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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。
おもてなし
さて、奢侈贅沢の効用ですが、さらに言えば、
やはり、人は見かけで信用する。
ということにつきます。
よく、フィクションでは、見かけはいい加減だけど、実は大物だとか、主人公の凄い本性を見抜く人間がいます。
しかし、問題はそういう目利きのきく人間は少ないということにつきます。
いくら、みかけはダメで本体は凄いと言っても、それを一般大衆にアピール出来ない以上、軽く見られます。
心というのは、相手に見えません。
そのため、どうしても、形に、目に見える形に、言ってしまえば、現実世界に具現化させる必要があります。
大多数の人間は凡人なのです。
別に、大衆や凡人などはどうでもいいではないか?
と皆さんは思うでしょうが、問題は陰徳にあるのです。
陰徳は個人レベルならともかく、やがて企業レベル、国家レベル、世界レベルに発展することを考えて見て欲しいのです。
皆さんが、巨大な陰徳をなす存在になったならば、色々と、外交をする必要があるのです。
銀行や取引先や、官僚や外交官、果ては大統領や天皇陛下、ローマ教皇に会うかも知れないのです。
また、一般大衆に何かアピールするかも知れません。
また、有力者を口説き落としたりする必要な時に、見かけ、見出しなみ、センスは非常に重要です。
有力者は金持ちや生まれながらの貴族かも知れません。
その時に、教養と共に、豊かな文化背景を求められるかも知れません。
要するに奢侈贅沢のスキルが求められるのです。
単純に接待することもあるかも知れません。
その時の奢侈贅沢の知識や経験が無いと交渉は失敗してしまうかも知れません。
偉い人の前にTシャツで行っていたホリエモンはどうなったでしょうか?
光の速さで失脚しています。
要するに、礼儀の問題と関わってくるのです。
奢侈贅沢は礼儀とある程度、共有します。
おもてなしの心と言ってもいいかも知れません。
それは、予算が無ければ出来ませんし、相手を喜ばせようと思う、もてなしの心は奢侈贅沢と紙一重です。
要するに、自分が奢侈贅沢しなくても、この現実世界で生きていく、特に巨大な陰徳を成そうと思っているならば、社交スキルとして、身につけておく、必要悪のスキルなのです。
軍事などの暴力は、本来、陰徳者には不要な物ですが、生きていくには必要な時もあるし、上に立つ者には必須なスキルです。
全ては陰徳のために、必要悪として、奢侈贅沢は存在を許容する必要があるのです。
さて、だいたい、こんなところでしょうが、次回は、さらに宗教的な理由も考えてみましょう。
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衣食足りて礼節を知る
前回の、
「そもそも資本主義は欲望や奢侈贅沢を許容するどころか、推進するシステムではないか?」
という話でした。
まあ、この時点ですでに奢侈贅沢の擁護の理由は決定的なのですが、
さらに、奢侈贅沢の擁護をすると、
・奢侈贅沢で心が豊かになり、満ち足りた心境になると、他人が許せるようになり、結果、倫理道徳が高まる。
これは、俗に言う、衣食足りて礼節を知るですね。
貧乏な国は、民度が低いのです。
まあ、とは言っても、世界で最も豊かなアメリカが戦争ばっかりしている例もありますが、帝国のサガなので、基本は豊かになればなるほど、民度は上がります。
つまり、衣食住の窮乏がなく、かつ教育もちゃんと受けられるような環境では、犯罪率は減ります。
この延長上線に、この論理があります。
人間は、快不快に操作される生き物(パブロフの犬)なので、ご褒美があると、喜び勇んで、働くのです。
絶望ばっかりの環境では、やる気もなくし、スポイルされていまいます。
モチベーション付与のために、神仏もよく初回の参拝者には、ご利益という飴を上げるのです。
適度な奢侈贅沢は、民度を上げ、人生に潤いを与え、活力を与え、モチベーションの付与になるのです。
これが、奢侈贅沢が擁護される理由です。
自分が幸せで無い者は、他人の幸せを祈れません。
親から虐待された子供が、大人になって子供を虐待するのと同じです。
負の連鎖と正の連鎖の違いです。
腹上死ならぬ座禅上死
で、ここまで書いておいて、さらにひっくり返すのですが、
至高への道は、必ず陰陽があるのです。
奢侈贅沢を擁護しすぎてもあれなので、一応、書いておきますが、ぶっちゃけ、奢侈贅沢は実は必要なのは、ある特定の時期に限定されます。
ぶっちゃけ、凡人の時です。
だって、ご褒美のモチベーションが無いと、動けないって凡人ではないですか?
俗人じゃなく出家して山にでも籠もったら、普通に修行でしょう。
奢侈贅沢はまさに敵です。
道を得れば日に日に損すと老子も言っています。
まあ、出家修行者も、煩悩が捨てきれていない未熟者だと、ご褒美もいるかも知れませんし、健康や最低限の金や食料などの現世利益も必要ですので、それは必要でしょう。
※ちなみに、現世利益の大黒様(大黒天)は、元々、天台宗の最澄が比叡山の修行僧千人以上の人口を、食わせるために、召喚した天部です。
しかし、修行が進めば、もはや内的世界の方が比重が大きくなり、精神世界の方がリアリティを感じるようになります。
んで、脳内麻薬とかで普通にラリっているので、むしろ、現世利益などどうでもよくなります。
食事とかも取らなくなるほど夢中になったり、瞑想中にポックリと死んだりします。
もう、ここまで来ると、奢侈贅沢とかどうでもいい境地になるのです。
次回
あとは、あれですね。
現世で、陰徳をする場合。
在家のままでも、出家して山で修行して戻ってきた場合でも、現世の中では、陰徳をするには、金がいります。
次回はこころへんも、ツッコんでみましょう。
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資本主義
贅沢という敵をなんとかこうにか、合理付ける思考実験の続きです。
さて、必要悪であるはずの、奢侈贅沢ですが、本来、欲望は抑えなければならないというのが、宗教道徳の基本です。
しかし、今、我々が、生きているのは、資本主義社会です。
資本主義は、欲望を肯定してそれをエネルギー源としている社会システムです。
もう、前提から、宗教道徳に喧嘩を売っているわけです。
というよりも、この資本主義というシステムがそういうシステムだと言うこと自体、我々は、普段、意識していないわけです。
空気のように当たり前に認識しているため、こうして言語化しないと気づきません。
節制や節約どころか、ガンガンと欲望全開で、金儲けすることが、市場の見えざる手として、社会を推進してみんな幸福になるという宗教が資本主義です。
当たり前ですが、スタート時点から、実は、宗教道徳とは思想が違うのです。
要するに、前提として、生まれた時から、我々は、奢侈贅沢を推進している社会システムの中にいる、しかもその恩恵を享受しているということを、我々は認識する必要があります。
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贅沢賛歌
我々、陰徳師(謎のジョブ)にとって、奢侈な贅沢は、本来、敵です。
理由は、陰徳分を減らすからです。
要するに、因果応報ですと、善をすれば、幸福(吉)があります。悪をすれば、不幸(凶)があります。
前者を陰徳とすれば、それは、幸福のための貯金と同じです。
使わなければ、減らないし、悪→不幸(凶)のマイナス分を減らせます。
※善因楽果の、ストックでは、悪因苦果のマイナスは、相殺出来ないという説もありますが。
要するに、お金と同じで、使わないで貯めるのが賢いと言えます。
そのため、逆に、善因楽果ストックを、無駄遣いするのは、賢明とは言えません。
その結果、わざと、吉を受けない。さらには、わざわざ苦を受けようというマゾな人たちが出てきます。
東西を問わず、因果応報の法則を信じる人達は、このマゾ苦行に論理的に到達しますので、今も、世界中で、マゾ苦行を実践している人がいっぱいいます。
まあ、これは因果応報の法則を論理的に考えれば、誰でも考えつく結論ですので、必然と言えば、必然です。
しかし、この豊河は、完璧なものを直角に考えて答えを出すのです。
今回は、これに逆らって、奢侈贅沢を賛歌してみましょう。
しつこく必要悪
ぶっちゃけ、世の中には、必要悪というものがあります。
この必要悪は、このブログで、何回も話題に出しています。
なにせ、陰徳を推奨し、諸悪莫作・衆善奉行を唱えているのにも関わらず、現実世界ではどうしても必要になるからです。
暴力一つ取ってみても、絶対に無くせません。
国家権力として、警察や軍隊といった暴力機関が、なくなった場合の、世の中の混乱を考えてみれば、それがわかります。
正当防衛だってそうです。
百歩譲って、宗教的な犠牲心で、正当防衛を否定するとしても、それが、自分ではなく、他人が危険にさらされていた時に、正当防衛で助けてあげる(つまり、暴力を行使する)のは、悪なのか?
それ以前に、正当防衛しないで助けないことは善なのか?
こういう善悪の矛盾があるのです。
で、だから何だという話なのですが、奢侈贅沢も同様です。
本来、陰徳が減るからやめろという話なのに、必要悪として認められるのです。
しかし、じゃあ、必要悪が大事だからと言って、ガンガンやるのは、やはり、違和感があります。
陰徳的に考えて、
①他人のために悪役を演じる。自分が地獄に墜ちる覚悟があるという犠牲心。
②逆に、徹底して必要悪を避ける。むしろ、この世界は、必要悪を避けるための知力を尽くしたデスゲーム。
でしょう。
後者は、世界の目的がある論の一つとして、今思いついた説ですが、なかなかそれっぽい説かも知れません。
生物の霊的進化的に、全くの本能的段階から、諸悪莫作・衆善奉行として倫理を持つ段階。
で、次の段階から、必要悪との矛盾にぶつかり、必要悪をしなくても成就出来る段階の試練の面です。
ファミコンのステージのように、より高度な段階に至るのです。
あえて、世界のために必要悪をして地獄に落ちる段階が、前後のどちらかにあるのかも知れませんが、我々、陰徳道を行くものにとって、どうしても、この必要悪のテーマが出てこざるを得ないので、このブログでは、何度も論じています。
皆さんが、やがて、この段階に至ったときの参考にして下さい。
あ、ちなみに、エスケープして出家したりして必要悪の仕事から引退するというのは、基本ですので、逃げちゃダメだ!とならないようにしましょう。
もしかしたら、それが一番の正解策の可能性も高いのです。
思考実験
さて、奢侈贅沢も必要悪の類なのですが、軍事などと違って、奢侈贅沢は正確には、悪ではありません。
もちろん、貧乏人から搾取して贅沢するのは、悪ですが、別に、普通に自分の力で稼ぎ(厳密にはこれも傲慢なのですが)、自分にご褒美♡なのは、別に、文句を言われる必要はありません。
ただ、宗教的に、あまり、推奨されないのと、陰徳で稼いだ因果ポイントが減るから、あんまり良くないですよというだけです。
最初に述べたように、この論理の応用で、むしろ快楽の奢侈贅沢よりも苦行が推進されるというわけです。
で、とりあえず、今回は、天の邪鬼に、奢侈贅沢を肯定してみましょうという話です。
所詮は、思考実験です。
もしかしたら、何か面白い話になるかも知れませんし。
さて、必要悪の考えを流用すると、奢侈贅沢は何か、役に立つものがあるはずです。
それが、①現世利益的な意味で役に立つのか、②道徳倫理的な意味で役に立つのか、③出世間的な宗教的に役に立つのか、少なくとも3パターンのどれかに役に立つはずです。
それを、証明すればよいだけでしょう。
実に簡単です(たぶん)
条件付け
まず、奢侈贅沢は、人間という生物のモチベーションになります。
行動主義では、信賞必罰により、人間の行動をコントロール出来ます。
早い話が、良い事したらご褒美を与え、悪いことしたら罰を与えます。
人間は苦痛を嫌がり、快楽を喜ぶ生物です(というか生物は全部そうですが)。
必然的に、快楽の成功報酬を求めて、快楽とリンクした行動を取りたがり、逆に、苦痛とリンクした行動は取りたがらないのです。
当然、これは、行動のモチベーションとして使えます。
例えば、毎日の勉強にでも応用すれば良いし、陰徳的にも善悪のモチベーションを捗らせます。
もっと言えば、陰徳の思想もこの考えがメインです。
因果応報と言う法則自体、このような信賞必罰の考えが元なのです。
元々、世界は因果応報の信賞必罰の世界なのです。
しかし、問題は、その信賞必罰のタイムラグがあることで、善業をしても、ちっとも開運しないし、悪業をしても下手をすると孫の世代になってようやく報いが来たり、甚だしくは死後になって裁かれるという話になってしまいます。
そのため、長期的な視野で見ないと(というか死後は見えないのでそういう設定だというフィクションかも知れないですが)、信賞必罰の因果応報は、成立しません。
しかし、そうは言っても、そういう長距離スパンの信賞必罰を信じるのは、少数です。
諸子百家の韓非子は、信賞必罰をしっかりとやれば、国は富国強兵が出来、天下をとれると豪語しました。
それだけ、因果応報の信賞必罰は、行動主義において、重要なのです。
つまり、国家単位にしろ、それより下のセグメントの組織にしろ、個人レベルにしろ、信賞必罰、そして、奢侈贅沢のご褒美というのは、必要なのです。
例えば、普段は禁欲しておいて、何かのタスクをやりとげたら、自分にご褒美を奢侈贅沢で上げるというのは、行動主義において、間違った方法ではありません。
成功するかは否かは、運や才能に大きく左右されます。
無論、開運には陰徳が一番の基本の必要事項ですが、通常は、努力が必要とされます。
ところが、努力というのは、それが出来るか否かは、やはり運(環境)や才能によります。
しかし、それを後天的に出来るようになる一助として、行動主義的なご褒美は有用です。
人間は、陰徳を積み、それがMAXに溜まった時に、この世界を卒業し、より上位に上がります。
※輪廻上を解脱する仏教ルートや道教ルートもある。
しかし、その陰徳を実施するには、金や権力や知力と言った力がいります。
そして、その力を手に入れるには、努力が必要なのです。
努力は運や才能と言った命運ですが、後天的に努力を努力すると言ったことでも「多少は」補えます。
そのために、奢侈贅沢と言った、ご褒美行動主義は、有用なのです。
次回も、奢侈贅沢の続きです。
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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
十善に相当する行為
◯一民害を除く。
ブルーオーシャン
民の害を除く(もしくは福祉する)にしても、ローカルとグローバルの差異があります。
およそ、普遍と特殊という陰陽がこの世にはあり、日本のローカルで通用する特殊性と、世界の人類に普遍な共通項があるのです。
民という概念が、日本のローカルのみでなくて、人類レベルで広げれば、その陰徳もより増大します。
日本のみのローカルで満足してはいけません。
世界に羽ばたくのです。
グローバリズムです。
何か、IT企業っぽい感じの(てきとう)
さて、普遍だのグローバルだの言っても、そんなもの何があるのか?
と思うでしょうが、別に難しく考える必要はありません。
こういっちゃ何ですが、人間の悩みなんて、古今東西大して変わりません。
民の害だって同じです。
人間の困ってることなんて、貧・病・争にまとめられます。
昔っから、やれお上が搾取するだの、体のどこそこが悪いだの、あの娘が振り向いてくれないだの、大して、変わりません。
飯食って、糞して、寝るだけの生活です。
殺したり殺されたり、人類はずーっと同じことばっかりやってる連中です。
そんなに、グローバルだのローカルだの気にする必要はありません。
地球上どこに行っても、人間がいる以上、大して変わりません。
抜苦与楽の陰徳は同じなのです。
どこの人間も、貧困と病と争いに悩んでない人間はいないから大丈夫です。
それらが、全部満たしていれば、暇つぶしの苦しみくらいです。
要するに、全世界どこに行っても、同じ人間である以上、陰徳には困りません。
この世が、人道という穢土である以上、陰徳の対象にはことかきません。
要するに、この世は陰徳のブルーオーシャンなのです。
見渡す限りの市場が、我々の前には広がっているのです。
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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
十善に相当する行為
◯一民害を除く。
そもそも、民の害/民の益とは何でしょうか?
要するに、物理的な物と精神的な物の二つに分けられます。
前者は、電車の置き石や、空気を読まない無法者などです。
そのまま、排除すればよろしい。
しかし、物理的な物と違って、精神的な物は排除が難しいのです。
法律や宗教や慣習や価値観など、抽象的な物は排除が難しい。
これを、排除するには知恵がいります。
まあ、厳密に言えば、難しいと言っても物理的なものも別に簡単ではありません。
落ち武者の野盗が、徒党を組んで村を襲ってくるマテリアルな問題だって、解決するには、七人の侍が必要です。
ヤマタノオロチだって、毎年、女を要求するわでろくでもないマテリアルな邪魔者だって、素盞嗚命が来るまで排除出来なかったのですし。
で、物質的なものにせよ、精神的なものにせよ、排除するには、めんどうな場合が多いのです。
金やマンパワーや時間がいりますし、行政力も必要でしょう。
しかし、それが出来る人間は少ない。
力が無いのです。
前回も言ったように、少しずつ、陰徳が拡大出来るようにすればよいのです。
権力者は、指先一つで億万の人間の命を左右します。
やがて、吾輩の辞書に不可能という文字は無いというところまで行けば、陰徳もはかどるでしょう。
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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
十善に相当する行為
◯一民害を除く。
雪だるま
民の害を除くというのは、単純に害の除外だけではなく、民の福祉の追加でもあります。
ここは、まあ、当然の類推です。
で、害の除去でも福祉の追加でも、どちらでもいいのですが、じゃあ、何をやるのか?という話になります。
そして、これは、個々の実力次第となるのです。
ぶっちゃけ、その人間の力によって、何が出来るかは範囲が決まっています。
ビル・ゲイツくらいの金持ちなら、兆円だして、公共事業を出来るでしょうし、頭脳がずば抜けていれば、自分で民のために改革案を出して、プレゼンをしてクラウドファンドでもロビー活動でもやって、企画を通して実現してしまうでしょう。
しかし、大半の人間はそんなこと無理ですから、普通に、収入から何割かお金を寄付・寄進するか、ボランティアで陰徳するくらいです。
しかし、それでいいのです。
陰徳の道は雪だるまと同じです。
小さな陰徳を積み上げて、やがて雪だるまになるのです。
小さな陰徳のうちは遅々として進まないでしょうが、やがて集を重ねていくに従い、陰徳が陰徳を呼び、勝手に積み上がっていきます。
だから、雪だるまなのです。
金が、金を呼ぶのと同じです。
金持ちほど陰徳が楽勝なのはこれが原因です。
スキルも権力も同じです。
何度か、力も金も悪に失敗すると、それだけ危ないという話をしていますが、陰徳も同じで、上手くやれば大量の陰徳が可能なのです。
そして、金も一定以上貯まれば、投資の利子だけで生活出来るようになり、不労所得生活が可能になります。
陰徳も同様です。
陰徳の利子(善因の応報)だけでゆるゆると不労所得生活が出来るのです。
少なくとも、ここまでのラットレース脱出まで目指しましょう。
※なお、不労所得生活になっても、そのままでいると、無駄に陰徳ポイントを消費するため、一生懸命、世のため人のために努力して働く必要があります。
自分では余暇で生きているつもりでも、意外なほどに陰徳ポイントを使ってしまい、死んだときに、陰徳がゼロになって悪趣に堕ちることになったら、目も当てられません。
陰徳や業がブラックボックスであるための陥りやすい点です。
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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
十善に相当する行為
◯一民害を除く。
一年ぶりの功過格更新
新年になったことですし、一年くらい放置していた陰騭録の功過格の続きをやりましょう。
さて、十善の途中でした。
前回の、一有徳人を薦引す、はさんざんやったので次に行きましょう。
※というか、 いい人を紹介しよう56 って何だ?
56回もグダグダと何を書いていたのでしょうか豊河は・・・
さて、◯一民害を除く。です。
これが、10善、10ポイントプラス。
これは、害になるものを除くという、マイナスの除去の書き方ですが、無論、民の利になるものを作るでも、意味は同じです。
何か、公共のものになることをするということです。
さらに言えば、公共という大きな対象でなくても、家庭内でも会社内での小規模な対象でも同じです。
※多少、ポイントは下がるとは思いますが。
そういう、ポジティブな心構えと陰徳が、必要だということです。
以前、毘沙門天の記事を書いた記憶があります。
というか、これですね。↓
毘沙門天流 生活保護申請マニュアル~貴方にも出来る!申請裏技情報(情報商材風)~
で、毎日、金が余って余って、お金を燃やしている明治の資本家みたいな毘沙門天から、お金をゲットする方法として、5つの条件があると経典から引用しました。
「佛説毘沙門天王功徳経」
我毎日三時に 此福を焼く。
若し人ありて我が福を得んと欲せば、
五戒を持ち、三帰して 無上菩提を願求せば
決定して施与して 一切於毘沙門の福を成就することを得ん。
願ふ所は五種あるべし。
一は 父母孝養の為、
二は 功徳善根の為、
三は 国土豊饒の為、
四は 一切衆生の為、
五は 無上菩提の為に願ふべし。
若し人ありて此の五種の心を除いてねがうとも福を得るべからず。
個々で言う、国土豊穣のためとか一切衆生のためとかですね。
功徳善根のためでもいいですが。
幸い、(現代の)日本人は民度が高いので、空き缶ポイ捨てとか、あんまり、公共物を破損したり汚したりすることは無い民族ですが、昔とかは平気で痰を吐くとか、やってた国なので、豊かになると、民度が上がり、公共心が芽生えてくると言えます。
そのため、日本人ならば、ある程度、この条項はクリアしていると言えますが、さらに積極的にやろうということになります。
さて、次回もこの条項を見ていきましょう。
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豊河も忘れている前回までのおさらい
結局、今まで人間は、勝手に、地球や空間や時間に線引をする生き物ということを見ていきました。
で、それは、自分自身が有限な存在だからという点につきます。
要するに、肉体という有限な存在だからです。
肉体を超えた霊や魂があると言っても、肉体をまとっている以上、情報は有限に固定されます。
そこで、人間は、自分の有限な存在を超える、無限の存在を想定せざるを得ません。
人間の体は生老病死で諸行無常です。
自然も春夏秋冬朝昼晩と諸行無常です。
諸行無常でない無限の常住不変の存在を、人間は欲しているのです。
西洋哲学では、古代ギリシャの時代から、諸行無常の自然と、常住不変の理性の相克が存在しています。
世界は諸行無常なのに、理性は永遠を求めていると。
原子論のデモクリストは、この問題に、一応の解決を提示しました。
原子自体は常住不変ですが、その組み合わせで世界は構築されているので、組み合わせがバラバラになり変化する諸行無常であると。
常住不変と諸行無常を止揚した例と言えます。
しかし、原子論と言う、妥協の産物ではなく、永遠の理想があるという、情念はその後も、プラトンのイデアから一神教の絶対神まで、延々と続いています。
そして、その対極に、仏教の非アートマンの思想があります。
反絶対
前回は永遠側を見ていったので、逆側の反無限側を見てみましょう。
基本的に、我々は、仏教思想の支配下にある日本人(東洋人)ですので、永遠のイデアのようなドグマには否定的です。
諸行無常の精神や、輪廻解脱の精神など、永遠の一神教的概念とは逆の思想背景を持っています。
特に、こうした永遠の存在に、そんなもん幻想だよとケチをつけるのが、知的な覚者であるという価値観を持っています。
オウムなどのカルト宗教の影響でこれはますます強くなっています。
厳密に言えば、なにかを絶対的に信仰する人間に対して、盲目的な幻想だと喝破するということです。
絶対の対象は、信仰の対象であったり、国家であったり、株価でも不動産でも同じです。
世の中には、絶対という無限の永遠の常住不変が存在しないことを、徹底して喝破するのが、本来の仏教です。
釈迦の四法印は、まさにこれです。
諸行無常
諸法無我
一切皆苦
涅槃寂静
徹底的に世の中の絶対概念を否定しつくすのです。
※厳密には、四法印そのものは否定しませんが。
絶対概念を否定し尽くせば、執着を切れます。
世の中に、信用できるものが何一つ無いからです。
それは、ある意味、科学と同じです。
冷徹に事実のみを追求する科学姿勢です。
絶対的な存在というものを信仰しない。
科学者が観察対象を眺めるように、冷徹に観察するだけなのです。
なにかに使えるのか?
しかし、問題は、こっちの立場(絶対を否定する諸行無常)はあんまり現実世界に応用が効かないところです。
科学がこっちの立場だと言えなくもないのですが、科学公式という絶対的な物も否定する立場なので、微妙なところです。
あくまで、反絶対という、絶対的な理念を否定するというネガティブな立場なので、メインにはなりづらいのです。
もっと言えば、仏教というのは本来、現世などどうでも良い出家主義の宗教ですので尚更です。
四法印にしても、世の中を否定するだけですので、せいぜい、絶対的なものを盲信する洗脳の解除くらいにしか使えない。
そのため、どうしても、絶対的な概念を導入した大乗仏教を導入して、世の中への慈悲と救済を理屈付けるしかありません。
だからこそ、中国や日本と言った、国家権力が強い国家が、大乗仏教を採用したのです。
悟りの境地と、社会への慈悲は、結局、矛盾します。
悟りを開けば、社会や他人や現世はどうでもいいからです。
それを、アクロバット的に、現世を救うのは、ある程度の方便が必要です。
上求菩提・下化衆生とは、一回、悟りにまで至っても、そこで止まらずに、下界に降りてきて、大衆を救うという精神です。
もっと言えば、悟りの内容も、小乗仏教と大乗仏教では違います。
世界を否定する小乗仏教の四法印と、大乗仏教の空の理念は、後者は世界を否定しないで許容する方向にシフトしています。
しかし、絶対を求める一神教が、現代文明を生んだことを考えると、逆の仏教が、新しい文明を作れるポテンシャルを秘めているのでは?と思います。
正直、さっぱり見えてきませんが、数世紀単位で、天才が出てくるでしょう(他力本願)。