2017年4月2日日曜日

【陰隲録】功過格表㊵ 同情するなら職をくれ 五十善 仕事を世話しよう①




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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)


なお、皆さんの記事の感想大募集です。
陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
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その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら




功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

五十善に相当する

一人の流離を救免す。




陰鬱な死体の話はもう終わりです。
今度こそ、さわやかな話題に移ります。
やれネクロフィリアだの腐乱死体だの骸骨だの・・・。

闇夜を切り払う一陣の春風の如く、颯爽と新ステージに移行です。


無職者の就職問題です。



※ダメだろ!(セルフツッコミ)




【職業選択】


人間は社会的動物です。

本人の、資質などに関係なく、置かれた社会的環境の中で、その人生の大部分の割合を左右されます。

生まれた場所を本人は選べません。
聡明な富裕な両親の元に生まれるか、スラムのトイレで生まれるかは先天的事項で、本人の努力範囲のレベルを超えています。

その後の逆転は、いかに本人の努力と言えども、変更は不可能です。

生まれによる教育やハンデは、その後の人生に大きな影響を及ぼします。
後天的な選択と思われている、職業選択や結婚すらその影響範囲です。


職業と結婚は生まれた家庭と同じく、人生に相当大きな影響を及ぼす、選択イベントです。
リアル人生ゲームはクソゲーなので、セーブ・ロード機能は搭載しておりません。
※運営者(神)は速やかに、対応し、快適なユーザビリティ性を向上させるように要求したい(クレーム客)。

本来なら、この二つのイベント前には、一旦、セーブしなければいけないほどです。
ドラクエ5の結婚イベントで、ビアンカとフローラ(と今はデボラ)とどちらかを選ぶかは、
21世紀の未だに識者の解決がされていませんが、それほど重要な選択肢なのです。

明治に入り、身分制度が終了し、職業選択の自由(アハハン♪)が徹底された今、就職の選択肢の重要性が正に問われています。
しかし、前述したように、この二つも生まれた家によって、大幅に選択肢が狭められているのです。

ごくまれに、貧困の出から出世したり、富裕の出から失脚する子供も出てきます。
しかし、全体の数から見れば、ごく僅かな差分に過ぎません。
大抵、生まれた家の経済レベルは代々維持されます。

生まれた家は、狭い意味での家に限りません。
済んでいる場所や国も同様です。

日本国内にいて、経済格差を呪っている日本人は、途上国の絶望の貧困を知らない幸福な生まれの者です。
結局、生まれた時の運、どこに生まれるかという運が、人生の大部分を決めてしまいます。
遺伝的要素も加味すれば、それこそ限りなくMAXに近いレベルです。

しかし、生まれと言っても、一度生まれてしまえばどうしようもありません。
後天的な策としては、経歴の偽造くらいは出来ますが、ハンデはどうしようもありません。
生まれた後は、まさに後の祭りです。

先天的な運を上げるには、前世や先祖の人為的な行為が必要になります。
陰徳を積んだり、風水や信仰を使うと、子孫に運の良い人間が出ます。
もしかしたら、先祖の当人の生まれ変わりかも知れませんが。

どちらにせよ、先天的な運は、生まれた後ではどうしようもないので、我々は、当然、後天的な開運を考える必要があります。
特に、陰徳は、自分だろうが子孫だろうが、効力を発するので、先天後天問わず実施するべきです。



【無知無能】


陰徳としてのこの条項は、意味としては簡単です。
人の就職の世話をする。
ただ、それだけです。

拡大解釈して、リストラされそうになっている人を助けたりとか、引きこもりのニートを救助したりなども含まれると思います。

この陰徳が50善ポイントとい、上から二番目の善行ランクにあるのは、やはり就職というのはそれほど重要な物だと言う事でしょう。

逆に言えば、人の就職を潰すというのは、それほど悪事であるということになります。
職が無ければ金が入らず、金が入らなければ人は死にます。

間接的に人間の命(100ポイントの善悪ポイント)に直結するため、この条項が善悪の高ポイントであるということです。

しかし、会社のためにリストラするとか、使えないやつを切るとか、異分子を排除するなどは、組織の中では必要なことです。
少数の犠牲が出来ずに、全体が潰れてしまえば元も子もありません。

ここに、生存の必要悪の問題が生じてきます。
もっと言えば弱肉強食の問題でもあります。

今まで、この問題がたびたび話題に出てきましたが、豊河としては、未だに百パーセントの解決策は出ていません。
生存のために他者を殺す、全体のために部分を殺すという、この矛盾に関しては、陰徳の観点としてはどうなのか?
難しいところです。

まあ、少なくとも、個人の私欲で相手の就職を潰したりすることは問題ということは確実ですし、有能で善良な人間の就職を世話するのは、陰徳になるというのも確実です。

我々は自分で認識した出来る範囲で行動すればよいかと思います。
というかそれしか出来ません。

所詮、全知全能ではない限られた部分情報しか持てない我々人類は、完全情報を持つ神にはなれないのです。
怪しくても見切り発車で動くしかありません。



【服を買いに行くための服がない】


ただし、紹介というのは、やはり紹介者の責任問題にもなります。
先方でトラブルを起こされると、紹介者として、どうしても責任がこちらに飛び火します。

ここらへんは、人を見る目と、やはり最後には運です。
紹介する対象がどういう人間かどうかは、短期的には判断がつきません。
しかし、長期調査で、フィルターを厚くすれば陰徳のチャンス?を逃してしまいます。


そもそも開運するための陰徳の成功自体が、運というのは、矛盾してます。
良く言われる戯言に、
引きこもりのニート様が、外出出来ないのは、外出用の服が無いからだ。
で、その服を買いにいけばよいのですが、服を買いに行く服が無い。
というのと同じです。

単純に、物事が成功するかは、徳の有る無しです。
(俗に言う失敗したときの、私の不徳ですという時と同じ意味)

だとすれば陰徳が成功するかどうかも、やはり徳の有る無しに左右されます。
徳を積もうという人間が、徳が無いから徳を積むのが成功しないというパラドックスは、永遠に堂々巡りです。




【ポア】



まあ、厳密に言えば、紹介にしろ、寄付などにせよ、それが成功するかどうかは、徳があるかどうかというよりも、妨害のカルマがあるかどうかの観点の方がよいかも知れません。

陰徳が成功するかどうかは、単に陰徳を妨害するような業があるかどうかということです。
(例えば、過去世で、陰徳を邪魔したとか)

徳分を減らすようなマイナスポイントの悪事は、たぶん同じ悪事でもさらに善悪のオプション追加があるのでしょう。

例えば、人を殺すのでも、善人を殺すのと悪人を殺すのでは、同じ行為でも違うカルマに計算されます。

人を殺したので、そのうち、自分も因果応報で殺されるのでしょうが、殺される状況が違うのではないかと言うことです。

つまり、前者は単に殺されるカルマとは別に、上記のように、陰徳や善行が失敗するようなカルマもつくのではないかと思われます。

後者も、当然、殺されるカルマですが、陰徳や善行が失敗するようなカルマにはなりません(たぶん)。

もしかすると、さらに一歩考えを進めると、次のような考えもありえます。
まず単純に、悪人を殺すことで、自分が悪人になった時に、殺されるカルマになります。

しかし、よくよく考えると、自分が悪人になった時に、殺されるのは運が良いのです。
(こういうとオウムのポアの論理で危険思想なのですが)

一番良いのは、改心して罪を償うことですが、殺されて、カルマを解消するというのも、それに準じます。
一番問題なのは、改心する機会も無く、のうのうと生き残ってしまうことです。



【聖者殺し】


一般に、あらゆる宗教が脅す、あの世の裁きの状況は、この世の裁きよりも圧倒的にキツいものが多いのです。
明らかに、倍返しどころではありません。
「やられたらやり返す、倍返しだ!!」の半沢直樹が仏に見えるレベルです。

単純に、宗教死後の脅し文句による洗脳かと思われますが、どうも人間以上(以下)の六道の生き物の寿命は半端ない可能性があります。

仮に死後は考えないとしても、因果応報は「利子」の概念が適用されている可能性もあり、善行悪行問わず、時間が経つ毎に複利で増えるという嫌な事実があります。

前々から、指摘していますが、どうも多くの実例を見ると、因果応報は金に似ています。
人間が開発した金の存在が因果応報によく似ているのです。

話を元に戻すと、単純に悪事をやるよりも、善人や善事を妨害する悪事は、罪がさらに加算されます。

これが何が問題かというと、因果応報で、自分が善事をする時に、妨害されるという因を産むからです。

善事、つまり陰徳を積まないと開運出来ないのに、その陰徳形成を妨害されるとしたら、開運としては完全に詰んでしまいます。

開運方法は、世にたくさんありますが、積善無しに開運するのは、相当難しいと私は見ています。

単純な悪行のカルマや善行不足だったら、陰徳で打ち消せます(相殺されない説もありますが)。
しかし、善悪の道徳を毀損する悪行があったら、陰徳が出来なかったり妨害されたりして、開運出来ません。

悪人の思い出話しによく有りますが、善事をやって酷い目にあったりして、それがトラウマになって、以後の人生で陰徳を積む習慣を形成出来なくなり、運命のまま一生を終えてしまいます。

皆さんが、陰徳を積もうと思ったら、普通の善行や悪行防止の他に、こういう観点も持ってください。
自分が他者に善事をするだけでなく、他者の善事を善念を助けて下さい。
少なくとも妨害してはいけません。

そうすれば、自分が陰徳を積みやすくなり、開運しやすくなるのです。

強いて言えば、このブログもその一端を担っています。

陰徳と言っても、基本、人間の悩み解決は、金か健康か闘争の3つです。
あえて付け加えば、暇つぶし解消(人生の夢)を付け加えた4つです。
(衣食住があっても、不平不満は起きます)

しかし、それらの4つ以外にも、道徳レベルを上げるという重要な項目があるのです。
それらは、衣食住が満ち足りた状態での贅沢と言う意見もありますが、結局、衣食住を因果応報で産むという意味では、一番重要です。





さて、また新項目に入ったのに、一回目からダラダラと話してます。
が、大丈夫です。
前回の死体シリーズと一緒で、やっぱりダラダラと話すことがいっぱいあります。
またダラダラと続きます。

こんな調子で、百項目終わるのか?
それは、まさに神のみぞ知る世界。
豊河を無理やり書かせる、見えない神仏(神仏なのか?)の啓示が無くなるその日まで・・・!
(単純に豊河が飽きてエターになるまで)




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