、肉体というセグメント分割があり、個々の肉体感覚は共有されていないため、独立した存在で、生存競争をしているのです。

そのため、他より強いことを優先させることが、どうしても発生してしまいます。

そもそも、陰徳による開運というこのブログのテーマですら、この自我の産物です。

自分だけが、他の大勢の生物に先んじて、一抜けしようというのです。

努力して克己して成長するというドグマは資本主義社会でも推奨されます。
※むしろしないと怠け者扱いされる。

努力量、さらに前世の業によって、どうしても、本来、平等であるはずの人間に差が出てきてしまいます。

この格差は、単純に金でもありますし、信用やスキルでもあります。

例えば、金は持っていれば、それを投資することによって、金が金を産みます。

信用も持っていれば、さらに大きなことをやれるし、それでさらに信用が増大していきます。

スキルも同様です。
スキルを持っていれば、貴重な経験が出来、さらにスキルが増大します。

もちろん、上記を持っていない人は、回転させる資本が無いということです。

まさに、持っているものは、さらに与えられ、持っていないものは、さらに取り上げられるのです。



対策



では、陰徳の観点から見てみましょう。

結局、格差を増大させるのは、金や信用やスキルを持っていないため、それを回転して資本(色んな意味で)増加が、出来ないことが、原因です。


そのため、陰徳としては、持たざる者に、回転させる資本を与える必要があります。

それは、資金だったり信用だったりスキルだったりします。

例えば、ホームレスの人だったら、まずは、部屋を借りれるような信用だったりします。
部屋を借りれば、仕事が出来ます。

日雇いの人だったら、月払いの仕事に移行出来るように、資金が必要です。
※月払いは一ヶ月働いて、翌月末払いのため、その日暮らしの日雇いの人は、貯金が無いため移行出来ないからです。

要するに、資本を回転させる前の、環境インフラが無いことが、弱者には多いのです。

単純に知識や知恵が無いため、回転させる方法を知らないということもあります。

言ってしまえば、このブログも、陰徳という資本回転スキルを、情報共有しているのです。

で、何が必要かはある程度は、パターン化出来ます。

金の問題なのか、人間関係なのか、やる気の問題なのか、知識の問題なのか。

ここで、大事なのは、適切な物を与えるということです。

いらない物や不適切な物を与えても仕方がありません。

よく、災害地に不要な物を送って逆に迷惑するとかは、よくある話です。

さらに、問題なのは、根性論です。
最近、言ってきた、努力の話にリンクしますが、能力や才能などは、人によって違うものです。
苦痛に対する適正や、モチベーションなども同様です。

要するに、同じ環境で同じことを与えられても、出来る人間と出来ない人間がいるのです。

それを、無視して根性論を言っても、ついてこれない人間にとっては、意味がありません。

目的は陰徳であり、手段である努力の押し付けが目的になってはいけないのです。

観音菩薩は、衆生の救済に関して、あらゆる変化身でケースバイケースに対応し、救済手段も千の手と目で対応し、対応フェイスですら、十一面に変化させます。

この観音菩薩の救済スキルを、我々も、見習わなくてはいけません。

努力の根性論は、それはそれで必要な物ですが、ゴリ押しだけでは能が無いというものです。

相手の感情や状況に応じた柔軟でスマートな、文明人の解決スキルを身に着けましょう。





















2018年11月19日月曜日

堪えがたきを堪え、忍び難きを忍ぶ。これが忍道。











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怠け者


最近の記事は、「努力」というろくでもない精神主義の利点を説いています。

こういう、前世紀のスポ根のような遺物を説くのは、現代人の豊河としては、実に、バカバカしいのです。

しかし、陰徳などの比べて、優先順位は低いものでありながら、重要な必須事項であるために、仕方なく、いやいや、説明しているのです。

要するに、努力というものが、必須であるということは、この世が苦の世界であるという、証拠です。

苦しみがない世界は、六道の中で、人道より上の天道、つまり俗にいう、天国です。
天界でも天国でも何でもいいのですが、まあ、現世よりは、結構な世界です。

こういう世界に比べて、人道に生まれてしまっている、負け組左遷組が、我々です。

前世で大した功徳を積まなかったために、人道などという負け組になっているのです。

天界から、功徳を積むのを怠けたために、堕天したのか、下から、何とかこうにか上がってきたのかは、わかりませんが、とにかく、人道に生まれている時点で、我々は、陰徳を怠けていたということを、猛省しなければいけません。

ちなみに、我々、日本人が、終戦の玉音放送で昭和天皇が言っていた、
「堪えがたきを堪え、忍び難きを忍び」
の元ネタは、『栄花物語』(巻第26)の、

「仏だに凡夫におはせし時、堪えがたき事を堪え、忍び難き事をよく忍び給てこそ、仏ともなり給、衆生をも渡し給え。」

という一節です。

本来、苦行を否定した釈迦の仏教が、いつの間にか、苦行しなければいけないように、なってますが、陰徳を頑張って積まないと、上の世界に行けないということですね。

世界は地球の上にあるので、重力があります。

何もしないと、下に堕ちるようになっているのです。
陰徳理論(因果応報)でも、何もしないということは、そのまま、功徳を消費していきます。

理由は、安全で衣食住が揃っている環境は、恵まれている環境だからです。
これは、人類の歴史を見れば、一目瞭然です。
動物の世界でも同様でしょう。

人道というイマイチな左遷先ですら、(少なくとも皆さんは)結構、恵まれているのです。

当然、何もしないと、徳分を消費していきます。
(クーラーがあるというだけで、昔の王侯貴族より上の環境なのですよ!)


ということで、今、左遷されている皆さんですが、今生では頑張って陰徳を積んで、命運を改変して開運し、さらに来世は、上に上がれるように、精進しなくてはいけません。

※ちなみに、別に、やらなくてはいけないという理屈はありませんので、あくまで皆さんの自由なのですが・・・。




















2018年11月16日金曜日

高野山 東京別院で、来週の三連休 11月23日(金)・24日(土)・25日(日) に結縁灌頂のチャンス。











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結縁灌頂


密教というより仏教では、灌頂というものがあります。
キリスト教で言う洗礼です。

大体、世界の宗教では似たようなシステムがあり、頭に水を注いだりする、死と再生の儀式の通過儀礼です。

本来、その宗教に入門したり、上の階級に上がる時に、受けたりするイニシエーションですが、在家でも受けられるものがあります。

大寺院が時たま(定期的にも)やる、結縁灌頂がそれです。

読んで字の如く、縁を結ぶ儀式ですね。

やり方は、目隠しをして、花を曼荼羅の上に放り投げて、落ちた仏と縁が出来た!
とか、やるやつです。

まあ、曼荼羅は、仏がたくさんいますので、実際には、簡易化した10種類以下の数の仏の曼荼羅を使ったり、目隠しているのをいいことに、サッとディーラーのチップ回収のようなやつで、真ん中の大日如来に落ちた花を移動させたりもします。

で、高野山の東京別院でこの結縁灌頂をやるっぽいです。

まあ、別に、悪魔と契約を結ぶのではないし、仏様と縁を結べるという、ありがたい儀式なので、滅多にないチャンス(でもないですが)なので、東京に住んでる方は、来週の三連休に行ってみるとよいかと思われます。

当日販売だと12000円のようです。
ただ、当日行って、満席だとかの可能性もありますが・・・。
私はめんどいので、当日行ってきますが、満席だったら、単に縁がなかったということで、諦めます(笑

天台宗系の結縁灌頂は、豊河も受けたことがありますが、真言宗系は、受けてなかったので、これで、天台・真言の2大密教宗派を、コンプリートです(ガチャ感覚)。

まあ、でも、このブログを読んでいるような方は、陰徳の功徳が高い人なので、結縁灌頂受けるまでもなく、神仏との縁が深い方だと思うのですが、そう考えると、別に必要ないですが、一応、情報共有しておきます。










2018年11月15日木曜日

言葉に込めた意味を知ることは無い











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言葉


最近、隣国が相変わらずの、話が通用しないキ○ガイっぷりを示して、善良な日本人を呆れさせています。

しかし、隣国に限らず、言葉が通じないウザい人間というのは、確かに一定数存在します。

今、このめんどくさい理屈のブログを読んでいる人たちは、普通に、ある程度以上の、インテリ層なので、関係ない話なのですが、たしかに、人間同士で言葉が通じない場合は多いのです。

今日は、この問題を考えてみましょう。

さて、この理に合わぬことを延々とやってくる輩を、分析すると、単純に、因果応報で、言葉を大事にしなかったカルマです。

言葉というのは、宗教的には、不立文字だとか、真理は言葉で表せないとか、あまり重要視されていない(くせに延々と宗教は膨大な言葉や文字を残したがるのですが)ように、見えますが、聖書に、言葉は神であるという一節の通り、人間は、言葉で脳内を定義します。


密教でも身口意の三密と言って、口、すなわち真言という言葉が重要です。

五戒にも嘘をつかないというのがあり、頂点の宗教的真理に行く前の段階では、非常に重要です。

まあ、少なくとも、現世上では超重要なファクターです。

で、言葉が通じない輩に悩まされる、もしくは、自分の言葉が通じなくて困っているとかの、言葉の問題が、あるとすれば、それは言葉の業があるのです。

いくつか、逆算して、前世にやったであろう、ろくでもない失敗を考えてみましょう。


想定


因果応報は、普通にやったことが還ってくるので、言葉が通じない状態というのは、要するに、言葉を通じなくさせたことをやったと、解釈出来ます。

単純に悪口を言ったとすれば、悪口を言われるだけですから。

言葉が通じないというカルマは、言葉を通じなくさせたというカルマの結果です。

例えば、相手が理を持って話しているのに、こちらが、問答無用で、事をなしたなどが考えられます。

相手の正しい言葉を、不当な方法で潰したなどですね。




こういうと、脳筋なのが悪いみたいな書き方ですが、厳密に言えば、正しくはありません。

邪智暴虐な存在もいて、悪知恵を働かせる存在だっているのです。

問答無用で叩き潰すべき悪は、いるに決まっています。

しかし、その行為の動機が善であるか悪であるかの問題です。

言葉はいらない状況はたしかにありますが、それが悪の動機ではいけません。

もっと言えば、結果ですね。

グダグダと世迷い言を抜かす輩を、問答無用で叩いて、覚醒させる行為は、善と言えます。

明らかな悪を問答無用で成敗するのは、やはり善です。




まあ、こういうものではなく、今、問題が起きている原因の、悪のカルマは、悪事のための問答無用でしょう。

考えられる悪の問答無用のランキングは、
1、善の言葉を潰した。
2、大衆のマクロ的な利益の言葉を潰した。
3、個人レベルの利益の言葉を潰した。

理のある他人の言葉を潰したカルマがあれば、当然、応報として、こちらの言葉が潰されます。
必然的に、理不尽な言葉の通じない輩が現れる縁となるのです。

だとすれば、今生で反省するべきことは、力を持っている時に、相手の言葉を潰さないことです。

もちろん、反論や議論は別に良いのです。
むしろ、積極的にやることです。

しかし、ここで言ってるのは、理に合わない、言葉潰しは悪だと言うことです。
それが、相手が善ならば尚更です。

ちなみに、これは、理の言葉で全てを解決しろということではありません。

先程言ったように、状況に合わせて、相手が言葉が理解できない猿ならば、問答無用で潰しても構いません(本当は良くないのですが)。

世界は柔軟に対応すべきなのです。
言葉で解決出来ないことはいくらでもあります。













2018年11月14日水曜日

怪力乱神











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怪力乱神


論語に、
「子、怪力乱神を語らず」述而第七の二十 

という、有名な一句があります。

これは、一般に、怪・力・乱・神と読みます。
怪しいこと(怪異)や、軍事や暴力や力比べ(スポーツや武道)や、戦乱・反乱や、神仏関連。

これらには、孔子は関わらなかったという意味で使われます。
転じて、人間は、そういうものよりももっと、道徳とか礼儀とか重要なことがあるんだよという意味ですね。

ただ、これを、怪力・乱神と読んで、通常の力や神仏は関わったという説もあります。

これは、どちらの説でも、同じです。
孔子は、為政者の有徳を論じた人間ですので、為政者ならば、どの道、権力や軍事力や神仏は避けられません。
というより、孔子の一門には、武芸や祭式などは、普通にありますので、どちらかと言えば、後者の説の方が、通ります。

ただし、前者でも、世俗的なことよりも、道徳の方を優先させるのは、前提です。

これらの、ことよりも、上位に道徳を優先させるのは、このブログで語っている陰徳と同じです。

まずは、陰徳を最優先し、その配下に現世的なことを起きます。

逆を言えば、陰徳・道徳を優先させていれば、それらのことをやってもいいのです。

核に、徳を置けば、怪力乱神でも、道徳になるのです。

刃物を、人を刺すのに使うのか、包丁に使うかは、本人の徳によります。

怪力乱神も同様です。

怪力乱神は所詮、刃物と同じ道具です。

ただ、徳を持たない人間が、関わると、危険性があるということです。

危険人物に、銃器や権力を持たせないのと一緒です。

ピストルは一般人は日本では持てません。
しかし、警察という治安を預かる資格のある職業の人間は、保持しています。

そういうことです。

何にでも資格はあります。
危険な技術であればあるほど、資格は難関になります。

怪力乱神を扱えるほどの、有徳になれば、孔子と同じ地点に立ったと言えるでしょう。










2018年11月13日火曜日

必要悪ルートで、目覚める変な境地











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必要悪


必要悪の問題を、前々から、論じています。
何故かと言うと、陰徳だの、善業だのを社会で追求していくと、どうしてもこの問題に突き当たるからです。
これは、逆の、悪業でも同様です。

例えば、正当防衛は悪なのか?

悪人を攻撃するのは悪なのか?
特に、自分が攻撃しなければ、自分以外の他者に被害が及ぶような場合に攻撃するのも悪なのか?

悪でなければ、善でカウントしていいのか?
悪でも情状酌量が認められて、減算されるのか?

偉くなればなるほど、全体のことを考えなくてはならなくなり、所属組織のためにする防衛的な軍事警察行動は、悪になるのか?

敵軍の敵兵士を殺すのは悪なのか?
敵方のスパイを拷問するのは悪なのか?

それによって、救われる自国民が多ければ、結果として善になるのか?

また、それによっても戦争に勝てず、負けて自国民が全滅した場合は、善が加算されず、悪になってしまうのか?

善と悪が別帳簿で、加算されて、相殺しないのか?

等々・・・。


ストック


平和な日本で下っ端として、のんびり暮らしていれば、これらは、あまり気にすることはありませんが、平和な時代でも、上に上がれば上がるほど、この問題は、喫緊になってきます。

これらは全て、業(カルマ)のストックや計算方法がブラックボックスになっているためです。

人間の社会は、罪刑法定主義により、法が明確化しています。

しかし、このようなカルマの因果応報の法則は、明文化されていません。

功過格には、何々は何点と、明文化されていますが、所詮は、民代の中国人が、勝手に作った一覧です。

ましてや、個人個人の業のストックは全く見えません。

かろうじて、現実化した現象を持って、ああ、こういうカルマがあったんだなとわかるくらいです。
※例えば、物が盗まれたなら、物を盗んだカルマがあるというような感じの。


そして必要悪


ここらへんの事情のため、陰徳である程度、開運しても、一定以上の地位についたときに、方針がなかなか定まりません。

以前も、ここらへんの問題を論じ、色々なパターンを出しましたが、

まず、逃げる。
→逃げられなかったら、罪を侵さないように知恵を絞る(あらかじめ想定しておく。勉強の必要性)
→出なかったら、諦める。

武官じゃなくて文官に初めから就くとか、予め進路を決めておくとかも有効ですね。

しかし、最後の諦めるパターンまで行くと、ここまで来ると、普通にストレスがかかります。

この場合は、その先のルートが、2つあり、

①罪を犯す覚悟で他者を守る。自分が地獄に落ちても他人が守れれば、それでいいと覚悟を決める。

②もしくは、これも個人個人の、因果応報であると、見捨てて、諦める。悪人は勝手に天が裁いてくれる。

どっちにしろ、ろくでもないルートで、正直、こういう状況になること自体が罰ゲームです。

で、実は、どっちも宗教的には正解であり、理屈はどっちでもつけられます。


真の善人


①は、自己犠牲の精神で、人類の罪を背負って磔に上がったのさらに、進化版です。

磔にあうだけなら、まだ、自分は被害者だと言いはれますが、必要悪をすることで、罪を背負うリスクを負うのです。

そう考えると、イエスなんか、中途半端な輩です。
全人類の罪を背負うとか言っても、所詮は、口先だけです。

本当に罪を背負うなら、その罪を実際にやらなければ、いけません。
他人を、家族を、国を守るために、法を犯し、人を殺し、虐殺し、大量に殺さなければなりません。

で、もちろん、死後は地獄に堕ちる。
3日で復活して、天国に昇ってのうのうと余裕ぶっこいているイエスなどは、所詮は、小物に過ぎません。


本当に善なのは、自分が地獄に堕ちるとわかっていながら、他人のために、必要悪を為して地獄に堕ちる自己犠牲精神を持つウルトラ善人なのです。


鉄面皮
というように、宗教的にも説明出来ますが、②の方も、できます。

理由は、本来のベーシックな悟りの境地だからです。

あまり、一般の印象とはかけ離れているのですが、素直に、悟りの内容を論理的に見てみれば、別に、他人が死のうがどうなろうが、意にも介さない鉄面皮の精神が、悟りの境地です。

一切の喜怒哀楽に惑わされない。
というより、一切の外物に惑わされない。

人間は基本、喜怒哀楽、つまり快と苦の二極がありますが、それは、外物に対して、自分が反応するからです。

例えば、お腹が痛い時に、それは痛いという感覚を与えますが、それを、精神的に苦しいと感じるかどうかは、別物です。

まったく精神的に平気であってもいいですし、逆に大喜びするハッピーな精神でもいいわけです。

そして、こういう肉体の苦しみだけじゃなく、善悪の問題も同様で、凄い大金や宝や美女を見ても、なんとも感じないのと同じで、他人の苦しみを見ても、全然、感じないのも、また悟りの境地なわけです。

要するに、一切の、この世の存在や事象に、一切の執着を持たないということです。

もし、執着を持ってしまえば、それは、まだまだ文字通り解脱していないわけです。

眼の前で、仲間が何人も何万人も死んでいようが、全然、心が動かされないような、超人が悟りの境地です。




で、二パターンを言っていますが、どっちにしろ、常人には出来ない話ですので、まあ、こうなる前に、なんとかしましょうというのが、本来のルートですね。

知恵と知識でなんとかするのが基本なので、勉強をがんばりましょうとか、すぐ逃げられるように、日頃から逃げる準備をしておきましょうということですね。










2018年11月8日木曜日

燃えよ剣











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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。





納音


皆さんは、納音というものをご存知でしょうか?

生まれた生年月日の干支を、操作して、意味のある象意に変えるものです。
結構、昔からあり、色々と、組み合わせで占えるのですが、
基本は、日干支で見ます。

と言っても、ゴタゴタ五行的理論を述べると、めんどいので、

セルフ占い(納音占)


やりかたは、上記のサイトですぐに出ます。
ご自分の納音を、見てみましょう。

無論、先天八字(四柱推命)などは、年月日時の4つの干支を組み合わせて見るので、はるかに複雑です。

そのため、私も、あまり重要視していなかったのですが、年を取って自己分析が出来てくると、以外に、当たっているのではないかと思うようになってきました。

まあ、四柱推命の、日柱の一柱だけとは言え、自分自身と周辺を表す日柱ですので、それなりに当たってるのは当然なのですが。
※もっと言えば、最悪、自分自身を表す、日柱の干支の干だけでも見れる。

で、だから何だという話ですが、占いは、当たった外れているという一喜一憂の、一般人のレベルでは、このブログの陰徳の皆さんは、陥ってはいけません。

易経にあるように、易(納音も四柱推命も易の一種です)は、君子の補益なのです。

もっと言えば、易は本来、吉凶禍福はどうでも良く、君子の道徳的な善悪の修正チェックなのです。

凶が出ようが、善ならばGOなのです。

というか、易経には普通に、道徳的にこうしろああしろと、教育する代物であり、書いてあります。

納音も実は同様であり、必ず、道徳的訓示、大げさに言えば、霊的進化のヒントが象徴されています。





例えば、私は、納音(日柱)を見てみると、 
剣鋒金(けんぼうきん)
です。
要するに、剣、日本人の世界観だと、日本刀が、豊河の本質なんですね。

ぶっちゃけ、冴え渡る知性と芸術性が本質だと(自画自賛)。

で、その日本刀ですが、むしろ問題は、危険性にあるのです。

どういうことかと言うと、さんざん、このブログでも言っているように、陰徳で開運ということに並行して、権力や力は諸刃の剣で超危険だよとか、権力者の必要悪は危険だぞとか、さんざん、日本国憲法の九条や立憲主義っぽく、言ってるわけです。

これは、要するに、自分が日本刀だから、危ないから鞘をつけろということで、自分自身の投影なんですね。

ちなみに、年取ってからこういうことを言い出したので、それまでは、鞘(陰徳や倫理道徳)が無いむき出しの輩だったわけです。

運が良い(?)ことに、前半生は不遇でしたが、これは神仏の加護だったわけです。
鞘が無い日本刀なんて、力を与えたら、危険ですからね。
いつも言っているように、力を持っていて倫理なき輩は、悪事をすると被害が大きく、カルマもでかくなって、地獄行きです。

神仏は、豊河という日本刀に鞘が出来るまで、力を与えなかったわけです。

まあ、厳密に言えば、これは、私の剣鋒金のケースであって、別に、剣鋒金の人でも、初めから鞘がついている人や、別に神仏の加護が無い人は、力の貸与は関係がありません。

さらに言えば、剣鋒金には鞘以外に、別のテーマがあるかも知れませんので、同じ剣鋒金でも、参考程度にして下さい。

まあ、そもそも、皆さんは別の納音でしょうし、皆さん自身しか分からない本質の宿題のテーマでしょう。

とは言え、私も若い頃は、納音を見ても、ピンと来なかったので、自己分析が甘い人は、ピンと来ないかも知れませんので、ピンと来なかった人は、スマフォの10年後くらいのカレンダーにでも、メモっといて(忘れるので)、10年後くらいにまた、アラームが起動したら、見てみましょう。


ちなみに、占いとか易とか、用意された占いを見て、悟るのは、まだまだ未熟者で、達人は、森羅万象の事象を見て、悟ることが出来ます。

一葉落ちて天下の秋を知るというように、そこらへんの物やイベントを見るだけでも、道徳的に知恵を得ることが出来ます。
※と、偉そうなこと言っていますが、豊河はまだ出来ません(笑








2018年11月6日火曜日

努力とループ











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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。






現状維持メカニズム


努力という嫌な話を、続けていますが、残念ながら、この世は苦海なので、嫌でもしなければいけません。

本当は、こんな話をしたくは無いのですが、豊河は正直者なので、話してしまいます。

※お気楽に愛されスイーツで開運ハッピー!という路線の方が受けはいいのは、わかりきっているのですが、豊河は正直者ですので(大事なことなので二回言いました)


で、努力しなくちゃあかん理由の一つに、悪循環からの脱出というものがあります。

皆様は、今までこのブログを読んでこられたので、陰徳が因果応報で開運に繋がるという理屈には、異論は無いと思われますが(あったらご遠慮無く言って下さい)、この陰徳という物自体が、恵まれた環境の贅沢品です。

単純に貧困で可処分所得が少なければ、慈善も出来ないし、悪事をなさねば生きていけないような環境では、マイナスカルマも止められません。

あと、教育的に善悪が曖昧な環境の問題もあります。
仏教では、よく仏教に出会うのは至難とかドヤ顔で語りますが、別に仏教に限らず、あながち間違いではありません。

例え、善悪の教えにあったとしても、教える人間のレベルに問題が合ったり、綺麗事だったりすると、逆に陰徳の話など、軽蔑するでしょう。

要するに、ここでわかるのは、悪処に一回堕ちると、善悪が曖昧になり改心出来なくなります。

で、さらに悪事を重ねて、ますます悪処に堕ちる・・・という負のスパイラルです。

逆に、善のスパイラルもあります。
善事をして、応報でさらに良い環境になり、さらに善事がしやすくなる・・・というスパイラルですね。

まあ、上記は一般的な話であって、悪処の方が弱者の気持ちがわかったり、善処の方が傲慢になるとかのパターンもあります、というか、こっちの方が一般的と言ってもいいでしょう。

とは言え、環境的には悪処と善処はループに乗りやすいのです。

で、特に悪処から、抜け出すには、非常な努力がいります。
ヤクザが足抜けするのが、困難なように、悪処から改心して抜け出すのは至難の業です。

もっと言えば、人間が所属する環境から抜け出すのは基本的に難しいのです。

人間は安全、安定を求める傾向があり、
現状維持メカニズムというべきシステムが内蔵されています。

まあ、皆さんは、善処でも悪処でもなく、ただ、毎日がダラダラと代わり映えしないようなグダグダな状態かとは思います。
(違ったらすいません)

厳密に言えば、そんなグダグダな毎日でも、日本の恵まれた環境なので、厳密に言えば、善処と言えましょう。

今、こうして豊河の法話を聞けるわけですし、陰徳という開運のマスターキーを知っているわけですが。

で、負のループの話ですが、負のループは、
悪業→悪い環境→善事をしにくく、悪事をなしやすい→悪い環境。
なわけです。

まあ、普通に場合は、
特に何もしない→良いことも悪いことも起きない→かわらない環境。
なわけです。
これを、ダラダラループと呼びましょう。

まあ、何度も言いましたが、厳密にはこういうダラダラ環境は、徳分の無駄遣いです。
本来、弱肉強食の世界の中でダラダラ出来るのは、豪勢な贅沢なのです。

しかし、ダラダラしているのは、元気が無いということで、エネルギーが無い状態、追い風が無い状態なわけです。

これを、善のループに変えるのは、当然、馬力が必要です。
単純に金だけ見ても、今までギリギリで家計の予算をやりくりしていて、善事に使う金が無いのを無理くり、捻り出すわけです。

それには、どこか緊縮財政で削らなくてはいけないのかも知れないし、毎日少し余計に働いたり、今まで土日祝日働かなくなったのが、出勤しなくてはいけなくなったり、同じ時間でも効率をアップさせて生産性を上げる方法を考えたり勉強したりと、「努力」が必要になるのです。

今までのダラダラパターンを少しでも、良く変えようとするのは、全て努力なのです。

正直、これはかったるいのですが、実は、これはロケットの発射のように、大気圏を突破するまでは、エネルギーがいりますが、一旦、大気圏外に出たら、後は楽です。

人間は、先程も言ったように、現状維持メカニズムがあるので、一旦、日常化ループになれば、それが普通になるのです。
つまり、良いループに乗れるということです。

まあ、そんな感じですので、努力というものが必要だと言う話です。

















2018年11月1日木曜日

努力と因果応報











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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。







苦行論


前回から、努力の話をしています。

努力でも気合でも根性でも、何でもいいのですが、本来、陰徳で開運していれば、どうでもいい話なのです。

では、何で努力しなくては行けないのか?

ぶっちゃけ言うと、陰徳の開運には時間がかかるというタイムラグがあるからです。

例えば、悪業によるカルマが100あったとします。

そのため、今生では、貧困でうだつが上がらないと。


そこで、開運のため、陰徳を実行したとしましょう。
一年間で20+を積み上げたとします。

しかし、カルマを相殺するには、5年かかる計算です。

※5年で運命を書き換えられるのは、早いという指摘はスルーします。

しかし、当然、五年の間は、貧困のままです。

この間、どうすればよいのでしょうか?

また、そもそも、陰徳を知らない場合も同じです。

カルマがマイナス100あって、貧困だった場合、一生、浮かび上がれません。

これらの場合、当然、対処法が必要になります。
それが、努力です。

※厳密に言えば、一時的に、神仏や怪しい霊的存在から借金したり、悪い事をすれば、カルマが悪くても貧困から脱出出来ますが、結局、後からカルマの清算が来ます。

何分、本来、貧困から脱出して普通程度やもしくは、金持ちになる徳分が無いため、金を手に入れるのには、苦労します。

徳が普通にあれば、特に苦労しなくても普通の金は入るし、徳をたくさん積んでいれば、特に苦労しなくても大金は入ってきます。

しかし、徳が無いと、そのままの状態だと貧困です。
あまりにも、徳がマイナスだと何もしないと、貧困過ぎて死んでしまうため、苦労してようやく貧困の状態とかの悲惨な命運もあります。

要するに、本来の徳分の状態よりも、一段上に生きたい場合は、徳の代わりに、努力という「苦行」をしなければいけないという単純なロジックです。

因果応報というのは、
善因善果、悪因悪果です。
もっと言えば、
善因楽果、悪因苦果です。

善悪の原因と、楽苦の結果なのです。

善悪の原因のカルマは原因の過去です。
しかし、結果の楽苦を操作することによって、なんとかしてしまおうという荒業なのです。

楽をしていると、善因のカルマは減ってしまうし、
苦をしていると、悪因のカルマは減ってしまうのです。

努力で無理やり、苦しんでいると、悪因のカルマは減ってしまいます。
また、善因のカルマが減らないのです。

これは、同時に、幸福な状態で感謝をしていればいいという、ありがとう系のスピリチュアルなロジックは、危険だということになります。

ありがとうと呑気に楽を享受していると、善因のカルマがどんどん減ってしまうからです。
※厳密に言うと、感謝が悪いということではない。感謝をしないと、神仏が苦労させて無理やり感謝させられたりする。

早い話が、ダラダラと生きていると、善因のカルマがムダに諸費されてしまい、危険なのです。

下手すると、来世辺りで、無理やりブラック企業に入れさせられて、努力させられたりします。

ごちゃごちゃ、書いていますが、努力の因果応報的な意味は、上記のような感じです。

たぶん、他にも色々あると思うので、次の記事もたぶん努力論の話です。

ちなみに、みなさんは、こんなスポ根のような努力なんかしなくても、陰徳を実践する毎日で、開運し、さらにその猶予で陰徳を実践し、さらにというループで楽に楽しく生きて行きましょう。

努力しなければいけないような状況になっていることで、すでにアウトなのです。

そして、死後は神様にでもなるか、輪廻から解脱して、とっとと苦海から脱出するのが、賢い人生設計です。