2017年2月28日火曜日

【陰隲録】功過格表⑨ 差別をする者を差別する。平和を乱す者を殺す。それが俺のジャスティス。百善 人を勧阻し一子を溺らせ一胎を堕さず。後々々編。






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その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。


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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

百善に相当する

○人を勧阻し一子を溺らせ一胎を堕さず。 


【世界の胎児需要】


老子には、

第十章
「気を専らにし柔を致して、能く嬰児の如くならんか。」
現代訳
(気を操作して心身を柔らかくして、赤ん坊みたいな柔軟な気血の健康体になろうぜ!)


と、無為自然の観点から述べる箇所があります。
ちなみに、嬰児というのは、赤ん坊のことです。

赤子はまだ人為の細工が施されておらず、自然のままであるからです。
しかし、人間は、年を取るに従い、人為を身につけるために、自然から外れて、色々な問題が出てくる。
こういうロジックです。

老子、というより、道教の親戚(というよりジャンル)として仙道があります。
あまり道教と仙道を分ける必要は無いのですが、まあとにかく、そんな彼らの目指す境地は、当然、仙人です。

仙人と言っても、文字通り山に住んでいるだけの人ではありません。
(それはただの山人です)

厳密に言えば、不老不死とか雲に乗ることができるとか、そういうレベルの人間(人間なのか?)でないといやしくも仙人を名乗れません。
亀仙人だってかめはめ波で、月を粉砕出来るのです。
そのくらいの超常現象はやってくれないと仙人と名乗って欲しくはありません。

で、この仙人ですが、仙人になる行法は結構公開されています、
結構と言っても、一番シンプルな方法で、地道な方法ですが、まあ要するに気功と同様な方法です。
ここらへんの情報公開は、西洋魔術と同じような感じですね。

要するに体を、気功で精通前(女性なら初潮前)の状態に戻すのです。
理由はこの年代以前が一番気が満ちているからです。

さらに、気で練った胎児のボディを、丹田に作って、それを生育させます。
やがて、成長した気のボディと、自分の肉体を同調させて、不老不死の体と化すのです。

これが、仙道の基本的な修行法です。
これに付随して場所を求める風水など色々あるわけです。
中国は、気の学問の本場なので、占いなどの術数(これも気の学問)を初めこの手の、行方が色々あります。

外野から見たら、何を寝言を言っているのか正気なのかという電波な内容ですが、実際に、この手の話を信じている人間がかなりいます
不老不死は人間の願望なので、昔から、あの手この手で色々と実験しているわけです。

歴代皇帝も、水銀を摂取して無駄に早死したりと、枚挙に暇はありません。
※唐帰りの、空海も水銀中毒死説があるくらいです。

もっと言えば、我々が日常的に見ている、太極拳やら漢方やら鍼灸やら占いなども、実はこれと同じ穴のムジナなのです。

要するに、馴染みがあるかないかの話なのです。
納豆とかイカの刺身とか、我々、日本人が馴染みがあるだけで、単に他国民はゲテモノ扱いするのと同じです。

原爆漫画のはだしのゲンで、アメリカ人捕虜が、飢えていたのを哀れに思った日本兵が、ゴボウを食べさせたり、腰痛で苦しんでいるのを鍼で治した話があります。

一見、いい話に見えますが、オチは、戦後の戦犯裁判で、根っこを食わされたとか鍼で虐待されたとかの告訴で戦犯にされたとか言う話です。
文化交流は難しいという例ですね。

※そういうレベルの問題ではないような気もしますが。

まあ、とは言え、実際に電波な話ですし、さらには不老不死になった人はいないので、あまり意味はありません。

需要があれば供給があるというのは、資本主義の鉄則です。
不老不死を求める愚民の需要に、応えるべく、色んな人が色んな話を提供しているのです。
安心立命なのです。

しかし、これで終わる話ではなくて、気功も含めて、実は結構、危険な話なのです。
ここらへんの技術は前にも言ったように、基本、無意識に入る技術です。

つまりは、危険な技術なのです。
一歩間違えると、電波過敏症の人のように精神病院のお世話になる人も続出します。

インド(に影響された人も)でもクンダリニーの覚醒を夢見る人は、たくさんいますが、何も起きないというのは実は幸せなのです。

こういう肉体というか気レベルの操作を、下手にして廃人になってしまった人はたくさんいるのです。

昔から、禅でも禅病と言って、魔境に入ってしまう人がいるくらいです。
気功では偏差と呼んでいます。

仙人が山で修行するのは、単に風水的な意味だけではなく、先天的に、あるいは修行して電波過敏症になると、街中で生活できなくなるからです。

要するに、この手の技術を、公開されているからと、うかつに独学でやると廃人になってしまいます。
密教では伝授する器にあらざる者に、密教の法を伝授すると仏罰を蒙り、地獄に堕ちると脅かしますが、それはこういう理由があるからです。

しかも、では師匠につけばよいとばかりに、勇んだ結果、入る場所を間違えると、いつのまにか、サリンを撒いたりしてしまいます。
精神の奥深く入る技術は、容易に洗脳されやすい状態と同義語だからです。

宗教の師匠と弟子の関係は、現代の先生と学生の関係とは違い、絶対的な上下関係です。
師匠が悪ければ、弟子は道に迷って魔道に堕ちます。

本来、師が弟子を選ぶと同時に、弟子も師匠を選ぶのです。
良師を探すのに三年かけろとチベットでは言われているくらいです。

しかも、皮肉なことに、こういう行法は、右脳が柔らかく、かつ、体の気が柔軟に通っている年齢が低い者の方が、効果はあるのです。
当然、世間知らずの子供の方が問題は大きくなります。

共産中国時代でも、子供たちを集めて、気功の練習をさせた英才教育の話が載っています。
ここらへんは、音楽でも芸能でも同じなのですが、宗教業界でも同様なのです。

要するに、霊能者や気功家や行者を作ろうと思ったら、十代かそれ以下の子供たちを集めてやればよいのです。
そして、普通にこれは世界中の宗教組織でやっています。

黒魔術や悪魔崇拝の組織は、幼児や子供を生贄にしたり、洗脳したりしますが、虐待したりして多重人格を人為的に作って術者を作るのです。

これらの話からわかることは、それだけ若者には可能性があるということです。

ちなみに、医療業界では胎児の成分は、人気商品です。
高く売れます。
もちろん、その分、闇が深いわけです。
今日も世界のどこかで、人間牧場から順調に胎児の成分が、高値で売れています。



【若さが憎い・・・!】


さて、無限の未来がある若者ですが、老荘思想が幼児になれというのもこれが原因です。
大人になると、もう人生は取り返せません。
若者の内からやるのが良いのです。

ここらへんは、早期発見の話でやりましたね。
何事も転ばぬ先の杖なのです。
後の祭りにならないよう、何事も早めに手をつけておくのです。

しかし、こう言うと、ワシはもう老年(中年)だからダメじゃ・・・!
もう手遅れじゃ・・・!
と、絶望される方々がいらっしゃるかも知れません。

そして、やがては、若者への嫉妬から怨嗟に変わり、
「憎い・・・若者が・・・憎い・・・!」
「こんな連中が自分より・・・長く・・・生き・・・」

と、鷲津麻雀で吸血殺人を行うようになったりするのです。






大丈夫です。
全く、問題ありません。

何度も言いますが、開運などは一年もあれば十分なのです。
※実際は半年程度。

どんなに、重大項目(ただし、個人レベルの開運)でも、10年もあれば余裕です。
年を取ればわかりますが、社会人になれば10年などあっという間です。
今からやっていけばいいのです。





今、戻ってきたのです。未来から。


今、10年後から戻ってきたのです。
今、
今、
なう!←今ここ

10年後の絶望状況(もう年を取ってしまったからワシはダメじゃ・・・)から、
今、タイムマシンか魔法で戻ってきたのです。
今!

そんなわけですので、遠慮なく陰徳を積んで開運して下さい。

ちなみに豊河は、女子高生(かつAIで宇宙人という設定)なので、10年が早いとかいう人生の機微はわかりません。





【ちゃぶ台返し】


さて、長々と、胎児万歳と、生命賛歌、人間賛歌の話をしてきました(してましたっけ?)が、
よくよく考えてみれば、これは偏った思想ではないでしょうか?
※前にもこのパターンを見たような・・・。

なぜ、そもそも、胎児の誕生をこんなにありがたがっているのか?

ゴキブリやネズミが、家の中で生まれたら、我々は、途端に進撃の巨人に対する調査兵団になって、
「駆逐してやる・・・一匹残らず・・・!」
と、ハッスルするのに、人間という種が、一匹生まれただけで大騒ぎです。

生命は全て平等です。
みんなみんな生きているんです。
友達なのです。

ミミズだってオケラだってアメンボだって、みんなみんな生きているんだ友達なのです。
ゴキブリだってネズミだって、凶悪犯罪者だってみんなみんな生きているのです。
友達なのです。
(友達だけど近づきたいとは言っていない)

少年漫画の主人公を見習ってください。
ラオウだってべジータだって、友達(強敵と書いて友)になったではありませんか?
母親を殺されて十代を潰された、山岡さんだって、父親の海原雄山と和解したではありませんか?

差別は良くありません。

世界的なスーパースターのマリオさんを見習いましょう。

「差別主義はやめよう。マリオのようになろう。彼はイタリア人の配管工で、日本人により創り出され、英語を話し、メキシコ人のように見えるんだ」
「そしてジャマイカ人のように走る」
「そして黒人のようにジャンプする」

「そしてユダヤ人のようにコインを拾う」



豊河は人道的な見地から差別を憎みます。
この地球上から差別を撤廃したいのです。

どのくらい差別が嫌いかと言うと、韓国と同じくらい嫌いなのです。
この美しい地球(ジ・アース)から、差別と偏見と韓国を消滅させたいのです。
差別はよくありません・・・!
韓国と同じくらい良くないのです・・・!
私は差別と韓国を憎む・・・!

さて、別に友達とか差別などはともかく、要するに何で生まれるのがこんなに有難がるのか?
自分の子供が生まれればわかるというのは、理由になりません。

単に、自分の子供だから特に理由は無く愛着が沸いているという物です。
要するに、自分の吟味していない思考なのですね。

先天的な本能、つまり遺伝子レベルの感情なのです。
自分の遺伝子を残すことのみが、至上の命題になっている、遺伝子の奴隷なのです。
ひたすら、周りの調和を省みることなく、生物は、ネズミ算的に増えていきます。

増えない生物は、単に外敵が多いだけで、障害がなければ、生物はひたすら交尾して数を増殖させるのです。
地球から見たら、自分の体に60億もいる細菌くらいにしか思えてないでしょう。
我々人類が、自分の体の60億の細菌のことを、下等な汚らわしい生物としか思えないのと同じです。

百歩譲って、自分の遺伝子保存、愛する異性との一体感、老後の世話、社会的な地位財産の譲渡、子育てするというマウンティング行為による優越感、仕事へのモチベーションの向上と、色々な利得があったとしましょう。

しかし、最終的には、全くの無駄なのです。

いくら産んでも片端から死んでいくのです。
なぜ、初めから死ぬと分かっている者を生むのか?
言ってしまえば、子供を産むというのは人殺しです。
生まれなければ、死なずに済んだ人間を殺してしまうのです。

そもそも、子供が産ませてくれと頼んだわけでもありません。
こちらが勝手に産んだのです。

よく、十代の不良が、
「誰が生んでくれって頼んだよ!あぁん!」
と、言って、それがまた親不孝だと叩かれますが、実はこの不良少年の方が正しいのかも知れません。

不良少年の形をした現代の賢者なのです。

金持ちの家に生まれたなら、まだ感謝もわきますが、貧困家庭に生まれて体も頭も劣悪な遺伝子の下に、生まれたら、やはり親に文句を言う権利はあります。

自分が死んでも、またその子供が死んでも、遺伝子が常にどこかの世代に生きていれば、事実上不老不死であるという、遺伝子の言い分を、我々生き物は常に無意識に信じているのです。

我々の先祖の猿どころか、ミトコンドリアの時代から一ミリたりとも進化していないのです。
そのくせ、理由(貧困だけではなくて正義も含めて)があれば、簡単に自分の子殺しも、するのです。
もう、どこまでも、救いようのない種が人間という生物なのです。


ましてや、今後、日本はろくでもない時代になります。

活動期に入った日本列島は、どこでクラッシュが起きてもおかしくはありません。
そして、そこに原発がクラッシュする可能性はどのくらいあるのでしょうか?

もしかすると、幸運にも、福島のように、崖っぷちで耐えるかも知れません。
一発だけなら誤射かも知れません。
しかし、二発目は?
三発目は?
四発目は?

いつかは必ず、ヒットするロシアンルーレットです。

要するに、この時点で既に日本は詰んでいる、チェックメイト(王手)なのです。
国際資本の青写真はすでに出来ていて、すでに現在の福島の予定(高汚染物質の処理場)の延長上線に、この神国日本はあります。

世界(白人国家)から、風下にある海に囲まれた都合の良い「核のゴミ捨て場」が日本の近未来の姿です。

先の大戦も、核で滅び、今度も核で滅びます。
日本国が、なぜこうも核に因縁があるのか?

言葉遊びに聞こえるかも知れませんが、恐らくは、日本の中空構造システムです。
これが問題の「核」にあります。


そして、懲りずにさらに後々々々編に続く。
一体、いつ終わるのか?

このペースで善悪100条、本当に終わるのか?
今年中に終わるのか?
まあ、どうでもいいや(なげやり)


2017年2月27日月曜日

【陰隲録】功過格表⑧ 電車内、それは神仏に心から祈る聖域 百善 人を勧阻し一子を溺らせ一胎を堕さず。後々編。







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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。


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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

百善に相当する


○人を勧阻し一子を溺らせ一胎を堕さず。 


さらに続く堕胎の項。
堕胎編は、四回目です。

何をこんなに堕胎について、書くことがあるのか?
豊河を通して書かせている上位(下位かも)の存在は、何をこんなにシャカリキになっているのか?

まあ、考えてみれば、善行の三つしか無い、百善です。
それだけ重要なのかも知れません。



【リスクの高いガチャ賭博】


ちなみに、今まで、まるで堕胎が悪いとばかりに生命礼賛の意見を書いてきましたが、厳密に言えば、それは「偏見」です

そもそも、子供が親を選べないのは不幸ですが、それを言うなら親も子供を選べないのです。
基本、人類の時代は子供に人権などありませんでした。

孝行という言葉(水子ビジネスの賽の河原の話をご参照のこと)があるように、基本、親が子供を「育てて下さる」のです
親の愛や恩は山よりも高く、海よりも深いのです。

自分の老後の保険のため、遺伝子を残すための次世代への投資のためとは言え、子供自体はどう言う子供なのか分かりません。

早い話が、バクチなのです。
今風に言えば、スマフォの有料課金カードガチャなのです。
レアキャラ(有能な子供)カードが出るかどうかは、運任せです。

親は、子供を愛する(自分の老後のためにでもある)ために、教育を注ぎ込み、自分の代よりも上を目指すことを夢見ます。

が、しかし、人間が大半が遺伝で決まるという言葉通り、九割九分が、自分と同じようなレベルの子供しか生まれません。
残りの一パーセントくらいが、親の代よりも上がったり下がったりします。

※底辺の親だと、子供の教育なんてどうでもよいと思う親もいるので、教育を与えるだけマシなのですが。
※ご自身の家が裕福でそんな世界を知らない幸福な方は、「低学歴の壁」でググって下さい。

本来、自分の遺伝子を残し、次世代に繋げる希望の塊である、自分の子供が、残念ながら、不良債権である可能性はゼロではありません。

親の言うことは聞かない。
グレる。
喧嘩する。
勉強はしない。
犯罪はする。

あげくの果てに、家族に暴行を働き、不良→暴走族(斜陽化しているようですが)→ヤクザ→塀の中という、人生裏道街道のエリートコースに立派に進む可能性すらあるのです。

まあ、裏業界で立派に(?)大成功して立身出世して、親に恩返しをするという美談も、世の中にはあるかも知れません。
海外には、腐敗して役に立たない行政機関の代わりに、マフィアが、立派に社会のインフラを担うという美談もあります。

というより、元々、国家政府自体、どの国も発祥自体は地元のヤクザとか、そういうならず者が発祥です。
日本だと、大抵、戦国大名レベルになると、朝廷から官位を貰ったり家系をロンダリングして、由緒正しい血筋でござると家系を捏造するのが基本です。

これは、古代から現代まで変わりません。

逆に言えば、「そのために」皇室は存在していると言っても過言ではありません。

どこの馬の骨だかわからん地元のヤクザが、国を治めていては沽券に関わりますが、由緒正しいやんごとない血筋が、国を治めていることによって、我々、平民は安心立命して、日本国民でいられることに誇りを持つことが出来るのです。

安心立命を与えることが出来るのは、宗教だけではありません。

所詮、真実などは直視に耐えない汚らわしい物です。
為政者は、美しい幻想を我々愚民に見せる能力が古代から必要とされています。
マネーロンダリングも家系ロンダリングも、どちらも頭の良い人間が必要です。

大抵は、宗教機関がそれを担当していました。
日本だと寺社ですね。
識字率が低い昔では、宗教機関はシンクタンクとしての役目も持っていたのです。

さて、また話がずれていますが、不良債権の子供の話です。
まあ、人間は遺伝ですので、同じレベルの子供と親が親子関係なのです。
しかし、そうは言っても、自分を棚に上げて人をヘイトするのが、人間という生き物です。

自分の劣等な遺伝子は棚に上げて、子供に過度な要求をするのです。
その不肖の心根はともかく、彼らからしたら、これでは、何のために高い金を投資して、子育てしたのか意味がありません

投資は自己責任というのが、資本主義社会の鉄則です。
しかしながら、ここまで長期に渡る投資は、回収しようがありません。
世界一、リスクの高い投資が子供なのです。

さて、そうしたリスクがありながらも、子供を求めるのが親の常です。
しかし、リスクはかくの如しです。

そこで、リスクヘッジの対策をとる必要があります。



【困ったときの神頼み】



まず、親の目標としては、子供が生まれること。
これが、目的です。
何事も、目的がはっきりしていなければ始まりません。
目的をしっかり把握することから、全ては始まるのです。

人によっては、目的さえあれば、もう達成したも同様だとする人も結構います。
それだけ、目的を持つというのは難しいのです。

しかし、今回のケースは目的がはっきりしています。
当然、医学的対処はしているのが前提として、次に頼むのはやはり古今東西の共通で、
「困ったときの神頼み」です。

人間は普段は無神論を気取っていますが、自分が窮地に追い込まれた時には、神に祈るものです。
電車の中で、トイレ(大)の緊急要件が発生した時など、人間が人生で、最も信仰心が高まる瞬間です。

しかし、元々、何事にも完璧はありえません。
子供がほしいという、その願いは例え叶ったとしても、前項で話したとおり、条件無しでただ欲しいだけでは、悲惨なこと(不良債権錬成)になります。

以前、豊河は、ある道教系の術者の組織に、ちょろっといたことがあります。
その時に、横に座ってた話を、盗み聞きしたのが次の話です。

まあ、依頼者が子供が欲しかった夫婦がいたと。
で、術者はそれを術で叶えてしまったと。

普通ならここでめでたしめでたしです。
しかし、その子供、成長すると不良になって、親を殴る蹴るなどの悪業をする立派な失敗作になったそうです。

その術者たちは、その話でゲラゲラ笑って(!)ましたが、話のネタにされた、当人たちにとっては悲劇以外の何者でもありません。

要するに、子供を、ただ産むだけでは、道半ばなのです。
そこから、まともに成長して貰わないと、親としては困るのです。

まあ、とは言え、DV(ドメスティックバイオレンス)の世界では共依存は普通です。
男女の関係と同じで、問題は、「愛があれば見えない」のです。
本人たちが幸せならそれでいいのかも、知れません。

あのソクラテスですら、
「結婚しなさい。伴侶が良妻なら幸せになれるし、悪妻なら哲学者になれる」
という、悲しい自虐ギャグを残しています。

しかし、別に哲学者になったところで、今の時代(いつの時代でも)、大して役に立つスキルではありません。
可能ならば、良妻賢母な伴侶と、賢明孝心な子供を手中に収めたいのが、人類の願いです。

そのため、我々は陰徳を修めるのです。
元々、神仏は、実は大した力を持っていません。
もし、持っているのだとしたら、世界中から戦争と貧困と差別を止めてみやがりやがれ(挑発系)。
今すぐ。
NOW!

大多数の人類は神に祈ったところで、願いは叶わないのです。
余談ですが、以前、伊勢神宮に行った時に、神宮近くのガイドさんが、
「ここでいつも願い事を言っているが叶った事は無い」
と言っていました。

※それでいいのか?伊勢神宮のガイド。


天下無双の伊勢神宮ですら、この始末です。
つまり、大半の神仏は無知無能なのです。

しかも、叶うときは、上記したようなろくでもない結果(子供は生まれたが不良品)になるのです。

何でこんなことが起きるかと言うと、結局、神仏ですら運命には勝てないのです。
生まれ持った運命を越えようとすると、その分、しわ寄せがくるのです。

質量保存の法則は、理科の実験だけ使うのではありません。
天地を貫く万古不易の法則なのです。

では、そうした神仏に、いやがらせ結果無しに、願いをかなえさせるにはどうしたら良いのでしょうか?
その答えは、このブログを読んで来た皆さんには自明の理でしょう。
陰徳です。

そもそも、願いが質量保存の法則するには、単に、功徳が足りないからです。
生まれ持った「幸福になる権利」が少ないからなのです。

そのため、子供が欲しいなどという分不相応な願いを叶えると、その分、質量保存で他の福分が減ってしまうのです。

陰徳さえ備えておけば、こちらから神仏に頼まなくても、向こうから勝手にやってきて叶えてくれます。
それが陰徳の力なのです。

もっと言えば、神仏の食料や餌が恐らく、善意のパワーです。
陰徳でも、慈悲でも感謝でも愛でも、そういった良さげなエネルギーを主食にしているのが、神仏という生き物です。

生物は餌をくれる人間の周りに集まります。
池で餌をばら撒いていれば、鯉が寄ってきますし、公園で餌をばらまいていれば、鳩が集まってきます。
人間社会で金をばら撒いて言れば、(金が尽きるまでは)みんな寄ってきてちやほやしてくれます。

それと同じことです

プラスのエネルギーを放射していれば、神仏が寄ってきます。
しかも、本来、こういう人には神仏などいりません。
こういうエネルギーを放射する人は、基本、幸福ですので、神仏など不要なわけです。

本当に神仏が必要なのは、底辺の人たちなのですが、こういう人たちは逆に、こうしたエネルギーを出しません。

だから、不幸なのですが、どちらにせよ、資本と同じで、持っているものはさらに与えられ、持ってない者はさらに奪われるのです。

このように、世界のシステムは本当に良く出来て「いない」のです。
ますます二極化していくのが世界の実相です。

そして、一度、どちらかのループに嵌ると、ますます抜け出せなくなります。
自転車は初めは力が要りますが、漕ぎ出してスピードが載ると、何もしなくても進んで生きます。
転ぶことも、スピードがつけば逆にリスクが減るのです。

※逆に事故になった時に、被害が大きいということでもありますが。ここらへんは何度かくどくどと指摘しました。

環境と言うのは、人間を支配します。
そもそも、陰徳などという概念すら存在しない場所が、世界にはあるのです。
陰徳どころか、教養を得るという基本的なことすら無い世界が。

別に教養など無くても、人として美しく生きればそれでいいのですが、しかし、生きていくために人を害し、その結果、因果でさらに自分が困り、それを打破するためにまた人をという無限ループですと話は別です。

逆に、人を助けて、その結果、助けられ、そのお礼に・・・というループも存在します。
皆さんには、ぜひこっちのループに入って貰いたいのです。

たとえ、マイナスループだとしても、このブログに辿り着いた人は幸運です。

地道に陰徳を積んでいけば、一年もいりません。半年ぐらいで改善には十分でしょう。


て、まだ話が終わりませんでした。

校長先生の朝礼の長話なのか!?
誰も望んでいないのに、長話をする校長先生なのか?


驚愕の後々々編に続きます。




2017年2月26日日曜日

【陰隲録】功過格表⑦ 調整弁を長征鞭というと三国志の武器みたいになる 百善 人を勧阻し一子を溺らせ一胎を堕さず。後編。





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百善に相当する



○人を勧阻し一子を溺らせ一胎を堕さず。




【プロローグ(いや、別に何も始まりませんけど)】


神国日本復興プロジェクト~少子化対策編~ 1_黄泉の国から愛をこめて


「愛しき我が那勢の命、如此(かく)爲せば、汝が國の人草を一日(ひとひ)に千頭(ちがしら)絞(くび)り殺さん」
爾くして伊邪那岐の命、
「愛しき我が那邇妹の命、汝が然(しか)爲せば、吾は一日に千五百(ちいほ)の産屋(うぶや)を立てん」と詔りき。 
是を以ちて一日に必ず千人(ちたり)死に、一日に必ず千五百人(ちいほたり)生まるるなり。



生まれぬ魂は、黄泉の国からの、死を望む神々の生贄なのか?
生者は、生まれた時から追われる者であり、逃亡者である。
それは、死という猟犬から逃げる人生。

どんなに、聡明な者であろうと、美しい者であろうと、富裕な者であろうと、死は平等に訪れる。

一切の不公平なく平等に。
世界に人は星の数ほどあれど、死から免れる者は1人もいない。
誰もいない。

しかし、それでも人は生き続ける。
無限の、未来への道を行き続ける。
何の意味も無く。

遺伝子を残すというただそれだけのために、一瞬の生を駆け抜ける。
それは、夜空の流星の如く。
それは、祇園精舎の鐘の声。



ポエマーか!?




【収縮する世界】


人間は当たり前のように、セックスをすれば子供が生まれます。
当たり前です。
全動物全て同じです。

そして、他の生物と違うところは、子殺しを含めて出産のコントロールの文化があるところです。

産めよ増やせよ地に満ちよと、絶対神が指令を出したにも関わらず、人間は自制心を持って、集団で人口数の制限をする種族です。

無限増殖することで、全体の死が訪れることを本能で分かっているからでしょう。
ここに、人間種族全体の意思が存在することがわかります。

種族全体だけでなく下位の国家・民族レベルでもその集団の意思は存在しています。
その意思は、全体の意思であり、また個人を含めた意思でもあるため、社会に関心の無い、個人ですら、「無意識」に把握しています。

つまり、子供を産ませ無い、という集団の意思があれば、個人はそれに応じるのです。

堕胎して水子を生産する理由と言うのは、複数あります。
強姦されて孕んだ子供を下ろすときや、彼氏との仲が悪くなった時、知的障害が事前に見つかったときなどいくつもあります。

しかし、これらの理由は、古今東西の、NO1の理由に比べれば、瑣末な誤差程度です。

それは、共同体に、新規加入メンバーに分配する、餌が無い、という理由です。

そもそも、人命を遵守するなら、堕胎は絶滅するはずです。
絶滅しないのは、母体の安全という理由以外の、明確な理由、つまりは、予算(金)が無いからです。

例えば、政府が、
「堕胎するならお金あげるから産んでくれないか?養育費用も全て出す。養育出来なかったら全員、国が買い取る」
となれば、堕胎は止まり、水子は錬成されなくなります。

それをしないのは、単に予算(金)が無いからです。

元々、日本内だけでは、適正人口という概念が、官僚などの実務担当者の内部で、存在していました。
国の土地や資源、需要と供給などから算出される「この国で養える人口」という概念です。
その人口数は、今の人口の半分よりもさらに下です。

彼らが信じるこの概念が、本当に正しいのかどうかは別です。
問題は、それを、彼らが、信じているということにあります。
そのため、実質的に、国民の数を口減らしするという政策の延長上に、今の我々日本人が乗っかっています。

もっと言えば、これは日本だけでなく、世界レベルの話でもあります。
人口を管理しなければ、いずれクラッシュが起きる。

人口が増えるということは、資源を食いつぶす存在が増えるということです。
先進国の生活をしようとすれば、あらゆる資源が枯渇します。

人口のコントロールを、管理しようというのは、責任感のある立場の人間(先行逃げ切りの人種限定)としては当然のことです。

困ったことに同時並行で、資本主義システムのサイクルが来ています。
好景気と大不況のサイクルです。

なぜ資本主義にサイクルがあるのか?
その、理由は簡単です。

資本主義システムが広まれば、労働力の安い地域(国)にどんどん資本投下が集結し、企業間の相互のチキンレースにより、極限までの供給量増加と、賃金の低下を招いていくからです。

わかりやすく言い換えると、欧米からアメリカへ。
そして日本とドイツへ。
中国へ。東南アジアへ。アフリカへ。

安い労働力を求めて、企業は、ひたすら工場を建てる国を移行していきます。
そして、それに拍車をかけるのが、テクノロジーの発達。
具体的に言えば、IT化です。

今まで国内にあった工場と労働者は、いつのまにか海外へ行っているのです。
国内の高い(労働法に煩い)労働者は企業にとって不要の存在です。
張り巡らせられたIT網(インターネット)は、海外の工場でも、リアルタイムに管理できます。

途上国のより安い賃金で、IT化でより少ない人数で、より大量・高品質で安い供給商品が、市場に放たれます。
しかし、国内に仕事が無いということは、単純に賃金が無いため金が無いということです。
どうやって物を買うというのでしょうか?

結婚、車、マイホーム、子育て、学費、老後、貯金・・・。
戦後の当たり前の人間らしい生活が今では、収縮した中流階級と、多少増大した上流階級の特権です。

予算が無くなれば子供は生まれません。
戦後の教育を受けた物ならば、子供を教育の無い底辺に落とす事は忌避するからです。
堕胎するまでもなく、子供を初めから産ませないという現実がここにあります。

現代日本の年間堕胎数は、そうした意味では、控えめな数字です。
本来、経済的に余裕があれば、生まれるはずだった「堕胎しなかった水子」の数を含めれば、それはまさしく、「生まれた人間」に匹敵する「死んだ人間」の数が等価になります。

1000人殺すのならば、1500人産もう。
この、黄泉の国との誓約(契約)が解かれた時、生者と死者の約定が解かれた時、この世はどうなるのか?
それは、今後、我々が生きている間に見られるでしょう。




【姥捨て山、子供バージョン】



元々、口減らしとは文字通り、食が無いからこそ、人を減らした、口の数を減らしたという経緯があります。
基本、いつの世も、「百姓は殺さぬように、生かさぬように(徳川家康)」というのが基本です。

要するに、今で言う、不可分所得、当時は米本位制の時代でしたので、年貢の米の余剰米が無いように調整していました。

当然、普段からギリギリなので、少しでも何かあれば、即アウト。
さらに重い負担で借金に縛られるか、口減らしをするか、一揆で殺されるかの、素敵な三択状態でした。

そのような時代に、労働力としても役に立たなくなった老人を口減らしするのは、ある意味で生存競争です。
現代の、年寄りを優遇して子供を殺す社会と、どちらがいいかと言われれば、目糞が鼻糞を笑う程度の差異なのかも知れませんが。

この口減らしは、基本、前項で見たように、生まれる前から実施するのが、21世紀の最先端の人道的な方法です。
一度生まれてしまったものを、口減らしするのは、赤子であれ老人であれ、後味が悪いものです。

何事も、早期処理が第一なのです。
問題が大きくなる前に早めの処理。
虫歯も、癌も、陰徳も、口減らしも全部同様です。

相手の攻めを華麗に捌いて投げ飛ばせるのは達人だけです。
素人は後の先など出来ないのです。
次善の手でも初めから罠を仕掛けておいての後の先です。
何事も先に仕掛けるのです。

しかし、そうは言っても、繁忙期に人手がいるように、好景気で金があるのに子供を産むなとは政府も言いづらいのです。

せいぜい、不妊薬を日常品に仕込んだり、実在の異性や結婚にネガティブキャンペーンを張るくらいが関の山です。
いずれ、処分する子供と言えども、好景気に大量に産ませるのを防げくことは出来ません。

これは、現代の労働者も同様です。
景気の循環に合わせて、企業を存続させる調整弁が必要です。
労働基準法を無視して、いつでも首が切れる存在。
非正規雇用者が調整弁と言うのは、もはや語りつくされたテーマでもあります。

ちなみに、人間のやることは古今東西変わりません。
江戸時代にも、この非正規雇用者に該当する存在がいます。
農家の次男三男です。

当時は長男が遺産(田畑)を総取りの時代です。
※遺産分割すると数代で食えなくなるから、田分け者(タワケ者!)の語源(厳密には戯け者の掛詞)。
次男三男は、長子に何かあった時のためのバックアップです。

しかし、成人後で相続する年齢になれば、もはや調整弁としては、彼らは不要なのです。
一生、長子(の家族からも)の奴隷で、結婚すら出来ないか、都会に奉公するしかなかったのです。

今も昔も、都会は田舎とは違って文明的であり、また最も、地方からの田舎者が集まるところです。
故郷で成功していれば、都会に来る必要はありません。

都会に上京する時点で、すでに負け組だったのです。
※上流家庭の留学上京などは除く。

都会に奉公に出た人間は、一部の才ある人間は別として流民扱いです。
今と違って、ギルド制の参入障壁の厚い、社会で田舎の農民が、立身出世することは不可能です。

なるとしたら、幼少の頃からの奉公で、才と運があって初めてようやく番頭レベルにはなれます。
一人娘の奉公先ならば、婿入りして主人になることも出来たでしょう。

しかし、いずれにしても、長子相続後に、調整弁として都会に追い出された流民には、縁の無い話です。

これが毎年重なり、江戸は世界でも屈指の人口を誇る大都市になったのです。
その歪な内部システムはそのままで。

江戸時代が終わったのも、単に黒船の来航だけではありません。
一つの社会システムが終わるときは、必ず、外敵や天変地異だけでなく、内部の社会システムが、ガタが来ています。
どんな文明も、所詮、人間が作り上げたものです。
システムが一世紀も経つと相当ガタがきます。

それを、継ぎ接ぎして延滞するか、クラッシュしてやっぱり継ぎ接ぎで創設するかして、人間社会はヨタヨタとアヒル歩きで今日も運営しています。

そして、転びそうになりながら転ばずに、ヨロヨロヨタヨタと、しぶとく延命して、やっぱりその内、転びます。
この時に、没落するか、逆に風雲に乗って上昇するかは、その人次第です。

人間にも、死と転生という決算イベントがあるように、国家にも存在します。
陰徳を重ねているこのブログの皆さんには、前者はもちろん、栄転イベントですが、後者も、もちろん大チャンスです。

本来なら死ぬまで無かった総決算のチャンスが、生前にあるのです。
大いに利用しましょう。
大多数が没落する中、陰徳を重ねた者だけが、抜きん出るのです。

しかも、皮肉なことに、この時はさらに陰徳を積むチャンスなのです。
医者や弁護士や坊主が、人の不幸で飯を食うように、我々陰徳師も、人の不幸が無いと陰徳を積めません。

いつの世も、世界の幸福量は一定です。
誰かが幸福になれば誰かが不幸に成るのです。
誰かが不幸になれば誰かが幸福になるのです。

その意味で、この世は熾烈な生存競争であり、幸福の奪い合いであり、不幸の押し付け合いでもあるのです。

この中で、誰が勝者になるのか?
そもそも、勝者の判定条件とは何か?

凡人が、無明の闇の中で、自己の運と努力のみに頼る中、我々は陰徳というショートカットを使えます。
いわば、裏技のような物です。

勝利者になるための、天の名簿、見えない人事考課に載る話は、本文にもありましたね。
逆デスノートです。
みなさんも、デスノートに載るようにして下さい。

【陰隲録】謙虚中るに利あり⑩ 新世界の神不要論

天の人事考課は、常に勝者になる条件(陰徳)を持った者を精査しています。
それはまるで童謡の如くにです。

勝ってうれしい、はないちもんめ 
負けてくやしい、はないちもんめ 
あの子がほしい 
あの子じゃ分からん 
その子がほしい 
その子じゃ分からん 
相談しましょ 
そうしましょ

人間を、天が選ぶかどうかは陰徳次第です。
天も、膨大な地の人を無条件に助けるわけにはいきません。
天に欲しがられる花一匁は、陰徳の花を持つものだけなのです。

そして、後編と言ったくせに、さらに伸びる、堕胎の項。
後々編に続きます。



2017年2月25日土曜日

【陰隲録】功過格表⑥ 地の蔵の財宝世に満ちて 百善 人を勧阻し一子を溺らせ一胎を堕さず。中編。







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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)


なお、皆さんの記事の感想大募集です。
陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
記事下のコメント欄や、メッセージやメールで、お気軽にどうぞ。

その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。


【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら





功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

百善に相当する

◯人を勧阻し一子を溺らせ一胎を堕さず。


さて、後編です。

それにしても、なぜ、豊河は、たかが、一行程度の本文の解説で、長々と話をするのか?
記事一本分でまとめる編集力が無いのか?
そもそも、素晴らしい古典の本文の蛇足ではないのか?

豊河如きを媒介にしている、見えない高次の存在は、一体全体何を伝えたいのか?
個人レベルからマクロレベルまで、縦横無尽に話が飛ぶ、現代のお筆先である豊河の開運ブログ。
本日も、開演です。


【地蔵菩薩】


さて、子供の不幸をネタに金を巻き上げる水子商法のご本尊が地蔵菩薩です。

我々、一般の日本人は、地蔵菩薩のことを、道端にある汚い仏像とか、笠の恩返しをしてくれる存在くらいの認識しかしていませんが、実は結構な仏業界の大物です。

どのくらいの大物かと言うと、

WIKIの地蔵菩薩には


釈迦の入滅後、56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまうため、その間、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)を輪廻する衆生を救う菩薩であるとされる。

とされ、要するに、一神教風に言えば、救世主なわけです。六道輪廻の。
六道には、人間界も入るため、当然、我々人類の救世主なわけですね。

道端で、野ざらしで警備業をしている3K労働の犠牲者と思いきや、結構な大物なのです。

歴史的には、愛宕権現と習合している勝軍地蔵がいます。
普通のお地蔵様は、坊主ですが、馬に乗って鎧と兜を来ているコスプレ姿です。
当然、軍神として奉られたこともあります。

地蔵と軍神というイメージの落差に驚くのですが、一応、仏教では心中の賊を魔軍と呼んだりしていますし、正統性が無いわけではありません。
まあ、現代では、前回も言ったように、他人との戦争に勝ち残らなければ生きていけませんから、常住戦場の意味で間違いではありません。

で、ご利益を見ると、かなりのご利益っぷりです。
元々、輪廻の救済者なので、至れり尽くせりのご利益満載です。



地蔵菩薩本願経には、善男善女のための二十八種利益[3]と天龍鬼神のための七種利益が説かれている。

二十八種利益

天龍護念(天龍が保護してくれる)
善果日増(善い行いの果報が日々増していく)
集聖上因(悟りの境地へ至る因縁が集まってくる)
菩提不退(悟りの境地から後退しない)
衣食豊足(衣服や食物に満ち足りる)
疾疫不臨(疫病にかからない)
離水火災(水難や火災を免れる)
無盗賊厄(盗賊による災厄に遭わない)
人見欽敬(人々が敬意を払って見てくれる)
神鬼助持(神霊が助けてくれる)
女転男身(女性から男性になれる)
為王臣女(王や大臣の令嬢になれる)
端正相好(端正な容貌に恵まれる)
多生天上(天界に生まれ変わることが多い)
或為帝王(あるいは人間界に生まれ変わって帝王になる)
宿智命通(過去世〈宿命、しゅくみょう〉を知る智慧を持ち、過去世に通ずる)
有求皆従(要求があれば皆が従ってくれる)
眷属歓楽(眷属が喜んでくれる)
諸横消滅(諸々の理不尽なことが消滅していく)
業道永除(地獄などの悪い場所に生まれ変わらせる業道(karma-patha)が永く除かれる)
去処盡通(赴く場所にうまくいく)
夜夢安楽(安らかな夢を見る)
先亡離苦(先祖が苦しみから解放される)
宿福受生(過去になした善行によって良い生まれを受ける)
諸聖讃歎(諸聖人が讃えてくれる)
聰明利根(聡明で利発になる)
饒慈愍心(慈悲の心に溢れる)
畢竟成佛(必ず仏になる)

七種利益

速超聖地(速やかに聖地を超える)
悪業消滅(悪いカルマが消滅する)
諸佛護臨(諸々の仏が護ってくれる)
菩提不退(悟りの境地から後退しない)
増長本力(本来持っていた能力が増幅される)
宿命皆通(過去世の全てに通ずる)
畢竟成佛(必ず仏になる)



お地蔵様すげええええええ!!!

さすが地蔵君。
君はやれば出来る子だと信じていたよ(なぜか上から目線の言い分)。
誰かね?水子供養のご本尊だのとヘイトスピーチ言った馬鹿は?
言葉を慎みたまえ。
君は地蔵王(誰だよ?)の前にいるのだ。(ムスカ風)



見た感じ、現世利益も、霊性的向上も守備範囲のようですね。
さすが、釈迦と弥勒の間の代理人(仏)です。
鉄壁防御の地蔵パワーです。

マリオで地蔵は狸が化ける物だとばかり思っていましたが、どうしてこうして、相当な実力者です。

水子供養とか、せいぜい安産祈願くらいの、基本、ネガティブイメージが強いお地蔵様ですが、
その理由としては、あの赤いよだれかけが、正直、不気味なのが理由ではないかと・・・。



【授かり物】


子供は授かり物だという考えがあります。
人間関係は縁ですので、どんな人に巡り合うかは縁の分野です。

もっと言えば、人間は環境の産物です。
社会的動物という言葉通りに、出会った人間関係で人生が決まってしまうところがあります。

逆に言えば、人間関係という人と人の間の、人間社会に接触しなければ「人間」では無いのです。
※人間の言葉を教育されずに、野生で育った野生児は、その後の教育でも、人間社会に復帰が難しいようです。

ここを突き詰めていくと、では、個性とは一体何か?
という問題が生じてきます。
人間の個体は社会的なネットワークの中の結線点に過ぎないのではないか?
という仮定が、当然出てきます。
これは、仏教の諸法無我にリンクします。

人間を構成する縁のネットワーク、因縁因果のネットワークの構成物で出来ているのが人間です。
では、その中身はあるのか?

玉ねぎを剥いても剥いても結局、中身はありません。
人間の正体は、因縁のネットワークではないのか?
華厳経の重々無尽の縁起は美しいダイアモンドの光を投げかけます。
しかし、その中身は空ではないのか?

このブログのタイトルのネットワークは、開運だけでなく、一切の存在の根底にある絶対神の摂理です。
有縁で来たくもないこの駄ブログに来た皆さんも、全ては因縁のネットワークなのです。
言ってしまえば、「ムー」の読者欄で前世の仲間と巡り合う少女と同じなのです。

が、まあひとまずそのテーマは置いておいて、授かり物の話に戻すと、子供に恵まれる人、恵まれない人は昔から存在します。

前回の記事にあったように、毎年20万人も望まれない子供(事故は除外)が、堕胎で水子になっているのにも関わらず、不妊で、子供が授かれないカップルが存在します。

厚生労働省の不妊治療患者数は40万人を超えているので、潜在的にはもっと多くの、女性が子供を望んでいると思われます。
※その夫も含めると、当然、その倍の数になる。


人間が交尾をすれば、基本は妊娠します。
しかし、体質や遺伝的要素、さらには近年は環境問題によって、不妊と言うのは、古今東西存在するのです。

「こればっかりは授かり物だから・・・」
という、諦めの言葉が出るばかり。
21世紀現代の医学でも、完全には不可能なのです。

その昔は、家としてのチーム単位が強く、そのため男子が優先度が高い時代がありました。
女子は、外に嫁に行ってしまうからです。

男子が生まれれば、跡取りとして家を保てるし、さらに親の老後も安泰だという理由です。

また、家の跡取りでなくても、単純に男子は、資本の稼ぎ手として期待できます。
昔も現代も、外で奉公するには、男子でないと出世出来ないからです。
当然、それは収入の差であり、ひいては実家の自分たちの老後の安泰にも繋がります。

要するに、ぶっちゃけた話をすれば、投資先の対象としての期待値が高いわけです。
子供を生んで養育するというのは、未来への投資と言えます。
愛情や社会的な義務と言った以上に、経済的要素がからむのです。

また、女子と言えども、投資的価値はあります。
単純に労働力になりますし、外に嫁に出すことによって、外交的価値があるからです。

器量良しに生まれれば、経済的価値の高いリターンを生むことだって可能です。
極端な例を言えば、庶民の卑しい出から、美貌で皇帝の后、ひいては皇帝の母に上り詰めた例だってあるのです。

まあ、経済性を抜きにしても、単純に、世界で自分の血が繋がっている家族、親子とうのは、種の保存を至上とする遺伝子レースには、欠かせない要素です。
先祖代々の、遺伝子バトンリレーが、自分の代で終焉させると、あの世でご先祖様に怒られかねません。

そのため、最新医学から民間療法、さらには怪しい祈祷に至るまで、人々は対処法を求めます。



【陰徳的対処法】


このコンテンツの陰隲録でも、この問題はどっぷり漬かっています。
そもそも、陰徳自体が、積善の家に余慶有りというテーマです。
著者の袁了凡自体が、そもそも元の運命では子が無いため、求子の請願を立てた経緯があるのです。

【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】立命の学⑯ 親の因果が子に報い輪廻は廻るよ狂々(くるくる)と

基本、成功者ほど、自分の子供が晩年に欲しくなります。
子供が無ければ、せっかく築いた財産や利権が、他家に渡ってしまいます。
ましてや、国家権力という泥棒に、これ以上命の次に大事な金をとられるわけにはいきません。

功なり名とげた人間ほど、この欲望が強いのです。
自我が膨れ上がっているので、偉大な自分が消滅するという自然の法則に耐えられないのです。
自分の遺伝子を残した子供を欲しがるのはこのためです。
※有名どころだと、豊臣秀吉ですね。

そのため、今まで悪業三昧だった人生を方向転換するのですが、何分、今までのツケが回ってきているので、急には運命は変わりません。

いつも言っていますが、何事も早めの発見が大事です。
虫歯も癌も、早い内なら手がつけられるのです。

著者の袁了凡も、陰徳を始めて子供をゲットするまでには、10年くらいかかっています。
人の命は、それほど重いということでしょう。

それでも、権力者は陰徳の規模も大きいので、老年ではなく、壮年あたりで陰徳を開始していれば、余裕で跡継ぎも子孫繁栄も可能だったはずです。

ただ、先の秀吉含めて、乱世の時代には、色々と時代の役目があり、陰徳を阻害する行為(戦争含めて)を止めるのは難しかったということでしょう。

まあ、いずれにせよ、人生を開運するためには、早期からのスタートがお勧めです。

つまり、
晩年からよりも老年から。
老年からよりも壮年から。
壮年からよりも中年から。
中年からよりも青年から。
青年からよりも少年から。
少年からよりも幼児から。
幼児からよりも生前から。
早ければ早いほど良いのです。


早期教育や、投資と同じで、早いほど効果があります。
年をとればとるほど、体も頭も運命も固まってきてしまいます。

なお、幼児と生前からは、本人の領分では不可能です。
ここらへんは親の陰徳によりけりですね。

以前にも話に出ましたが、基本、生まれた後は後の祭りで、大幅な開運は難しいのです。
※一応、言っておきますが、ここでいう大幅な開運というのは、天下をとるとか、
※1000年後も教えが行き渡るとかそういうレベルの運勢です。
※一般人の個人的レベルで、幸福になるのは、後天的な方法で簡単です。


頭痛薬の早めのパブロンならぬ、早めの開運です。
先手必勝は万古不易の必勝法です。
若い時に、このブログに出会った方は、もはや人生の勝ち組が決まっているようなものです。
どんなに下位の階層でも上層下位程度の、社会的レベルにはなれます。


そして、まさかの前中後の記事構成。
後編に続きます。

留まるところを知らない、水子禁止項目の話。
人類の少子化と人口爆発の狭間で、生まれぬ魂は何を想うのか?
生者と死者の綱引きが、黄泉の国の誓約を今、解かんとする。
陰と陽が交わり生を生み、生と死の国が交わり、何を生むのか?

次回、特にタイトル決まってない。乞うご期待!



2017年2月24日金曜日

【陰隲録】功過格表⑤ 人口爆発と少子化という分かり合えない問題 百善 堕胎防止 前編




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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)


なお、皆さんの記事の感想大募集です。
陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
記事下のコメント欄や、メッセージやメールで、お気軽にどうぞ。

その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。


【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら








功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

百善に相当する

◯人を勧阻し一子を溺らせ一胎を堕さず。



【水子とは何か?】




三つある百善の三番目です。

人の命を助ける。
貞節を守る。
堕胎(水子)をするな。

少子化を促進したいのか、止めたいのか、功過格編集者の政策方針が一環していないのですが、また女性の権利に喧嘩を売っています。
堕胎は止めろとか、
アメリカのキリスト教原理主義者か!?

なぜこうもフェミニストの皆さんに喧嘩を売るのか?
まあ、いいか。
どうせ、明代の中国人ですし・・・。


さて、そんなこんなで、「水子」を無くそう運動です。
昔と違って、今は、医学が進んだため、ぽんぽんと、水子が量産されています。

どうでもいいですけど、我は海の子というと、なんか良さげなイメージですけど、
我は水子(みずのこ)というと、途端に、マイナスイメージが喚起されますね。

元々は、水子の名前は、日本神話の蛭子から来ています。
神様が普通に水子やってるくらいですし、人間がやるのも、むべなるかなです。

日ユ同祖論だと、モーセを葦に入れて河に流した故事に由来するらしいのですが。
後、ノアの大洪水や、洗礼など水にくぐらせる、死と再生の儀式ですね。
要するに、人類の普遍的な共通イメージなのでしょう。

というより、水子の説明自体をしていなかったような気がしますが、要するに、堕胎して生まれなかった子供のことです。
人間はセックスすると、当然、子供が生まれますが、順調に生まれてくる子供ばかりではありません。

生まれる時に、死産したり、生まれても、赤子の時にすぐ死んでしまったり、生まれる前に流産したり、生まれる前に人為的に、堕胎したりと、色々と生まれるには、ハードルがあります。

これらの事情で生まれなかった子供を水子と呼びます。
何しろ、人命ですので、法律的には刑罰にはならないのですが、関係者は、心理的にトラウマになります。
特に、母親のダメージは大きいのです。

  
そのため、普通に死人と同じく、供養するという観念が生まれます。
ここに、水子商法の生まれる余地があります。




【水子供養商法】



水子商法(供養)は、1970年代と比較的新しい商法です。
新しいイノベーションのためか、このブームに乗れなかった既得権益者から、極めて批判が多く、下種な坊主の金儲け商法と、不当な(?)バッシングを受けています。
何時の世も、新しいことをするには、批判が憑き物なのです。


で、この水子ビジネスの何が問題かと言うと、その理不尽極まる設定です。
中世の頃からの仏教歌謡の、「西院河原地蔵和讃」に、原型がありますが、あの有名な賽の河原の石積みです。
その設定がまあ中世ジャップランド(左翼用語)の世界観が・・・。


つまり、若くして子供が死ぬと、賽の河原に行きます。
成仏出来ない理由は、親より早く死ぬと言う孝行に反したからです。
そこで、延々と、川原の石積みをやるという、意味不明な労働を課せられます。

もうこの時点でツッコミどころ満載なのですが、さらに、子供たちが石積みをしていると、鬼がダッシュでやってきて、缶蹴りみたいに、石積みを蹴っ飛ばすのです。
で、また無限ループを繰り返すのです。

鬼は、一体何をやりたいのか?
この苦役が、孝行と何の関係があるのか?
全く意味不明なのですが、無理やり解釈すれば、要するに親はせっかく生んで育てたのに、それを無駄にするという悪行をやった罰。
石積みはそれをわからせるため、という解釈も出来なくはありませんが・・・。

まあ、そんな具合で、水子になった子供は、児童虐待ワールド行きになります。
しかし、そこで終わってしまっては、話が終わってしまいます。
それを助けてくれるのが、地蔵和讃というだけあって、地蔵菩薩です。
要するにお地蔵様です。

道端で突っ立てるだけの石像にしか見えないお地蔵様ですが、御存知の通り、元々、雪の日に笠の恩返しをしてくれる仏様です。
鬼を蹴散らして、子供たちを助けてくれるのです。

だから、お地蔵様はありがたい存在なのです。
さあ、皆さん、お地蔵様を拝みましょう。

と、ここまでが地蔵和讃の話ですが、水子商法は当然のことながら、ここから商法を開始します。
水子は酷い目にあっています。
だから、供養しましょうと。

このロジックは、まず罪の無い子供が、親不孝で酷い目にあうという設定で、親の同情を引いて、供養させようとする下劣な物であり、これが批判になっています。

宗教は基本、罪や不幸をマッチポンプで作り出し、それを救済することで利益を獲得するビジネスモデルです。
要するに、始めになんらかの不幸が無いと、ビジネスが成り立たないのです。





病人狙いは基本。



この水子供養は、その方式にドンピシャリなので、というかあからさま過ぎて、ツッコミどころが多すぎるのです。

そのため、水子を食い物にする霊感商法と、ボコボコに叩かれるのです。

が、とは言え、水子供養が全くの無駄かと言うと、そうでもありません。
(別に、豊河が水子供養ビジネスを擁護する義理は無いのですが)

水子が賽の河原で鬼に虐待されるという話はともかく、水子や死んだ子供を供養する自体は、別に問題ではありません。

時代によっては、水子レベルだと、別に人間とみなさない(というか現行法でもそう)ので、供養しないどころか、神に帰ったという概念もありますが、
今の人権概念だと、普通に水子だろうが子供だろうが、死んだら普通、供養の対象です。

特に女性は自分の子供を殺してしまったと言う罪悪感があり、それが自縄自縛のループになって、自分の運気を落としてしまうという悪循環があります。
気功的には、自分の腰や子宮に悪い念の気を送ってしまいがちで、それが健康や運気を落とす悪循環の意味もあります。

水子なんてどうでもいいやという意思か、あるいは供養してさっぱりすることで、新しいスタートが出来ることでしょう。
これは、開運から見ても良い方向です。

また、実際に水子の霊が祟るという話もあながち捨て切れません。
単純に、水子供養ビジネスのプロパガンダにも思えますが、何せ、水子と言えど人間です。
供養しても別に悪いことは無いでしょう。

家畜とか小動物でも、殺せば容赦なく、祟るのですから、人間ならば尚更です。
少なくとも、罪悪感による運気の低迷は解消出来ます。
ヤリマンやヤリチンが、水子の霊がべったりという霊能者の話は、良くありますし。





【賽の河原の方がマシな現世という地獄】



ちなみに、出生数は一年間に日本で100万人で、水子は20万人くらいです。
生者の、五人に1人は水子になるのです。
実に、恐ろしい数字です。


一家族に一人くらいは余裕でいるのです
学校のクラス30人に、6人位は水子君がいるのです。
世界は水子でいっぱいなのです。
イッツ・ア・水子ワールドなのです。

精子の段階でも、莫大な数の精子が卵子にたどり着くまでの過酷なレースなのに、生まれる瞬間でも、さらに20パーセントの確率で死ぬのです。
弱肉強食を強いられる過酷な娑婆の生存レースが伺えます。

そもそも、人生そのもの、生命そのものがラットレースなのは今更な話ですが、それが生まれる前、受胎する時ですらこの有様なのです。
本当にこの世は、ろくでもない世界です。
常に他者を、排して殺していかなければ、生きていけないようになっています。

一切皆苦の法則はどこまでも正しいのでしょうか?
釈迦は本当に天才です。

生まれるまでに、億単位、兆単位の精子を排して命を勝ち取り(つまり他の精子を殺す)、生まれた後は、下位の動植物を殺して食いまくり、人間同士で、受験で狭い枠を席取りし合い、会社でポストを奪い合い、市場で奪い合い、国境を奪い合い、資源を奪い合うのです。
ひたすら他者から奪い合い、殺し合い、そうした上で生きているのです。

よく、ご先祖様の命の連鎖で自分があるとか、ご先祖様が生きて子供を生んで育ててくれたからこそ、今の自分があるという、お説教を我々はよく耳にします。
しかし、よくよく考えてみると、ご先祖様の数よりも遥かに莫大な生命の犠牲の上に、我々は立っているわけです。

我は海の子とか、水子(みずのこ)どころではありません。

我は罪の子なのです。

一神教の原罪のような世迷い言の神話ではなく、リアルに他者を大量虐殺してきた先祖代々の由緒正しい罪の子なのです。
先祖というより前世もそうですが。
貴方が食べてきた数の子もタラコもキノコもタケノコもきな粉も、みんなみんな生きていたんです。友達だったのです。


真理と言うのは、別に美しいものでも何でもなく、このように極めて碌でもない代物です。
いつの時代でも、真実は身も蓋も無い物です。

幻想の覆いの無い世界は直視に耐えないのです・
前にも言った様に、だからこそ、世界には美しい物語で糊塗されているのです。

輪廻に我々が嵌っている理由は、こうした真実が見えない(無明)からであり、その結果、快楽と恐怖で縛られています。

飴と鞭を与えるのは、女王様だけではありません。
世界そのものが、我々に飴と鞭を与えて、縛り付ける女王様なのです。

しかし、よく目を開いて女王様を見て見れば(無明からの脱出)、女王様は、厚化粧で皺を隠したBBAなので
す。
※もちろん、これが妙齢の王女様だったら、まだプレイを続けてもいいかもしれませんが。

ちなみに、前回も書いた、地母神信仰と、この話は、微妙にからんでいます。
枢軸宗教は、生命を嫌いますが、その象徴が、母なる地球であり、子宮であり、女性原理そのものです。
つまり、枢軸宗教は、今、豊河が書いたように、世界そのものが女王様だと言う認識なのです。

仏教や一神教の、異様な女性敵視の根源は、ここにあります。
生命や輪廻を絶滅対象にする以上、生命を生む、地球や女性は、殲滅対象なのです。
聖書の黙示録では、ラスボスの1人にバビロンの大淫婦が登場するのはこのためです。
要するに、枢軸宗教は、地球の敵なのです。

その枢軸宗教のキリスト教が、堕胎に賛成するどころか、敵視しているのは、歴史の矛盾でしょう。
本来、彼らは、積極的に、堕胎を奨励しなくてはいけません。


さて、また今回も前後編です。
水子の話は、どこまで拡大するのか?

威風堂々の次回に続く!
※何が威風堂々なのかよくわかりませんが。