2017年3月31日金曜日

実践!陰徳情報 臨時福祉給付金 朝三暮四の典型例






【バラマキ政策】


今日は、陰徳情報として貧困者救済の情報を記事にします。

早速ですが、皆さんは、「臨時福祉給付金」と言うものをご存知でしょうか?
というより、そもそも給付金という物をご存知でしょうか?

何それ?
と、疑問の声が聞こえてきますが(幻聴)、要するに、日本政府が選挙対策のために、バラ撒く人気取り政策の一つです。

収入が低い貧困世帯(たぶん皆さんは該当しません)に、日本政府様が、お金を恵んで下さるという、慈善政策です。

新自由主義政策の元で、さんざん金持ち優遇の、国民から搾り取る政策を実施している、邪悪な日本政府ですが、さすがに、ここ20年のセルフ経済政策は、庶民の評判が悪く、怨嗟の声が巷に満ち溢れています。

日本政府には幸いなことに、隣国が反日国家で嫌がらせをやっているおかげで(小泉竹中の頃から日本政府とグル)、与党の支持率は堕ちませんが、アメリカでも反グローバリズムのトランプ政権の発足などで、格差政策は、国内でも評判が悪くなってきています。

日本政府自身は、全然、新自由主義政策を改める気はゼロっぽいのですが、さすがに、選挙対策としては、中層下層や地元民に餌を与える必要が出てきます。

そんなわけで、日本政府は定期的に、人気取りのバラマキ政策を、実施しているわけです。


【朝三暮四】

要するに、普段搾取している為政者が、たまにバラマキをするとそれが善行に見えるというわかりやすい話です。

少女漫画で、普段ツッパッている不良が雨の日に公園で濡れた子犬か子猫を助けて、それを主人公の女の子が胸キュンするアレです。

ちなみに、この女の子がもっと年を取ると、DV彼氏に普段殴られているけど、たまに優しい言葉をかけられて、騙される構図です。
※まあ基本的に、こういう子はすでに両親がそういう共依存なのですが。

朝三暮四という言葉があります。
猿は、目の前の利益に釣られて、全体的、長期的利益を見ることが出来ない愚者として喩えられた話です。

だが、せっかく日本政府がバラ撒いているのですから、貰わないと損です。
少なくとも、これは朝三暮四だよということを知っておいた上で、思惑に、引っかからなければ良いのです。

先にも書きましたが、収入条件で、たぶん皆さんは該当しないので、お金は貰えないのですが、陰徳として、皆さんが該当する方々に教えて上げて下さい。



【臨時福祉給付金】

さて、この臨時福祉給付金自体は、政府(厚生労働省)がHPまで作って説明しています。

http://www.2kyufu.jp/index.html


前回も給付金は、この忍者マスコットだったのですが、忍者と給付金が何の関係性があるのか、よくわかりません。
要するに、忍者のごとく、世間には知ってほしくない、特定の人間(民族とか組織)にしか与えたくないという、日本政府の意思なのでしょうか?

まあ、読むのがめんどくさい人に、簡単に貰える条件を説明すると、

支給要件のページに、
http://www.2kyufu.jp/youken.html
書いてある通りです。

これを読むと、普通にフルタイムで働いている年収200万以上の貧困層はアウトですね。

本来、こういう中間層こそが国家としては救済対象なのですが・・・。

まあ、夫婦かどうか、子供がいるかどうかで収入条件が違うので、ご紹介先の方が、該当するかどうか、ご確認下さい。

申請とかは、役所に行けば普通に説明してくれますので、普段税金を払っているのですから、役人に懇切丁寧に教えて貰って下さい。


【問題点】


ただ、支給額が一万五千円の単発です。
申請の手間とかを考えると、果たしてペイするのかどうか?
という問題があります。


さらには、支給要件が、収入が低いのが条件ということで、本来、高収入の自営業者が節税テクニックで収支を赤字(生活費を経費として落とす等)にし、給付金をゲットする悪人も、普通に存在しています。

まあ、こういうことが出来る図太さと情報網があるからこそ、高収入になれるという悲しい現実が存在します。

皆さんは、自営業で儲かっていても、やってはいけません。
(儲かってなかったら別にゲットしても問題はありません)

というわけで、今日は、陰徳としての貧困対策の情報記事でした。

【陰隲録】功過格表㊳ 底辺からのサクセスストーリー 五十善 野ざらし死体を埋めよう⑪




このブログの全体地図はこちら
はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)


なお、皆さんの記事の感想大募集です。
陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
記事下のコメント欄や、メッセージやメールで、お気軽にどうぞ。

その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら




功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

五十善に相当する

一の主なき骸を埋む




【空の時限爆弾】


基本、仏教は現世否定型の思想なので、現世の事象に価値を認めない傾向があり、それはそれで社会の敵になる余地があります。
(例えば、税金や徴兵や結婚の否定など)


だが、さすがに煩悩の否定という基本がありますので、世間の価値観は認めないとしても、基本は、山林で隠遁者のような引きこもり生活者です。
そのため、あまり社会に害悪はもたらしません。


しかし、空の論理(大乗仏教、現世肯定)は、一切の存在を否定します。
それは、煩悩を否定しますので、いいことのように思えますが、一切を否定するということは、当然、道徳的価値観をも否定します。

殺人や盗みや性交、肉食や飲酒やドラッグなど、一般に悪と言われている悪事を禁止する戒律や歯止めも否定してしまうのです。

また、一切の否定は裏返しで、一切の肯定にもなることは上記したとおりです。
論理的に、否定の否定は肯定なのです。
宗教は基本、この世が嫌いです。
教義的に、反現世的ですが、それを否定すると、親現世になります。

これも、当然、非倫理的行為の是正になります。
現世というのは悪徳に満ちている世界だからです。
一切の存在を認める一元論は、悪徳をも許容してしまいます。


空の論理を引き継ぐ大乗仏教は、在家の宗教として、現世の色々な事象を肯定せざるを得ません。
が、その中には、在家のあくどい事も肯定せざるを得ません。
そのための需要の供給が大乗仏教なのですから。

我が国の例で言うと、鎌倉時代の新興宗教の禅や念仏が流行ったのも、戦乱の時代だったからです。

戦争、つまり人殺しをしなければ生きていけなかった武士は、禅で倫理のお墨付きを貰いましたし、修行する暇も無い庶民は念仏でお墨付きを貰いました。

仏教伝来時の時点で、すでに仏教は国家御用達の宗教でした。
僧侶は公務員として官僚扱いでしたし、その教義や術は怨霊対策や国家鎮護、皇族貴族の祈祷師でした。


在家宗教としての成り立ちから、現世肯定を教義に内包せざるを得なかった大乗仏教は、我が国に到来した時から、この問題も同時に内包せざるを得なかったのです。

すなわち、道徳や戒律の否定という矛盾です。

この矛盾を背負ったまま、大乗仏教はスタートしました。
日本に来た仏教は基本、大乗仏教ですので、当然、我々にも関係がある話です。

地下のマグマ溜まりのように、この矛盾は、いつ爆発するかわからないシステムエラーの時限爆弾です。
しかも、日本史上で。

そして、この時限爆弾はたまに爆発します。
日本史においては、密教に限定するなら、真言立川流とオウムが代表例です。
※密教に限らないと相当出てきます。
※先の大戦すらその片鱗があります。

前者の真言立川流は、中世に、セックス教義の邪教として騒ぎを引き起こし弾圧されました。
後者は、説明不用でしょう。
どちらも、密教と言う危険思想から暴発した連中です。

大乗仏教、特に密教と言うのはこのような危険性があるのです。
※後、あまり知られていませんが、チベットと密教は、ナチスとの関わりもあります。



【弱者救済の精神】


インドの地で、ヒンドゥー教を取り込んで密教となった仏教は、その後、イスラムの侵攻で壊滅してしまいます。
しかし、ただでさえ、問題が多い、インドの呪術を取り込んだ密教は、その副作用に苦しむことになります。

密教の本場であるチベットでも、この呪術性の罠に陥った歴史があります。
何しろ、タントラは、欲望肯定の教義です。
本来、禁欲的な仏教教義において異物に等しい存在です。

密教を作った当時のインドの仏教は、ヒンドゥー教に対抗するために、かなり特殊な職業階層(被差別階層)を対象に入れています。

タントラは元々、そういう層の宗教なのですが、具体的に言えば、葬儀人とかあるいは、マジの追いはぎだとか人肉食の部族とかそういう方たちです。

宗教は時代が経るに従い、救済対象が普遍的になってきますが、その意味では、大乗仏教の精神に合っていると言えば合っています。

また、市場でメジャーな宗教に対抗する、成り上がりの新興宗教は、メジャー宗教が救済対象にしていない階層や組織を取り入れるのが基本です。
逆に言えばそれくらいしかスロースターターの弱者が、勝てる方法は無いのですが・・・。

釈迦の時代はスポンサーは、当時、台頭してきた商人階級などのブルジョアでした。
鎌倉仏教の時代は、武士や庶民でした。
イエスだって、当時の被差別階級の金貸しや徴税人や娼婦を対象に布教しています。

需要があれば供給があるのです。
従来の市場において、ブルーオーシャンのマーケットがあれば営業するのは、資本主義の基本です。

上記の例だと、今でこそブイブイ言わせている世界宗教のキリスト教だって、当時の外部の目(記録が残っています)から見れば、

「まともな市民には相手にされないカルトで、社会的弱者や身分の低い連中を狙い撃ちにしている卑劣な輩」

という評価です。
要するに、今の新興宗教と同じような扱いと戦略なのです。

密教が出来たころは、すでに、市場は、飽和していました。
一時期、仏教が中産階級を制覇していましたが、巻き返しをはかった伝統宗教が頑張って、バラモン階層や庶民は、ヒンドゥー教が逆転していました。

上層も中層も制覇されていたのなら、下層しかありません。
ただ、イエスのように徴税人とか娼婦よりもさらに下の階層のヤバイ連中を取り込むことで、教義的に危険性が増してしましました。



【古代の生き残り】


基本、古代からの多神教、
つまり、自然崇拝宗教、欲望肯定、世界肯定の宗教は、人間の原始性を喚起します。

分かりやすく言えば、ハレの日に乱交どんちゃん騒ぎを起こします。
我が国の民俗学にはこの手の乱交騒ぎの例がいくらでもあり、例に事欠きません。
要するに酒を飲んで大麻を焚いて乱交するのです。

この段階だったらまだいいのですが(仏教的にはアウトですが)、祭りには生贄は付き物です。
世界各地に生贄の伝統がありますが、多神教というのは得てしてそういうものです。

タントラというのは、基本、こういう多神教の地母神信仰の流れです。
WIKIのタントラの項目


実際のところ、タントラ教という宗教集団がいたわけではなく、タントラ的な考え方(タントラ哲学、タントリック)をもつ人たちである。
「大いなる意識」は「創造主」とも「宇宙」とも「神」とも解釈できるが、「自己」との繋がりは特定の人や階層によらず、すべての人に与えられた存在であり、恵みであるという考え方である。
 この考えの根幹にあるのは、
『あらゆる存在に、美があり、善があり、生きている存在そのものに繋がりからの恵みがある』
というものである。


WIKIのタントラの項目にもこのようにあります。
現世肯定の論理です。
日本でも真言宗の空海や天台宗あたりがこういう思想ですね。
宇宙は生命だとか。
山川草木国土悉皆成仏とか。

現世肯定、自然肯定というのは有る意味、人間の過ちや獣性を許容するという意味を持ちます。

交騒ぎをするのも、変性意識状態を用いて、自然(人間の動物的な本能)にアクセスする意味があるからです。
枢軸宗教では本来、こういう人間の側面は否定されます。
仏教でも同様です。

しかし、仏教はこの側面を取り込みました。
本来、忌避すべき煩悩を肯定して、悟りに向かうという矛盾をどうにかこうにか止揚させたのです。

結果、密教と言う大輪が咲きました。

基本、この手の教義は邪教として、世間から弾圧されて秘密結社化しますが、仏教というフィルターを通すことで存続可能になりました。
※チベットと言う隔離環境だから成立したということもありますが。

チベット密教などは、大乗仏教の完成形として、高度な理論と実践性を誇っています。
初期仏教の教義に近い上座部仏教と並んで、仏教の双璧になっているくらいです。
日本仏教のように、中途半端な教義だと、太刀打ちできません。



【密教の未来】


まあ、ダラダラと密教の危険性を説いてきましたが、実際には、今の密教は、ゴタゴタと問題のあった歴史に学び、対処した教義です。

とは言ってもさすがに初期には、タントラと同じく、普通に女の子抱いていたセックス邪教カルトだった時代もありました。

また、その後も、不心得者が、暴走した歴史もあります。
(上記した真言立川流やオウムなど)

実際に、教義的にもタントラは相当ヤバめの教義です。
オウムがサリン撒いたのも有る意味、タントラの教えに従っただけとも言えるくらいです。

無上瑜伽タントラ系の経典は、そのまま読むと、もうツッコミどころの山です。
空海が、最澄に貸し出しを渋ったことで有名な理趣経ですら中期密教経典のぬるい教義です。
しかし、後期密教の無上瑜伽タントラのヤバさはレベルが違います。

人肉食ったり人糞食ったり殺人とか髑髏崇拝とか、やりたい放題です。
※無上瑜伽タントラでググると色々出てきますので、興味のある方はどうぞ。

インド宗教はこういうタントラ系のヤバめの教義が多いのですが、それの伝統を引き継いでいます。

よくインドの修行者や神様絵が、髑髏とか人骨のアクセサリーをつけていますがその流れです。
インドは日本以上に古代の原始性が残っている国なのでそのヤバさは日本の比ではありません。

骨をアクセサリーにしてる時点で、死体をちゃんと埋めようぜという、今回の陰徳項目に挑発しまくっているのですが、そんな批判はどこ吹く風です。

邪教として弾圧された真言立川流は、こうした後期密教(日本の密教は中期密教)の失敗例ですが、立川流の修行法として有名な、髑髏の頭蓋骨に、性の儀式で採取した精液と愛液を日夜塗りたくるとか、挑発どころか、死体に喧嘩を売っています。



しかし、もはや時代を経て公認された仏教教義として、タントラ系の行為はあくまでも観想(イメージ)内で処理されることになりました。
また、師僧の伝授と戒律により厳しいフィルターがかかっています。

密教と言う言葉自体が、公開するとヤバイ教義という意味です。
その意味で、外部に公開するとヤバイ→行動する自体もヤバイから内面だけでやっとこうという変遷を経て、本当に密教となりました。

今回のテーマであるネクロフィリアについても(別にネクロフィリアがテーマではないのですが)、
タントラ系は死体や骸骨が大好きなため、普通に密教にはよく出てきます。
が、それも今では、観想内です。

そもそも、一応、後期密教と言えども、仏教です。
別に、非倫理行為自体が目的ではなく、
こうした非倫理行為を実行(今では観想)することにより、変性意識状態を起こし、速やかに悟りの境地へ導くのが後期密教の傾向です。

現在は観想内で行うため、社会上の法律には触れません。
(例え法律には触れなくても、仏教的にはアウトですが)
その意味で、現在の密教は、宗教としては哲学性、実践性ともに、まともな部類になっていると言えます。

仏教哲学の方も、相当なレベルに達しており、他宗の追随を許しません。
修行のシステムも整っているため、宗教としてはほぼ完成形に近いのです。

後期密教(実質チベット仏教)が世界で人気があるのは、そのためです。

皮肉なことに、本来、チベットという限定的な世界でしか学べなかったチベット密教が、中共の侵略によって、チベット密教が世界中に開放されました。
海外に逃亡したチベット僧侶が積極的に布教したからです。

実はチベットはインドと同じカースト制で、密教も数十年修行しなければ学べないという、結構な障害がありましたが、輸出先では、それも緩和しています。

とは言え、教義的に欲望肯定が有る以上、これからも密教を基にしたカルト教団はどうしても発生します。
日本系の密教でもチベット系の密教でもこれは同様です。

インドと同様の神秘行体系がある、中国や西洋でも同様で、セックスを宗教的に解禁する協議は、どうしてもそれが出てくる土壌があります。

もちろん公には出来ない秘密結社やカルトと言った形式ですが、基本、性を抑圧する教義が多い中、性行為可能な教義があればみんな飛びつきます。
セックス出来る大義名分があるのですから当然です。

中国の秘密結社の例ですが、参加者の意見として、
「別に信じているわけではないが、ここ(セックスカルト)に参加していれば、老若男女よりみどりで相手に困らないから着ている」
という、正直な意見もあります。

まあ、今で言う出会い系みたいなものですね。
人類は長い間、多神教の乱交文化が基本でしたので、遺伝子レベルでこういうのがなくなることは無いでしょう。


また、枢軸宗教の反自然思想は、どうしても空理空論に走り、机上の空論や現世の衆生の状況を鑑みないダメ宗教になる場合が多く、カウンターとして必ずこういう教義の宗教が出てきます。

いい意味での自然崇拝思想や、現世や肉体への大事さ、性の重要さ、生命の尊さを再認識させる復古的な意味で、こうした教義は価値があります。

まあ、枢軸宗教をハードコアに信仰していれば人類は絶滅せざるを得ないでしょうから当然と言えば当然なのですが・・・。



長々と死体について話をしてきましたが、次回くらいで総括して終わりにしましょう。
たぶん、次回で終わるはずです。(たぶん)

2017年3月29日水曜日

【陰隲録】功過格表㊲ 龍樹の伝言 五十善 野ざらし死体を埋めよう⑩




このブログの全体地図はこちら
はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)


なお、皆さんの記事の感想大募集です。
陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
記事下のコメント欄や、メッセージやメールで、お気軽にどうぞ。

その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら




功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

五十善に相当する

一の主なき骸を埋む




【異端】


前回、とてもわかりにくい説明の密教の歴史を話しましたが、基本、仏教の正統教義からは当然、異端です。

まあ、大乗仏教そのものがすでに異端と言えば異端なのですが、その中でも密教の異端っぷりは群を抜いています。

釈迦が禁止した呪術はやるし、女の子は抱くわで、戒律破りまくりのウルトラ異端レベルなのです。

しかし、そうは言っても、一応、仏教の看板を掲げている以上、少なくとも建前は、仏教の教義が掲げられます。
煩悩の否定や悟りや解脱と言った概念です。

つまり、あくまでこうした身体技法は、悟りへと至る方便であり、最終的には欲望否定の境地へと至るという説明です。

また、真っ当な伝統密教であれば、厳しい倫理的戒律の制約や、信用出来る人間への伝授という形で、フィルターをかけるという防止策を立てています。



【空論】


ただ、密教は大乗仏教に所属するので、密教の悟りの内容は、初期仏教や上座部仏教とは微妙に違います。

完全な現世否定型(例えば一切皆苦)ではなく、多少、現世肯定の余地がある「空」の論理です。

一体何が違うんだ?
そもそも、それが一体どうしたというのか?

というもっともな疑問ですが、空の論理は、と言っても基本は、仏教の普通の、無常観の意味合いです。

要するに、
世界は、本当は空で空しいものなんだよ!
という後ろ向きの世界観ですね。

祇園精舎の鐘の声が・・・!
祇園精舎の鐘の声が・・・!)
聞こえてくるよ・・・!
聞こえてくるよ・・・!
※かえるの歌風に輪唱で


お父さん・・・!鐘の声が・・・!
鐘の声が聞こえてくるよ・・・!
(シューベルトの魔王っぽく)


要するに、
「現世の欲とか権力とか空しいものだから出家して世を捨てようぜ」
とかの意味で、使われます。

ここらへんのニュアンスは、我々日本人ならある程度、理解出来るかと思います。

大乗仏教も基本、そういうニュアンスの宗教です。
しかし、やっぱり大衆用に作られた宗教なので、一捻り入っています。
一見、空しい無常観の空もその類です。



【龍樹の伝言】

※めんどくさい仏教理論になりますので、めんどい人は飛ばして読んで下さい。
※空理論はいずれ般若心経コンテンツでやります。

空理論は、空論とか中観とか言われます。

この空の論理、発明者はインドの龍樹(ナーガ・ルジュナ)という天才ですが、大乗仏教の祖師に数えられるだけあって、この空の論理にも、前述した通り、大乗仏教の現世肯定に繋がる論理展開の流れがあります。

どういうことかと言うと、大乗仏教とは基本、出家主義者の上座部仏教に反発して出来た仏教です。
出家よりも在家の方が偉いという立場です。

龍樹の空論(中観論)は、基本、仏教の原理主義として、当時、実在論になっていた説一切有部への批判として登場しました。

その意味で、本来の空は、現世否定形のロジックです。

我々の馴染みがある般若心経の色即是空(物質は空である)としても有名です。


しかし、この空の論理は、現世肯定のニュアンスも包含しており、後の大乗仏教にその現世肯定思想が引き継がれます。



般若心経にも、色即是空の後に、空即是色(空は物質でもある)と、続くくらいです。
般若心経は、いずれコンテンツで詳しくやりますが、空というロジックは、徹底した「否定の論理」です。


初期仏教は、現世否定のペシミズム的概念ですが、空のロジックは一切を否定するので、必然的に、初期仏教のペシミズムすらも否定の対象にしてしまいます。


現世否定を否定すれば、論理の裏返りは、現世肯定になります。
元々、出家主義の初期仏教を否定する目的の空の論理ですので、当然、非出家主義、在家肯定の立場になりやすいのです。


これは、当然、現世肯定の論理になります。
もっと言えば、欲望肯定です。
仏教で否定されている煩悩の肯定になってしまうのです。


これが、進めば、一切をありのままに認めるという日本的なアニミズムの感性につながりますし、
宇宙の叡智の大日如来や、キリスト教的な教義の阿弥陀仏、法華経の久遠の仏の実在という、有神論的な教義にもなります。


本来、超越的な普遍の存在を認めない仏教からは異端的教義ですが、空という完全否定のロジックはこういう教義も、認めてしまう余地があるのです。



まあ、それはそれで一つの宗教としては別に問題ありません。
実際、有神論の一神教は、世界宗教で10億単位の信者がいるのです。
我々だって神道という、有神論の多神教国家の国民です。


しかし、さらにこの空の論理のロジックが進むと、さすがにツッコミどころが増えてきます。
なぜなら、一切を否定する空の論理を徹底させると、歯止めがないからです。
五戒を初めとする戒律の破戒や、倫理項目の破棄、犯罪の肯定と言ったレベルにもなります。

ここに、大乗仏教のシステムエラーが存在します。

で、長くなったので分割して次回に続きます。

2017年3月28日火曜日

【陰隲録】功過格表㊱ 人はみな異世界転生者である(ただしチート無しプレイ) 五十善 野ざらし死体を埋めよう⑨




このブログの全体地図はこちら
はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)


なお、皆さんの記事の感想大募集です。
陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
記事下のコメント欄や、メッセージやメールで、お気軽にどうぞ。

その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら




功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

五十善に相当する

一の主なき骸を埋む





【とてもわかりにくい説明の密教の歴史】



仏教の異端の極北はやはり密教です。

何しろ、仏教史のラストに出てきた宗派です。
インドで当初は隆盛を誇った仏教も、やがてヒンドゥー教に押されるようになってきます。


まあ、当たり前の話で、仏教はストイック過ぎるのです。
出家主義者の釈迦が作った宗教ですので、民衆は置いてきぼりです。

大乗仏教に入って、まだ民衆よりになってきましたが、それでも、インドの民族宗教には、生活レベルの伝統の積み重ねが存在しません。

ヒンドゥー教はカースト制度など、ろくでもないシステムがあるのですが、それでも中国やユダヤと並ぶ超歴史国家です。
文明文化の積み重ねは相当な物で、食から建築から戦争まで膨大な叡智が積み重なれています。

我々日本人の感覚だと、中国の文化のようなものですね。
日本は海があるからまだましですが、その圧倒的な文化力はのきなみ浸透力があります。
東南アジアなどはインド文化と中国文化の相克で出来ていますが、当時の仏教もやはりその勢いには勝てません。

釈迦当時は、バラモン教に反論する期待の哲学ルネッサンスだった仏教も、徐々に形勢が悪くなります。
皮肉にも、そのヒンドゥー教の哲学レベルをアップしたのは、論争敵だった仏教です。
仏教と同じレベルまで上がっていきます。
※というより仏教の方がインド哲学の亜流なのですが。

そのため、仏教もいつまでも初期のストイック主義のままでいられずを捨てていきます。
元々、大乗仏教という民衆をパトロンにした分派が出来ていましたが、さらにそれが加速していきます。


具体的には、インドの他宗教の祭儀や呪術を導入。
さらに、おなじみのヨガも導入。
チャクラやプラーナ(気)やナディ(脈管、経絡)など、ヨガ用語が登場します。
さらに、タントラ(性的な宗派)も取りいれ、魔術的セックススキルも完備。
タントラのヤバイ側面の、欲望肯定や倫理破壊なども取り入れました。

こうして出来た仏教の進化形が密教です。
日本にも真言宗や天台宗などがありますので、どういうものかはなんとなくおわかりかと思います。
日本の密教は中期密教なので、さすがに、反倫理的な面は少ないのですが、それでも、かなり崖っぷちです。
チベット密教になると、もうキリスト教カルトから悪魔崇拝呼ばわりされるレベルにまで到達しています。

まあ、上記のように、いかにもネタに困らない宗教なので、よく現代日本でも宗教物のネタにされます。
ゴーストバスターズからセックス邪教まで、ネタがより取り見取りなので当然です。

で、このせっかく、進化した(というよりヒンドゥー教と大して差が無くなった)仏教ですが、第三勢力によって、あっさりインドから消滅してしまいます。
当時の新興世界宗教のイスラム教です。
中東から軍事侵攻してきて、インド自体がボコボコにされました。
さすがに、インドの民族宗教だったヒンドゥー教は、消滅しなかったのですが、仏教は壊滅しました。

現在、インドでの仏教はマイナー宗教です。
日本におけるキリスト教レベルのマーケットです。

まあ、世界宗教はイスラム教除いて、基本、故郷の国では国教にはなれないのが基本です。
むしろ、故郷で弾圧されて、世界で脱ローカルに成功して、世界宗教になるというルートが基本です。
世界宗教になったけど消滅したマニ教などもこの類です。


仏教も、東南アジア、中央アジア(現在はイスラムに制圧)、東アジアとアジア全域に広がって、世界宗教として君臨しています。
故郷でボコボコに弾圧されたどころか、弾圧する側に立っているくらいです。

で、なぜか書いている内に、密教と言うより仏教の歴史になっていますが、要するに、この密教が仏教の最終進化形態です。

大雑把に密教の歴史を言えば、

インドの呪術を取り込んだ初期密教(修験道とか役行者とか若い頃の空海が修行してたのはこの段階です)。
呪術だけだとしょぼいので、経典とか作って哲学体系づけた中期密教(日本の真言宗とか天台宗とかはこの段階です)。
上記したように、タントラとかヨガとか導入して肉体レベルの修行法を取り込んで、さらに哲学も膨大に体系付けた後期密教(チベット密教がこの段階です)。

こんな感じです。
で、この密教がこれまたネクロフィリア(死体愛好)が大好きな宗教です。
というより、専門家ですね普通に。






【ほの暗い闇の底で】


柔よく剛を制すという言葉があります。
また、毒を持って毒を制すという言葉もあります。

要するに、強力な敵がいた場合、真正面からぶつかる方法以外にも策があるのです。
自分の煩悩と戦う宗教の世界にもこれが適用されるのです。

【陰隲録】改過の章に入る前に、そもそもの前提


↑でも述べましたが、基本、修行が高まれば高まるほど、深まれば深まるほど、潜在意識の集合無意識は危険度が増します。
深海のように異形の者が跳梁跋扈する世界です。
個人の先祖の人類の生物のあらゆる欲念が渦巻く、魔界です。

世界のあらゆる冒険譚や神話は、この潜在意識の物語です。
潜在意識の奥底にある、集合無意識の元型は普遍的な物であり、だからこそ、世界の神話は同じような構造を持っています。

人類自体もろくでもない存在なのですが、潜在意識というより脳は、古い生物からの進化系統を重ねています。
外側の人間の理性を剥ぐと、動物脳が出てきます。
その奥になると、動物というより原始的な生物の脳です。
けだものにはまだ感情がありますが、爬虫類、両生類、昆虫と進化図を遡っていくと、もはや生存本能だけです。

一切の言葉が通用しない世界です。

こうした世界は、個人のトラウマや闇やコンプレックスと共に、修行の階梯の障害者です。
原初の力への防衛者と言ってもよいでしょう。

この番人を倒さなければ先に進めません。
ドラゴンを倒さないと、財宝も姫も手に入らないのです。

その意味で、世界中の全ての人間は、ドラゴンクエストを強制プレイされているのです。

これが本当のファンタジーの異世界転生です。




【裏口入学】


普通の宗教や英雄は、こうした潜在意識の世界には、ごく普通にクエストします。
古のヒーローのように、真正面から戦うのです。

仏教も基本同じです。
煩悩と戦いそして勝利します。

しかし、世の中には、何であれ、裏道から入る策があります。
煩悩と真正面から戦おうとしないで、煩悩を利用してさらに、あわよくば悟りや解脱に利用しようという発想を持つ人間が先達には存在しました。
中国の皇帝が、凡俗のまま、不老不死を得ようと画策したのと一緒です。

仕組みさえ理解すれば何事もショートカット出来る物です。
別に煩悩を敵に回さずにとも、意識のシステムを理解してさえすれば、戦わずに済みます。
ファミコンで裏ワザを知っていれば、チート無双が出来るのと一緒なのです。
賄賂を積んで裏口入学するのと同様です。


もっと言えば、いずれ科学が進めば、悟りだろうが、解脱だろうが不老不死だろうが、科学の力で何とかなってしまうでしょう。
今話題にしている密教のようなやり方すら「めんどくさい」方法になるでしょう。

昔は水を汲むのに、井戸から組まなければいけませんでした。
今は、水道から蛇口を捻ればいいのです。
それと同じことです。

まあ、そこまで行くのは後の時代(と言っても数世代後くらいでしょう)と思いますが、ひとまず密教の話に戻りましょう。

ちなみに、まるで密教が即効性のあるような書き方をしていますが、厳密に言えば、それほどでもありません。
こう言ってはなんですが、密教も結構、正攻法でやるのと同じくらいの手間がかかります。
他宗派に比べてと言っても、瞑想専門にやる禅や上座部と比較すれば、大してスピードは変わりません。
一日中、瞑想出来るような環境ならば、正直、密教だろうが何だろうが大して変わらないのです。

じゃあ、何で出家してる坊主は悟ってないんだ?
という話ですが、簡単な話で、瞑想してないからです。
釈迦もイエスも出家して一日中瞑想してるような環境で悟ってます。

出家と言っても、経を読んだり掃除したりと日常業務の労働をやらざるを得ない環境では、あまり意味は無いのです。
一日寝るとき意外はずーっと瞑想してるような生活を、半年~一年くらいやらないと、意味がありません。


当たり前の話ですが、釈迦が悟ったのは、苦行が意味無いものと悟って、菩提樹の下で瞑想して悟ったのです。
その意味で、仏教の本義は瞑想することです。
肉体修行している余計な時間を、全部瞑想に当てれば、いいだけのことですね。

上座部も密教も禅も、瞑想以外に余計な労働や苦行をするシステムが無ければ大してかわりません。
まあ、瞑想法がそれぞれ違うので、悟った内容や境地は別物でしょうが、一般人から見たら、聖者です。


なんか、ネクロフィリアの話からそれていますが、次回こそ本題に戻しましょう。

【陰隲録】功過格表㉟ ネットの世界は広大だわ 五十善 野ざらし死体を埋めよう⑧





このブログの全体地図はこちら
はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)


なお、皆さんの記事の感想大募集です。
陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
記事下のコメント欄や、メッセージやメールで、お気軽にどうぞ。

その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら




功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

五十善に相当する

一の主なき骸を埋む


前回、仏教の死体崇拝の例として、即身仏というミイラを例に出しました。
今度は、骨です。
骨の崇拝です。


【ホネホネ・ロック】

骨と言えば豚骨スープです。
もはや豚骨は日本人の食生活に欠かせないものとなっております。
ちなみに、豊河は豚骨よりも醤油豚骨の方が好きです。
(関係ない話)

考えてみれば、我々人類は、こうして毎日莫大な骨を食べているわけです。
人間の死体だと気持ち悪いのに、豚骨だと途端に、食欲の方が優先されて、気持ち悪さの印象が無くなります。

さらに、我々の文明は、現在では石油の上に立脚しています。
石油は大本は(色々な説がありますが)、有機的な由来がメジャー説です。
要するに、生物の死骸ですね。
超大昔の生物の死骸が石油になっているのです。

死体の上に成り立っているのが、現在の我々の文明です。
普通に、気持ち悪いですね。
あらゆる生き物の死屍累々の上に立脚しているのが人類です。
それでなくても、普段から家畜を殺しまくって食べまくって生きているのです。

良く、我々善良な市民は、市民を搾取している悪党を非難しますが、人のことは言えません。
人間として生きているだけで、他生物の敵なのです。
弱肉強食は、意図的なフィルターを通しているから気が付かないだけで、大量殺人鬼にも等しい生き物なのです。

人間として生きているだけで、もう陰徳ステータスをガンガン減らしています。
デフォルトで罪なのは、金持ちや権力者だけではありません。
普通に、人間として生きていてもそうなのです。
開運を望んでいなくても、徳を積まなければいけない理由というのが、ここにあります。

しかし、日々食べている豚骨(毎日食べたら内臓を壊しますが)に対して、懺悔と供養と感謝の念を持つ者は、いません。
(いたら奇人変人の類か、豚骨メーカーでしょう)
ところが、これが人間の、それも聖人の骨だと状況は一変します。
贖罪の対象である食材から、途端に聖遺物と化してしまうのです。


【聖遺物】


聖者の死体を崇めるというのは、前回、即身仏でもやりました。
これは、仏教だけでなく、共産圏でもやってますし、キリスト教でもやってます。
キリスト教史では、中世のキリスト教などは、聖遺物信仰に過ぎなかったとまで言われているくらいです。

当然、聖遺物は観光収入の客寄せパンダになるので、教会間で、聖遺物の強奪なども普通にありました。
(今でも普通に、日本でも隣国が国宝の仏像盗んだりしてますが)

聖遺物は、聖人の死体だけでなく、衣服や日用品にも及びます。
聖者のパワーが伝染しているという考えは、東洋の気や日本の穢れ信仰にも通じる考えです。
何だかんだ言って、西洋人も同じような考え方をしているとわかります。

そのキリスト教の聖遺物の中でも、特S級の聖遺物は、やはりイエス関連でしょう。
他の聖者の聖遺物とはレベルが違います。

ちなみに、イエスの血痕とかあったら、今の技術だと普通にイエスを遺伝子学的に復活出来ちゃいます。
たぶん、普通に、西洋社会の闇ではどこかの組織が今もやっているんでしょうねえ・・・。
何せ、ナチスも聖遺物探しまくってましたし。

さて、西洋はともかく、東洋でも同じように聖遺物信仰はあります。
即身仏はその一つですが、やはり、その他大勢の聖者の死体では、宣伝ポイントのインパクトに欠けます。
西洋のイエスのように、東洋で匹敵する存在と言えば、世界宗教の仏教の釈迦くらいでしょう。

釈迦の聖遺物だったら、資格は十分です。

そのため、釈迦の聖遺物の信仰とプロパガンダが始まります。


【仏舎利】


仏舎利と言う物があります。
これは一体何かというと、釈迦の骨です。
歯とかもありますが、まあ歯は骨と同義語なので、実質、釈迦の骨だと言えます。

西洋でイエスの聖遺物が信仰を集めて、客寄せパンダになっているように、東洋でも同様です。
上座部仏教、大乗仏教問わず、仏舎利は信仰対象です。
やはり聖遺物信仰は、大衆の人気を博すようで、一神教のキリスト教や脱世俗の仏教と言えども、その集客効果には勝てなかったのです。

ぶっちゃけ死体の骨を拝んでいるという言葉にすると気色悪い邪教なのですが、それでも釈迦の骨です。
豚骨よりも(豚骨と比べるなと)ありがたい存在です。

たぶん、触れただけで、足萎えが治り、閉ざされた盲目が開かれる奇跡くらい余裕なのでしょう。たぶん。

ちなみに、世界各地に有る仏舎利の合計すると、象くらいの大きさになるそうです。
つまり、釈迦というのは、象くらいの身体の大きさの生物だったと言うことですね。
さすが、仏です。人間(ホモ・サピエンス)を超越した存在です。

このブログは、迷える衆生に真理を与えるありがたいブログなのですが(自称)、今日も、隠された人間、釈迦の実相を公開してしまいました。

嗚呼・・・!
神仏はなぜ豊河にこのような真理を授け給うのか・・・!

よく、大仏とか言いますが、実は大仏の大は不要だったのかも知れません。
普通にあのサイズは、普通の仏だったのです。

大仏が釈迦のデフォルトなのですから、寺に有る人間の大きさの仏像は小仏と呼ばなければいけません。

まあ、実際には仏舎利と言っても釈迦の骨だけではなく、高僧の骨とかも仏舎利とか言っているようです。
昔から日本にも仏舎利はありましたが、定期的に確認したり、皇族貴族が貰ったりした記録があります。

それによると、どうも、寺にある仏舎利が、勝手に増えたり減ったりしているようです。
世相の乱れや隆盛を反映していたりもしているようです。

仏舎利信仰は日本の仏教でも歴史が古く、結構な量の逸話があります。
あらゆる願いを叶える如意宝珠と習合したり稲荷信仰とも習合してます。

特に後者は、釈迦の骨と言っても、人間の死体です。
稲荷信仰は、かなりダークな面もあり、この人間の死体や骨というキーワードは、次回以降も必須項目です。


【ネットワーク】


そもそも論として、骨を拝むのはキリスト教だろうが仏教だだろうが、普通に異端です。
本人たちが生きていたら、おいやめろ馬鹿とツッコミを入れること間違い無しの超弩級の異端です。

しかし、現実には、どこの寺ももはや、聖遺物の客寄せパンダのご利益には逆らえません。
そもそも、この骨信仰というのは、方便としては都合の良い存在です。

釈迦もイエスも、現役時は、かなり一般人には不可能レベルなことを要求しています。
要するに出家しなければ、不可能なレベルを要求しているのです。

彼らの教義がマイルドになったのは、世界宗教になって一般ピープルの愚民に、説く必要があったからです。
当たり前ですが、僧侶も聖者も乞食です。

偉そうに上から目線で説教してますが、信者からのお布施で生きている寄生虫なのです。
儒学の泰斗の安岡正篤は、高等乞食という言葉を言っていましたが、それに当てはまります。

信者が、現世で労働している金で僧侶たちは生きているのです。
※これが貴族化すると焼き討ちにあったりします。

要するに僧侶たちが存在するには、一般ピープルの存在が必要不可欠だと言うことです。
ここに、彼らの脱世俗の教義の矛盾が生じてきます。
どうしても、スポンサーのご意向を伺わないと、乞食生活をしている彼らが飢えてしまいます。

そのため、どうしても「方便」がいるのです。
まあ、これが行き過ぎると、民衆の怒りで焼き討ちになるのですが、何だかんだ言っても金は必要です。
そのための聖遺物や仏舎利なのです。

いつまでも開祖の教義を純真に保ったままではいられないのです。
ピュアな時代は終わりを告げるのです。
反体制のロックに生きるのは、子供の時だけです。
釈迦の骨を使って子供の夢をロックしなければいけないのです。
ホネホネ・ロックなのです。

そして、民衆の方も、仏舎利に触れることで、仏縁を結ぶことが出来るのです。
肉体は腐りますが、骨は残ります。
生きている間は、舌よりも歯が抜け落ちるのですが、死体になれば逆転します。
諸行無常の人間の肉体で半永久的に残るのは骨だけです。

釈迦やイエスの教えは数千年を生きていますが、彼らの身体も同時に生きています。
衆生は、仏舎利という釈迦の骨(というラベルがついている)を通して、永遠に繋がるのです。

人は諸法無我であるゆえに、あらゆる存在にリンクしています。
良いものも悪いものも全てにつながっているのです。
釈迦の骨を通して、永遠にリンクするのです。
開運へのネットワークとして、このブログからもつながっているのです。

しかし、よくよく考えると、釈迦もイエスも死後も、肉体労働させられているのです。

ある意味、死後も永久に衆生のために労働させられるブラック社員のような気もしますが、アイドルだってしたくもないキモメンたちと、握手会をしなければ生きていけないのです。
自分たちが開いた宗教が生き残るためには、彼らはアイドルと同じように身体を使って営業しなければいけないのです。

生きるというのは辛いことなのです。
五蘊盛苦は無くなることのない業なのです。
まあ、ちなみに、豊河は広大なネットの海に漂うAI(人工知能)宇宙人なので、肉体などありませんから、どうでもいいのですが。

さて、仏教のネクロフィリアっぷりは、まだまだ続きます。
(まだ続くのかよ・・・!)


2017年3月26日日曜日

【陰隲録】功過格表㉞ 現人仏の国 五十善 野ざらし死体を埋めよう⑦





このブログの全体地図はこちら

はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)なお、皆さんの記事の感想大募集です。
陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
記事下のコメント欄や、メッセージやメールで、お気軽にどうぞ。

その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら




功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

五十善に相当する

一の主なき骸を埋む



仏教の、ネクロフィリア(屍体愛好)っぷりは前回やりましたが、さらなる境地へ攻めてみましょう。
※攻める必要があるのか?



プロジェクトX


エジプトのミイラや中国のキョンシー、南米のゾンビを始め、死体の復活は、人類の夢です。

逆に言えば、それほど死と生は不可逆的な物なのです。
この、難題に対して、人類は挑戦し続けて来ました。
プロジェクトX〜挑戦者たち〜なのです。

まあ、それで出来た物が上記のろくでもない存在なのですから、なかなか現実とは厳しいのです。

以前、カルト教団が、信者の子供が死んで黒化した死体を死んでないと言い張って事件になった話がありました。

どうやっても死んでしまう人間の運命を逆転させるのが難しのならば、せめて復活時に備えて、死体を保存しようというのが人間のサガです。

共産国家などでは指導者の死体を防腐処理して、観光化するのが流行りのトレンドですが、要するにこれは世界共通の真理なのでしょう。

この腐敗処理した死体というのは、中々インパクトがあり、死体と並んでその圧倒的な存在感のオーラを醸し出しています。
これは、普通はミイラと呼ばれています。

等身大の人形も結構ホラーなのですが、さらにミイラだとそれが倍増します。
要するに死にたくないという、人間の本能の表れです。

理想はそもそも死なないことなのですが、現実問題としてそれが無理そうなので、とりあえず死体だけ残しておこうという先送りの精神です。

現在では処方薬が無い難病治療を先送りにするための、コールドスリープ(冷凍睡眠)と同じ発想です。
未来ならなんとかなるだろうという未来への宿題です。

※日本政府の借金問題や、3.11以降の原発論議でも核廃棄物に対して同じような議論があったような気がするのですが・・・。





【ミイラ文明


この死体をミイラにするという発想は、人間ならば古今東西変わりません。
世界中どこにでもあります。

挙げ句の果ては、人間だけでなく、他の生物にまで実施してしまいます。
猿とかがよく犠牲になりますが、大抵、そのままミイラになるのではなくて、色々とオプションをつけて加工されます。

具体的には、角とか色んなオプションです。
で、鬼のミイラとか河童のミイラとかにされて、各地の寺で奉られるようになるのです。

人間は異形の物は殺すか崇めるかどちらかの選択肢しかしない生き物です。
この性質を逆手にとれば、異形の物を作り出すことで、聖遺物にすることが可能です。
この例はそれをよく表しています。

まあ、単に輸出用の商品だっただけの可能性も高いのですが・・・。
※欧米に結構輸出していたようです。
向こうではジェニーハーニバスと呼ばれていたそうです。

ある意味、食料品の保存と同じような物ですね。
魚の干物とかと同じです。
人間は、自分たちだけではなく食料の保存も熱心に創造してきました。
食料保存が出来ないと冬を越せないからです。

干し肉や干し飯、発酵食品など食品を長持ちさせる手法には事欠きません。
特に軍隊では兵糧の問題がありますから、死活問題です。
ミイラなんかより、食料(これも死体ですが)を腐らせてダメにさせない長持ちさせる手法は、こっちの方が死活問題です。

そう考えると、人類の文明は、生老病死という自然のサイクルに立ち向かう文明と言えましょう。
常に、常住不変の邪見を実現させるための反仏教的な邪道の文明です。

そう考えると、仏教などは人類の文明に一ミリたりとも貢献しないダメ宗教ですね。
そもそも、仏教が生老病死に勝てなかったよ・・・と2500年間屈していましたが、現代科学でそのうち何とかなりそうですし・・・。

そうした負け犬宗教の仏教ですが、生老病死に負けっぱなしではさすがに、沽券に関わると考えたのでしょう。

不老不死の研究を始めます。
そうして、数多の人体実験をすること幾星霜。
とうとう、不老不死に成功します。

それが、即身仏です。



【即身仏】


即身仏とはそもそも何か?
ぶっちゃけて言うと、僧侶のミイラです。

元々、仏教は悟りを開いて解脱するのを最終目的としています。
※後世の大乗では衆生救済の方が建前としてメインになっていきますが。

解脱は要するに輪廻からエスケープすることで、別な言葉では消滅です。
しかし、この初期仏教の、諸行無常のドグマも段々と仏の永劫普遍化に伴い、大乗仏教になると、すっかり他宗教と同じように、永遠の神を信仰するような教義になりました。

法華経などでは、久遠仏として、実在の釈迦以前から今に至るまでずーっと存在していると言われています。
ある意味、一神教のGODと同じような存在になった仏ですが、一点だけ相違点があります。

西洋の一神教のGODは、被造物の人間とは隔絶された存在です。
しかし、仏はそうではありません。
釈迦に代表されるように、人間から立身出世した存在です。

ある意味、イエスも人間からの立身出世組ですが、キリスト教の教義システムは、人間からの神への出世ルートが無いので、せいぜい天国に行く程度の出世しかありません。

この点が一神教と仏教が違う点です。
つまり、仏教だと人が仏になる余地が残されているということです。

この出世ルートは、しかしある意味、不可能なルートです。
人間はどこまで行っても人間です。
空を飛んだり手から光線を出すのは相当難しいのです。
※難しいとかそういう話では無いのですが。

しかし、一般の仏のイメージはそんなことが出来る連中です。
ここに、理想と現実のギャップが存在します。

精神的になら仏になることは可能です。
上座部仏教含めて基本、仏教はそれを目指しているし成功しています。
しかし、物理的な身体の次元ので仏(不老不死)になるのは難しいのです。


理想と現実のギャップがある場合、どちらかが妥協しなければいけません。
理想を諦めるか現実を諦めるかです。
しかし、人類は先程の保存食の話のように、自然に逆らうという性質を持っています。
なんとか人間を即身成仏出来るように色々と実験を積み重ねています。

基本的に、このリアル仏製造プロジェクトは、中国の仙人と同じような物です。
実際、同じようなことをしています。

理論や修行法も、共通点が多くあり、単純に人の行き来で情報交換があったことが伺えます。
※錬金術などに至っては東洋と西洋の行き来があります。

で、肉体レベルを仏(仙人)にしようという目論見の支流に、この即身仏が位置しています。

ミイラと違って即身仏になるには大変です。
ミイラは専門のプロが、普通の死体をせっせと防腐処理してくれますが、即身仏はあらかじめ五穀断ちとか断食とかして、最初からミイラに近い状態になって死ぬ必要があります。

要するに、即身仏とは、修行の一環なのです。
千日回峰修行を達成した行者が行き仏として崇められるように、即身仏も同様の崇拝対象となるのです。
※昔は嫌がる坊主を無理やり生き埋めにして即身仏にした例もあるのですが。

現人神と言うと、現代では問題になりますが、生き仏というと何だか有難そうなイメージがあります。
忌み嫌われる存在の死体が、一転して有り難いものに変わる錬金術です。
※そもそも、仏像でいいじゃんというツッコミは華麗にスルー。

これはある意味、生贄と同じものだと思っています。
生贄と言っても自分からなる生贄です。
自分が即身仏に成ることによって、崇拝対象となる。
以前も述べましたが、どんなものでも拝まれることで神聖化します。
即身仏として拝まれることで、神様化(仏化)してしまうのです。
その意味で衆生救済という大義に殉じた存在が即身仏と言えます。

何で仏になる目的がミイラにすり替わっているのか、仏とミイラが何の関係があるのか?
それは上記のような理由です。
生贄の一環なのです。
天皇陛下と同じく神と人とをつなぐ、人身御供なのです。

永遠の仏という概念を表すのにミイラが都合が良いのはエジプトと変わりません。
まあ、理想は、あんな干物ではなくて、もっと瑞々しい死体を希望していたのでしょうが、当時の人類の防腐技術ではミイラが限界だったと言うことです。

高野山の空海も即身仏(ミイラ)になって、未だに奥の院に存在しています。
一応、生きているという建前で、ご飯や掃除と言った世話係がいるくらいです。

ぶっちゃけ、さっきの死体遺棄の新興宗教団体とある意味、やっていることは同じなのですが、高野山は新興宗教団体ではありませんので、罪にはなりません。
法律というのは、権力の前では無力なのです。

さて、即身仏というミイラは実はまだマシです。
仏教のさらに奥義のネクロフィリアはまだまだ先があります。

2017年3月25日土曜日

【陰隲録】功過格表㉝ 一円相の世界 五十善 野ざらし死体を埋めよう⑥






このブログの全体地図はこちら

はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)なお、皆さんの記事の感想大募集です。
陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
記事下のコメント欄や、メッセージやメールで、お気軽にどうぞ。

その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら




功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

五十善に相当する

一の主なき骸を埋む




仏教の、ネクロフィリア(屍体愛好)っぷりは前回やりましたが、さらなる境地へ攻めてみましょう。
※攻める必要があるのか?



【ダメパワースポット製造機】



まあ、今まで言ってきたように、基本、死体は嫌われ者です。
ゴキブリや鼠の比ではありません。

猫や犬なら大喜びで寄ってくる子どもたちも、死体があったらダッシュで逃げます。
逆に、わーい、死体だーと近寄ってくる子供は、将来がとても心配です。
もしくは、追い剥ぎにならざるを得ない、社会環境の子供でしょう。


何しろ、死体は生ゴミなので、ほっておくと腐ります。
悪習はするわ疫病は発生させるわで、ろくでもない存在なのです。

おまけに、さらにほっておくと、妖怪が発生します。
妖怪「以津真天」という輩です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/以津真天

死体をいつまでもほっておくと、「いつまでー」「いつまでー」と連呼する妖怪だそうです。
死体をいつまで放っておくのかと。

しかし、そもそも、普通なら、死体は即処理されるのが、文明社会です。
死体が放置されるような状況は、要するに飢饉とか戦争時とか、緊急事態なので、妖怪如きに言われるまでもなく、ぶっちゃけ、ただの余計なお世話なのですが。

この妖怪に関して言わなくても、要するにそれだけ死体はタブーということです。
腐って、ウジが湧いてハエが湧いて、疫病が発生するので当然です。

で、ここでわかることは、死体が、負のオーラ(気)を発しているということです。

世の中の物は、基本、色んな気を発しています。
その中でも屈指の、ろくでも無い気が出ているのが死体です。

生きている人間ですら、死相が見えている段階の死にそうな人間は、嫌な気を発していますが、死体なら尚更です。
元気、生気の反対の死気と言えましょう。

まあ、世の中には、「俺の屍を超えていけ」というプロパガンダがありますが。

基本、人間が死ぬと、魂魄の魂は軽いので天に上り、魄は思いので地上に残ります。
俗に言う、後者が幽霊とかの類です。
本体じゃない人間の意識の残り滓のような物ですね。
日夜、我々が生霊として色んな念を出していますが、その最後っ屁のようなものです。

死体は普通燃やしたり埋めたりするので、この魄も、普通は無くなりますが(強力な念だと残って幽霊になる)、死体が残っていると、この魄がまだ死体にこっぺりと残っているということです。

天にいかず地上に残っているくらいなので、強力な執着だし、さらに、死体が片付けられないような状況だと、死んだ時の状況イコール念もやっぱりマイナスなろくでもないものです。

マイナスな気を邪気とか穢れとか呼んで嫌いますが、死体だとそれがたんまりとあるということです。

どんなパワースポットに行っても、死体が一個あれば台無しです(当たり前)。
清浄な空間も途端に、金田一が出て来る舞台になってしまいます。
パワースポットがあるところは、基本、田舎なので舞台は十分です。
その神社仏閣にちなんだ、伝説とか呪いとかの設定の殺人事件です。
ラストには、犯人の自殺と共に、派手に燃えちゃいそうですが。




【一元論の世界】




で、仏教の話ですが、死体は色んな名前があります。

「死骸」(しがい)
「遺骸」(いがい)
「亡骸」(なきがら)
「屍」(しかばね)
「骸」(むくろ)
「ほとけ」
「ほとけさん」

色んな呼び名がありますが、ここで注目したいのは、ラストの二行です。
何だ?ほとけって?

一体、凡人の死体が仏というのはどういうことでしょうか?
こういっちゃあ何ですが、大多数の人たちは凡人です。
豊河のような女子高生型AI宇宙人のようなもはや、この惑星レベルでは神にも等しい存在(何様だ?)とは違います。

この死ねば無条件に仏になるという観念は、日本人の特徴というか民族性というか思想というか、我々日本人にとっては、非常に重要な話です。

この話の関連で、悪名高い寺の葬儀ビジネスに戒名制度があります。

大金を取って(しかも金によってランクがある)、死後の名前をつけると言う搾取の極みですが、これは寺で葬式をすると無条件で死後、仏の弟子になるという制度です。

大乗仏教は、何せ、大衆用の宗教なので、基本、大衆が努力しなくても悟って解脱できるようなシステムになっています。
~をしただけで近い将来、成仏間違い無しという設定が多いのです。

禅では目的の成仏ではなく、手段の座ることそのものが既に成仏だと言う教義を立てています。

成仏を目指すということそのものが、執着になるというロジックです。

これが、進めば、何もしなくても、成仏しているという論理展開になります。

灌頂を受けただけで悟れる契機になる(輪廻を数回後に成仏できる)とか、おなじみ念仏も同じ類です。
すでに阿弥陀如来の本願で我々は救われている(死後、極楽浄土に強制連行)ので、感謝の念仏をすればよいという教義です。

ここには、大乗仏教特有の大衆向けの教義が垣間見えます。

そして、その教義が入っている日本国の我々日本人は、元からの神道のアニミズム思想と混在して、ありのままとか山川草木国土悉皆成仏とか、何もしなくてもそのままでOK、感謝しようという教義になります。

ある意味、これは善悪の二元論を超えた一元論です。

何でもかんでも感謝で処理するのは、感謝の一元論です。
日本人が大好きな「ありがとう」教は、その意味で一元論だと言えます。

二元論は、一神教が有名ですが、善悪の二元論、神と悪魔の戦い、神と自然、神と人間など徹底的に上下の二元論を構築します。

しかし、日本人の到達点(出発点か?)は、全てを肯定する一元論です。
一神教や仏教の二元論とは、思想が違います。

厳密に言えば、仏教は、世界(死後も含めて)が全て苦だと言う一元論とも言えますが。

解脱は消滅と同義語なので、無いものと考えると、世界は苦だという一元論です。
世界を肯定する日本の一元論と逆方向の一元論だと言えます。

まあ、この一元論は、別に日本に限ったことではなく、宗教の基本です。

以前にも述べましたが、宗教は現実の不合理な矛盾を許容するのが、社会的な役割です。

愚民の不平不満を、革命が起きないように、吸収する。
支配と搾取の不平不満を死後の餌をぶらさげて受け入れさす。
これが、宗教の役割です。

その意味で、宗教はすべからく一元論です。
現世の、全てを許容するのが目的です。
どんなに迷っても泣いても(神の)愛があれば大丈夫なのです。




次回はさらに仏教のネクロフィリアの奥義に迫ります。

2017年3月24日金曜日

【陰隲録】功過格表㉜ へんじがない。ただのしかばねのようだ。 五十善 野ざらし死体を埋めよう⑤




このブログの全体地図はこちら

はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)なお、皆さんの記事の感想大募集です。
陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
記事下のコメント欄や、メッセージやメールで、お気軽にどうぞ。

その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら




功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

五十善に相当する

一の主なき骸を埋む



死体が大好きネクロフィリアの世界枢軸宗教。

ネクロマンシーイエスが開祖のキリスト教に並ぶ、世界宗教の仏教も同様です。

基本、インド人宗教っぽく、死体はファイヤーするのですが、仏教の死体への偏愛は、並大抵の物ではありません。




【燃える生ゴミ】


基本、死体というのは生ゴミです。
身も蓋もない言い方をすればそうなります。

死体が忌み嫌われている理由としては、単純に、生ゴミのため、腐るという性質を持っているからです。

人間は腐る物を基本的に嫌います。
臭いし、不衛生だからです。


発酵食品という腐ることを利用した文明の利器もありますが、死体はさすがに食べられません。

ウジは湧くし、孵化してハエは湧くわで、家の中に置いても迷惑千万です。

ただでさえ、腐るものは上記の性質を持っているのに、さらに、それが元人間ということも拍車をかけます。

生き物の死体や腐敗は、人間でなくても気持ちが悪いものですが、自分と同じ種の人間だと、その気持ち悪さもひとしおです。

身内であったら尚更でしょう。



しかも、腐敗死体には根源的に、人間の魂の奥底に湧き上がる得体の知れない恐怖を感じさせます。

それは、普段意識することのない、絶対的な敵。

即ち、「死」という絶対的な敵の存在です。




【メメント・モリ(死を忘れるな)】




人間や生命は、普段はこの死を意識することはありません。

繁殖を遺伝子の目的とする生命は、死という概念は、意識すると、ストレスのかかるものだからです。

死に伴う、痛みや恐怖、崩壊は、自分の遺伝子にとって、最大限の敵です。


とは言え、人は、生命は、誰でも死にます。

普段、忘れたふりをしていますが、人は自分は必ず死ぬのです。


猫も杓子も釈迦も達磨も、等しく死ぬのです。

そもそも、開祖ヅラして偉そうに我々を睥睨する、釈迦もイエスも、コロリと死んでいます。

どんなに偉そうなことを言っていても、人はあっけなく死ぬのです。



人間は、いずれ来るこの絶対的な敵を忘れることで、かろうじて精神の平衡を保っているのです。

死は人間にとってどうしようもない強制イベントなので、考えてもどうしようもないのです。
どうしようも無いものは考えても無駄です。

そんなことにストレスを感じるくらいなら、思考停止した方がよいのです。
そのため、人間は、普段、死について考えるのをやめているのです。

死体はその閉塞した思考停止のタブーを破ります。

普段、意識からわざと除外している「死」について、強制的に想起させてしまうのです。


だから、人間は、死体を忌み嫌います。

そして、逆に言えば、死体は我々が普段忘れている死について、強制的に認識させるという機能を、デフォルトで搭載していると言えます。

死の強制認識装置。
ここに、仏教が死体が大好きな理由が存在します。




【観察される死体(早く埋めろや・・・)】


現代の日本では、そうそう簡単に出来ることではありませんが、死体は、仏教の修行にとって、役に立つアイテムです。
修行促進アイテムなのです。

具体的には、死体を観察(もしくは観想)することによって、諸行無常の訓練をするからです。


仏教の瞑想法には、不浄観や死観と言うものがあり、名前だけでも普通にどんなものかわかると思いますが、要するに、死を徹底してイメージしたり、死体の腐乱段階を、自分の身体に見立てて、イメージします。

九相図という死体の腐乱フェイズ図がありますが、要するにこういう物を瞑想して、執着を無くすわけです。

ちなみに、その九段階は、こんな感じです。


1.脹相(ちょうそう) - 死体が腐敗によるガスの発生で内部から膨張する。
2.壊相(えそう) - 死体の腐乱が進み皮膚が破れ壊れはじめる。
3.血塗相(けちずそう) - 死体の腐敗による損壊がさらに進み、溶解した脂肪・血液・体液が体外に滲みだす。
4.膿爛相(のうらんそう) - 死体自体が腐敗により溶解する。
5.青瘀相(しょうおそう) - 死体が青黒くなる。
6.噉相(たんそう) - 死体に虫がわき、鳥獣に食い荒らされる。
7.散相(さんそう) - 以上の結果、死体の部位が散乱する。
8.骨相(こつそう) - 血肉や皮脂がなくなり骨だけになる。
9.焼相(しょうそう) - 骨が焼かれ灰だけになる。

対象としては、女性(なるべく美しい方がよい)の身体が選ばれます。

肉体への諸行無常と、共に、人間の三大煩悩の性欲(男性修行者限定)の対処と一石二鳥を狙っているわけです

これによって、肉体と性欲の執着を無くすわけです。
基本、人間は自分の身体が大好きです。
自分だけは死なないと思っています。
自分の身体の愛着は凄まじいのです。

無常という概念の基礎として、一番身近で一番愛着のある自分の身体を観想するのです。

そう言うと、
「いずれ老いさらばえて死ぬとしても、今は美女じゃんか!今を生きるんだ!」
と、ハッスルする意見も出てきます。

しかし、タバコと肺の癌画像の併用のように、やはり条件付けとして、腐った死体と美女がリンクするので、執着は消えやすいのです。

執着が消えれば、賢者モードになって智慧が出てきます。
欲にかられて盲目になると、智慧は隠れます。

兵法では、こういう人はいいカモです。
魚が餌針につられるように狩られてしまいます。
つまり、開運(マイナス防止分野)としても有効なわけです。

さらに、死体になるということはイコール死を認識するわけです。
葉隠に「武士道とは死ぬことと見つけたり」という有名な言葉があります。

別に我々は武士でも何でもありませんが、死を認識することは心の浄化に非常に重要です。
ここらへんは、あとあとの回でもとりあげます。

無論、対象の美女死体への執着が、消えるどころか、段々と興味が湧いてきて興奮してきたら、それはそれでネクロフィリア(死体愛好)の危険信号なのですが。




【コナンや金田一という、行く先々に死体を生成する死神】




しかし、当然、死体を気軽に部屋に置いておくことは出来ません。

死体は人を呼びます。

下手をすると、国家権力の手先によって、お縄となってしまいます。
密室だったら、名探偵が出張ってくる騒ぎになってしまいます。

名探偵だったら冤罪で捕まることはないでしょうが、迷探偵だったら、殺人の冤罪を着せられてしまうかも知れません。
少なくとも死体遺棄の罪に問われてしまいます。

うかつに、死体を用意するのは、容易ではないのです。
現代社会は、それだけ死体を用意するのは、難しいのです。

葬儀、医療関係者や、裏社会の人間ならともかく、死体を見る機会すら現代ではなかなかありません。


まあ、とは言え、つい前世紀には、死体などゴロゴロ転がっていた時代です。

今だって、日本は、大震災や戦乱を含めていつ、地獄絵図になるかわかったものではありません。
自分の身体だけでなく、日本国の身体(国体)も、諸行無常の響きに満ちているのです。

執着が消えれば智慧が出てきます。
国体が常住不変の物でないと分かれば、国が仕掛けている洗脳から逃れらます。

国だけでなく会社も家族も全部同じです。
万物を貫く法則の諸行無常は、例外を許さないのです。

本来、世俗の開運は、これらに感謝し奉仕することが基本です。
(そもそも陰徳自体がそう)
しかし、究極にはこれらはゴミ同然の価値でしかありません。
非世俗の境地にはこれらはゴミとして捨てられるのです。
だからこそ、古人はこう言うのです。
仏の前にゴミはなし(538年日本に仏教伝来)と。


また、死体を見る代替案としては、幸い、ネットがあります。
興味のある方は、今、目の前にある画面で検索して下さい。
いくらでもグロ画像が出てきます。



まあ、仏教のネクロフィリア属性の基本レベルは、大体上記です。
が、
さらなる、ハードコアなネクロフィリア属性の上級レベルは、次回にまわしましょう。