2018年10月31日水曜日

努力論












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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。





努力不足


皆さんは、自己責任と並ぶ、強者の弱者イジメの代表的なパワーワードである、「努力」という言葉をご存知でしょうか?


まあ、日本人であれば、知らない人はいないと思うので、説明は不要と思いますが、実質、努力という言葉は、強者が弱者に、
「お前が無能なのは環境でも才能でもなく、努力不足だからだ」
と、自己責任でヘイトする際に、使われます。

特に、これがマクロの話になると、新自由主義的なプロパガンダで、
「氷河期世代がフリーターや非正規なのは、努力不足の自己責任」
などと言う、使われ方をして、実際の格差や搾取を正当化してしまうのです。

つまり、弱者に優しくないわけです。
恵まれた人間が、貧困者を見て、努力不足だと罵るのは、美しくありません。
そのため、あまり、このブログでは、努力という言葉を使わずに、むしろ攻撃してきていました。

そもそも、努力などは、カルマの前では、全く無力です。
前世の悪業と善業の結果、今生の状況があります。

生まれた国や家、容姿に才能と言った、まさに先天的なものは、一生を左右しますし、後天的にも、運というのは正に決定的です。

それは、いくら努力しようがどうしようも無い話であり、だからこそ、業というものを重視して開運のために、諸悪莫作衆善奉行と言ってきたわけです。
要するに、陰徳を積んで、業を解消しましょうという話ですね。


ところが、努力というのは、実際は、因果応報の観点から見ても、一応、理屈は立ってしまうのです。

ここらへんは、バラモン教などの、苦行という形ですが、以前も、論考しました。

しかし、強者の理屈になりやすく、ブラック企業や格差がはびこる昨今の風潮から見て、如何なものかと思い、黙っていましたが、まあ、これだけ、さんざん、陰徳や業の差別論などを、やってきたので、そろそろ、努力という密教を開示してもよかろう(大げさ)と思い、努力について論考しましょう。


ということで、次回はその話です。







通貨の力と陰徳











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通貨



前回、日本は格差社会になったという話をしました。

しかし、冷静に考えてみると、これは半分正しく、半分間違っているのです。

日本だと、最悪でも衣食住は約束されます。

行政機関が、面倒を見てくれるからです。

しかし、世界には、衣食住が約束されているのは、上位一割の世界の人間です。

要するに、日本に生まれたというだけで、すでに勝ち組なのです。

ちなみに、こういうと、日本の弱者を助ける必要がないのか?
という話になりますが、もちろん、日本の弱者も救済対象です。

で、この国家間の貧富の差、言ってしまえば、通貨の為替の差は、意外と大きいのです。

例えば、WFPのHPを見ると




3000円でどうたらとか、日本人から見れば、はした金で、途上国の命の値段になります。

要するに、通貨の差で、途上国の命は我々、日本人から見ると、安いのです。

本来、命の価値は平等です。

どんな偉い人間も賢人も、愚者も悪人も聖人も一緒です。

しかし、現実問題として、先進国で金持ち国家の日本の円の通貨は、途上国では、人間の命の値段になります。

この、どうしようもう無い現実は、憎むべき現実ではありますが、同時に、陰徳としては、極めて有利な状況となります。

理由は、通貨の価値の段差で、陰徳が為しやすいからです。

日本だと、人一人の命を救うのに、大金がかかります。

難病支援だとかを見れば、数千万とか数億とかかかるのです。
しかし、途上国だと、数千円です。

こういう、通貨の差は、いざ、陰徳をやろうとした時に、有利なのは、言うまでも無いでしょう。

とは言え、遠い途上国への支援などは、中間搾取されたり、あるいは、アグ○スの豪邸に使われたりと、色々と、怪しいところがあります。

そこらへんは、私も、じゃあ、何に寄付すればいいの?とかは、責任が持てませんので、自己責任でお願いします。

ちなみに、この問題を考える時に、金持ちは金が金を呼んで、さらに金持ちになりやすいという話は、そのまま陰徳にも適用されます。

金持ち国家の住人である日本人は、通貨為替を利用して、途上国に寄付すれば、簡単に、はした金で、陰徳を大量ゲット出来てしまうからです。

良い立場にあればあるほど、陰徳はやりやすいのです。
ただし、逆もまた然りで、先進国の人間はその通貨の力で、強権を振るえますので、悪業もまた簡単に莫大なカルマを積めてしまいます。

重々気をつけなければならないことです。








2018年10月29日月曜日

身口意の陰徳効率











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身口意


日本は、格差社会になり、貧しくなったと言われています。

氷河期世代を始め、非正規雇用の人たちは悲惨で、家庭も築けず、老後の資金すらありません。

20年後には、とてつもないヤバイことになるのは、目に見えているのですが、政府の無策は相変わらずです。

さすがに今では聞かれなくなりましたが、自己責任で正社員雇用が出来ない非正規社員の悲哀は片付けられており、格差が正しいという、新自由主義政策が、大手を振っていました。
(厳密に言えば、今でもですが)

しかし、陰徳を勤しむ我々にとっては、こうした風潮に乗ること無く、常に、慈悲を持つ必要があります。

実際に搾取していなくても、弱者を見下すだけで、罪になり因果応報のカルマで、同じ立場になるという話は結構あります。

密教は身口意の三密を、仏に合わせますが、身体の行動や、口による言動だけでなく、心の意識の中身も、善悪があります。

早い話が、心で思っていることが、カルマになる可能性が高いのです。

一般には、心で思うだけだと、具体的な行動よりも善悪のカルマは少ないと思いがちですが、どうも、見下し系の因果応報の話を見ると、単純に、弱者を馬鹿にしただけで、自分が同じ立場になるという、計数的には、理不尽な因果応報の例が多く、甘く見ないほうが良さそうです。

なにせ、いつも言っているように、因果応報のストックは目に見えないため、何が、カウントされるかわかったものではありません。

例えば、念仏で死後、阿弥陀如来が極楽浄土に強制連行してくれる話だって、よくよく考えてみると、因果応報に喧嘩売りまくりの話です。

そんなわけで、心の声にも注意しなければいけません。









2018年10月25日木曜日

善悪の判断。慈悲と智慧の両輪。











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経済政策


このブログでは、因果応報の数値化で開運という外道な方法を勧めていますが、そもそも、何が善で何が悪かは、難しいのです。

個人レベルでもそうだし、マクロレベルでもそうです。

例えば、日本の左派(リベラル)は、経済的なマクロ政策に疎く、再分配は主張するものの、どうやって経済のパイを大きくするか?どうやって、他国と経済競争をして勝つか?企業はどう利益を伸ばすか?

など、日本国としての、経済政策は極めて脆弱です。

ここは、左派内部ですら批判が上がっていて、もっとマクロ経済政策に重点を置くようにという主張も上がってきています。

しかし、現実には、この失われた「30年」で、左派の経済政策は、全く要領を得ないものばかりです。

消費税増税などの財政緊縮政策や、もう経済成長はしないから脱成長を、精神的な豊かさを、などの緊縮政策ばかりです。

そして、これが、失われた30年の中で、与党としても野党としても、景気回復に繋がらずに、本来、新自由主義の与党のアベノミクスで、金融緩和のお株を奪われるまでに至っています。

本来ならば、このような社会主義的政策はリベラルの左派の仕事のはずですが、日本の左派は再分配を唱える割には、金融緩和を始めとする、緊縮財政派ばかりです。

要するに、野党が長すぎて、本気で経済含めて日本の舵取りを、どうでもいいと思っているのか、何か売国的な思惑があるかのどちらかですが、野党が経済政策に関して、無能ということは、日本国民にとって与党を監視出来る対抗軸が無いという点で、不幸な結果になっています。

どうも、リベラルが経済政策を唱えない理由は、自分たちは関係ないというか、すでに功成り名遂げているため、悠々自適のノマドライフをしたいという、引退老人のような思想からのようです。

経済成長は良くないことであり、田舎で陶芸でもしながら優雅に過ごすことが理想のようなのです。

これでは、彼らのような金持ち世代とは違う、若い貧困の世代の支持を得られるはずはありません。


慈悲と智慧


で、別に、経済政策やリベラルのことはどうでも良くて、何が言いたいかというと、善悪の基準は、個人レベルでもマクロレベルでも、難しいということです。

例に上げた愚策のリベラルでも、彼らは、別に悪いことをしていると思っていません。
大マジに、経済成長は悪で、日本人は悠々自適のノマドライフをするのが、善であると信じているのです。
ただ、彼らの目には、彼らのような豊かな世代以外は見えないだけの話なのです。

善か悪かは、本人の知性に大きく左右されます。
入ってくる情報によって左右されると言ってもいいでしょう。

仏教では智慧と慈悲というフレーズが多様されますが、まあ、この智慧というのは、仏教的な叡智のことですが、もう一つの解釈として、実際に、慈悲のように善悪をするには、IQと情報という智慧がいるのです。

ですので、単純に、善悪だけ考えていると、思わぬ失敗をしてしまいます。

例えば、被害者だと思っていた人間が加害者で、加害者だと思っていた人間が被害者かも知れません。
間違っていた情報で、彼らに関わっていたら、善業や悪業がひっくり返った結果になってしまいます。

ですので、日々の陰徳に励むのは、十分に尊い行為なのですが、智慧の方も充実させる必要があります。

常にあらゆる情報を入手し、あらゆることを勉強する必要があります。

善をなし悪をなさないためにも、勉強が必要なのです。

これは、マクロになればなるほど、重要です。

例えば、国の為政者になった時に、智慧が足らずに、悪人に権力を与え、悪人をブレーンやスタッフにして、悪人が望む政策をやったら、その被害は計り知れません。

せっかく、徳を、今生、前世で積んで為政者になったのに、元の木阿弥です。

山高ければ谷深し。

陰徳で開運すればするほど、その危険性は増すのです。











2018年10月21日日曜日

安田善次郎の憂鬱











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安田善次郎



皆さんは、安田善次郎という男をご存知でしょうか?

というか、私も知らなかったのですが、AMAZONで、陰徳でググってみると、
もともとマイナーワードなので大してヒットしないのですが、その中で、

銀行王 安田善次郎: 陰徳を積む (新潮文庫)

という本がヒットします。

では、安田善次郎とは何か?とWIKIで見てみると、要するに戦前の安田財閥の祖です

立身出世して財閥を築いたのですが、慈善にも興味があったらしく、特に陰徳を実践しています。

東京大学の安田講堂や、日比谷公会堂、千代田区立麹町中学校校地は善次郎の寄贈によるものであるが、「名声を得るために寄付をするのではなく、陰徳でなくてはならない」として匿名で寄付を行っていたため、生前はこれらの寄付行為は世間に知られていなかった。例えば、安田講堂は死後に善次郎を偲び、一般に安田講堂と呼ばれるようになる。
要するに、陰徳で開運しましたー!
さあ、みんなも陰徳して開運しようぜ!

という、良いサンプルであると思っていたのですが、ところが、

翌日、門前で4時間ほどねばったところ、面会が許された。午前9時20分ごろ、善次郎は別邸の十二畳の応接間で朝日に短刀で切り付けられ、逃げようとしたが廊下から庭先に転落したところを咽頭部に止めを刺されて死亡した。その後朝日は応接間に戻り、所持していた短刀と西洋刀で咽喉を突いて自殺した。

斬奸状に曰く、「奸富安田善次郎巨富ヲ作スト雖モ富豪ノ責任ヲ果サズ。国家社会ヲ無視シ、貪欲卑吝ニシテ民衆ノ怨府タルヤ久シ、予其ノ頑迷ヲ愍ミ仏心慈言ヲ以テ訓フルト雖モ改悟セズ。由テ天誅ヲ加ヘ世ノ警メト為ス」とされる。


陰徳だから、世間からは慈善が認識されずに、右翼にあっさり殺されています。

全く、この世には、神も仏もいないことがよくわかります。


弁論


さて、因果応報が正しければ、このヘンテコなサンプルはどうした訳でしょうか?

いつものように、無理やり、因果応報理論を、弁論するとすれば、下記の感じになります。


①安田の悪業が多すぎて、慈善の陰徳で相殺出来なかった。
 
やっぱり、多少、慈善しすぎたところで、財閥にまでなった
幸運と悪業の量の方が大きかったのでしょう。
そのため、非業の最期を遂げたと。



②むしろ陰徳を積んでたから神仏の慈悲で殺された。

前にも言いましたが、どうもこの世の陰徳や罪業などのカルマと死後の信賞必罰は、明らかに釣り合っていません。
質量保存の法則をガン無視しているのです。

仏教だろうがどこの宗教だろうが、明らかに現世の善悪のカルマよりも過大に、来世の信賞必罰が闇金レベルの暴利で形成されます。

例えば、仏教の地獄とか天界とか、億とか兆とか京とか、そういうふざけた単位の年数が出てきます。
しかし、よくよく考えてみればわかりますが、明らかに人間一人が出来る、現世の罪というのは、ぶっちゃけ、大した罪ではありません。

仮に、独裁者が百万人殺したとしても、人一人殺した罪はせいぜい100年ですので一億年の刑期です。

しかし、百万人殺してようやく一億年です。
何をどう頑張ろうが、兆とか京とか不可能なのです。

しかし、宗教はもうテキトウに数値を乗っけているだけだと思いますが、こういう罪と罰が成り立っていない刑罰や賞与を唱えています。

で、仮に、こうした変な理屈に合わない話が本当だとして、我々にもっとも、効率の良い因果応報ライフスタイルは何か?
と考えてみると、2つあって、

①来世の功徳は、半端なく投資効果が高いので、なるべく陰徳功徳を積んで、かつ現世で消費しないで、来世の投資効果が高い環境構築に使う。

②来世の悪業罪罰は、半端なく投資効果が悪いので、なるべく悪業をしないで、かつ来世に罪と罰を持ち込まないために現世でカルマの応報を受けて消費する。

この2つの考えが合理的なライフスタイルになります。


このヘンテコな因果応報理論から、考えると、安田善次郎が、暗殺されて一見、非業の死を遂げたように見えますが、むしろ、現世で殺されてカルマを大量に消費した結果、来世の、悪業投資効果の暴利にならないで良かったとも言えます。

つまり、安田善次郎の暗殺悲劇は、彼が陰徳を積んでいたための、神仏の愛だと言えるでしょう。

ぶっちゃけ、変な理屈というか、いつも文句行っているカースト制度の差別理論に近いのですが、この理論の問題は、当然、現世の悪や搾取や悪政を正当化してしまうということです。

しかし、その弊害があるにしても、個人レベルで考えれば、あらゆる不幸を許して、感謝と慈悲の達観した境地の理論武装にはなります。

殺されようが損をしようが、それで苦悩をしなくなるというのは、それはそれで尊い境地なのではないでしょうか?

まあ、何度も言っているように、社会的には差別理論なので、社会的不公正や、あるいは個人レベルでも、「自分以外」の弱者の不幸を助けない理屈にはなりません。

そこは、勘違いしないようにしたいところですが、自分レベルの修養では、使える理論ではないでしょうか?








2018年10月19日金曜日

必要悪のろくでもない話











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暴力機関


このブログでは、因果応報という基本的な東洋思想を元に、開運の方法を述べています。

単純に良いことをすれば開運し、悪いことをすれば不運になるという、至極明快な思想です。

しかし、豊河は、性格がネジ曲がっているので、ほんとかー?ほんとにそうかー?と、絶えず、疑っている不信の輩です。

今まで、さんざん、いや、因果応報って差別思想であろうという記事を書いているわけですが、何回か、取り上げてきた必要悪の話を、またしてみましょう。


必要悪というのは、この弱肉強食の世界の中で、他者を傷つけたり殺したり肉にしてきたりと、悪業を生きていく中でしなくてはならないパターンの話です。

よく、暴力団やヤクザが、社会から無くならない理由として、必要悪だからという理由が述べられます。

要するに、犯罪者が世の中が回るには必要だという考えがあるのです。

もっと応用すれば警察や軍隊がそうです。

本来、民間人に禁止されている暴力を、これらの国家機関は、堂々と保持しています。

そして、有事となれば、本来ならば犯罪行為である暴力を行使する暴力機関であり、実際に、暴力を行使し、咎められることはありません。

さすがに、戦争犯罪などの場合は、終わった後で糾弾されることもありますが、基本的に、国家の暴力機関は、犯罪を容認されているのです。


そして、国家から容認されているだけではありません。
国民の我々も、特に問題が有るとは思っていないのです。

つまり、一般道徳のレベルで、
「容認される暴力・犯罪がある」
という、事実が、この世界には厳然として存在しているのです。


苦海


ただし、これは現実世界の話であって、宗教的な話ではありません。

基本、宗教はこの世の論理ではないので、上記のような、なあなあな曖昧模糊としたものは認めません。

暴力や犯罪は良くないけど、治安や国防のためなら仕方ないよね?

というような論理を認めないのです。

そして、それを実践すると、世の中では生きていけないので出家するしかありません。

因果応報のカルマの原則も同様です。

例え、理由があろうが、物理的なまでに正確な因果の法則は、したことがそのまま帰ってきてしまいます。

理由の如何を問わず、国家機関の暴力や犯罪は、そのまま罪となり罰として帰ってきます。
罪と罰というよりは、物理の作用・反作用と同じで、そのまま還ってくるということです。

しかし、そうは言っても、生きている内は色々と、我々も、悪事をしなくては生きていけません。

せめて、自分の命がかかった時の、正当防衛くらいは、許容して欲しいものですが、ガチの宗教論理は、カルマだからそのまま死ねくらいのことは平気で言います。

しかし、そんなことは不可能ですので、実際に正当防衛で殺してしまい、罪になるのです。

平和な民度の高い環境ならば、そんなことをする必要はないのでしょうが、民度の低い地域ならば、日常茶飯事でそんなことが起こります。

例えば、親が虐待してきた時に正当防衛で殺してしまうのは、宗教的に罪になるのか?と言えば、罪になってしまいます。

たたでさえ、生きてるだけで、他の生き物を殺して食っている人間です。

生きているだけで罪になって、その因果の結果、罰が来て不幸になってしまうのです。

全く持って、理不尽な話です。

それゆえに、六道輪廻の中でも比較的マシな人間界でも、所詮は苦海なのです。

生存そのものが苦であるという、仏教の教説の意味はここにあります。

単純に、自己防衛でもカルマになってしまうので、生きてるだけで、正当防衛で罪を背負うか、敵にやられるかの二択なのです。

このことは、単純に、善業をやれば出世して金が入り開運云々という話では無くなってきます。

偉くなればなるほど、必要悪の存在が重要視されてくるのです。



選択肢

ここらへんの必要悪のテーマは、非常に重要なので、何回も記事にしていますが、それだけ重要だと言うことです。

今の所の回避策は、

①偉くなっても危険な職業は避ける。
例えば、昔風に言えば、文官と武官だったら、武官は避けるなど。

②逃げるのも手である。
手を汚して地獄に生きたくなかったら、引退するとか、そのビジネスから手を引くとかも選択肢として考える。
この世の一時の損と、死後の地獄行きとどちらかがいいかは考えるまでもありません。

③受け入れて善のために悪事をする。
この選択肢は、宗教的には奥義に属するものであり、密教的な危険思想です。
闇があるから光が輝くとかそういう屁理屈の世界に近いのですが、悪が無ければ善が無いという二元論でも同じ理屈です。



善のために悪をなす


比較考量説を観るまでもなく、実際の世の中というのは、少数の悪事を許容して全体の善を守るということが起こりやすく、極端な話をすれば、人体実験して出来た新薬が、犠牲者よりも多くの人間を救えばOKだという考えは、根強くあります。

もっと言えば、初めから地獄に落ちるのを覚悟で悪事をするというのも、犠牲精神の発露としては、これまた珍しくありません。

例えば、戦国時代で民が困窮していたら天下統一をするのが、民の利益になりますが、そのために武将として万単位の兵や敵国の民を殺害虐殺したとします。

この場合のカルマと死後の裁きはどうなるのか?
敵を殺した罪と罰と、天下統一して万人を救った功績の善と報奨は、どう矛盾するのか?

もしかしたら、比較考量説で、差し引きで人数が多いほうが優先になるかも知れません。
明らかに殺した数よりも天下泰平で利益を得る人のほうが多いのでチャラになるのかも知れません。

しかし、そうならない可能性もあるのです。

功績に関係なく、殺した罪過で地獄に堕ちるというシステムかも知れません。

そして、
「地獄に堕ちると最初から分かっていて、天下万民のために天下統一した」
という方針だったら、これは、自己犠牲精神となります。

言ってしまえば、イエスと一緒で、自分が磔になることで、万民を救ったのと一緒です。

いわば、汚れ役です。

汚れ役は誰もやりたがらないのです。
しかし、誰かがやらなくてはならない。
そのため、貧乏くじを引いた人がやる。

これは、社長なんかも同じです。
みんな騙されて引き受けてしまう。
しかし、いざ社長をやってみると、自殺率NO1の職業なのです。

毎月、社員の給料を払わなければならない。
待ったは聞きません。
社員は必ず、給料を貰えるものと思っている。
そのプレッシャーは常人には耐えられません。

要するに汚れ役なのです。

そもそも、社長も悪人も彼らがいなければ世の中は回りません。

悪が無い世界は善しかなく、善は善だと認識出来ません。

また、善ばかりだと世の中は簡単に回っているものと勘違いしてしまいます。

金持ちが、世の中に貧困が存在しない、全て自己責任だと思ってるようなパターンがありますが、そうならないようになっているのです。


霊的進化


つまり、何が言いたいかと言うと、

「結局、何をどうやろうと、世の中から悪が消えることはない」

という、身も蓋もない現実があります。
悪だけではなく、貧困や病気や争いは、無くならないのです。

しかも、さらに忌々しいことに、世界進化論の考え方だと、世の中はどんどん霊的に進化する、少なくとも個人的レベルでは輪廻転生を通じて進化するという考えがあります(過去記事参照)が、

この考えだと、ロジックとして必要悪は必須になります。

理由は、進化するためには酸いも甘いも噛み分ける必要があるからです。

何でも出来て何でも解決できちゃう超人になるには、全てを知っている必要があります。

知識だけではなく、経験が必要です。
戦場も知っていなければいけないし、悪事も経験しなくてはいけません。
弱者の心を知るためには、弱者を経験していなくてはいけませんし、強者の心を知るためには、強者を経験していなくてはいけません。

早い話が、輪廻転生の中で、初めから霊的進化カリキュラムの消化項目として、悪事をやる項目があるということです。

もちろん、悪事をなした次の転生は地獄行きになったり、悲惨な境遇になったりしますが、それも全体スケジュールとしては予定調和の想定内です。

悪事が駄目と言いながら、悪事をやらないと進化出来ない。

この矛盾が、存在しています。
そして、その後の地獄も含めると、必ず、苦を体験するというスケジュールなのです。

これが、一切皆苦という意味のさらなる追加解釈です。

ほんと、世の中はクソゲーですね。

とりあえず、そんな感じで。




2018年10月8日月曜日

【弁仏論】因果応報論の一大ネックである差別肯定思想について 反論③業の空性 その⑥











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前回のまとめ



因果応報という、バリバリの差別思想を、無理やり擁護するための弁仏論を張る豊河。



とりあえず、



①業の不可知性
②業の窃盗自由
③業の空性
④業の無効論



の、4つの反論を「無理くり」捻り出す豊河。
※詭弁レベルで無理やりやってます。


3つ目の、

③業の空性

です。
大乗仏教の空性という悟りの境地で、因果応報の弊害を無効化してみましょう。





理由



さて、ずーっと、豊河がしつこく言っているように、因果応報(カルマの法則)とは、重大な欠点があります。




因果応報の法則というのは、文字通り原因と結果、この二つです。

原因があれば結果がある。
これは単純な科学法則です。

逆を言えば、原因がなければ結果はない。
結果というのは、必ず原因に起因しています。

森羅万象あらゆるものには原因がある。
およそ、それは偶然というのを認めない思想です。

世界の全てのものは、原因と結果で成り立っています。
これに外れるものは何一つありません。
すべてのものは原因と結果の法則に内包されています。

さて、これらは、現代人の我々には自明の理として認識されます。
原因と結果の法則は、科学の基本だからです。

しかし、科学法則は、理系の分野であっても文系の分野ではあまりピンときません。

特に、人間関係はロジカルではないというのが、一般的です。

しかし、本来、因果の法則は森羅万象全てに当てはまるはずです。
特に、これに、 善悪の問題が絡むと、途端に宗教的になります。

善因善果、悪因悪果。
正式には、
善因楽果、悪因苦果。

原因と結果の法則には、本来善悪はありません。
種を土に埋めて水を与えれば、植物の芽は出ます。
それは、文字通り、原因と結果の法則です。

しかし、人間には、 善悪の観念があります。
また、感覚機能がある故に、苦楽の認識があります。

ここに、単純な因果法則に、人間の思惑や価値観が混じることになります。

例えば、ある人が、金銭から身を起こして成功したとします。
ここには、当然のことながら、原因と結果の法則があります。

それは、単純に、努力の量が多かったとか、才能に恵まれていたとか、運が良かったとか、環境が良かったとか、色々な条件があることでしょう。
それらの原因が、成功という結果を導きだしました。

これが因果です。
原因と結果です。

さて、ここには、善悪の問題はありません。
悪人だって成功できるのですから、当然です。

しかし、人間は、 ここに善悪の問題を絡めてしまうのです。

そもそも論として、前述したように、彼が成功した理由には、努力や才能や運や環境があります。
なぜ彼には 、そのような条件が揃っていたのか?という問題は残ります。

多くの人は、そのような条件を持っていません。
少なくとも、努力は百歩譲って誰でもできるとしても、才能や運や、環境は別です。

もっとはっきり言ってしまえば、生まれながらにして貧富の差はあります。
なぜこのようなものが生じるのか?


単純に、原因と結果の法則だけでは、人間には、この世界は、納得できないことが多いのです。

先ほどの例を取るならば、なぜ彼は、他の人と比べて成功しやすい条件で生まれてきたのか?
この時点で、すでに不平等は、始まっているのです。

さらに、そもそも論を言えば、人間は、生老病死と言う、理不尽なシステムに生きています。
現実世界や科学は、生老病死のメカニズムは説明できても、なぜこれが存在するのかは答えてくれません。

なぜ、特定の人に、幸福が集中するのか?
なぜ、特定の人に、不幸が集中するのか?

人間は、各個人個人で意識を持っています。
そのため、生まれてくる前の原因を知ることはありません。
つまり、この時点で、原因と結果の法則に適用しないのです。

厳密に言えば、この世だけで見た場合にも、生まれてくる時の、環境や家族、先祖、これらが原因として、彼の人生の結果として出ています。

人生の途中の、理不尽な状況についても、現世だけみれば、時間軸を遡れば、それ自体の原因は必ずあります。

しかし、不幸にあった人の、本人の認識からすれば、そのような原因はどうでもいいことです。

なぜ自分がこんな目にあったのか?

その訳が、たとえ、原因と結果として時間軸として、理論的に説明できるものだとしても、 やはり本人にとってはどうでもいいことです。

例えば、貧乏な家に生まれて不幸な人は、なぜ自分が不幸なのか?という疑問に、生まれた家が貧乏だったからという因果があることは知ってても、だから何だとしか言いようがないでしょう。





コントロール




そして何よりも、人間は、コントロールできないものを嫌います。

日本人は、他の民族と比べて、 あるがままを受け入れる民族ですが、これは、逃げ場のない島国でかつ、台風や震災や噴火などの、どうしようもない、環境の被害が多かったため、受け入れざるを得なかった、という理由があります。

しかし、その日本人ですら、自然を神として拝むことによって、何らかのコントロールをしようという傾向はあったのです。

そして、昔のインド人は、因果応報という理論を考え出しました。

これは、原因と結果の法則に過ぎなかった法則に、善悪と、苦楽の関連を追加したものです。
これによって、今までコントロール不可能だった、人生の理不尽な現象が、かなり説明可能、コントロール可能になりました。  




社会化



もともと、食料をめぐって他生物や同族と、殺し合いをしていた人類は、社会集団になってくると、社会の維持のために、違反者を殺すシステム、刑法を作りました。

ここで、罪と罰が明文化されたのです。

悪いことをしたら、刑罰を受ける。
悪因悪果、悪因苦果の現実化です。

我々が、因果応報という荒唐無稽なシステムを、ある程度是正するのも、この現実世界の刑法があるからです。

社会維持のため、権力者の自己保全のため、理由はともかく、何らかの罪と言われる行動パターンを実行すると、刑罰という苦を受ける。

これは、我々、文明社会の人間ならば、誰しもが知っていることです。

特に、社会が安定している状態になると、あまり理不尽なことは少なくなり、因果応報が現世の刑法と混同され、普通に、信じられやすくなります。

要するに、悪いことをすれば、罰を受ける。努力をすれば報われる。

これは、実は、安定したまっとうな社会や組織の、特長なだけなのですが、これが世界の真実だと思われやすくなるということです。

しかし、これは、いつも言っているように、危険性を帯びた思想になります。

悪因悪果の法則が世界にあるとすれば、当然、悪いことをすれば信賞必罰で天罰が下ります。

では、結果の方だけを見た時に、悪果(苦果)が起きた人は、全員、悪因が原因なのか?
つまり、不幸にあった人は、全員、過去に悪業を為した自業自得なのか?
成功した人は、全員、過去に善業を為した自業自得なのか?

という、問題が生じるからです。


本来、悪いことをしないで善いことをしましょうね。
そうすれば、ちゃんと神様が見てくれますよ。

という、倫理的な観念が、今度は、弱者への自業自得理論や、勝者への無条件の称賛につながってしまうのです。


これが、極まったのがカースト制ですが、このロジックが問題だと、ずーっと豊河が、言ってるわけです。

さて、また、長々と脱線してますが、これをどうするかの問題が、このシリーズなわけです。


今まで、色々と屁理屈をこね回してきましたが、今度は、大乗仏教の空の概念で、なんとかならんものかと、考えてみましょう。

空の解釈は、色々ありますが、マイルドな解釈として、

「全ての万象は、因果応報で構成されている非自立型の構造だから空である」

を考えてみましょう。