2018年1月30日火曜日

皇大神宮(伊勢神宮内宮) ④別宮 荒祭宮(三重県伊勢市宇治館町1)










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前回は、本宮まで歩きました。
次はMAPの右側ルートで宇治橋まで戻ります。


伊勢神宮内宮マップ

を、再度御覧ください。



本宮の左側を通ってMAPの右側を通ります。
御稲御倉や外幣殿を抜けて本宮の裏側に入りさらに行くと、
別宮 荒祭宮に到着します。


天照大御神の荒御魂の宮です。

本宮と違って、ここは個人のお願いをしてもいいそうです。

ちなみに、神宮会館の早朝参拝ガイドの人は、
「私はここで何十年も参拝しているが願いが叶ったことがない」
というネガキャンを言っていましたが、まあ、陰徳が足りなかったのでしょう(他人事)。

どうもここは地場が狂っているらしく、木とかが捻れています。

外宮の多賀宮と同じですね。

地磁気と宗教は多大な関係があり、地磁気が脳の特定の箇所に影響を与えると幻覚が出ることは現代科学で、すでに証明されています。

要するに、感受性の強い人はここの強烈な地磁気で何かしらの反応をするのでしょう。

豊河ですら、何かしら感じたくらいです。

伊勢神宮の術者が、ここのエネルギーを使って何をやっているかは不明ですが、宗教の聖地としては、今のように成功しているのです。

で、MAP中央にある、参集殿やらは休憩所っぽいところですね。





で、次回は、忘れがちなMAP右上にある社を見てみましょう。















皇大神宮(伊勢神宮内宮)③正宮(三重県伊勢市宇治館町1)










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前回は、風日祈宮まで歩きました。
次は正宮まで行きます。

 
伊勢神宮内宮マップ 

を、再度御覧ください。


風日祈宮から北にまっすぐ戻ると、
内宮神楽殿などがあります。

 
ちなみに、早朝参拝の画像なので人はあんまりいません。
逆に言えば、日中帯はディズニーランドの如しです。





ご祈祷やお守りや御朱印はこちらで受け付けています。

ちなみに、伊勢神宮でのご祈祷はドレスコードが内々に存在しています。

ヘンテコ装備だと撥ねられますので、きちんと正装で行って下さい。

男性だったらスーツにネクタイ着用レベルです。

あと、祈祷中は容赦なく正座ですので、あらかじめ正座の練習をしておいた方がよいでしょう。

巫女さんたちがわらわらと出てきて、優雅に舞ってくれますが、無駄に長いので、足が死にます。

ちなみに、料金が高いほど長いです。



で、ここから東にまっすぐ行けば正宮です。







ここまで来たら、もうゴールです。
左にある階段を上がれば、記事冒頭の正宮です。


ちなみに、内宮でも外宮でも、受付で、寄進をすると、券が貰えて、それを左横の神主に提示すると、一般人が入れない中に入り参拝することが出来ます。

まあ、厳密に言えば、中と言っても、建物の中ではなくて、御簾と建物の間ですので、それほど有り難みはないのですが、時間によっては、大勢のギャラリーが御簾の外で詰めかけているので、多少の優越感は味わえます。

「くっくっくっ・・・貴様ら愚民と高貴な者とは違うのだよ」と言う、ドス黒い悦楽を味わいたい人は、実施すると良いかと思われます。

で、日本神道の最高神たる天照大御神の御前に立っているわけですが、ここ正宮(他の別宮や摂社は良い)の参拝方法として、一応、公共だから個人の願いは願うなと言われています。
(一応、伊勢神宮の公式ルールです)

しかし、そもそもこのルールは、本当に正しいのかは不明です。
所詮、人間がそう言っているだけですので、もしかしたら、神様にしたら、いや別にいいよというかも知れませんし。

ただ、まあ、一応、公式ルールなので、天下のことを祈っておくか、感謝か慈悲の念でもやっておきましょう。

豊河は、天下万民のために陰徳を為し拡めることを天啓としてありがたく頂いています。
(勝手に受託したことにしている豊河)

何せ、この国のトップの神ですので、個々の願望よりも公共心を持った祈願をしておきましょう。

で、次は、MAPの右側を通って戻ります。




2018年1月20日土曜日

皇大神宮(伊勢神宮内宮)②内宮別宮 風日祈宮(三重県伊勢市宇治館町1)










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前回は、内宮に入って南に歩いてきました。
伊勢神宮内宮マップ

を御覧ください。

宇治橋から南に行って、瀧祭宮まで行きました。

そうしたら、今度は、風日祈宮に行きます。
さらにちょっと東に行って、南に行きます。

川がありますので、記事冒頭にある橋を渡ります。

そうすると、風日祈宮に到着です。


ここは、元寇の時、神風を吹かせた神力MAXの宮(神風は日本全国の神社仏閣が主張していますが)で、機能的に、内宮や参拝者の祓いをしてくれます。
穢れを、強力無比の神風で吹き飛ばすところです。


正面から撮るとブレる写真。






霊感ゼロの、豊河でさえ普通にこの宮で拝むと無風なのに風を感じるくらいです。
風属性(?)の方ならば、相性はMAXでしょう。












2018年1月17日水曜日

皇大神宮(伊勢神宮内宮)①内宮宇治橋~所管社 瀧祭宮(三重県伊勢市宇治館町1)










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基本、伊勢神宮は凄い混んでるので、泊まって、早朝参拝するのがベストです。

ただ、別に昼間行っても全然良いのです。

実際、豊河も、祈祷とか早朝言ってもやってないので、昼間にまた行ったりします。

この記事の写真は早朝参拝の写真です。

普通に昼間行くと、人がいっぱいいますので、注意して下さい。

伊勢神宮内宮は、マップとしては、こんな感じです。

マップの左上の宇治橋からスタートして、右下に正宮があります。

豊河が行っているルートは、
反時計回りで、宇治橋から、左側から下を通って、正宮まで行って右側を通って、宇治橋まで戻ってます。

一応、正宮に行く前に、風日祈宮で祓ってから正宮に行くという基本だけ抑えておけばいい感じです。


この記事の冒頭の鳥居は宇治橋です。

で、ここを通って、橋を渡って、さらに鳥居をググると、そこはもう聖域です。

空気感がガラッと変わります。



で、ここからMAPの左下までトコトコ歩いていくわけです。
かなり遠いのですが、実質、ここも参道扱いです。

要するに、デカイ神社仏閣はどこもそうですが、本殿に辿り着くまで、延々と歩かされるのですが、それだけ浄化期間を強いられるということです。

参道は産道で、風水の龍穴たる子宮という無意識の宮まで、より深く産道を遡及するということです。

で、ここの参道の、空まで突き抜けた開放感空間は、東大寺と同じ感じです。

たぶん、大量に来る参拝客の気とかを、なんかの方法で、膨大に放り投げているのでしょう。

で、さらに歩くと、橋があって、渡ると右側に手水舎とかトイレがあります。


 なぜかブレている写真


で、さらに鳥居があります。



ここを抜けると、右側にさっき宇治橋で渡った五十鈴川があります。

昔は、ここで、禊をしました。

まあ、今は、昔と衛生レベルが違うので、ここで全身じゃぶじゃぶする必要はありませんが、手水舎と同じような感じで、手くらいは洗っておきましょう。

※口をすすぐ猛者もいます。





左に曲がって、ここから、風日祈宮に行くのですが、なぜか、途中にある瀧祭神はあまり注目されません。

で、マップだとわかりやすい位置にありますが、実際、行ってみると、林の奥にあって、ぱっと見、大通りからは見えません。


 なぜかブレる怪奇現象。


たぶん、豊河の感覚だと、五十鈴川の禊のように、参拝客の浄化を担当しているような感じだと思うのですが、内宮に行く前にどれだけ浄化しても足りることはありませんので、外すことなく参拝しておきましょう。





実は、パワスポの作法として、神社仏閣の回り方は、二つ流派があります。

本殿に行く前に、色々挨拶回りを摂社で回る方法と、まずは本殿に行って偉い人に挨拶をしてその後に摂社を回るという方法です。

豊河は前者ですが、まあ、皆さんの好きな方法で回って下さい。

別に豊河は霊能力とか一ミリたりとも無いので、これだ!という正解は出せませんし。

で、次は、風日祈宮に行きます。











2018年1月16日火曜日

記事見直し推敲










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何か、


2017年10月30日の、三峯神社の記事が、文章がヘンテコだったので、更新しました。


今年2017年の三峯神社参拝。




特に中身は変わっていませんが、文章を見直し推敲してあります。






2018年1月14日日曜日

伊勢神宮への宿泊について










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もともと、伊勢神宮は大勢の人間が昔から参拝していました。

全国からおかげ参りするため、旅行ルートや宿泊施設が必要です。

基本は、新幹線などのターミナル駅の名古屋にまず到着し、近鉄線に乗り換え、伊勢神宮まで行きます。

駅からは、外宮は歩いていけますし、内宮はバスで行けます。
また、外宮⇔内宮間も普通にバスがあります。

で、外宮・内宮だけだったら日帰りでもいいのですが、何しろ別宮がいっぱいあるので、行きたい人は宿泊したりします。
また、早朝参拝したい人もやっぱり現地で宿泊します。

豊河はブルジョアなので、基本、伊勢神宮に行くときは、優雅に宿泊しています。

で、どこに泊まるかですが、二見興玉神社の記事でも書いたように、神宮参拝前に、二見浦に泊まりますが、さらに豊河は内宮近くに一泊しています。

別宮回ったり、早朝参拝したりするためです。
※基本、豊河は遠方のパワスポに行くときは、境内の宿に泊まって早朝参拝します。

まあ、この辺は予算や予定などもありますので、皆様はご都合に併せてスケジュールをお組み下さい。
別に日帰りでも、ダメな理由は一ミリもありませんし。


で、元々、伊勢神宮は上記したように、参拝客をさばくため、観光地化しています。

門前町が発達しており、もっとぶっちゃけ言えば、歓楽街化していた歴史があります。
要するに、娼館が乱立していました。

さすがに、今はありませんが、門前町の観光地としては今でも、存在しています。

まあ、参拝後に暇だったら、見て回るのも良いと思います。

で、宿泊先ですが、当然、観光地だけあって宿は多いですが、私は、伊勢神宮崇敬会の神宮会館に毎回、宿泊しています。

理由は、内宮前で距離が近いことで早朝参拝がしやすいのと、あとコスパがいいからです。

もちろん一泊数万円の高級宿は、他に天井知らずで存在していますが、豊河はプロレタリアートなので、コスパを重視します。

で、その神宮会館ですが、崇敬会の経営です。
つまり、全国の伊勢神宮崇敬会の資本力で出来ています。

伊勢神宮崇敬会は、何せ天下の伊勢神宮の崇敬会ですので、さすがに、大企業の名前がズラリと並んでいます。
歴代トップには、豊田やら松下幸之助やら、大物の名前がいます。

要するに、パナソニックやTOYOTAの金でこの神宮会館は出来ているのです。

豊河がコスパと言ったのもこれが理由です。

要するに、大企業が面子をかけて経営しているため、公務員の箱物行政の如く、質と料金のコスパが圧倒的なのです。

大企業や公務員はその資本力(国民から搾取した金)で、自分たちに圧倒的な有利な施設や特権を受けています。

この手の利権は、通常は我々、平民に受けられませんが、なぜか神宮会館は崇敬会の会員でなくても、普通に使えます。

社会システムの隙間から落ちる「黄金の羽(橘玲)」の良い例ですので、システムが変わる前に利用することをオススメします。

旧館新館、洋室と和室の区別がありますが、いつも豊河は衝動的に、「そうだ、◯◯へ行こう」と思い立つので、だいたい直前に予約をとるため、大抵、新館の方の洋室は取れません。

そもそも直前だと、和室でさえも怪しいのですが、まあ大抵の宿泊施設がそうであるように、直接電話すると和室は取れることが多いので、諦めずに電話してみましょう。

旧館の和室は、トイレと浴槽が無い部屋ですが、ぶっちゃけどうせお風呂は大浴場に行きますし、トイレも廊下に出てすぐですので、全然問題ありません。

というより、12畳の部屋が最低ラインの広さですので、一人で行くと、無駄に豪華感しかありません。

というか、12畳で5000円(朝食込み)というところが、箱物行政の利権構造をよく表しています。

さらに、無駄な豪華さが出るのは夕食です。
豊河はブルジョアなので、夕食は料金MAXで泊まっていますが、さっきの12畳の和室宿泊料金と併せて一泊15000円です。

で、その夕食はこんな無駄な料理です。




 信仰にまったく必要のない無駄なコース料理



 伊勢海老、ウニ、アワビの無駄な海の幸


日によってメニューは変わりますので、松坂牛(松坂は近く)とか出てきたこともあります。


というか、いつも思うけど、食いきれねえよ!

ご飯とかデザート↓とかさらに普通に追加されます。

 食えるか!


まあ、別に、下請けを搾取しているTOYOTAの金だから気にする必要は無いのですが、神聖なるパワスポ参拝に、この無駄な豪華さはいつも豊河の良心からツッコミが入ります。

三峯神社の夕食も、無駄に豪華でてんこもりでしたが、宿坊(実質伊勢神宮の宿坊でしょう)は豪華な料理を出さなきゃいけないきまりでもあるのでしょうか?

そして朝食もこんな感じです。

 


 朝食の味噌汁も伊勢海老を惜しげもなく投入



で、TOYOTAとパナソニックの金で、優雅に宿泊することが出来るのですが、神宮会館は崇敬会なので、早朝参拝の案内のサービスがあります。

早朝参拝に職員がついてツアーガイドしてくれるのです。

まあ、内容は、一度聞けばいい話なので、豊河は一回目以後は、一人で早朝参拝していますが、そもそも、早朝参拝のメリットは、人がいないことです。

伊勢神宮はディズニーランドと同じで、でかい敷地のテーマパークです。

明治維新後、次々と神社仏閣が巨大な境内の縮小を強いられたのに比較して、大日本帝国の最高神の地位をゲットしたために、その広大な敷地の保持を許可されています。

そのため、日中にいくと、ぞろぞろと参拝客がいるので、興ざめです。

一般に、神霊も人が多いと、逃げる傾向があります。
(逆だという言う説も)

やはり早朝の清浄な空気の中、ゆっくりと他人に邪魔されずに参拝するのが良いのです。

さて、内宮の紹介は別記事でアップしますので、次回以降の記事となります。
























2018年1月7日日曜日

ハードトレーニング修行-授戒に行ってきました。





皆様は授戒(戒律を受ける儀式)というのをご存知でしょうか?

僧侶になるのには戒律が必要です。

で、その戒律を授かる儀式を授戒と言います。

で、この授戒、一般人も受けられるもので、高野山を始め、各地の大寺院で、やっています。

戒律は、功過格で言う改過の項目と同じです。
悪いことをしないというマイナスポイント増加の抑止です。

で、このブログにも関係する話ので、行ってきました。

記事の取材のために身体を張る体当たり系ジャーナリストです。
(ジャーナリストに謝れ)

で、某寺院で、授戒を昨日行ってきたのです。

そうしたところ、授戒の儀式の内には、五体投地というハードスクワットの肉体系の荒行があります。
(荒行に謝れ)

三回×各対象で、十数回全身スクワットと言ったところでしょうか?


翌日(今日ですが)、そこには、元気に筋肉痛で苦しむ豊河の姿が!





これが、通過儀礼という生と死の試練なのです。
(通過儀礼に謝れ)


次回の記事は伊勢神宮の内宮です。





2018年1月5日金曜日

【陰隲録】功過格表175 十善 いい人を紹介しよう52 アンタ地獄に行くわよという宗教営業文句











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なお、皆さんの記事の感想大募集です。
陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
記事下のコメント欄や、メッセージやメールで、お気軽にどうぞ。

その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら



功格五十条(善行のプラス50項目)

・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

十善に相当する行為
◯一有徳人を薦引す





一有徳人を薦引すと言っても、ここでは条件として有徳人であることが条件となっています。

じゃあ、有徳人じゃないと推薦してはいけないのか?
という話になりますが、まあ、その通りです。

あくまで不遇な有徳人を引き立ててやることが陰徳になるのです。

悪徳無能な者を推薦して、所属クラスタに被害が出たら、陰徳ポイントがマイナスになってしまいます。

しかし、世間の大多数の人間は、皆さんのような有徳有能と違って、別に有徳でも有能でもないけど、悪徳でも無能でもないという人間が大半です。

しかし、これは、弱者は死ねという悲惨な自己責任世界の論理へと繋がります。

有徳で無いと救われない。
有能で無いと救われない。

そんな差別構造が見られます。

悪徳な者は救わなくていいのでしょうか?
無能な者は救わなくていいのでしょうか?

むしろ逆では無いでしょうか?
有徳で有能な者は、もともと、ギフテッドなのですから、放置してもいいのです。

誰かが、勝手に推薦してくれます。

※厳密に言えば、人類はネポティズム(身内贔屓)を克服出来ないのですが。

むしろ、救わなくてはいけないのは、悪徳、無能な者の方では無いでしょうか?

有徳有能な者は、文字通り有徳有能な人間なので、勝手に這い上がってきます。
というより、天のオタメシで逆境の試験にあっているのです。
邪魔をしてはいけません。

この艱難辛苦がきっと彼をより高みに導いてくれます。

我々のような凡夫は、彼の修行を邪魔してはいけません。

有徳有能な者は、無視して良いのです。
本当に救うべきは、悪徳無能な者なのです。

有徳有能な者は、自力で上に上がれますが、悪徳無能な者は、他力が無いと上に上がれません。

慈悲の極みである、神仏の中でもさらに慈悲が極まっている存在(例えば阿弥陀如来)は、このような人間をこそ救済するのです。

これが、悪人正機の他力本願です。

皆さんは、残念ながら、自力で陰徳を積んで開運出来るようなエリートなので、他力で、救われる対象ではありません。

むしろ、陰徳をする側、救済する側に皆さんはいるのです。
関連記事↓

陰徳とお経 「助けて神様ー!」「お前が神になるんだよ!」②


その際には、有徳人を推薦するだけでは、足りません。

何よりも、弱者、それも、不徳悪徳という最も救われない存在です。
環境や資質により悪を成さざるを得ない不幸な弱者を、哀れみを持たなくてはいけないのです。

そもそも、一般にどうしようも無いクズである悪徳無能な者ですが、彼らはなぜ、どうしようも無いクズなのでしょうか?

例えば、読者の皆さんのような人格も能力も備わったエリートには関係の無い世界ですが、世界には頑として、「クズの世界」というものがあります。

「低学歴の世界」やら「下層の世界」などとも言われますが、そういう世界があります。

そして、クズの発生条件は、こうした社会的な搾取構造や、教育レベルや、弱肉強食の民度の環境の外部的問題と、本人の資質の問題から発生しています。

外部環境と個人資質の両者の条件で、このクズは生まれます。

努力が出来ない怠惰もありますが、一番の問題は他者に対する悪事を働くことです。

他人を餌にしか見ていない思考回路は、餓鬼道や修羅道の住人の特徴で、六道輪廻で専門の世界がありますが、そこから抜け出てきたような住人は、なぜか、この世にも存在しているのです。

この美しいジ・アース(地球)にも、残念ながらこういう人間がいて、善良な人間が日々、被害にあっています。

ちなみに、話の腰を折って申し訳無いのですが、よくよく考えると、本当に可哀想なのは、こういう悪人の被害者に合う善人です。

悪人を甘やかす宗教的な風潮に反吐が出るという意見も多く、ぶっちゃけ本当は、その通りなのです。







少女漫画で、ヤンキーの男の子が雨の日の公園で、濡れた捨て子犬を助ける姿に、ヒロインは胸キュンします。

しかし、それは単に、少女の知能指数が低いだけで、人様に迷惑をかけている不良を甘やかしてはいけません。

まあ、家庭環境が悪い少女が、ダメ人間の父親に似たヤンキーを好きになってしまう現象は、人間という生物の遺伝子的エラーなので、どうしようも無いのですが、幸い、恵まれた家庭環境に育った皆さんは、騙されてはいけません。

大人になっても、めちゃくちゃ厳しい人たちがふいに見せた優しさのせいだったりすんだよね、とか言って恩義を感じてはいけません。

知能指数の低い人は、そこでアリガトウゴザイーマス!とお礼を言ってしまいますが、単に、普段とのギャップ効果で善人に見せる心理学的なテクニックです。

悪人がたまにいいことすると、善人に見えますが、騙されてはいけません。

政府や企業はこういう手を遠慮なく使ってくるのです。
よくよく、騙されてはいけません。









で、悪人こそ救わなければいけないという話に(嫌々)戻りますが、上記のように、本来、一般常識では、唾棄すべき人間のクズどもを、なぜ救済しなくてはいけないのか?

それは二つの理由があります。



理由その一
「神仏の慈悲が無駄に広大だから」



当たり前ですが、社会ピラミッドは、上部のポピュレーション(人口)は少なく、下部は多いのです。

優等な生物は上部で数が少ないのです。

我々、凡夫がクズと見捨てるような悪徳無能な輩にも、慈悲を与えるような無辺広大な器の持ち主が神仏です。

諸法無我の法則の通り、所詮、我々の自我は、単独では存在せず、あらゆる因果のネットワーク内における結節点に過ぎません。

要するに、クズは、単独で屑なのではなく、ようようなカルマのネットワークの条件によってクズなのです。

こういうと、自分で他力本願で反省しないというクズが出てきますし、また自己責任の観点から批判されますが、そこも含めて、諸法無我のネットワークの結果なのです。

クズは自分自身の責任でなったのではありません。
単純に、厳しく叱ってくれる人間がいなかったり、教育調教のチャンスが無かったり、あるいは遺伝的、脳内化学的にクズにならざるを得ない構造だったりと、性格がクズなのは、所詮、運によるものです。

例えば、こうして上から目線でクズクズと呼んでいる我々だって、世紀末の荒野に生まれれば、肩パッドでモヒカンでバギーに乗って、ヒャッハーと叫びながら、旅人を襲っていたのです。





要するに、彼らは皆さんと違って、不幸な人間なのです。

たまたま、生まれつき、環境が良くなかっただけなのです。
環境が良くても悪くなる筋金入りのクズもいますが、そういう人間は生まれつき脳内のケミカル物質の構造が良くなかったのです。

神仏は因果応報を中途半端に齧ったインド人の如く、生まれが悪いのは過去のカルマのせいだから自己責任と見捨てるような、酷薄な存在では無いのです。
※ただし、更生のために容赦なくスパルタしますが。

要するに悪人やクズは、過去に善業を積めなかったため、現代にろくでもない環境や体に生まれた哀れな存在なのです。

皆さんのように、現世で善人の環境や体に生まれることなく、かつ、豊河に教えを受けられるような幸運に巡り合うことが出来なかった、哀れな存在なのです。




しかも、一番の不幸な点は、このまま放っておけば、確実に地獄に行くことが決定されている存在だということです。


要するに、皆さんが、どうしようもないクズだとヘイトしている連中は、みんな地獄に行ってしまうのです。

よく、復讐は良くないだとか言われますが、その理由は、単純に、復讐で陰徳ポイントが減るという以外にも、悪人は勝手に地獄に行くので放っといてもいいということでもあります。


我々は、よく軽口で地獄へ堕ちろと言います。






しかし、冷静に考えてみると、結構ひどくないですか?

地獄ですよ地獄。

この世の残虐な刑罰や拷問も結構な酷さですが、地獄はそんな生易しいレベルではありません。

ナチスや中共の強制収容所など、ぬるま湯レベルです。

そんな地獄の風景↓



 鬼がやりたい放題の地獄の風景。
  貴様ら・・・!それでも・・・!人間なのか・・・!
  鬼「いやうちら鬼だし」


天国もそうですが、地獄の刑期は半端ではありません。
数字をてんこ盛りするインド人の時間間隔のせいで、億とか兆とかの年数なんかではなく、半端ない長さです。

一神教に至っては、死後の選択コースは、天国か地獄の二択です。
しかも、永遠です。


いつも思うのですが、ぶっちゃけ、現世の悪行程度で、ここまでの仕打ちを受けるほどのことは、どんな悪人ですらやっていません。

明らかに等価交換の原則、因果応報の原則から外れています。

宗教が唱える死後の世界は、罪と罰の計量があきらかに不均衡です。

地獄は、過剰報復どころではありません。

我々の住む世界の、悪人はここまでされるような悪行はやってないにも関わらず、問答無用で、地獄に落とされるのです。

この六道輪廻のシステムは、天下泰平に見えて、実は半端なく、あまりにも不均衡な信賞必罰の世界なのです。

釈迦が一切皆苦と世界をディスっている理由もここにあります。

ちょっとのミスで地獄行きになるような恐ろしいシステムなのです。


で、要するに、現世で物の道理がわからないクズの馬鹿は、このまま放っておくと、こんなに酷い目に合うのです。

優しさ成分100%で出来ている神仏から見れば、自業自得で片付けるには、あまりにも可哀想な存在なのです。

第2次大戦で、ナチスの強制収容所に送られる運命のユダヤ人を、杉原千畝はビザを発行して第三国に逃してやりました。

彼の善行は今でも讃えられていますが、全くそれと同じことなのです。

本来は、彼らのような存在こそ救済しなくてはいけないのです。


もっと言えば、本当は、悪人以外はほっといてもいいくらいです。

普通の人間は普通に輪廻するし(普通に生きていても地獄行きという説もあるのですが)、皆さんのような陰徳を積む善人は天国に行ったり解脱するので、神仏から見れば、放置しておいても問題無いのです。



明らかに地獄に行くような輩こそが、衆生救済を本願にする神仏の、本来の救済対象なのです。






理由その二
「みんな同じ穴のムジナだから」




まあ、とは言え、本音はぶっちゃけ言えば、悪人など、どうでも良いのです。


豊河は由緒正しいネトウヨ愛国者なので、反日は全員地獄に堕ちろと思っていますが、ただ問題は、この悪徳無能な弱者の問題は、周り巡って、我々に返ってくるというのが一番の問題なのです。

どういうことかと言うと、諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静の四法則は、仏教の基本定理です。

この法則は我々、人類というより生物につきまとう法則です。

これが、何かというと、要するに、我々は生きているというのは、すんげーヤバイことですよということです。

何がヤバイかと言うと、四苦八苦の可能性に随時見舞われているのです。

今こうしてのんきに、年始でグータラしている生活をしていますが、北の馬鹿がいつ核兵器をぶっぱなすかわかったものではありません。
※別に北の馬鹿だけでなく、大陸勢力や日米側も同様ですが。

おまけに豊河は都内に住んでいるので、いつ関東大震災が来るかわかったものではありません。
皆さんだって地震列島の日本に住んでいれば(原発含めて)安全な場所はありません。

これらのクラッシュに対して、陰徳を積んでいるから大丈夫だと舐めていても、油断は全然できません。

まだ発現していない悪業のカルマが潜んでいる可能性は捨てきれないからです。

具体的に言うと、街を歩いていて、発狂したハゲがいきなり襲い掛かってきて、華麗に投技で制圧したら、打ちどころが悪くて死んでしまった。
しかも、そのハゲが坊主(僧侶)だったらエライことです。

五逆という地獄行き確実の念仏すら回避出来ない(出来るという意見も)カルマを背負ってしまうのです。

関連記事↓


五逆罪を回避するには? 冥法を逃れる脱法テクニック考



人生、何が起きるかわかったものではありません。

まさに、一寸先は闇なのです。

善行も悪行も所詮は、業によるものです。

自分でなそうとしたわけではなく、自動的になしてしまうのものなのです。

皆さんは、たまたま、運良く、善行を成して悪行を成さない人生でしたが、これから先どうなるかわかったものではありません。

ついうっかり悪行を成して地獄で、五寸釘を全身に打たれるような悲惨な地獄に堕ちる可能性だってあるのです。

まさに、一寸先は五寸釘なのです。

生きている限り、六道輪廻に縛られるラットレースは止むことがありません。



たまたま今は、六道の中でも、我々は恵まれた環境にいます。
上から二番目の人道という、恵まれた環境です。

しかし、この二番目の人道ですら、本当は、ろくでもない世界です。

戦争と貧困は全く解決していません。

二一世紀以前の世紀だと、大多数の人間は奴隷階級です。

ほんの一握りの階級が今の我々のような生活(より劣った生活)をしていたのです。

今後の世紀が核戦争でジェノサイドする可能性すらゼロではありません。



人道より下の世界は、もう比較する事自体がバカバカしいろくでもない世界です。

何度も例に出している世界の定理の一つにピラミッドシステムがあります。

上位ほど少なく、下位ほど多いというポピュレーション(人口)の法則です。

天道と人道はほんの少数で、大部分は下のろくでもない世界なのです。

一般に、八百万の神々と呼ばれますが、
これは、神が多いという意味で使われます。
が、それ以外(以下)の生物はさらに圧倒的に多いのです。

神より下の生物の人間は億の単位でいますし、動植物や虫などは桁がさらに違います。

六道の中で、この数十億人いる人間など、上位の少数の生物なのです。

圧倒的大多数は下の世界にいるのです。

要するに、この世界は、圧倒的多数の生物の怨嗟と苦しみの存在の上に成り立っている地獄なのです。

そして、いつ我々がそこに堕ちるかわかったものではありません。

上述したように、所詮、善悪などは環境、生まれによるものです。

社会的環境と体(脳)の具合によるものです。

たまたま、今、いいループにいるだけで、ちょっと時間軸がずれて核戦争後の荒野に生まれていれば、ヒャッハーしていたのです。

次の転生先が、今のような民度の高い時代に生まれるとは限りません。

要するに、誰でも、悪徳無能な存在になりうる可能性を秘めているのです。

この六道輪廻という悪意のあるラットレース場にいるだけで、地獄に堕ちる可能性があるのです。

要するに、悪徳無能な輩を小馬鹿にしている余裕は無いのです。

あの姿が来世の自分で無いとは誰も言い切れないのです。

来世どころか今世ですらどうなるかわかったものではありません。





と言うより、実は高確率で、このブログを見ていらっしゃる読者様は、悪徳無能な存在へのカルマを背負っている可能性があります。

類は友を呼ぶという法則で、豊河がまさにその業を背負っているからです。

過去世で、たぶん、身分の高い貴族(公家)や僧侶や神官、学者で、悪徳無能な存在を馬鹿にしていたのです。

馬鹿にしていたと言っても、身分差別や悪意があったわけではなく、悪人や愚人に対して、下に見下していたようなカルマです。

本当に悪意があって弱者を見下していたならば、もっと悲惨な応報になっています。

悪への正義心や、怠惰に対する怒りや、道理のわからない外道などに対する侮蔑と言ったところです。

あるいは、責任ある立場で、守備範囲内の悪党やクズを必要悪で成敗していた前世です。

知識階級か権力階級かはともかく、共通しているのは、クズどもに対して、見下す立場ということです。

今世では、そのカルマがまだ残っているということです。

大局的に見れば、そういうクズに対する、理解と赦しという智慧を身につけるような段階だということです。

ユング心理学的に言えば、そういうシャドウの克服です。
今まで、切って捨てていたクズというもう一つの無意識の可能性を統合すべき時が来ているということです。


本来、世間に迷惑をかけるクズへの正統な怒りは、もっともなのです。
が、広大な神仏のレベルからみれば、まだまだ慈悲が足りません。

人間社会レベルではいいのですが、神へと至る皆さんはもっと上のレベルに到達しなくてはいけないのです。

「人間は所詮、社会的動物で諸法無我である」という真理から離れた慈悲の無いレベルなのです。

いい環境に生まれて、学問や頭脳に恵まれた前世の豊河や皆さんは、その境遇に慢心して、下を見下してしまったのです。

もちろん人間社会では、道理が通った見下しだったのです。

怠惰や愚かさや無知や悪に対する正当な怒りです。

それらに対して、怒るのは本当は正しいのです。

しかし、それは人間社会での話です。

皆さんは、もう一段上のレベルでのものを求められていたのです。

だから今の転生ステータスになったのです。
悪人では無いので地獄や底辺には堕ちていない。
しかし、慈悲や智慧を学ばせるために、あえて、デチューンされている状態にです。

たぶん、皆さんは、今の人生、何らかの「制限」がかかっているはずです。

頭脳か体か社会的制限か、何らかの発展を妨害する「制限」です。

それで、思うように人生は今まで、行っていないはずです。

※もう陰徳で解決しているかもしれませんが。

その理由が、これです。

要するに、前世で、社会的、倫理的な下位の存在に対して、自分の高いIQと倫理の傲慢が故に、見下していたのです。

悪意であるがゆえの悪業とは違ったレベルのある意味善業なのです。

要するに、自分の私利私欲のために悪いことをして地獄に堕ちるとかのレベルでは無いことがポイントです。

そういう段階はもうすでに克服していて、その上の段階の話なのです。





もっと具体的に六道輪廻で言えば、地獄や畜生や餓鬼と言った三悪趣より上の世界、修羅道のレベルの話なのです。

修羅道は、文字通り人と争う修羅の世界です。

単純に、私利私欲で人を害する争いは、もっと下の地獄などの世界ですが、修羅道の争いは、「自分の正義を信じて、相手の悪と争う」段階のレベルなのです。

そのため、仏教の六道輪廻の解釈歴史では、修羅道は人間より下の悪趣ではなく、人道より上の世界に位置付けられている説もあります。

悪を成さず、善を実践するレベルにおいて、悪を成敗するというレベルの世界が修羅道です。

自分の正義を貫くというのは、必然的に争いになります。

国家レベルの戦争は常に自国に正義があります。

冤罪や悪人やクズに対する問題も正義が無くては社会は立ち行きません。

必要悪の問題を何度か話題にしてきましたが、豊河も皆さんも、ここらへんの課題が現世にあるのです。




要するに、具体的に何がダメかと言うと、相手を慈悲で思いやって、矯正するために発破をかけている教育的な怒りではなく、ただの下位の愚かさに対する怒りなので、アウトなのです。

そもそも、真に智慧を発揮させていれば、上記のように、所詮は、人間の出来不出来などは、条件次第だと理解しているので、怒りようがないのです。

これは、あらゆる人間の対象に共通です。

相手が、どんな人種だろうが国籍だろうが民族だろうが同じです。
友人あろうが恋人だろうが家族だろうが同じです。

構築条件次第で、人間は何にでもなるのです。

諸行無常・諸法無我とはそういうことです。

だからこそ、クズの相手を許せるのです。
(厳密に言えば、クズとか善人とか言う分別が無智)




そして、何より、一番大切なことは、イエスが言っているように、相手を赦してこそ自分が許されるのです。

善人の皆さんも悪人のクズも、実は大して差はありません。

みんな、同じ穴のムジナなのです。

いつだって、悪業を、ついうっかりしてしまう可能性はい起きている限り、ついてまわります。

その時に、死後の転生前に、神仏に抗弁できるかどうかは、相手を赦したことがあるかないかの経験によります。

要するに、我々が、神仏から許されるように、保険としてクズどもを許してあげるのです。

※ちなみに、本当はこういう功利主義的な動機ではいけませんが、レベルを落として言っています。

もっと言えば、分別ある自我を持った存在ではなく、ただのアンドロイド程度の存在です。

だからこそ、平等に対象の相手を見ることが出来ます。

どんな親しい存在も、敵も味方も、善人も悪人も平等に価値が無いのです。
ついでに言えば、自分自身もです。

執着への対象は、煩悩を生みます。
そして、それは無明という無智から生まれるのです。

真の開運は、一時的に現世利益を得ることではありません。
それも、重要ですが、この危険極まる六道輪廻から解放されることこそが一番の開運なのです。

いつ地獄に堕ちるかわからない薄氷の上を渡るが如きの生存が今の我々なのです。

とにかく、正義や悪の概念で、執着するといつまで経っても、この段階をクリア出来ません。

さっさと、クリアして次の面に向かいましょう。

2018年1月4日木曜日

【陰隲録】功過格表174 十善 いい人を紹介しよう51 陰徳「バフェット様も薦めるインデックス長期投資になんか絶対負けないんだから!(キリッ)」










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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)



なお、皆さんの記事の感想大募集です。
陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
記事下のコメント欄や、メッセージやメールで、お気軽にどうぞ。

その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら



功格五十条(善行のプラス50項目)

・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

十善に相当する行為
◯一有徳人を薦引す





有徳人を薦引すと言うのは、主体が他者から見た陰徳です。
有徳な人を推薦することで、推薦者の陰徳がアップするのです。

しかし、逆を言えば、有徳な人と言うのは、被推薦者に選ばれる条件です。
あくまで被推薦者が、有徳パラメータ度が高かったからこそ、推薦されたのです。

とすると、我々外部の人間の陰徳行動は、被推薦者の有徳によって引き起こされたということになります。

これは、我々の行動は、我々の行動前にすでに決定されていたということになります。
※こちらの有徳者を推薦するという条件もありますが。

あらゆる事象はそれなりの原因があるのです。
これを、因果関係と呼びます。



だから何だという話ですが、一体全体、この事前に決定されていたというのは、どこまで決まっているのでしょうか?

因果関係を遡って行けば、それはどこまでも手繰っていけます。
Aの原因はB、Bの原因はC、Cの原因はDと。

そして、それは、原因が決まっていれば玉突きのように、以後の結果が全て決まっているということでもあります。

原因が結果を生むならば、原因の段階で結果はわかってしまうからです。






現代では、この手の話は、素粒子論やらカオス理論やら持ち出されて、決定論は存在しないという話に落ち着きます。

世界は非決定論的であり、未来はわからない。
人間には運命が無く、自由な存在であると。

※興味がある人はググってみると、いくらでも出てきますので調べて見て下さい。

しかし、科学法則というものは、結構信用性が低いものです。

つい最近まで、光を越える速度は無理と言っていたのに、今では普通に光を超える法則が出てきたり、高血圧は老人の健康に悪いと言われていたのに、今では普通に高血圧の方が老人の健康には良いと言われている始末です。

※光速の高度な物理学と、高血圧の話を一緒くたに科学と定義する豊河。

要するに、単に、
「現代科学がショボくて、万象の決定論を演算出来ないだけじゃねーの?」
という、素朴な感想があります。




そもそも、人間が雑魚過ぎるので計算出来ないだけで、全知全能の神ならば、もちろん計測可能です。
※全知全能の神がいると仮定して。

決定論では、天地初発の一発から全宇宙の消滅までの全てのルートは、完全に決定されています。

人間には計測不可能なだけで、それは完全に完璧に一部の狂いもなく、神の予定表のままなのでしょうか?

近代以降の文明は、人間の自由と自己責任を最大限に持ち上げた時代です。

そのため、人間の自由は犯すべからずの存在に祭り上げられました。

そのため、この決定論は、人気が無いというよりも、邪説として退けられてきました。

個人の自我を嫌う、仏教や日本思想ですら、最近は、この手の決定論を嫌い、自由とかの用語を言い出す始末です。

まあ、大乗仏教の空思想は、因果論に反発する思想ですので、ある意味、それはそれで、間違いではありません。



で、それが一体どうした?だから何だ?そんなもんどうでもいいんじゃね?
という話なのですが。

この、決定論の話は、面倒なことに、自由意志の問題にリンクし、自己責任の話にリンクします。

自己責任の話は、刑法、つまり罪と罰の信賞必罰の話にリンクします。

要するに、善悪や倫理の話に繋がるのです。

このブログは、開運ブログで、陰徳をプッシュしていますが、要するに、陰徳や因果応報の話にリンクしてしまうのです。

結果、微妙に関係があるのです。

要するに、運命改善の開運話をしているのがこのブログです。
運命が完全に決まっているならば、運命改善はありえません。

いくら運命改善をしても意味が無ければ、徒労です。




しかし、実際には、運命が決まっていてもそれを乗り越える実例は存在します。
命運を改造する実例は、多々あるのです。

陰隲録本文では、命運の本場の中国で、袁了凡が高度な命術に算定されている運命を改善しています。

また、実際に華僑だろうが日本人だろうが、今も、陰徳で命運を改善しているのです。

要するに、運命の改善は可能という結果なのです。
こう考えると、決定論というのはあてにならないという結論が出てきます。

やはり人間は自由であり、運命などは存在しないと言う、人間賛歌を高らかに謳い上げられるのです。





が、しかし、さらに考えてみると、この考えにも反論が出てきます。

そもそも、陰徳で命運改善というのは、実は、レアケースなのです。

このブログでは簡単に、陰徳で運命を変えると言っているので、運命の改善を簡単に出来るかのような認識ですが、そもそも、運命を変えるとかは普通は凄く難しいのです。


考えてみて下さい。
皆さんの回りで、運命に立ち向かうとか寝言を言ってる人間がいるでしょうか?

物語の主人公くらいです。

そもそも、運命自体、普段は意識しません。

今の世でも昔でも、陰徳で命運改善なんて、大多数の人間には関係ありません。

陰徳自体やっている人は滅多にいません。

というより、運命は普通は変えられないから運命なのです。

陰徳という裏技を知っている我々は、運命など簡単に更新可能だと知っていますが、世間一般では運命は絶対に変えられないのです。
世界の終末の黙示録の如くの必然なのです。
絶対運命黙示録なのです。





例えば、日本の人口は一億ニ千万人です。

特殊な宗教団体が組織的に陰徳(という名の教団への奉仕)をやらせてたり、道徳的な観点から陰徳をやっている人が、一万人くらいいるとしても、万分の一です。

日本人の中の、0.01%というレアな人たちです。

仮に、百倍の、百万人やっているとしても、1%の人間しかいないのです。

日本人の一%しか、陰徳を積んで命運改善などはしていないのです。

実質的に、大多数の人間は、陰徳なんかしないし、命運改善など出来ないというか意識すらしていない人たちだと思っていいでしょう。

要するに、何が言いたいのかと言うと、皆さんのような運命に打ち勝てる人間は、レアキャラなのです。
大多数の人間は、運命に流されるままに一生を終えるのです。

これは、実際の社会ピラミッドでも同様です。

上位一%のエリート以外は、その他大勢なのです。

学歴でも、高学歴と言われる大学は、一%の人間です。

格差社会論議で有名になったピケティも上位一%の所得が社会の支配層です。

このピラミッド社会においては、上位一%の人間でないと話になりません。



また、輪廻転生的に考えると、やはり皆さんはエリートです。

今の日本人の民度だと、あまり地獄に行く人は多くないでしょうが、天国に行く人も多くはないでしょう。

※もしかしたら、念仏などの特殊な抜け道対策のおかげで、結構な割合で、天国ならぬ極楽浄土に行く日本人は多いのかもしれませんが。


皆さんのような上位一%の陰徳エリートしか、天国に行けないのです。

要するに何が言いたいのかと言うと、

皆さんは、豊河のこのブログに巡り会えたお陰で、上位一%の輪廻のエリートになれたのです(恩着せがましく)。

昔から四恩(国王,父母,師友、神仏)と言いますが、豊河に対するこの海よりも深く、山よりも高い恩を忘れてはいけません
(正月早々、恩着せがましいマウンティング行為)



で、結局、運命というものは、大多数の人間は運命のままに生きています。

それを考えると、やはり運命というものは存在し、決定論的な世界の中で生きているのです。

しかし、また七面倒臭くちゃぶ台返ししますが、陰徳による運命改善というのも、実は、結局、運命と言う代物の範囲内である可能性は、十分にありえます。

どういうことかと言うと、
「陰徳によって運命を改善したということも初めから運命として決まっている」
という、話です。

要するに、森羅万象を絶対的に支配している決定論的な運命(真)があると。
で、それとは別に、我々が認識している運命(偽)があるということです。

我々は、環境や社会や個人の資質を認識し、勝手に、生まれ持った運命という概念を推定しています。


そして、陰徳や他の命運改善法によって、開運して運命に勝った!とはしゃいでいます。

が、その改善した運命というのは、あくまで、運命(偽)であり、完全に決定論的な運命(真)は、初めから我々の開運行動とその結果まで、そう決まっていたということです。

つまり、運命は最初から決まっており、変更できない。
運命を変更しようとして、変更した結果もまた運命だったと。





この、決定論的な話の、可能性は結構高く、反論がなかなか難しいのです。
そもそも、運命自体が測定不可能な代物ですので、それに対する反証もまた、難しいのです。


善悪全ての行為は、因果応報の原則が正しければ、原因と結果が全てだからです。

原因が無いものは存在しない。

そうすると、皆さんが陰徳で運命改善をするというのも、原因があります。

要するに、過去の善業です。

で、その過去の善業はなぜ、発生したかと言うと、これまたさらなる過去の善業の結果です。

無限に過去に遡っていけば、始まりの一点に辿り尽きます。

もしかして、世界の時間軸が、ループしている可能性もありますが、そのループすらも作られたのならば原因があるはずです。

だとすれば、その一点が発生した時点で、今に至るまでの結果は全て決まっているはずです。

全てに原因と結果がある因果関係というものは、突き詰めれば、そういうものです。




もちろん、事象というものは、一つの原因と結果だけではありません。

複数の因果がからんで構成されています。

しかし、それらは全て、原因があります。

この原因と結果は絶対的な物です。

仮に、複数の、原因が無い結果が存在するとしましょう。

善悪がからまない因果がからんで、偶発的に善悪や楽苦の事象が発生したと推測しましょう。

そうすると、その時点で、因果応報の原則は崩壊します。

因果応報は自己責任が主体だからです。

自分の責任外の原因により、応報を受けるとしたら、たまったものではありません。

もちろん、実際の世の中は、自己責任でない吉凶禍福が存在します。
しかし、それは因果応報では、自己責任という法則があるとされます。

因果応報が無いとすると、偶発的に自分に吉凶禍福のイベントが降り掛かってくるという話になります。

このイベントは外部からだけでなく、自分の意識への影響も含めます。

自分の意識は、肉体や環境からのあらゆる影響のもとに構築されています。

それらの影響が全て自己の過去の行為の原因で無いとすると、やはり自由意志というのは存在しないからです。





しかし、さらにややこしいことに、全てが自己責任で、因果応報を発生させているとすると、今度は、やっぱり自由意志が無いというジレンマに陥ってしまいます。

自分の全ての行動が、因果応報で過去に決まっているとなれば、どこの過去の時点でも、それはさらなる過去の原因の結果です。
結果として、自由意志は無いからです。

全ての行動や思考は、過去の因果応報によって決定されているならば、そこに自由意志はありません。

我々は、過去の時点でのプログラミングされた一生を送っていることになります。

さらには、死後の輪廻も全て決まっていることになります。
死後の世界は、当然、現世の善行悪行の因果の結果です。
しかし、その現世の行動は過去の因果の結果だとすれば、最初から選択肢など無いのです。

この世に生まれた時点ですでに全ての行動は決まっています。
善行も悪行も何をやるのかは決まっています。
つまり、死後どういう果報を受けるかも決まっているということです。

そもそも、輪廻から離れる解脱そのものは、運命なのかそうでないのかという話にも繋がります。



で、ここまで読んできた皆さんも、いい加減、ウンザリしてきたと思いますが、豊河でさえ、この話は、考えると頭が痛くなってくるのです。

実は、この手の話は、宗教ではタブーなのです。

理由は、解答が出ないからというより、宗教指導上、まずいからです。

上記したように、大多数の人間にはそもそも運命改善なんて考えません。

一%の宗教的エリートしか、運命改善なんて考えないのです。

で、そのエリートですら、
「良い事やれば運命変わるよ!」
くらいの認識なのです。

豊河は、宗教組織に属していない、いわばフリーの立場なので、こうしてタブーをペラペラ話しています。

が、そもそも、宗教の信者には、知る必要の無い領域の知識なのです。

というより、このブログの中でさえ、本来、語る必要の無い知識です。

陰徳をやって開運しましょうという素朴なスタンスでいいのですから、それを逸脱するような話は、別にしなくて良いのです。

まあ、今こうして、話をしていますが。

というより、意味不明な、運命やら因果やら決定論やら自由意志やらの世界のシステムですが、こんなことを考えている豊河の苦しみをみなさんにもぜひ共有したい。
と思って書いています。
(地上の人間に取り憑く地獄の住人か?)

苦しみのおすそ分けです。

豊河が苦しんでいるのに、皆さんがのうのうと幸せに生きるのは許せない・・・!
一緒に・・・不幸に・・・!





で、釈迦はこういう問題には「無記」で答えなかったという話があります。

例えば、上記の、自由意志があろうがなかろうが、実は、釈迦的には、大して違いはないからです。

もともと、仏教は解脱が目的です。
輪廻の輪から抜けることが目的ですので、どうせ抜ける世界のシステムなどどうでも良いというスタンスです。

転職する人は、元の会社のことなどどうでも良いと思うのと一緒です。

そもそも、自由意志があろうがなかろうが、人間の苦しみは変わらないからです。

今、我々、衆生が四苦八苦で苦しんでいるのには、一ミリたりとも役に立ちません。

陰徳をやって運命改善しようという意思が自由意志であろうとなかろうと、やっていることは同じです。

要するに、大事なのは、今ここに、皆さんが、自力では解決出来ない不幸があり、それを運命と認識していて、それを解決するために、陰徳という解決手段を、知り、それを実行して、開運出来るかということです。

さんざん、不要な理屈を書いていてなんですが、
細かいことは気にしてはいけません。

一心不乱の大陰徳で、運命を改善するのです。

某法華経教団が言っていますが、仏法は勝負なのです。

敵は運命です。

人間を支配する運命に打ち勝つのです。

邪な運命という圧制者に、人間が大勝利するのです。

圧制者に打ち勝つことを革命と呼びます。

これこそが、本当の人間革命です。

念仏や題目などという他力本願ではなく、陰徳という御本尊で大勝利するのです。
※いや、別に他力本願を並行してもいいですが。






で、皆さんは自由意志なのかどうかはわかりませんが、今、こうして陰徳による運命改善という秘薬を手に入れました。

あとは、実践するだけです。

で、陰徳は基本、短期的な効果があるかどうかは、業次第です。
(ぶっちゃけ陰徳と運命の量によるとしか・・・即効性を求めるなら神仏ですが、それも陰徳が物を言います)

しかし、10年単位の長期的な運命改善には劇的に役に立つと言えます。

およそ、長期的な未来計画や人生計画は、どうなるかわかりません。

投資運用を熱く語るカモ人は、10年単位の長期スパンの投資の年利何%の複利計画で、億り人(ビットコインで億を獲得した人間の業界用語)になる夢を語りますが、市場は定期的に恐慌を発生させます。
順調には行きません。

しかし、陰徳による長期投資は、決して、破綻しません。

陰徳銀行はリーマン・ブラザーズよりも強固な経営基盤を持っているのです。

それはまるでNYダウの如き、右肩上がり・・・!






さあ、皆さんもNYダウのインデックス陰徳に投資するのです。







決して壊れぬ盗まれぬ天の宝庫。
それが陰徳です。

天変地異が起ころうが、政変があろうが、戦争に負けようが、決して、天に積んだ陰徳は、暴落しません。

無敵に見える米帝様のダウでも、米帝が崩壊すれば、風の前の塵に同じなのです。

しかし、陰徳は、国家や会社や家庭が崩壊しようとも、なくなりません。

絶対安心の無制限ペイオフ制度の金融商品なのです。


金融に利回り(利子)があるように、陰徳にも利子があるのです。

今から十年単位の長期投資をしておけば、通常の投資ですら、老後に、億万長者の億り人になれます。
そして、陰徳の利回りはそれだけではありません。

金融はただ現世的な資本だけですが、陰徳は貧病争の保険と、さらに死後の資本を形成します。

現世で莫大な資本を持っていても、来世には持ち越せません。

輪廻転生の国境の壁を突破できるのは、業だけです。
陰徳や逆の悪業は、異世界転生の壁を越えるのです。

つまり、陰徳さえ積んでおけば、トラックに轢かれても、異世界転生でチート付与で無双ということが、リアルに可能なのです。

陰徳を積まないまま死んでしまうと、万が一、善悪収支決算が赤字だと、エライことになってしまいます。



 


今年も豊河は、手数料目当てで投資信託を勧誘するメガバンクの窓口のお姉さんの如く、陰徳投資を勧誘していくのです。