2017年11月29日水曜日

記事の文章量についての考察




この駄ブログは、今の混迷とした日本の惨状を豊河が憂いために、開運の奥義である陰徳を、広く世に知らしめるために、豊河の溢れんばかりの慈悲心(上から目線)で、開始されました。

因果応報の理に従えば、陰徳こそが、開運の王であり、命運改造の白眉です。

そのため、一文の得にもならない記事連載という、菩薩行をしてきたわけです。

で、最近、スマフォで自分の記事を読んでみたわけです。

で、思ったのが、

一記事の文字量が多く無いか?(いまさら)

という疑問です。

ちなみに、昨日の記事を、てきとうにググった文字数カウントサイトで、カウントしてみたところ、
文字数5646、
400字詰めの原稿用紙15枚
という恐ろしい数字が出てきました。

作家か?

まるで勤勉な作家の如き、生産量に軽い驚きを覚える豊河ですが、いや別に、いくら書いたっていいのですが、問題は読者様の負担です。

毎日読む側になったらきつくないか?
という素朴な疑問が芽生えてきます。

そもそも、読者様のフィードバックが全然無いので、わからんのですが。
まあ、読者様のIQなら、漫画一話くらいの負担なのでしょうが、多いから減らせ!とか、逆に少ないから増やせ!という意見がありましたら、ご遠慮無く、豊河までコメントやメールでご一報下さい。

何もフィードバックが来なければ減らそうかなあと。
まあ、とは言え、いつも別に考えなしに書いているので、何のかわりもない可能性があるのですが。




2017年11月27日月曜日

【陰隲録】功過格表170 嘘も方便→戒律を平然と破る仏という生き物 十善 いい人を紹介しよう㊼











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その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら



功格五十条(善行のプラス50項目)

・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

十善に相当する行為
◯一有徳人を薦引す



前世


前回の続きです。


①単純な因果応報説
②無意識ネットワーク説
③経験からのトラウマ説
④教育的説


と、色々ありました。
三番以降からです。


③経験からのトラウマ説


これは、催眠療法などの亜種の前世療法で良く使われる説です。
スピリチュアル系でも、よく使われる概念です。

どういうことかと言うと、例えば、過去生で、権力者になっていた。
んで、やりたい放題やった人生だったと。

しかし、晩年とか死後に、賢者モードになって、反省したとします。
※基本、前世系は、生まれ変わる間に、人生のテーマを客観視出来るような設定です。


そうすると、今世では、一切の権力に拒否感を持つようになり、ホームレスになったりします。

この場合、権力へのトラウマが、表面意識に認識として気づいているのか、それとも無意識にあって気づいていないかは、ケースバイケースです。

気づいていない場合は、理不尽な運命を呪うようになります。

しかし、催眠療法や、あるいは霊能者などによって、
「前世でこういうことがあって、そのトラウマが残ってるから、今世でホームレスしていたんだ!」
という展開になります。

この手の話は、そもそも、催眠や霊能者の言ってることが信用できるかという、根源的な問題があります。

当たり前の話ですが、まず、施術者が、適当言ってるだけという可能性があるからです。

しかし、こういう詐欺は問題外ですが、それでも、クライアントの問題解決には手法としては使えるのです。

基本、本当に前世があるのかどうかは、未知数の領域です。

死後の世界というのは、ブラックボックスなので、人間にはわからないのです。

しかし、臨床心理のテクニックとして、対象のクライアントの問題解決をする手立ては、前世というロジックを使うのは有効な手なのです。

外在化と言いますが、ビジネス用語で言う「視覚化」です。
対象をまず言語化、図形化することで問題の全体像や、構造を把握出来るのです。

何しろ、前世や霊能は、歴史と伝統のあるテクニックです。
長年、輪廻転生の概念が無かった欧米でも、現在は、積極的に、使われています。

今の問題は、過去世にあるというロジックは、人間には馴染み深いのです。
理由は、人間は何事にも理由をつけたがるからです。

作る側としても、そのストーリーの構築は、極めて容易です。
今の問題と、被せれば良いのです。

権力が嫌いだったら、過去生は王様や権力の被害者。
金儲けが嫌いだったら、過去生は金持ちや金の被害者。

今ある問題や境遇を、ひっくり返せばよいのです。

ちなみに、この隣接領域に、因果応報理論や陰徳思想があります。

カモとして来店してきた連中には、今の問題は、過去生の過ちから来ていると説明してやれば良い。

実際に、この手で儲けている連中は、古今東西、世界中にいます。

前世や先祖は立証不可能なので、とにかく、前世や先祖のせいにすれば良いのです。

基本、過去世や先祖はクレームを付けてこないので、容易に罪を擦り付けられます。

以前から、豊河は、宗教は「来世の空手形発行」する詐欺システムだと言っていますが、前世も同じです。



成仏


しかし、そうは言っても、前世を語る輩が、全員嘘つきかと言えば、そうでもありません。

当人としては、真面目にというかマジで、前世や霊が見えているキチガイ人も、いるのです。
ただし、その見えてる物が、本当に前世や霊かどうかは別問題です。

可能性としては、前世というよりはクライアントの記憶を読み取っているのでしょう。

変性意識状態では、集中力が増して、五感が増大します。

相手の微細な生体情報から、思考を読み取ることは、変性意識状態では珍しくはありません。

禅僧が、数キロ先の針の落ちる音が聞こえたりするのは、この集中した変性意識状態のせいです。

人間相手で、相手の思考がわかるのは、普通の状態の、顔色から判断することの延長上線にあります。

前回、何らかの媒体から情報が、ネットワーク的につながっている話をしましたが、要するに、それが認識出来ている人間がごくたまにいるのです。

人間の思考は、脳内で電気信号で処理されます。

現在の科学力でも、盲人の脳の資格野を電気信号で代用したり、マウスを動かしたりと、電脳の世界の入り口にまで至っています。

先天的、後天的にそれが可能な人間が世にいう霊能者です。
無論、電波と紙一重なので、精神病者との境目は微妙なところです。

で、クライアントの問題の構造を、過去の記憶を読み取って、脳に眠っている潜在意識の情報と混ぜて、脳内フィルターに通すと、前世話や霊として、再現されるのでしょう。

催眠療法は、催眠誘導された自分が見る情景であり、霊能は霊能者が見る情景ですが、どちらも同じようなもので、今の問題を構造的に視覚化した物です。

わかりやすく言えば、神社の人形や呪いの藁人形です。

前者は、紙の人形に、身体の悪いところをなすりつけて、処理します。
後者は、説明不要でしょう。

どちらも、問題を外在化させて、物理的に処理して、問題解決するという方式です。


詐欺と霊能者の中間のような存在で、ウソと分かってて方便(人助け)で、前世や霊を騙る方式も存在します。
※この例は、京極夏彦の憑物落としシリーズが分かりやすいでしょう。

例えば、葬式などはこの一例です。

別に、坊主からしてみれば、霊などいるわけないと認識していても、遺族がそれによって、満足出来れば、やる価値はあるのです。

実際に真宗系は、霊はいないという教義(みんな死んだら極楽浄土に直行するのでという理屈)で、葬式は生きている人のためにあるのだというスタンスです。

実際、プラシーボ効果で、問題解決してしまう可能性もあるのです。

前世や霊の解決にかこつけて、生活習慣や心構えを変更するよう誘導してしまえば、本人の問題はしれっと解決する可能性が高まります。

まあ、そうでなくても、貴方の前世はお姫様ですと言っておけば、クライアントは満足して帰ってくれます。

リアルの自分は、日本の平民でも、夢の中ではプリンセスになれるのですから、夢見るサービスとしては、悪くないのです。

で、詐欺はともかく、前世や霊の問題への、解決方法としては、基本、前世や霊を「成仏」させるのが、伝統的な基本です。




霊の成仏とかは、大体上記の画像のイメージですが、前世も大体同じです。

まあ、恐らく皆さんの知っているイメージと変わってないはずです。

催眠の前世療法だと、施術者の誘導で、前世の自分が癒やされて光へ帰っていくイメージを誘導させます。

まあ、要するに霊の成仏と同じです。

で、これが、本当にあることなのか、ただの妄想なのかは、ブラックボックスです。

要するに、そうすることで、問題解決出来ればそれでいいのです。

やり方としては、先の人形や呪いの藁人形と同じです。

問題を霊や前世に視覚化して、それを操作出来るようにするのです。

人形を川に流したり燃やしたり藁人形に釘を打ったりするのと、成仏は上の光の中に上げてやるのは、同じです。


無論、前世や霊などは、宗教なので、洗脳と紙一重です。
催眠中の法的ゴタゴタは、アメリカなどに多数事例がありますし、霊能商法の被害は、今も日本で多発しています。

まあ、要するに他人にあんまり、自分の潜在意識をまかせたくないということになります。

ITで言えば、自分のプライベートPCのログインパスワードを教えるようなものです。

ただ、上手な人だと、それであっさり問題が解決することもあるので、ここらへんは、縁というか運です。

本物(?)に当たるか詐欺師に当たるかは、運否天賦でしょう。

ちなみに、豊河は本物にあったことがありません。
※厳密に言えば、会ったことがあるのかも知れませんが、豊河の業は深い(たぶん)ので、問題解決したことがありません。

他人がダメなら自分でやるしかありません。

では、どうするべきか?



自分対策


自分の無意識領域を、他人にやらせるのはリスクがあります。

まあ、金がある人なら凄腕のプロに頼めばいいのでしょうが、医療問題と同じで、金持ちしか高度な医療を受けられないのと同じです。

しょうがないから、自分で治すのです。


で、やり方は簡単で、単純に、自分の過去世トラウマになっている分野の陰徳を積めば良いのです。

例えば、お金で失敗した前世があるならば、お金に関する陰徳を積めば良いのです。

前世で金持ちの時に、搾取をしたりして、それがトラウマになっていて、今世お金に縁が無いならば、普通に現世で恵まれない人間に慈善をすれば良いのです。

ここで、大事なのは、それを意識的にすることです。

基本、スピ系の前世療法だと、目的論的な人生設計があります。

具体的に言えば、人生に関して、一段上から、今世はこういう目的で生きますみたいな、人生設計を生前にしているのです。

上記したように、前世系の療法を見ると、生まれる前にそういう段階があり、人生のテーマを自分で決める話が良く出てきます。

大体、前世療法系ですと、そういう「設定」です。
生まれる前に、天界でそういう意思表明と目的性を持って、生まれてくるイメージです。

あとは、ハイアーセルフ(高次の自己)を引っ張り出してくると、そういうことを、上から目線で、言ってきます。

まあ、これが、上記したように、現在の問題の、臨床心理的な「見立て」として、仮想的に構築されたものである可能性は高いのですが、要するに、問題の根本には、問題に関する人生テーマが、からんでいるということです。

上記のお金の問題の人は、前世の反省から、「無意識的に」お金をばらまいたり、不幸な事故でお金を無くしてしまいます。
で、金が無い金が無いと苦しんでいます。

で、これへの対策としては、そのお金の流出を、「意識的に」行うのです。

元々、無意識の心理学(という怪しい学問)では、自分の深層心理が外部に投影されます。

つまり、お金が貯まらないとか、ゴタゴタで流出するとか、浪費してしまうとか、収入が低いというのは、無意識にそういうことを望んでいる意識があるということです。
※この場合だと、お金にトラウマを持っていて、お金を保持していたくない。金持ちになりたくない。という意識。

お金を入手すること、保持していることにトラウマがあるのです。
そのため、「無意識的に」お金を放棄して貧乏になってしまうのです。

そこで、対策としては、上記したように、他人に潜在意識をいじらせたく無い場合、自分でやる方法を考えます。
※信頼出来るプロがいるならそっちの方が楽ですが。

具体的には、「意識的に」そのトラウマを解消させてしまいます。

お金なら、外部からのイベントで無理やり放出される前に、慈善で寄付なり、神社仏閣に寄進なりして、使ってしまう。

闘争関連のトラウマがあって、今世で弱者として被害にあっているならば、他人を闘争から助ける慈善をする。

健康関連のトラウマや、学習・学問関連も同様です。

無意識は、自分が気づかなければ、外部からそれを教えてくれます。

要するに、今、現世で苦しんでいる問題は、因果応報であったり、過去世のトラウマであったりと、原因は、自分の無意識の発露なのです。

※フロイトの時代は、これが抑圧された性的なリビドーという解釈でした。

要するに、ストレス解消法なのです。


で、単純に因果応報よりはちょっと捻った形ですが、前世トラウマ系でも因果応報でも、結局、対処は同じです。

陰徳を実施するという対処は同じなのです。

例えば、中国の占術家では、血光の災(流血沙汰や事故)の運があったら、献血に行かせます。
事前に血を流すことで、災いを消去し、かつ陰徳を積ませて相殺させるのです。

原理はこれと同じです。

お金でも権力でも学問でも全部同じです。

過去生で何らかのトラウマが会った場合は、自分自身で、その分野に関して、自虐的になったり、それを、持たせなかったりします。
※前世が横暴な権力者だったために、反省して今世は権力を一切封印してホームレスとか

要するに、羹に懲りて膾を吹くの状況です。
はっきり言って、無意識はバカなので、こういうアホなことをよくやります。

無意識を無条件に崇拝する傾向が多いですが、こういうアホな極端をやるので、無意識など信用してはいけません。

前世の悪行で金を嫌いになった!
→今世は金を持たないようにしよう!

という無意識のアホな傾向が分かったら、金が自動的に抜ける前に、自分でとっとと陰徳として放出します。

そうすると、先程の献血と同じように、事前災害防止と陰徳で、一挙両得になるのです。

無意識は表面意識で認識したら、それは無意識でなくなります。

もっと言えば、こんなアホなトラウマが生成しているのは、要するに徳が無いからで、陰徳による対処法が効果があるのです。

また、この話は、前世の反省も兼ねているので、次の教育説にも絡んできます。

人生の学ぶべきテーマがある(という設定)のです。

次回は、この④教育的説を見てみましょう。


ちなみに、最近、わかったのですが、豊河は陰徳を世に伝えるという天命があったので、他力本願が通用しないという、嫌な命運の可能性です。
皆さんは、豊河のように回り道をしないで、陰徳に励みましょう。



2017年11月24日金曜日

【陰隲録】功過格表169 神仏による監視社会 十善 いい人を紹介しよう㊻







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功格五十条(善行のプラス50項目)

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十善に相当する行為
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まとまってないまとめ


前回まで、色々、世界の目的論説を述べてきました。

要するに、人生の障害に対して、理由付けと対応策をしてきたわけです。

ここで、ちょっとまとめてみましょう。
※といいつつ、関係ない話ばかりで、全然まとめていませんが。


①単純な因果応報説
②無意識ネットワーク説
③経験からのトラウマ説
④教育的説



①単純な因果応報は、そのままです。
単純に、因果応報で過去や過去世の行為がそのまま自分に返ってくるという現象です。

これは単なる法則ですので、善悪は関係なく、物理学の作用・反作用の現象と同じです。

要するに、今、人生に障害があるとすれば、それは過去世で自分が撒いた障害なのです。

わかりやすく実例を出せば、欧米のエスタブリッシュメントのAさんがいるとしましょう。

Aさんは代々続いた白人至上主義者で、その有り余る資産と白人ネットワークで、世界征服をしていたとしましょう。
(陰謀論に出てくる秘密結社みたいな感じのノリで)

で、艱難辛苦を経て、ようやくそれが実現しました。
世界は一握りの白人によって支配されました。
有色人種は奴隷階級となって、白人のみが特権階級の世界になりました。

Aさんは、この結果に大満足しました。

しかし、こんなに頑張ったのにも関わらず、Aさんの来世は、なぜか有色人種になってしまい、自分が作った白人至上主義の世界の中で、下層になってしまったのです。

こんな理不尽なことがあっていいのでしょうか?

ところがあるのです。
これが、因果応報です。

人の努力を無にする、無慈悲な法則が因果応報です。
本当に、世界はろくでもないところです。

世界にこういう法則があるということは、それに沿った生き方を模索しなくてはいけません。

要するに、世界に良いことを投げかける生き方です。

これは、単純な、信賞必罰理論による、人生設計です。
治安維持にも役に立つので、大抵の統治者が(因果応報という言葉でなくても)国家宗教の理論として採用しており、大抵の人類が、信じています。


とは言え、この因果応報理論は、今までさんざん言ってきましたが、色々と問題があり、それこそ、差別思想に繋がるという問題を秘めています。

上記のAさんの例をとっても、
「じゃあ今の虐げられた下層は、前世で悪人だったから、このまま放置していても問題ないよね?」
という、ロジックを産むからです。
※この理論の採用結果がインドの惨状です。

それどころか、悪の行為→苦しみという因果理論は、苦しめば苦しむほど、前世の悪の行為のカルマを消滅させることが出来るという理論になります。

これは、悪行を擁護する理論になるのです。

オウムのポアはこの理論を使っていました。
オウムが殺害するのは、相手のカルマを刈り取るためだという理屈です。

このように色々と問題のある思想なのです。

そもそも、因果応報が外部の自然法則として、存在しているのか、人間や生物の集合無意識として存在しているのか、個人の無意識にあるだけなのか、色々とブラックボックスなのです。

単純に、個人の無意識のプラシーボ効果の可能性も高いのです。

つまり、罪悪感や自己肯定感により、善悪の行為が、無意識に影響して、結果として、吉凶を生んでいるという可能性はあります。

※ちなみに、宗教的には、「自分の中に神仏がいる」という言い方で、これを表しています。

まあ、逆を言えば、少なくとも、プラシーボ効果としては、因果応報理論は、個人の開運に使えるわけです。

プラシーボ効果というと、何かショボそうですが、極めれば、盲人の目を開け、足萎えを歩かせる効果を発揮します。

例えば、無意識の影響力は、受験、就職、結婚など、あらゆる人生の重要イベントで、無意識の選択が顔を出します。

「自分は、今までこれだけ悪行を積んできた」
「だから、ここは、最善手はパスしよう」

のような無意識的な選択をするわけです。
逆もまた、然りで、表の意識とは別に、いつのまにか無意識が勝手に、最善手を選択してしまうわけです。

例えば、婚活しているBさんがいます。
結婚候補の交際相手が二人いるとします。
※二股か?というツッコミは除外して。

イケメン高学歴高収入の善人の完璧超人Cさんと、
ブサメン低学歴低収入の悪人の駄目人間Dさんです。

普通に考えてみれば、Cさん一択なのですが、Bさんの無意識は、

「過去に自分は色々とやんちゃをしてきてから、ここはCはパスでDだな」

と、悪手を選んでしまうわけです。

当然、この選択肢が、その後の人生の吉凶禍福に多大な影響を及ぼすのは言うまでもありません。

さらには、イベント時だけでなく、パッシブスキル(常時発動型)としても稼働します。

例えば、日々の勉強や仕事にも、顔を出すのです。

毎日、勉強や仕事を頑張れば、吉凶禍福は吉におもむくのは当然の理です。

しかし、無意識が妨害していれば、

「やる気が出ない・・・」

となります。

毎日の地道な努力が出来なければ、落伍者になるのは自明の理でしょう。

まあ、このように、無意識的なプラシーボ効果でも、人生の開運に相当な影響力があります。

だから、開運のためには陰徳を積め(命令形)というのが、このブログの主旨なのです。

まあ、ここまでは、誰でも知っています。

で、次。


②無意識ネットワーク説


無意識というのは、ブラックボックスです。

まあ、表意識が感知出来ないブラックボックスだからこそ、「無意識」というのでしょうが、とにかく、中の構造が不明です。

よくある話としては、ユング説の、個人的無意識の奥に、さらに他生物とつながる集合無意識があるという前提です。

要するに個人の意識は単体だけでなく、他人や社会全体、種全体、生物全体の意識があるということです。

この集合無意識が、個体に集合無意識の情報が詰まっているのか、それとも、外部と繋がる無線の媒体があるのかは不明です。

一般に集合無意識というと、前者の個人の無意識にまるっと全部入っているイメージですが、外部とのリンクが貼っていれば、その必要はありません。

皆さんの目の前のPCにはインターネット全部の情報は入っていません。
当たり前です。
インターネットで、リンクが繋がっていて、他のサーバの情報をダウンロードしているのです。

さらに、21世紀の今、携帯スマフォで無線で情報をやりとりしています。

要するに、何か、外部との無線通信が人体でやりとりしているというのは、可能性としてはあるのでしょう。

もちろん、個人の意識にまるっと全部入っているという可能性はあります。

しかし、後者の方が、前者よりは多少は、科学的(?)で、現実的(?)な話です。

風水や占術関連だと、地磁気や太陽光線の話が良く出てきます。
龍穴や九星の吉凶影響の正体が、これらの科学的な媒体だということです。

そして、このことから応用すると、そもそも、媒体には情報が載せられます。
(目の前のPCやスマフォは電気信号で動いて、かつ通信をやりとりしています)

無線でも、周波数が合えばテレビのチャンネルが映るように、こうした媒体のプロトコルが、お互いに適合すれば、通信はやりとりできます。

表意識というディスプレイにも、情報を映すことが出来るのでしょう。
また、ディスプレイに表示しなくても、個人というPC端末同士の通信はガンガンやりとりできます。

個人端末が、個々の人間の人体や意識として、インターネットは、集合無意識です。

インターネットの中の、重要な大規模サーバが、神であったり、仏であったりします。

以前の記事で、道教の三尸の話をしました。


【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】立命の学⑮ 003-私が愛したスパイ


こいつらは、60日に一回ペース(庚申の日)で、天上に、個人の善悪の行為をチクリに行く生き物です。

それを元に、天上界は、その個人の吉凶禍福を決定します。

これも、要するに、個人という端末機器が勝手に外部通信しているということです。

外部の神仏サーバに、個人の無意識がSYSLOGやSNMPのトラフィックをアップしているのです。

GOOGLEやMicrosoftが、勝手に個人PCの情報を収集しているのと同じです。

また、上記したように、個人の無意識で、吉凶を決定出来ますが、公共規模の大規模な吉凶禍福は、個人の無意識だけでは不可能です。

広範囲の人間や社会、つまりインターネット上の大規模な範囲の個人端末の統御が必要です。

企業サーバであったり、自治体サーバであったります。
例えば、地震速報などは、個人ブログよりも、公共放送のNHKで発表したりしなければいけません。

神仏が、なぜ個人で祈っても大してご利益をくれないかは、これを見てもわかります。

要するに、神仏は、公共サーバなのです。
近所の神社仏閣クラスでも、少なくとも、その地域の公共インフラなのです。

だから、個人の願いは大して聞いてくれません。
役所に、収入が低いんですけどと陳情しても、相手にしてくれないのと同じです。

それ相応の公共レベルの話を持ってきて、初めて対応してくれます。

犯罪レベルだったら、公共機関の警察は相手してくれますが、個人の開運とかは相手にしてくれません。

民事不介入の原則が公共機関のポリシーです。

それと同じことなのです。

陰徳、つまり、他人への奉仕や社会への奉仕という善業があってこそ、公共機関サーバの神仏の加護が得られます。

逆に、悪徳という他人や社会へのマイナス影響を与えると、公共機関の神仏サーバが、制裁にきます。

無料掲示板のアク禁とか、銀行預金封鎖とか、公共機関の利用禁止とか、やってくるでしょう。

網内の個人端末に、ブラックリスト者として情報周知するという手もあります。

これらは、当然、現実世界の吉凶禍福として反映します。

これらは世界の目的性とは微妙に違いますが、共同体としての人類や生物という観点から、
「社会の全体の公益こそが善であり正である」
という目的論的な方針が垣間見えます。

要するに、陰徳をやったほうが開運的に得だという話になるのです。


で、次は、
③経験からのトラウマ説
ですが、ダラダラと書いていてここまで長いので、次回に続きます。


2017年11月22日水曜日

【陰隲録】功過格表168 コスプレプレイ仏 十善 いい人を紹介しよう㊺











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方向性


世界の方向性と言っても、正直、これだ!というものがわるわけではありません。

所詮、あの世と同じで、証明不可能なことを、論じているだけなのです。

あの世があるかどうかは、証明不可能です。

だからこそ、いくらでも、説法者は空手形を切れます。

慈悲深い人間は、死ぬのは怖くないですよと説き、恐怖を和らげますし、狡猾な人間は、うちに寄付すれば死後は救われますよと言うのです。

あの世という実在の無い存在は利用可能です。
ブラックボックス、null(ヌル)を利用するのは人類の叡智です。

老子は無の効用を説きましたが、存在しないあの世空間を、上手に飯の種に使っているのが宗教です。

では、結局、世界の方向性とは何でしょうか?

前回まで見てきたように、大きく分けて、3つあります。

一つ目は唯物論で、世界には特に目的が無く、機械主義的に、万物は稼働しています。

実存哲学の如く、何が価値があるかは、デフォルトの自然状態では存在しません。
価値は、自分で決めるか市場(弱肉強食)が決めるのです。


二つ目は、仏教(インド系哲学)です。
輪廻転生は苦の世界であり、たとえ天界であっても同じです。
集中した環境で瞑想して、一切を捨てて、輪廻からエスケープして消滅するのが吉。
という考えです。


三つ目は、大部分の宗教です。
神に近づき進化するために、世界は存在しています。
この世は修行場で、全ては、自分を経験値をアップさせるために存在しています。



アンダーグラウンドのサービス


基本的に、現代人は1の思想です。

で、宗教に入ると、2と3の説に、大抵の世界目的説は別れます。

まあ、2の仏教と言っても、大乗仏教は在家のための宗教でうし、一神教からの影響もあるので、3の観念も多いのです。

例えば、元々の仏教では仏は悟りを開いて解脱した存在です。
輪廻の輪からもう離れて消滅しているか、まだ生きてるけど、死後は消滅する存在です。

しかし、大乗仏教になると、仏(如来)の下に、菩薩、明王、天部と、仏の階層ランキングを作って、拝む対象を増大しています。

※基本、他の宗教(インドのヒンドゥー教や一神教)からパクってきた尊格です。

その中でも、菩薩の概念があります。

本来なら、悟りを開いて解脱出来る存在なのに、衆生救済のために、輪廻の中に存在しているという奇特な生き物です。

願いは、衆生救済という、本願です。

世界中どころか、全宇宙の六道輪廻の全ての生命を救い尽くすという外交的な目的を持っています。

例えば、観音菩薩は、救うために、あらゆる存在に化けることが出来ます。

六道輪廻ごとに六種類の担当観音がいて、担当範囲の六道で救済活動をするのです。

例えば、Sな人にはM奴隷に変身して救いに誘導し、Mな人にはS女王様に変身して救いに誘導するのです。

黒髪ロングの女子高生じゃないと嫌だという人には、黒髪ロングの女子高生の姿で現れ、のじゃロリババアじゃないと嫌だという人には、のじゃロリババアの姿で現れます。

さらに、同じ姿でも、関係性は様々ですので十一面観音がいます。
叱ったりすかしたりなだめたり色々顔を変えるのです。

さらに、救済手法も、個人個人で違います。
視点や手法も、千の方法と技術を使わないと救済できません。
千手千眼観音の出番です。

要するに、観音菩薩は、何でも出来るスーパーマンになる必要があります。

千人いて千人の個別の問題を解決しなければいけないのです。

眠れない夜に、この身を苛む煩悩があり、
焦燥感に耐えられないなら、
観音菩薩のサービスを呼ぶのです。
どんなときも万全に応えられるのです。

その名は観音菩薩。



で、この奇特なボランティアをやっている観音を含めた菩薩ですが、人類(を含めた衆生)救済という、目的があるわけです。
この目的のために、ガンガン進化していくのです。

これが、世界の目的かどうかはわかりませんが、少なくとも、進化の目的性というのが、大乗仏教にはあるのです。

ちなみに、この観音菩薩。
以前にも言ったとおり、自分が救うだけでなく、他人もこのボランティア活動に参加して救う側になって欲しいという、お節介を強制します。

まあ、観音菩薩だけでなく、仏は全部そうなのですが。

たぶん、大乗仏教の仏は、先にも言ったとおり、他宗教の尊格をパクったものなので、どうも大乗仏教の仏は、仏教の皮を被った別宗教の神様なのだと豊河はにらんでいます。
※実際に、他宗教出身の仏がほとんどなのですが。

本来の仏教でしたら、とっとと解脱して消滅するのが筋です。

大乗の仏たちの発想が、どうも一神教臭いのです。

とは言え、それでも、大乗仏教の共通概念として、最終的には、全部スコンと抜けた空の境地が根底にあるよというのは、さすがに、共通しています。

観音菩薩ですら、般若心経の教主(観自在菩薩)なのですから、何だかんだ言いながら、衆生救済というのは、方便なのかも知れません。

ここらへんは、般若心経コンテンツ(いつになるやら)で、そのうち詳しくやりましょう。


達人は保護されている


で、世界の目的性ですが、最終的に完全体になるという説には、様々な説がありますが、何か、能力的、人格的に完全体になるというのは、共通しています。

先の観音菩薩の例だと、全人類を救済出来るような存在になるということですね。

他にも、よくあるのは、完全な愛を完成させるぞの説ですね。

どんな環境や仕打ちを受けても、全てを愛せるアガペーになるのが目的という説です。

キリスト教的な考えと、心理学のカウンセリング(トラウマなど)から出てきた説です。

人生色々辛かったけど、でもそれは赦しの愛を学ぶためだったんだよと、ポジティブ(?)に枠を変える(リフレーミング)セッションです。

日本人はキリスト教観念がイマイチ理解出来ないので、愛説よりは、修行説の方が普及している感じはします。

まあ、現実世界でもそうですが、厳しい修行をしないと一人前になれないという観念は、日本人には当たり前ですので、修行説はよく語られます。

まあ、上記に、共通しているのは完全性です。

何でも出来るようになるし、何でも解決出来る。
何でも経験してきたし、何でも理解出来る。

こんな完全体です。

それは、完成された存在へのオマージュであり憧憬です。

西洋だと絶対神のイメージですし、日本だと神仏のイメージです。

日本人的な仏教の概念ですと、空とかの物事に執着しない観念とリンクしています。

禅や剣聖の境地みたいな、何事にも執着しない境地ですね。

世の中のどんな状態にも対応出来る、身心脱落の境地です。

これは、武士階級と禅宗が相性が良かったため普及し、このようなイメージが日本人にはお馴染みのイメージです。

剣豪フィクションとか、昨今の漫画やアニメやゲームやラノベなどでも、「達人」のイメージで、お馴染みです。








色々なパターン


近代以降だと、ユング心理学が、この手の話の元ネタの一つになっています。

セルフ(自己)という完全体が集合無意識にある。
普遍的な人類の集合無意識のパターンの元型などと通して、人間はより完全体を目指して成長していきます。

その際に、一つの立場を固執しすぎると、抑圧された可能性が無意識に抑え込まれてシャドウ(影)や、異性のイメージのアニマ・アニムスとなる。

シャドウたちは、無意識の悲鳴ですので、外側の実在の人物や環境などに投影して、本人にトラブルを与えます。

それに気づいて、受け入れることで、トラブルの元であったシャドウはなくなり、さらに成長すると。

例えば、四角四面の堅物がいたとして、一切の柔軟な思考が出来ない人がいるとしましょう。

そうすると、シャドウには、抑え込まれた可能性である、柔軟な思考がなります。

夢や現実世界の妨害として、このシャドウが自己主張するのです。

実際には、軟弱な日和見主義者や信念のない人間に迷惑をかけられるかもしれません。

その場合は、自分がもう一つの可能性である柔軟な思考というシャドウを受け入れて、自分に統合するのです。

そうすると、自分がまた一つ、完全体になります。

今までわからなかったことが、わかるようになり、脳のシナプスの領域が拡大します。

今まで、5%だった脳の領域が10%に上がります。

こういうユング心理学は世界の目的論説として、示唆に富みます。

ただし、ユングのシャドウ論は、自分の反対側の性格が妨害されてくるというパターンです。

が、私が見る限り、シャドウというより、単に、自分の欠点が外面に出るというパターンの方が多いような気がします。

因果応報や教育論的な説を採用すると、こっちの方がメインかなとは思います。

例えば、前世で、貧乏人を馬鹿にした金持ちが、今世、貧乏人になって苦しみ、反省するとか。

まあ、色々と、列挙しましたが、ここらへんは、またまとめましょう。




2017年11月19日日曜日

【陰隲録】功過格表167 あるかないか?それが問題だ 十善 いい人を紹介しよう㊹











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功格五十条(善行のプラス50項目)

・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

十善に相当する行為
◯一有徳人を薦引す



進化・・・いい言葉だ


世界の目的方向と、自然法則は、ある程度連動しているはずです。

世界全体の目的がある以上、それを促進させるようなシステムがあるはずだからです。

基本的に、この世界は、無機物の地球の上に、生物が鎮座ましましています。

で、お互いに殺し合いの弱肉強食を演じているわけです。

何だかんだ言いながら、世界の実相は、この弱肉強食に尽きます。

文明人面している人間様だって、普通に、他生物の穀物や野菜や動物の肉を食べているのですから、何をか言わんやです。

こうした「生命の実相」は、虚飾を剥ぎ取ると、このようなろくでもない実相です。

生命賛歌と言うのは、弱肉強食賛歌です。

この弱肉強食システムが基本であるとすると、では、強者で生きるのが、世界の目的なのでしょうか?

ひたすら生き延びて子孫を作る。

敵に勝ち、食料を奪い、女を孕ませる。

このような脳筋的な生き方が正と言えるのでしょうか?

通常、宗教は、こうした生き方にNOと言いますが、案外、この脳筋的な生き方は悪とは言えません。

上記のような世紀末のモヒカンだって、一家の長と考えれば、それなりに立派な生き方だからです。

少なくとも、自分の守るべき一家のために、働いています。

荒野でバギーに乗って「ヒャッハー」と野盗をしているモヒカンだって、家に帰れば、一児のパパかも知れないのです。

人間は何百万年も狩猟時代をして来ましたが、やってる事は他生物への殺戮と肉食です。

山賊や海賊行為を延々としてきたのが人間です。

時代が進んで、部族(トライブ)規模から、国家規模になってもやることは変わりません。

国家だろうが企業だろうが、やってることは、他組織を殲滅して食肉(市場)をゲットすることです。

人間という生物や文明には、根底にこの動物的本能が存在しています。

生命の実相とは、美辞麗句の虚飾を剥ぎ取ると、出て来るのはIQの高い動物の生存本能です。

現世利益の高い信仰は、日本だと稲荷信仰や蛇信仰や聖天信仰です。

キツネ(稲荷)や蛇(弁財天など)や象(聖天)の造形の意味は、人間にとって生きるということは動物と同じ生存本能なのです。

野生のパワーが無ければ、人間は生きていけません。

まあ、野生のパワーだけ暴走しても、結果は、酷いことになるのが歴史の示すところです。

大抵、こうした現世利益信仰は、ストッパーの装置があります。

例えば、聖天(歓喜天)には、向かい合って抱き合っているのは、十一面菩薩です。

聖天を本尊とする信仰形態は、大抵、聖天だけでなく上司の十一面菩薩も信仰しろと言いますが、こういう理由です。

現世利益という動物の力だけだと、まずいからです。

生物は、単細胞生物から複雑な高等生物に進化してきました。

世界に目的があるとすれば、この進化の流れと無関係であることはありません。

人間と言う種からさらに進化した種になるという進化論的考えは、実は、宗教業界でも同様です。

人間の上に、神仏という架空の生物を想定しているのが宗教です。

人間は生成途上の神であるという、ナチスの理論は、ある意味、宗教であるのです。



なぜ?×無限ループ


仏教では、人間より上の世界の住人を天道と呼んでいます。

天国でも天界でもいいのですが、しかしながら、これは人間界と同じく、ぐるぐる廻る六道輪廻の一世界に過ぎません。

世界に方向性があろうが、なかろうが、仏教では、それを否定するのです。
※厳密に言えば、方向性があろうがなかろうが、最終的に消滅を目指すのでどうでも良いと考える。

人間が進化しようが、どうでも良いのです。

仏教と違って、進化系の世界観を提唱する宗教(実際は、仏教以外は全部そうなのですが)は、無限の進化(もしくは究極にまで到達でゴール)の図式を採用しています。

要するに、人間が善行を積んだり、修行を積んだり、何かしらの学びを得れば、人間よりも上の生物になれる。

そして、それは、完全体に近づいていく。

そういう進化論的世界観です。

この仏教的世界観と、その他全ての宗教世界観は、どちらが正しいのでしょうか?

※あの世が無いという無神論的世界観は別にして。

最低限、前世、現世、来世の三世界があることは、宗教には共通しています。

一神教は輪廻転生を否定していますが、それでも、来世は肯定しているのです。

では、なぜこの三世界、輪廻転生が存在しているのか?

仏教では、この存在論には答えられません。

無知と執着で、生存ループが存在していると説きますが、では、なぜ存在そのものがあるのか?という問いには、無回答です。

有名な毒矢の例えの通り、そういうブラックボックスの解明はどうでもよくて、今、輪廻転生で苦しんでいる衆生を助けるのが先だという論法です。

もちろん、衆生は、無限にいるので、実質的に、永久に解答しないよと言っているのと同じです。

仏教以外の他宗教では、絶対神を想定します。

全宇宙を作った絶対神です。

つまり、全宇宙、全世界には、絶対神が作ったので、創造者の神の目的性があるわけです。

ちなみに、じゃあその絶対神は誰が作ったの?という問題には、華麗にスルーします。

全宇宙を作った絶対神がいるという大前提から話をスタートするので、答えられないわけです。

これは、仏教の無記と同じです。

輪廻転生があって、そこから解脱する方法を説いた釈迦は、世界がなぜ存在するのか?輪廻転生システムは誰が創ったのか?
という、問題には、答えませんでした。

それと同じです。

最終的な存在論には、どこの宗教も答えてくれません。

実際に、この問いは、人間には判断不可能です。

その理由は、~ですよ。
という、答えがあったとしても、その~は誰が創ったの?何で存在を発生したの?
という、問題は、延々と、無限に続く問いだからです。

人類が続く限り、永遠に不明でしょう。



そして無へ


結局、なぜか存在している世界そのものに対して、絶対神の有無で、世界そのものに対して、対応法が違うということです。

神を含めた絶対性を承認しない仏教は、世界そのものからのエスケープが正解と認識しています。

逆に、絶対神の存在を承認している他宗教は、世界という創造者が創った世界に対して、存在意義があると認識し、何か神に近づくための場だと考えます。

ただし、世界そのものへの評価は、仏教でも他宗教でも、苦の世界というのは、共通しています。

仏教ですら、現世は、他の六道の世界と違って、唯一、解脱の修行が出来る世界という評価を与えているのです。

※他の世界はキツかったり楽すぎたりして、修行に向かないため。

他宗教でも、神の世界や進化のための修行場という認識が大半です。


この現世がろくでもない場という認識は共通しています。


ただし、この輪廻のゴールについては、やはり差異があります。

仏教は消滅がゴールで、他宗教は絶対神になることがゴールです。

仏教から見たら、他宗教は、所詮、ぐるぐる廻る輪廻に執着している存在です。

死後、神になっても、また輪廻に戻ってくるのですから、ラットレースに過ぎないという認識です。

一神教の創造神に当たるのは、梵天ですが、梵天にすら寿命はあります。

宇宙の創造神レベルで力があっても、何億、何兆年(どころではない時間)後には、死ぬという認識です。

逆に、仏教で言う輪廻からの解脱は、他宗教では、負け犬の離脱です。

神になるために生きているという栄誉を与えられているにも関わらず、生存カードを放棄しているという解釈です。

それどころか、怠惰な者や悪人への罰として、生まれ変われないように魂の消滅という観念があるくらいです。

もっとハードな世界観の解釈だと、大半の人間は生まれ変わることが出来ず、ごく少数の人間だけが、天界に行けるという死後世界の話もあります。

要するに、存在するということに意義を与えるか否かです。

仏教だと、存在することは苦だと、価値を与えないので、生まれ変われないことがご褒美ですが、他宗教は違うということです。

ここらへんは、やはり、洋の東西の宗教観、絶対神の有無の違いでしょう。

地球の思想は、この2つに分類されるのです。

2017年11月18日土曜日

【陰隲録】功過格表166 任◯堂(六道輪廻)には勝てなかったよ・・・ 十善 いい人を紹介しよう㊸











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功格五十条(善行のプラス50項目)

・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

十善に相当する行為
◯一有徳人を薦引す



平等


今まで、人生の困難に対して、色々と説を紹介してきたわけです。

これらの説は、対策であると共に、世界のシステムそのもの、世界の構造の解明そのものとイコールです。

早い話が、人間や世界の目的論、存在意義です。

我々は、どこから来て、どこへ往くのか?
我々は、そもそも何者なのか?

この問いに関して、一番デフォルトの、
特に意味は無いよ。ただの哺乳類だよ。
という、人間機械論(たぶん真理)から、全ては、始まるわけです。

近代は、宗教から、政治や経済や科学が分離された時点で、スタートを切りました。

人間の存在に関しても、神と宇宙と人間の関係性が切断されたわけです。

人間は猿から進化し、地球は太陽の回りを動き、人間の無意識は性衝動によって構築されるようになりました。

そして、遺伝科学や脳科学は、今や、神の視点と技にすらも近づき、AI(人工知能)によって、リアルな神を創造しつつあります。

陰徳の基本理論の、インド人が考案した因果応報の理論は、こうした近代以前の、神と宇宙が分離していない世界観の産物です。

倫理によって、人間の運命が決定するという話は、世界のシステムが、善悪という人間の基準によって動いているというドグマです。

科学的に見れば、一生物である人間如きが決めた倫理(法)で、世界が動いているというのは、滑稽でしかありません。
まさしく天動説と言えます。

しかし、いくら科学が進んでも、個人レベルの吉凶禍福は、救済の対象には、漏れるものです。

この21世紀ですら、我々人間は、数千年前と同じ悩みをぼやいています。

やれ金が無いだの、身体が痛いだの、女に縁が無いだの、数千年間、世界中で人間は同じことをぼやいてきたのです。
そして、それは全く解決されていません。


運命という科学の対象範囲外の存在に対して、人間が操作可能である(と信じたいという人間の願望)ならば、人間は、それを手にします。

こうした因果応報理論は、あくまで世界の目的ではなく、法則です。

良いことをすれば良いことがあり、悪いことをすれば悪いことがある。

しかし、これだけでは、世界が動いている法則としては役に立ちますが、目的性がありません。

何のために、世界が存在しているかということは、説明はしていないのです。



実は、基本的には、インド系の哲学思想を受け継いだ仏教では、世界の目的自体は、どうでもいいという認識なのです。

釈迦は、世界についての話は、無記(無回答)という態度で、不可知論をとりました。

それは、こういう問題は、不可知であると同時に、釈迦のスタンスとしては、どうでも良かったからです。

どんな目的性があろうとも、彼のポリシーは、四法印、つまり、

諸行無常
諸法無我
一切皆苦
涅槃寂静

のネガティブ四法則だったからです。

世界にどんな目的性があろうとも、結局、ろくでもない世界だから、もうエスケープしようぜというのが、仏教の眼目です。

だから、在家が執着する現世など、とっとと離れて、出家して修行して瞑想して悟りを開いて、輪廻から消滅しようぜという世捨て人の思想が、仏教です。

大乗仏教になって、多少は、現世肯定の思想が出てきますが、根底にこの発想があります。

何だかんだ言っても、世界そのものは、ろくでもないところだというのは、基本、どの宗派でも、一貫しています。

そのため、世間一般や、通常の人生の吉凶禍福や、国家や文明の栄枯盛衰など、どうでも良いという、姿勢がメインです。

時代が古代だろうと、中世だろうと、近代だろうと、関係ありません。

みんなそろって、平等に価値が無いのです。




倒し方



このようなネガティブ教義のため、仏教では、現世の吉凶禍福に対して、本来は、どうでも良いくらいの扱いです。

良く、仏教の特徴として慈悲を言っていますが、本音は、他人のことなどどうでもいいというのが、実情です。

釈迦当時ですら、在家に対しては、単なる聖者へのお布施というATMくらいの感覚です。

南方仏教(上座部)のパーリ語経典(国訳一切経で言う阿含経)の在家に向けた教えも、凄い適当です。

俺ら聖者に供養して寄付すれば、死後、いいところに転生できますよ。

くらいの適当レベルです。

あとは、せいぜい、在家の戒律くらいの説教です。

わかりやすく言えば、こんな感じです。


ある人が、新興宗教で成功した教団の面接を受けに行った時の話だ。
若い面接官は履歴書を見ながら
「ずっと、バラモン教を信仰してたんですねえ」
とさげすむように言った後、
「六道輪廻の倒し方、知らないでしょ? オレらはもう知ってますよ」
と言ったそうだ。


まあ、さすがに、バラモン教が巻き返してくると、在家の現世利益を重視せざるを得ないため、密教など作ってきました。

護摩を焚いたりとバラモン教をパクったりしてきたわけです。

しかし、在家に出来るものとしては、先のお布施とか戒律とか善行くらいしか実行出来ないわけです。

で、ぶっちゃけ言えば、これは結局、今、我々がやっている、因果応報を利用した、開運法である陰徳と同じなわけです。

要するにやってることは、21世紀と釈迦当時とでも、大して変わりません。

人間の問題と、解決法は、ずーっと進化していないのです。


※つまり、豊河の教えは、釈迦と同じなのです。
豊河は、釈迦ほど傲慢ではないため、別に皆さんからお布施は求めませんが、豊河の教えは、3000年に一度花が咲く優曇華の花の如く、相見えるのが貴重な教えなのです。(傲慢)
皆さんの前世の功徳によって、豊河の教えを受ける有り難い縁を頂いているのです。
このチャンスをお見逃しなく!(通販CM風)

で、陰徳自体は、いいことやればいいとこに行けるよ!(逆をやると地獄へ堕ちるよ!)とい話なのですが、ここには、目的論がありません。

ただ、単に、天国地獄へ行くという、功利主義な打算の産物です。

そもそも、六道輪廻理論は、輪廻というように、ぐるぐる回っているだけの代物です。

要するに、せっかく善功を積んで天国へ行っても、またぐるぐる輪廻の輪の中に戻ってしまうわけです。




 ルーレットか?


だから安楽への確実性が無いから、天国は永住の地ではない。
解脱して消滅しようぜ!
というのが、仏教の基本教義です。

輪廻の中、というか、生存そのものに対して、四法印の法則の、
諸行無常
諸法無我
一切皆苦
涅槃寂静
が適用されるからです。

生きているのは苦であるというのが、釈迦の提示したイデオロギーです。

手のひらを太陽にすかしてみて、真っ赤に流れる僕の血潮を確認しようがどうしようが、生きているから辛いのです。

しかし、こうした、六道と言うデスゲームからの一抜けた!論に対して、世界の思想としては、決して、主流ではありません。


限りなく透明に近いブルー


大体、宗教思想は、世界がろくでもないところというのは共通していますが、最終的なゴールが消滅かどうかは、意見が別れています。

ゴールが無という身も蓋も無い世界感は、やっぱり人気が無いらしく、ハッピーエンドを人は、好むのです。

※仏教も、大乗仏教になってくると、こういう傾向を好むようになってきますが。

で、目的性のある世界観は、個人的なライフハックに影響します。
世界が、ある一定の方向に向かってるという話なら、当然、個々の人間の我々も、その方向に向かっていけばいいわけです。

世界のシステムがある方向を向いているのに、逆走するのは、賢くありません。

兵法では、戦闘時に追い風や逆光があるかを重視します。
※ちなみに、一般の開運の方位学では進行方向に吉運がある方位を見ますが、戦時の方位学では後ろに吉運があるかどうかで見ます。運の追い風になるからです。


さらに言えば、人間の人生の障害や不幸なども、その目的に沿っていないから起こっているという、演繹法で類推できるわけです。

例えば、この世界を、青色を司る神が治めているとしましょう。
(何だその神・・・)

この世界の目的は青色です。

世界中を青色で満たすことが、世界の目的です。

となると、青色に反することは、世界の目的に沿いません。

あらゆる不幸や障害は、青色に反することが原因です。

赤色黄色などは以ての外。

要するに、何か、人生でうまくいかないことがあったら、まずは、青色に反していないか確認することが、ベストなライフハックになります。

服を青色にし、部屋の小物や壁紙を青色にする。

人生で一番、良い時期は、青春で、事業の税金申請は青色申告。毎日の先祖供養のお香はもちろん青雲

あらゆる不幸や困難は、青色を採用していない、反対していることから始まります。

自分の人生で青色以外の別の色を使ってないか、チェックすれば解決します。



で、一体、豊河は、何を寝言を言っているのかと、思われるでしょうが、これは、以外に深い問題なのです。

世界の目的性が決まってるということは、これと大同小異です。

要するにその目的性がわかっていれば、その方向性に合わせれば人生上手くいくのです。

例えば、世界の目的性が、弱肉強食の生存競争の進化だとすれば、もうそのように生きれば上手く行きます。

世界の目的性が、愛だったら、愛に反することをやめればいいのです。

あらゆる人生の困難やイベントは、世界の目的性に反しているからこそ、発生しているのです。


盲目的意思


しかし、当然、このライフハックは、世界に目的性があるという前提の元、有効な手となります。

ぶっちゃけ、世界が機械論的に無意味に動いているという可能性もあるのです。
というか、それが、一番可能性が高いのです。

自然は意思がなくただ機械論的に存在しているだけ。
生物の意思は、遺伝子を残すことという目的はありますが。



まあ、仮に世界に目的性がなくても、世界には決まった法則があります。
科学法則がその一例です。

因果応報法則のように、手段として使えるものがあるのです。

これは、別な言い方をすれば、ブラックボックスです。

我々は、目の前にあるPCの仕組みをよく知りません。

電気やITに関係無い職業の人は、2進数すらよく理解していないでしょう。

しかし、仕組みを理解しなくても、機械やシステムは使えます。

ちなみに、一番仕組みを理解していないブラックボックスは人間です。

物理的な医学の世界ですら、まだ把握されていません。

科学が進んで、結構解明されてきましたが、逆に言えば、何百万年も人間は、自分の身体のことを理解しないで、ブラックボックスのまま、使ってきたのです。

さらには、世界のシステムだってそうです。

このブログのテーマの開運や陰徳だって、同じです。

どういう仕組で動いているのか、さっぱりブラックボックスです。

しかし、実際に使えるので、我々は、仕組みをさっぱり理解しないまま、使用しているのです。

次回は、世界の目的性に関わる、このブラックボックスの話をもうちょっと続けましょう。

2017年11月14日火曜日

【陰隲録】功過格表165 神は魚を正しくさばく 十善 いい人を紹介しよう㊷










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功格五十条(善行のプラス50項目)

・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

十善に相当する行為
◯一有徳人を薦引す



調整者


そもそも、何で神仏の強制修行の話をしているのかと言うと、人生の障害の対策の話からです。

もう、功過格の
◯一有徳人を薦引す
と一ミリたりとも関係無い話なのですが、まあ、豊河はてきとうに書いているので、気にしないでください。
※最低限の体裁すら投げ捨て。

で、因果律を利用して開運というのが、陰徳を利用したこのブログの開運方法です。

サブにパワスポ、つまり神仏の力を利用するという方式です。
あとは、術数ですね。

ところが、因果応報理論を考えると、不自然な点がある。

何か、人生や世界の目的論的な動きがあって、どうも人間を進化させるような動きがあるということは話しました。

神仏はそのお目付け役のような存在です。

道教の世界観では、死後の世界も地上の官僚機構が存続していて、冥々に陰律があるという世界観ですが、それに似ています。

これは、輪廻は苦しみの世界で、消滅することが目的のインド仏教系の世界観と対立する考えです。

良くも悪くも、世界は進化する方向という一神教の考えです。

究極の存在者が、いるか、いないかの話にも還元されます。

究極の全知全能の神に向かって進化するのか、無に向かうのが目的なのか。

東西の宗教性が良く出ています。

さて、以前、他人の悪口や見下しをすると、それに転生先(もしくは将来)が決まってしまい、自分が見下される立場になる、という話をしました。

これは、単純に言って、因果応報の理屈に合わない話で、悪口程度で、環境が決まってしまうのはおかしいと指摘しました。

これに対する考えは、次の感じです。

おそらく、悪口のカルマだけでなく、もっと過去世の他人を被害に合わせたカルマも、使われている。

こういうことでしょう。

何だかんだ言っても、最終的に帳尻合わせしてあるはずです。

で、その調整役というか、調整者が、恐らく、神仏(自分の潜在意識の可能性も)です。




兵法の奥義


早い話が、悪口を言った程度で、その環境になる理由は、要するに教育系なのです。

本来なら、悪口を言ったカルマは、悪口を言われるカルマです。
悪口を言われる環境になるのは、超過報復です。

しかし、まだ現実化していないカルマや、未来の前借りなどで、カルマをかき集めて、悪口を言われる環境を、教育目的で作り出しているのです。

例えば、他人にハゲと馬鹿にしたら、本来は、ハゲと言われるカルマ(別の実際に該当する悪口でも良いですが)が構築されます。

しかし、よくある因果話では、なぜか馬鹿にした方が、将来や未来世で、ハゲるのです。

つまり、何でこんな超過報復があるのかと言うと、理由は、他人を馬鹿にしてはいけないという教育目的です。

悪口雑言は、罪になるということです。

宗教系の戒律では、悪口系に関する戒律は、意外とあります。

功過格でも、悪口系の項目はありますので、いずれ記事になりますが、それだけ、悪口イコール情報というものの重要性があるのです。

現代人の我々は、情報というものの重要性を理解していますが、やはり宗教はそれなりのインテリが教義を作り出す業界なので、情報の重要性が理解されているということでしょう。

さて、現実の日本社会でも、ヘイトスピーチに関する法案が取って、反韓デモが弾圧されたりとしています。

差別は良くないのは当たり前ですが、しかし、現実問題として、悪に対する言論弾圧、報道の自由、言論の自由が、やはりアンチテーゼとして、存在しています。

単純にヘイトスピーチが悪いものだと言えないのです。

そもそも、言論戦に限らず、戦とつくもの全てにこれは関連します。

情報戦のようなソフトな世界から、実際に鉄火を交わるハードな戦まで様々です。

悪に対して、これらの、「戦はすること」は絶対悪なのか?


通常の宗教では、これに対する答えは、YESとなります。
どんな場合でも、戦(人殺し含めた悪行)は絶対悪です。

憲法9条が、宗教や神学論争と呼ばれるのは、ここに起因します。

基本、宗教では戦は絶対悪です。
悪に対してでも、正当防衛でも、絶対悪なのです。

イエスは、十字架に昇りましたし、釈迦は、出家して徴兵の義務(釈迦は王族なので将校レベルですが)から逃れています。

彼らがノリノリで戦争するイメージはありません。

ここらへんの、絶対悪と必要悪の相克は、宗教者の出家ならばともかく、在家で生活する我々にとって、悩みどころです。

明らかに、必要悪の場合に対処出来ないからです。

ほんとは絶対悪なんだけど、しょうがないよね・・・。
でも、なるべく敵の被害が出ないようにしよう・・・。

このくらいの感覚が落としどころとなります。
まあ、なるべく勉強して、頭が良くなれば、敵に被害が及ばないように出来るというのが、せいぜいです。

実は、本来、古来の兵法というのは、こういう発想の元でしか使えません。

例えば、兵法の金字塔に孫子があります。

普通に書店に売られているし、全文も普通にネット上にある代物ですので、孫子を、知らない日本人はいないと思います。

この孫子が、なぜ時代を超えて、兵法の頂点に位置しているかと言うと、簡単です。

読んだことのある人は、わかりますが、初っ端から、建前論が書いてあります。

戦争は国家の存亡を左右するから、ちゃんと事前にするかしないか検討しろ。
戦争は国家予算がかかり民に負担がかかるから、よくよく考えろとか。
被害を拡大するのを抑えるため、早めに終結させろ云々・・・。

この、部分で、
人殺しの軍事本の癖に、建前がめんどくせえ・・・。
と、思う人は、実は、そこでアウトなのです。

実は、兵法ではここが一番大事。

この部分の建前の部分が、わかってないと、本当に兵法は使えません。

もちろん、戦争大好きなどと、ミレニアムの少佐みたいなことを言ってると、社会上ツッコミを食らうので、しょうがないから、建前を言っておくということでもありません。






孫子には、下記の箇所があります。
謀攻篇の一節で、

孫子曰く、凡そ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ。
軍を全うするを上と為し、軍を破るは之に次ぐ。旅を全うするを上と為し、旅を破るは之に次ぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之に次ぐ。
是の故に、百戦百勝は、善の善なる者に非るなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。

意訳
「城攻めとか平原の戦いとか直接決戦は、三流の下の下の兵法。
外交戦とか謀略戦とか情報戦とかが、一流の兵法者。」

意味はそのままで、本来の兵を用いての、ドンパチは、下策だと言っています。

むしろ、宮中の謀略戦のような、陰険な戦争の方が、上流だと言っているのです。

日本人の感覚からすると、こういう争いのどこが上策なのか?
と首を傾げます。

中共などは、これを、正確に受け継いでいますので、ウソを呼吸を吐くように使って、ガンガン宣伝戦や騙し合いをやっています。

日本がこういう戦争形式が弱いというのは今更な話です。

孫子は騙し合いの書(兵は詭道なりと言明していますし)であり、日本人には合わないと言う人すらいます。
それどころか、こんなことをやっているから、中国は戦争に弱いのだと言う説すらあるくらいです。

なぜ、こんな書が、兵法書の頂点なのか?

答えは繰り返しになりますが、これが、実は、絶対悪と必要悪の矛盾に対する、一つの解答なのです。

つまり、

実際に戦争が起きて、人が大勢死んで、家や畑が焼かれて、税金も重くなり、国家が崩壊してさらにグダグタになって大勢被害が出るという、ろくでもない状況よりは、騙して勝つほうがマシだからです。

どうしても戦争までやるにしても、光の速さでサクッと勝ってサクッと終わらせて、ダラダラやらないということなのです。

先の大戦では、我が国は、大陸の沼地に足を取られて、ダラダラ戦争を続けた挙句、アメリカと二正面作戦を食らって滅びました。

そして、その戦勝国のアメリカでさえ、ベトナムやテロ戦争でダラダラ戦争を続けて、敗退疲弊してしまいました。

要するに、戦争は、もともと、国家政策でダメダメな代物ですので、出来るならやらない。
やるなら、さくっと神速で勝利する。

これが、天意なのです。

少なくとも慈悲を本旨とする神仏のみ心に叶うのは、こういう心がけというか志なのです。

だからこそ、孫子は、兵法書の頂点に立っているのです。

日本の神仏の軍神に毘沙門天がいますが、毘沙門天を信仰していた人物は、聖徳太子や源義経、楠木正成や上杉謙信です。

彼らは、政治的には、最終的に負けたりしていますが、生きている間は、ほぼ神がかりで連戦連勝した、兵法の怪物です。

何より、その清い精神は、後世評価されています。
※義経は、微妙ですが。

これは、毘沙門天という軍神が、神仏だからです。
仁義を貫いた人間に力を貸すのです。
彼らは、およそ義人で、やらんでもいい人助けの戦争をやったりしています。

だからこそ、軍神の加護を得て、戦争に連戦連勝だったのです。

つまり、兵法を最大限に使うには、軍神の加護を得るには、孫子の兵法の精神である、民の苦しみをなくすという天意にかなった志が必要なのです。

そういう人間でないと、兵法や軍神は使えないのです。

これは、マクロの戦争だけでなく、個人の戦でも同じです。
仕事や学校や家庭で、卑劣な謀略を使ってくるのはすでに戦ですが、それに勝つには兵法を使うにあたり上記のような志がいるのです。

私も、甲州流などの中世の兵法を知っており、色々と、術数的な知識は習っています。

しかし、甲州流にせよ何にせよ、なぜか、宗教的な行が入ってくるのです。

元々、術数が通常の兵法と違って、遁甲や気学などの占い的なものですが、宗教行は、単に中世の迷信的な名残かと初めは思っていました。

が、実際は、宗教的な慈悲があって、初めて、兵法が運用出来るのです。

遁甲や術数などの兵法は、要素が、十干十二支の干支や九星や宿曜などです。
(実際は違いますがあえて有名な要素を出しています)

これらは、要するに天文が元です。
太陽や惑星や星々や季節等々の天の要素です。

天の要素は、天地人の天の時や、天運、天命と同義語です。
もし、天を使おうと思ったら、天意から離れて使えるわけはありません。

もっと言えば、天を支配する天人たちの意思、神仏の慈悲が無ければ、使ってはいけないのです。

戦争と慈悲というおよそ矛盾する物を持っていなければ、天の技術たる要素は、使えないのです。


宗教でなくても、少なくとも、儒教などの表の倫理は身につけておかないと駄目だということです。
四書五経は、基本として、読んでいたのが、昔の時代でした。
最低限、そのくらいは、教養で必須だったのです。



神殺し


長々と兵法の話に脱線していますが、何を言いたいかと言うと、悪口に関しても、慈悲がなければ、いけないということです。

愛のムチは、愛がなければ、ただのムチなのです。

例えば、ヘイトスピーチにしても、実際に、隣国の悪と自国の被害があって、それに対する正当な対応、慈悲の元にあれば、良いのです。

それこそ、孫子を含めた兵法や軍事は、相手に勝つためにあります。

正義の戦争でしたら、兵法と神仏の加護で、勝つことは容易なのです。



・・・・・・。


と、言うのが、実は、宗教的な、というより、大乗的な、絶対悪、必要悪の建前論です。

本来、宗教は、現世から離れる物です。
イエスにしろ釈迦にしろ、彼らは、およそ生産性ゼロのニート乞食野郎共です。

イエスが本来の生業の大工仕事や、釈迦が公務をした伝記はありません。

要するに、やつらは、働いていないのです。

そのため、他人にヘイトスピーチするとか、兵法をつかって戦うとか無縁の人生なのです。
※ヘイトスピーチは結構言っていますが・・・。

しかし、そうは言っても、在家の我々は、なんとかして、整合性をツケなくてはいけません。

ヘイトスピーチしたり、戦争したりする理論的バックボーンが必要なのです。

そこで、上記のような理屈が必要になるのです。


が、所詮は、必要悪のレベルです。


自分が大丈夫かと思っても、陰徳ポイントがどうなっているかわかったものではありません。

自分が死後、地獄に堕ちる覚悟が無いと、未知数過ぎて、使えません。

そもそも、上記したように、悪口を言うと、悪口が返ってくるだけでなく、悪口を言った対象の環境になります。

未来か、来世かの時間のスパンはともかく、カルマとして因果してしまうのです。

例えば、豊河は、多神教なので、一神教(ユダヤ・キリスト教)というカルト宗教死ねと、ヘイトスピーチを常に言っています。
日本人なので、韓国死ねと、ヘイトスピーチを常に言っています。

※常には言っていないような気がしますが。

別に、間違ったことを言っているわけではなく、どう見ても正義なのですが、問題は慈悲の有無です。

有ったとしても、どれだけ控除されるか、陰徳ポイント的にわかったものではありません。

人間には、結果状況で、カルマを判断するしかないので、自分の行為(カルマ)が、良いか悪いか判断出来ないのです。

まあ、豊河は正義と慈悲で言っているので、まったく恐れてはいません。
孟子も自分の正義のためだったら、百万人と雖も我行かんと言っています。

神の罰を畏れるようでは、正義としては、三流なのです。
なぜ、正義のヘイトスピーチに対して、文句を言われる筋合いがあるのか?

もし神が罰を当てるようだったら、そのような、悪神は、世のため人のため成敗しなければいけません。

神なぞクソ食らえなのです。



で、具体的などのような罰があるかと言うと、今までの話ですと、悪口を言うと、理不尽にも悪口の対象になってしまうという、話でした。


つまり、豊河が言っているヘイトスピーチですと、


①一神教カルトへのヘイトスピーチ
→一神教カルトに生まれてしまう

②韓国へのヘイトスピーチ
→韓国人に生まれてしまう

③結果、来世は、韓国人の一神教カルトに生まれてしまう。



       !?









え?
は?
え?
(自分の出した論理的結論に脳がついていけない状態)



怖っ!






お・・おお・・・神よ・・・神よ・・・

偉大なる、天にまします慈悲深きお方よ・・・

我の罪を許し給え・・・!

この、極悪在住な、豊河の罪を許し給え・・・







俺(豊河)が全面的に悪かった!
悪気は無かった!
魔が刺してしまった!

もうヘイトスピーチはしません!
韓国人に生まれ変わるのだけは許してください!
(反省していない)







い、嫌だ・・・!
助けて・・・神様・・・!

壺とか売ったり、合同結婚式とか・・・
そんなことしたくない・・・!

あ、でも、今、気づいたけど、生まれ変わりの国籍が韓国人だから、日本人の集金奴隷階級と違って、特権階級かも知れない?実はそんなに悪くない?






 とうとう逆ギレする豊河





今日の豊河の説法のまとめ
「汝、ヘイトスピーチをやめるべし」
「差別をするなかれ」
「死後、裁きにあう(韓国人に生まれ変わる)」