2018年2月23日金曜日

因果の想定範囲内(運命)と想定範囲外(自由)について まもって守護存在! 中編











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なお、皆さんの記事の感想大募集です。
陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
記事下のコメント欄や、メッセージやメールで、お気軽にどうぞ。

その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。






前回、リスク対策をとらないと陰徳が危険防止のため自動で減算してしまう!
という、話を前回いたしました。

それで、当然、連鎖する項目として、

1)リスク対策ってどうするのか?
2)どこまでが自由意志(or運命)なのか?

という話になりました。

ここを考える必要があります。



リスクマネジメント



さて、
1)リスク対策ってどうするのか?
です。

この話は元々、
「リスク対策を取らないと、リスク発生に際して、神仏が自動防御してしまい、その結果、神仏の召喚に伴うMPのリソースである陰徳が無駄に消費する問題」
という、話が元です。

リスク対策が自動で取れるのは、非常に有用です。
人間には無意識がありますが、なぜ無意識があるかと言うと、生きていくのに邪魔だからです。

心臓とか呼吸とかずーっと意識していると、毎日の生活の中でうっとおしいのです。

表意識のメモリの無駄遣いですので、無意識にやらせているのです。

リスクを自動で防御してくれる、パッシブスキル(常に自動で働くスキル)はチートスキルです。
しかし、その代償として、陰徳を自動消費するのは大問題です。

前回のご利益体験談の如く、大願が叶わないだとか、あげくの果てには、死後、出向先のランクが下るとか、悲しい状況が予想されます。

そのため、陰徳が自動減算しないために、リスク対策をとることにより初めから危機回避する必要があるのです。

リスク対策というのは要するに、危険回避です。

経営学ではすでにリスクマネジメントと呼ばれて、色々と対策がありますが、個人レベルでは、また別です。

個人レベルでは、とりあえず、基本的な人間の不幸の、貧・病・争を考えておけばいいでしょう。

人間の問題は大体この3つで、後は衣食住そろった後の暇つぶしのネタ(夢とか希望とか)です。

人生は、常にこの3つのリスクに苛まれています。

例えば、前回の話のトリガーとなったのは、交通事故のリスクでした。

交通事故は基本、体の損傷(病)のリスクで、健康が損なわれれば、貧にも連鎖してるし、原因が他者ならば争にも関係しています。

交通事故のリスク対策を考えずに、呑気に外を歩いていると、車に跳ねられたり、人を轢いて加害者になったりしてしまうのです。

前者だと、パッシブスキルの神仏の自動ガードが起動して陰徳が減算してしまいます。

後者だと、人を傷つけた(下手すると殺した)ことで陰徳が減算してしまいます。

どっちに転んでも、陰徳が減るというバッドENDです。
入院にしろ後遺症にしろ賠償金や刑務所にしろ、人生に大幅なマイナスです。

そのため、交通事故を減らすリスク対策が必要です。

外を出歩く時は注意するとか、酒を飲んで運転しないとか(すでに犯罪ですが)、事前の注意で大幅にリスクは減ります。

貧・病・争も全部同じで、事前にリスク対策すると決意すれば、実はそれだけで、もうリスク対策は、ほぼ終ったも同然です。

普通に考えて、対策するだけでもいくらでも手はありますし、全く思い使ったら、今、このブログを読まれている機器でググればいいのです。
※健康分野だったら、豊河もコンテンツにしています。


親兄弟や知人に聞いたり、お金に余裕があったら本屋に行けば、教養国家の日本は汗牛充棟の本が売っています。
※プロに相談するのも有効です。弁護士なら過当競争でデフレ化しているくらいです。
※ちなみに、お金が無くても図書館があります。


リスク対策をとることで、余計な陰徳を減らさずに済みます。

大抵のリスクは、リスク自体に目を向けて認識した時点ですでに、大幅に減少しています。

とは、言っても、人間は自分の身に起こらないと認識しない生き物ですので、痛い目を見ることによって、ようやくリスクを認識するのです。



さて、上記のように、リスク対策をとるのは、陰徳を減らさない方法と書きました。

しかし、さらに考えて見ると、さらに裏の話があります。





我に七難八苦



そもそも、陰徳と言っていますが、それは厳密に言えば、善業のプラス数値です。

逆に悪徳は、悪業のマイナス数値になります。

お金に例えて見るとわかりますが、陰徳が資産とすれば、悪徳は負債です。

これを、合算してプラスになるかマイナスになるかを帳簿するのが、功過格であり、それをプラスの黒字にすれば、開運出来ますよというのが、陰騭録のそもそもの話です。

ここらへんは、今までさんざん言ってきたので、今更な話であり、いい加減しつこいから止めろと、思われるでしょうが、しかし、この因果応報の業論は、なにぶんシステムがブラックボックスなため、外部から観察するしか手が無いのです。

自然・社会現象の理系文系に共通する、外部の観察による検証が出来ないため、どうしても理論メインになってしまいます。

要するに何が正しいかわからないのです。

因果応報システムのプログラムのコード(コンフィグ)を解析すれば、正体はつかめるのでしょうが、そんなものは無い(もしくは人間に認識出来ない)ため、正体が全く不明です。

そんな根拠薄弱な物を他人に薦める時点で、すでに誠意が無いのですが、そのため、豊河は少しでも、理屈に理屈を重ねて話しているのです。

上記のプラスマイナス合算の話も、あくまで仮定の話であって、善業と悪業は合算されないという説も、実は存在しています。

不動明王の縁起話で、次の説話があります。
※結構有名なので、ググればいっぱい出てきます。

ある僧侶が山を歩いていると、荷物を引いた牛に遭遇しました。
坂道で重い荷物のため、牛も一生懸命ですが、僧侶が見ると、荷物の後ろに、子供がこれまた一生懸命押している。
しかし、僧侶は霊眼でその子供が、人間でないことはわかりましたが、なぜ牛を手伝っているかはわからない。
僧侶が、不思議に思っていると、子供曰く、
「この牛は、前世は人間だったが悪事のため畜生道に堕ちてご覧の有様である。
しかし、生前、不動明王の慈救呪を一遍だけ唱えたため、我ら不動明王の眷属の童子は、衆生救済の誓願のため、この者の手助けをいているのだ」
と。



この話は、因果の善業悪業の合算決済をしない論として、有名です。

悪事を働いた悪業と、不動明王の慈救呪を唱えた善業は、相殺しないのです。

あくまで、善業と悪業の業は、バラバラに単独で働くということです。

この、業合算決済論が正しいのが、業独立採算論が正しいのかは、不明です。
全般的に適用されるルールなのか、例外事項や、特定の分野だけに適用されるルールなのかも不明なのです。

で、何でリスクの話から、こんな余談を長々と書いているかと言うと、そもそも、リスクの業は善業で合算消滅されるのか?
という、推論です。

そもそも、リスクがあるというのは、要するにそれは過去の悪業の因果応報の結果です。

石に決躓いて転ぶのも、試験に落ちるのも、女にフラれるのも、パチンコですってしまうのも、全てはカルマのおかげです。
早い話が、自業自得です。

※ちなみに、この自業自得理論が、他者や社会に適用すると差別主義になるので、してはいけないことは前々から指摘しています。

で、その解消法ですが、開運のために、悪業を控えて、善業を積む、つまり陰徳をしましょうというのが、この因果応報理論のライフハックへの臨床的応用です。

しかし、善業を積み、悪業を控えるというのは、あくまで現在と未来のこれからの収支です。

過去に積もった善業と悪業はまた別に存在しています。

業合算決済論が正しければ、過去に積み上げた過去の悪業は、今後の善業でプラマイゼロに出来ます。

しかし、業独立採算論ならば、この手は使えません。

悪業は今後の善業で消滅させることが出来ずに、いずれは現象化します。

システムがブラックボックスのためいつ出るかは、全く不明です。

どうも、この仕組を運用しているのが、俗に言う神仏らしいのですが、信仰心でシステムへの介入が出来るかはどの程度出来るのかは、微妙なところです。

因果応報を完全に支配すれば、不老不死が可能だからです。
死という、最大のカルマを消滅させることだって、システムに介入出来れば可能です。

しかし、それが出来た人間がいないことを考えると、望みは薄そうです。
※出来た人間が表に出ないだけかも知れませんが。

ちなみに、道教だとこのシステムは仙人が担当しています。
仙人というと、山の中でのんきに霞を食って生きているイメージがありますが、中国人の発想だと、地上の官僚制があの世にも存在していて、皇帝ならぬ上帝をトップに、仙人たちが世界の業システムを運用しているのです。

何で、現世のわずらわしさから山林に逃れた仙人が、死んでまでサラリーマンにならなければならないのか?

理解に苦しみますが、道教は中国に置いては儒教というメイン宗教のサブなため、表の科挙に受からずに官僚になれなかった敗者のルサンチマンとコンプレックスと考えれば納得はいきます。
科挙システムへの憧憬が、こういう世界観を作り上げたのでしょう。

まあ、それはともかく、悪業の負債が、善業によって消滅されないことは、リスク対策が、あまり意味が無いことになります。

リスクという危険は、悪業の結果であるからです。

善業でさえ、悪業リスク対策をしても、悪業を消滅されなかったのです。

リスク対策に成功したとしても、ただの問題の先送りです。

つまり、早い話が、因果応報的に一番いいのは、どんなリスクも避けずに、リスクと苦(不幸)を具現化させて、カルマを消滅させるのが良いという結論になります。

どの道、先送りしても後から、具現化するのですから、早めに負債を返済した方がよいからです。

業に利子がつくかどうかは、これまたブラックボックスのため不明ですが、つくとしたら、時間を伸ばすほど悪手になります。

ちなみに、この考えは、何度も言っているように、他人や社会に応用すると、カースト制度になり、人の不幸や社会悪を是認する差別思想になります。

弱者や社会的不平等を補強してしまうからです。

つまり、不幸な人は自業自得だと認識してしまうからです。

インドでは、カースト制度によって抑圧されている人を、助けようとすると、逆に当人から怒られます。

自分は、業の解消をしているんだから邪魔をするなと。
このカーストに生まれたのは、前世の悪業のせいで、今、業の解消をしているんだと。

当然、この理屈は現代日本社会の倫理観や社会観からは、受け入れられません。

あくまで、我々、陰徳道に励む者たちが、自分にかけられた非道な仕打ちに対して、慈悲を以て赦すために使う思考ツールの位置付けで考えるべきです。

しかし、この悪業を結果の苦を具現化することによって消滅させようぜという考えは、結構、根強く日本に残って、それは、修行だとか苦行だとか言う分野に残っています。

実際、人間が成長させるには、修行や苦行が必要なので、あながち否定出来ないのです。

また、神仏が試練で課してきたり、修行のためにさせたりとかしますので、そういう時に恐らく、貯まっていた悪業ポイントで苦(困難や不幸)を具現化させるのでしょう。

神仏は陰徳という善業ポイントを消費しないと動けませんが、逆もまた然りということです。

まあ、ここらへんの因果応報理論の闇というか問題点は、いずれまとめましょう。


ちなみに、もっと言えば、一番のリスクは、こうしたろくでもない世界に我々が生存していること。

六道輪廻のラットレースに我々が存在していること自体が、すでに最大最凶のリスクです。

この六道輪廻に生きている間は、完全なリスク対策はありません。

その意味でも、とっととエスケープ(六道輪廻から解脱)しましょう。




さて、リスク対策はどうするの?という一つ目の次に、もう一つの、そもそも、この問題はどこまでが運命でどこまでが自由意志なのか?という問題が二点目で存在しています。

また、今回も長くなったので、次回にこの二点目を考察しましょう。



2018年2月22日木曜日

因果の想定範囲内(運命)と想定範囲外(自由)について まもって守護存在! 前編











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守護らねばならぬ




守護霊や守護神や守護仏という、正体不明の存在を皆さんは、お聞きになったことがあると思います。

どういうわけか、人間には背後霊の上位互換存在として、こういう存在が憑いている(と信じたいニーズがある)らしいのです。

わかりやすく言えば、スタンドです。



 


で、この守護的キャラですが、それが、数代前のご先祖様であろうと、天照大御神であろうが、近所の稲荷のキツネであろうが、とにもかくにも、守ってくれるっぽいのです。

が、この世紀末(も既にとっくに過ぎていますが)の、弱肉強食の時代には、まことにありがたい存在なのですが、そもそも、何のために、わざわざ憑いているのか?

そもそも、本当に守護的存在なのか?

という、素朴な疑問があるのです。

というのも、世間には守護~というと、まあ、普通のイメージでは、ピンチの時に、守護~のおかげで助かりました!
みたいな感じです。






ところが、こういう商売的な宣伝でなくて、もっと突っ込んで宗教業界を調べてみると、なぜか、大体、次のような感じの話と、非常に似たり寄ったりの意見が多いのです。
すなわち、

「守護~は別に、いいものではない。本当に守護~がつくと修行のために超厳しい試練を課してくる」

とかの、ろくでもない話が多いのです。
これは、神道だろうが仏教だろうが陰陽道だろうが、道教やキリスト教だろうが、どこも判で押したように同じことを言ってきます。


要するに、ご期待に添えない、嫌な守護になる可能性すらあるのです。
具体的に言うと、守護霊のおかげで、比叡山の千日回峰行に強制連行されるとか、そういう話なのです。

いや、違うだろと。

守護霊とかそういうのじゃないだろうと。

守護霊をつけて、僕も強運人生まっしぐら!

という、濡れ手で泡なのが理想なのです。

守護霊つけたら、とりあえず、年末ジャンボ宝くじ!前後賞三億円!と言う、庶民の夢に対して、なんという裏切りでしょうか?

しかも、守護霊だけでなく、さらに上のコースに、守護神とか守護仏とかもあるらしいのです。

霊じゃなくて、神とか仏ですよ?
もう、札束の風呂で酒池肉林とか、そういう本能に根ざした、そういうプレイとか余裕の資本家人生コースになれるのではと期待してしまいますが、どうも違うようなのです。








守護霊ですらヤバイのに、守護神とか守護仏とかなんて、もっと極悪な修行を課してくるに決まっています。

たぶん、空海並みのハード修行とか、日蓮ばりの試練とか課してきます。

新興宗教で守護霊とか守護神とか守護仏をつけてくれるサービス(無料とは言っていない)が多いですが、皆さんは騙されてはいけません。

狡猾な罠です。

うかつに守護なんて憑けたら、

守護仏
「今まで報われぬ人生をよく頑張った!ワシが来たからにはもう安心じゃ!
よし!とりあえず、虚空蔵菩薩の真言百万遍な!」
※空海がやった虚空蔵菩薩求聞持法。

とかになったら、目も当てられません。

皆さんも、新興宗教とかスピリチュアルで、ありがたい神仏の加護をつけてくれるような場面に会ったら、全力でノーサンキューしなくてはいけないのです。

低級霊だったら、運気が下がって酷い目に遭うし、高級霊だったら、修行を課してきて酷い目に遭います、

どちらにしても、バッドルートなので、騙されてはいけません。



で、そんなハートマン軍曹のような守護的存在は、実は、今回はどうでもいいのです。

前々から、仏教の天部に聖天(歓喜天)という、ヤバイ仏(ヤバイっていうのもあれですが)が居るというのは、何度か記事で紹介してきました。

ご利益は半端無いのですが、ちょっとミスったら悪即斬のヤバい天尊です。








で、ところが、そんな危険仏の聖天(歓喜天)ですが、ハイリスク・ハイリターンを気にしていては、資本主義の荒波を渡ることは出来ません。

関西だと生駒山の聖天、関東だと浅草の待父山聖天をメインに、結構、信者が存在します。

そんな聖天(歓喜天)ですが、2ちゃんねるの聖天信仰スレのまとめページで、こんな記述があります。



大聖歓喜天様(聖天様)ご利益まとめサイト
2ちゃんねる版利生記

聖天様の夢

899 名前:名無しさん 投稿日: 2013/06/15(土) 11:21:44 ID:wGFWFKrA0
今朝、夢の中に聖天様が現れた。(ガネーシャ?)
そして、お前の大願がかなわないのは、お前を交通事故から守っているので、そこまでは手が回らないと、おっしゃった。
確かに最近ヒヤリハットが多い。(バイク)
これって、やっぱり聖天様のお守りがあってのことだと思う。
また本当に安全運転をするようになれば、大願はかなうということだろうか?
とにかく、聖天様を信じて安全運転を心がけたいと思う。


まあ、別に、宗教のご利益談としては、珍しくはありません。
これが、天使だろうが、稲荷だろうが、死んだおばあちゃんのおかげだろうが、大して変わりません。


しかし、ここで重要なのは、そういうことでなく、

不注意による行為は悪業イベントとして処理され、陰徳ポイントを浪費しているのではないか?


という、盲点の可能性です。

ここの可能性は、非常に重要な示唆を我々に与えます。





ロシアンルーレットの怪




で、ここまでが前フリです。
(長いわ!)


この、「不注意行為の陰徳ポイント浪費問題」は、我々、陰徳師(勝手に怪しいクラスに認定)たちにとって、重要な問題なのです。

どういうことかと言うと、通常、我々、陰徳師は、善悪の二元論で、思考と行動を動かしています。

寝ても覚めても、善を行じ、悪を滅しようと一心不乱に生きているのです。
(ちなみに豊河は、てきとーに生きていますが)

つまり、世界を見る観点や思考の枠組みは、善悪の二元論なのです。

ひたすら善を成し、悪を滅さんとする人生なのです。

逆を言えば、善悪の問題さえ考えていれば、あとはどうでもいいのです。

陰徳ポイントというステータスだけが生きがいなのです。

ひたすら善悪に只管打坐して、善業にて陰徳ポイントを貯め、悪業にて陰徳ポイントを減算するのを嘆くのです。

しかし、この善悪二元論以外にも、我々、陰徳師は、考えなくてはならないことを、この問題は示唆しています。

つまり、不注意などの危険の際に、自動的に陰徳が減算されてしまうという問題です。

ここで、もう一度、先程の書き込みを見てみましょう。

聖天様の夢

899 名前:名無しさん 投稿日: 2013/06/15(土) 11:21:44 ID:wGFWFKrA0
今朝、夢の中に聖天様が現れた。(ガネーシャ?)
そして、お前の大願がかなわないのは、お前を交通事故から守っているので、そこまでは手が回らないと、おっしゃった。
確かに最近ヒヤリハットが多い。(バイク)
これって、やっぱり聖天様のお守りがあってのことだと思う。
また本当に安全運転をするようになれば、大願はかなうということだろうか?
とにかく、聖天様を信じて安全運転を心がけたいと思う。


つまり、陰徳の効果により、聖天含む守護存在の加護があり、本来なら、大願が叶う状態にあった。

しかし、本人の不注意によって、事故を防止することにより、リソース(陰徳)が減算され、大願が叶う陰徳量に満たなかったと。

単純に、善悪だけ考えてれば良い、ということではなくなります。

不注意対策、リスク対策をしないことが、危険を呼び、その危険を神仏が回避することで、せっかく溜まった陰徳を消耗しているのです。

早い話が、ロシアンルーレットを、何回もやっていると、相当なペースで陰徳が減少するということです。
※ちなみに、ご存じない方はいらっしゃらないと思いますが、ロシアンルーレットというのは・・・めんどくさくなってので、ググって下さい(放棄)

人間一人の命は、功過格でもトップクラスの陰徳ポイントなので、ロシアンルーレットで生き残ると、相当に消費することが予測されます。

よく、若者がチキンレースなどで、命をかける危ないことをしますが、陰徳理論から考えるとやめといたほうが良いかと思います。


今まで、呑気に、善悪だけ考えていれば、陰徳が勝手に貯まって問題無いというライフスタイルが、リスク対策も取らなくてはいけなくなったのです。

なんという、めんどくさいことでしょうか?




三界火宅


しかし、考えてみれば、このリスクは世界に満ちています。

回避不可能なレベルから、回避可能なレベルまで様々です。

例えば、豊河は東京に住んでいますが、関東大震災のリスクなどは、どうしようもありません。

※ちなみに、じゃあ関東外に引っ越せよというツッコミには、めんどくさいと豊河の脳が仰っています。

しかし、財布を落としたとか、交通事故に会わないとかはかなり自分の注意で防げます。

火事とか泥棒とかの災難も、かなり事前に防ぐことが出来ます。
例えば、部屋に消化器一本あったら、火事のリスクはかなり削減出来るでしょう。

ちなみに、豊河は、 だーすけ氏の有名な火事動画を見て、即日、消化器消火器をAMAZONで購入しました。
↓の動画を参照




火事の発生から、動画でリアルタイムに見れるという素晴らしい火災防止啓蒙動画ですので、ぜひ皆さんもご一読頂きたい作品です。

遠く、海外ニュースでも紹介されて、外人ニュースキャスターに爆笑されてました。

恐らく、日本中の消化器消火器の売上に、過去最高に、一番貢献しています。

この動画のおかげで火事が未然に防げたと思うと、被害者
(加害者?)のだーすけ氏の陰徳は溢れんばかりかと思われます。

こんな駄ブログを書いている豊河よりも、よっぽど人様のお役に立っています。

自分の身を挺して陰徳を為すという、殉教者の鑑です。

自宅を等価交換にして火事啓蒙の陰徳に変換するという、その犠牲心は、まさにイエスにも匹敵する聖者と言えましょう(てきとう)。


ちなみに、豊河は、家に三峯神社の御眷属拝借札を召喚しているので、火事や盗難などは霊的に鉄壁レベルです。

たぶん、関東大震災でも耐えられるはずです(たぶん)。



まあ、マクロな話をすると、そもそも、法華経だとこの世は三界火宅ですので、今も昔も未来も、常に世界は火事場なのです。

しかも、常に他人から搾取しようとする泥棒(火事場泥棒)に満ちあふれています。

善人そうな面をしていても、陰徳を盗んでいることは、前回までのありがとう記事でも指摘しました。

この世を生きるには半端な力では生きていけません。
常識を超えた力が要ります。
これが本当の火事場の馬鹿力です。



で、さっきの話ですが、善悪の他に、こういうリスク対策で陰徳ポイントの減算を抑止することが出来ると。

逆を言えば、生きているだけで、常にリスクで陰徳は減っているということです。

保険にしろ、事前注意にしろ、個人のリスク対策で事故は防げ、その結果、陰徳ポイントが減らなくなり、本来の大願を叶えることが出来ると。

頭を善悪の問題だけでなく、リスク対策も兼ねねばならないということで、非常にめんどいのですが、さらに、ここで重要なのが、二つあります。

一つ目は、じゃあ、リスク対策ってどうするのか?という項目が一点目。

で、もう一つは、そもそも、この問題はどこまでが運命でどこまでが自由意志なのか?という問題が二点目です。


長くなったので、次回に続きましょう。




追記

読者様の、ありがたいコメントのご指摘により、誤字を訂正いたしました。


☓消化器
◯消火器

消化器(胃や肝臓)を追加する改造人間豊河。
(東南アジアの臓器移植の闇ルートで)










































2018年2月18日日曜日

ありがとうは悪魔の言葉 後編











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ありがとうを受け取らない。
理由は陰徳が、賞賛された分、減るから。

という、ろくでもない論理で、ありがとうという言葉をヘイトしています。

論理というのは、時として、こういう馬鹿な結論に至ることが多く、古くは、
アキレスは亀に追いつけない」
だの、そもそも因果応報を根拠にしたインドのカースト制度など、ろくでもないことを、人類はやってきました。

現代ですら、つい最近まで共産主義という論理で億単位の人間が地獄に堕ちています。

基本、論理というのは間違えるということを、前提にして考えなければなりません。


しかし、人間は、論理から逃げることは出来ません。

解脱して六道輪廻から脱出でもしない限り、生きている以上、必ず、論理と向き合います。

対義語の感情もそうですが、いかに感情と論理の罠をすり抜けて、善業を成すかに、我々の神への進化への道はかかっています。
神の座を目指すならば避けては通れません。

※別に、そんなもの目指していないという方のツッコミは華麗にスルーします。




さて、ありがとうを受け取るのは、すでに陰徳に失敗している証左であり、言われた時点で、賞賛を受け取って福分が減っています。

そのため、ありがとうを言われるのは好ましくありません。

とは言え、逆の立場で言えば、ありがとうを言うのは、コストパフォーマンス的にも悪くはありません。

ありがとうの感謝は、言う立場であれば、負債返済だからです。

どういうことかと言うと、元々、感謝しなければならない立場というのは、すでに相手に助けられているわけです。

助けられるというのは、運がいいということです。

つまり、陰徳ポイントを使用して援助者を召喚したということです。

世の中にはタダの物はありません。

常に、等価交換の法則が働いています。

MP(マジックポイント)を使用しなければ魔法が使えないように、IP(陰徳ポイント)を使用しなければ援助されないのです。

女子高生ですら、お金を援助してもらうのに、体を売っているのです。

何事も、等価交換(質量保存の法則)なのです。

陰徳ポイントが減少しているのは、たしかですが、下手をすればマイナスになる可能性もあります。

あまりにも、膨大な援助があれば、こちらの陰徳ポイントでは間に合わない可能性があるからです。

マイナスの負債のシステムがあるかどうかは、わかりませんが、どちらにしても、援助されると、こちらの陰徳ポイントが減るのは確かです。

そうすると、これ(減少)をなるべく返済することが重要です。

援助されたら、ありがとうの感謝の言葉で、相手を賞賛してこちらの負債を減らす必要があります。

相手に盗られた陰徳を少しでも取り返すのです。

金や物を与えたり、若い女性なら体を差し出したりして、援助されて減った陰徳を取り戻しましょう。

この世界は弱肉強食の世界であり、どんなに平和に見えても、他者を食らうことで成り立っています。

呑気に見えるこの日本ですら、一皮むけば、モヒカンが闊歩している世紀末の荒野なのです。

そして、モヒカンたちが奪い合っているのは、水でも種籾でもありません。

陰徳なのです。

1ポイントでも取り合い、寸土を惜しみ寸利を奪うのです。

いかに、自分が助けられないようにし、いかに、相手を助けるかの過酷なラットレースなのです。

そして、陰徳ポイントがリミットに達したら、「上がり」なのです。

それは、神へと至る蠱毒の壺なのです。



ちなみに、三回にも分けて書いてきましたが、よくよく考えてみれば(よくよく考えてみなくても)、別にお礼を言われても、全然構いませんというか、普通は喜んでいいのです。
皆さん豊河を信じてはいけません。

というか、何だよありがとうを言われたくないとか、ツンデレか?
勘違いしないでよね!
べ、別に貴方のためにやったんじゃないからね!
とか、そういうノリでしょうか?


なぜなら、礼を言われることで相手の陰徳の負債を返済させ、徳を積ませるという、慈悲の心に即しているからです。

相手に徳を積ませるのも、陰徳なのです。

さらに言えば、相手がこちらに援助した時に、膨大な徳を積めるような存在になることが、一番の陰徳と言えるでしょう。

例えば、そこらへんの犬に餌を上げるのと、釈迦やイエスに昼食を奢るのでは、どちらが徳になるでしょうか?

生命は平等という原則ならば、もしかして等価かも知れませんが、まあ、普通に考えて、後者の方が天文学的な徳になるのではないでしょうか?
(ならなかったらすいません)

要するに、何が言いたいのかと言うと、皆さんはありがとうなどと言う立場になってはいけないのです。

ファファファ!
天上天下唯我独尊たる我に、供物を捧げる千載一遇の好機を得られたることを、深甚に思うがよい!



くらいの上から目線てんこ盛りで、貢物を受ける立場(釈迦とかイエスぐらい)に出世しなければいけないのです。

相手に陰徳を与えるというのが最大の陰徳です。

本当に運の悪い人間は、開運のための徳を積むチャンスすら無いのです。

しかし、出世した皆さんに陰徳をすることで、最大限のリターン陰徳を得ることが出来るのです。

皆さんが、権力者になって、弱者に恩恵を与えても、それは皆さんの陰徳が増えるだけです。
弱者側から見れば、膨大な陰徳の負債を得るだけなのです。

相手に、陰徳自体を与えなくてはいけません。

そのためには、皆さんが、相手から、お布施を上げた助けた立場などにも関わらず、ありがとうございますと言わなくてはいけない存在になるのが一番なのです。

本来は、お金や食べ物を貰った側が、ありがとうと言わなくてはいけないのに、あげた側が、ありがとうと言うレベルの存在。

功徳を積ませて貰ってありがとうございますと言われる存在です。

陰徳を積んで積んでつみまくって、やがてはそのような人間を超えた存在になるのです。

そして、その存在を助けることが最大限の陰徳になるような存在になる。

つまりは、神仏になることこそが、最高の陰徳になるのです。

それこそが、陰徳の至高の段階です。







2018年2月17日土曜日

ありがとうは悪魔の言葉 中編











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明徳


ありがとうと言われるのは、陰徳がなっていない証拠です。

人に礼を言われるというのは、それだけで、福分を減衰しているのです。

他人に感謝される、善行を知られてしまうと言うのは、普通、社会的に有利な立場になります。

それだけ、陰徳よりも、評価という福をゲットしているため、効果が薄いわけです。


もちろん、民度の低い環境ですと、カモにされる可能性が高いのですが、通常の環境ですと、善人と思われて、いざという時に、高い信用度のため助かります。

つまり、名声と同じなわけです。

ブラック企業や軍需企業が、やれ福祉や途上国支援をするのと同じで、悪党ほど名声の重要さを知っているのです。

実際、普段から、まわりの面倒を見て、いい人だと思われていると、他人と衝突した時に色々と有利です。

また、まわりから支持されて高位に推薦されることもあります。

現代のような民主主義では、まわりの評価は出世の重要要素になるため、学生の生徒会長選挙でも、社内の部長レースでも、衆議院選挙でも、陰徳よりも明徳の方が、直接的に役に立つのです。




そう考えると、陰徳よりも明徳の方がいいじゃんと思われますが、しかし、陰徳には、明徳よりも、利点があります。

一つ目には、明徳はすでに社会的な賞賛を受けているために、その分、果報が減るからです。

明徳で徳分が100ポイントゲットしたとしても、賞賛で徳分がマイナスされてしまうのです。

かし、陰徳は誰からも賞賛されないため、徳分が減ることはありません。

これは、いわゆる資産形成の支出対策です。







資産形成は、収入増加か、支出を減らすか、投資利回りを増やすかの3つしかありません。

この内、支出を減らすのは、基本です。

例えば、無駄遣いをしたり、税制にうとかったりすれば、資産は貯まりません。

積徳も同じことです。

徳分という自己資産を増やすのに、陰徳でなく、明徳をするのは、支出を無駄に増大することに他なりません。

二つ目には、陰徳は、神仏評価ポイントが高いことがあげられます。

およそ、宗教は明徳より陰徳を推奨します。

人に見られてないところでする陰徳は神仏の評価ポイントが高いのです。

神仏は、増上慢を異様に嫌うので、特に名声で自己満になる明徳はリスクが高いのです。

謙虚の話は、陰騭録本文でもわざわざ一章を割いていますが、↓まとめの記事参照


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②謙虚中るに利あり

謙虚という徳を主題にした逸話を集めています。




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明徳は謙虚を損ないやすいので、陰徳の方が望ましいのです。

※無論、明徳で賞賛されても謙虚を失わないレベルの人は、別ですが。



三つ目には、世界は穢土なので、善業を見ると、不幸な自分の過去のトラウマを刺激される人が少数でもいるのです。

そのため、妨害されることもあり、リスク回避のために、明徳よりも陰徳の方がよいという現実的な問題もあります。



ちなみに、明徳をディスっていますが、別に、謙虚さを失わないとか、その信用を使って私欲に走ったりしないとか、明徳でないと行えない善があるとかであれば、別に禁止しているわけではありません。

というより、普段から、他人と仲良くするのは、世渡りの基本中の基本ですので、普通に明徳は推奨なのです。

もちろん、上記のような注意点と、あと、当然、陰徳も忘れずにというかそっちがメインでやっていれば、全く問題はありません。

この競争社会で社会的信用を得ていることは、防御にもなることは指摘しましたが、ライバルが明徳が無ければ(陰徳もなければさらにグッド)、その分、推薦者の量で、勝つことが出来ます。

少なくとも、陰徳も明徳もやらないよりは遥かにましなので、普通に明徳を行って下さい。

で、ありがとうの話から明徳の話に脱線していますが、次回に、続きます。








2018年2月16日金曜日

ありがとうは悪魔の言葉 前編











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そは破壊の言葉


ありがとうという言葉は呪いの言葉。

今や、世間に満ち溢れる、ありがとうの感謝の言葉は、邪道のマントラです。

世間の愚民が騙されても、豊河は騙されません。

そもそも、ありがとうなどと言う言葉は奴隷の言葉です。

偉い人間は、ありがとうなどと言いません。

奴隷に奉仕してもらって、権力者が奴隷にありがとうなどと言うでしょうか?

やって当たり前と思っていることに、ありがとうなどと言いません。

禅堂で、警策で叩かれても打たれた人は、ありがとうございますと頭を下げます。

SMプレイでM奴隷は女王様にムチで叩かれても、ありがとうございます!と感謝するのを見れば、一目瞭然です。

世界一感謝を集めるとか言っていたブラック企業が、奴隷労働をしていたことは、今や誰もが知っています。

東南アジアの坊主は、托鉢を貰ってもありがとうなどとは言いません。
むしろ、功徳を積ませてやったのだから、ありがたく思えくらいの思考回路です。

ありがとうなどと言うのは、いつの時代でも、奴隷が言うものなのです。

もっと言えば、何もお返しをすることも出来ない奴隷が、口だけで感謝しているのです。

本当に感謝をしていれば、金を渡します。

ありがとうと言っていれば、対価の金を払わなくて済むのです。

ブラック企業は、やりがいだのありがとうだのと言った精神的報酬で、対価の賃金を労働者に払わない手法を使っています。

ありがとうと言って、金を払わないのは、罪悪なのです。

騙されてはいけません。

皆さんは、このような邪道のマントラを唱えてはいけません。

例えば、親に育ててもらった感謝をする時に、ありがとうだけで済ませるのは親不孝でしょう。
親の老後を金で支えてあげるのが、本当の恩返しです。

世界への恩に対して、ありがとうで済ませてはいけません。
途上国への貧困に寄付をして、金を出すのです。

国でも地域でも全部同じです。






闇の住人



陰徳と言うのは、人に知られずに善功を積む行為です。

この人に知られずにというのがポイントです。

古の聖賢は、この陰徳という奥義を、公開しました。
イエスがなぜ救世主たりえたか?
それは、陰徳という天の奥義を明かしたからです。

参考記事
陰徳とイエスが出会うとき、そこに奇跡が生まれる・・・!


つまり、何が言いたいかというと、ありがとうと礼を言われたということは、すでにその時点で陰徳では無いのです。

ありがとうと言われた時点で、負けなのです。

ましてや、ありがとうを集めるなどと言う、企業理念は、正気ではありません。



   

 

無知蒙昧な邪教徒なのです。


陰徳を知らぬ未熟者なのです。

人間社会に溶け込んだデビルマンの如く、誰も知らない知られちゃいけないのです。

ありがとうと言われたら、悲しみ、嘆き、激怒しなければいけないのです。
(愛を憎む魔界の住人か?)

吾輩の辞書には、ありがとうの文字は無いのです。




ということで次回に続きます。



2018年2月14日水曜日

陰徳と利子の相似形と応用










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以前にも、この話題を振りましたが、基本、業というのは、通貨(お金)に似ています。

目に見えませんが、人を支配します。

また、利子のシステムがあることも同様です。

陰徳の利子って何だ?と思われるでしょうが、基本、陰徳は時間と共に膨らみます。

陰徳でなくて悪徳も同様で、業は基本、時間によって膨らみます。

これは、例えば、命に例えてみればわかります。
人間一人の命を助けたとしたら、その人の残りの人生も助けてことになります。
そして、その人の子孫もネズミ算的に増えていくのです。

時間とともに、善業は増えていくのです。

そして、当然、人間一人の命を殺せば、逆に悪業は増えていくのです。

徳のある人を失脚させたとしたら、その人が行うはずだった善政による莫大な功も消滅してしまうのです。

つまり、善にしろ、悪にしろビリヤードの玉の如く、連鎖反応を起こすので、単純にやった事象よりも利子が加速度的についてしまうのです。

これは、救いであると同時にリスクでもあります。

ちょっとした善業を為すだけで、多大なる陰徳のリターンを得ることができますが、逆にちょっとした悪業を為すだけで、多大なる悪徳のリスクを得てしまうのです。


この事例から、得る教訓は、二つあります。

一点目は、利子の効果を慮って、善業ならちょっとしたことでも成すべきで、かつ悪業ならちょっとしたことでもしないことです。

ニ点目は、もう既にやってしまった悪業なら、なるべく早く回収するべきです。
放っておくと利子が、かさんでしまいます。



こうした陰徳と利子の概念を考察すると、さらに複利の概念も、同じであるとわかります。

皆さんは、金融における単利と複利の話を、聞いたことがあると思います。

早い話が、利子を元金に追加して、さらに投資や借金をするということです。

具体例を上げると、資本が1000万円あったとします。

毎年、投資で10%のリターンが得られる場合、100万円の儲けが出ることになります。

この儲けを、ぱーっと使ってしまうのもありです。
で、翌年も資本金1000万円を投資に当てます。
これが単利です。

それに対して、複利は、儲かった100万円を元の1000万円に追加して、資本金を1100万円にするのです。

そうすると、毎年、投資に回せる資本金がどんどん増えていきます。

1000万円の投資よりも一億円の投資の方が大きなことができます。
一億よりも10億、百億の方が大きなことが出来ます。

これを陰徳に当てはめれば、それは陰徳と開運の関係に等しいのです。

陰徳をなしていけば、生まれ持った運命を改変して、開運していきます。

本来なら得られなかった、金や健康や地位や名誉を得ることが出来るでしょう。

しかし、そのゲットしたものを使い切ってしまっては、単利になってしまいます。

まあ、今まで不運だったのでハッスルしたい気持ちはわかりますが、ぐっとこらえて、また陰徳の再投資に回すのです。

金や健康や地位や名誉を浪費せずに、さらなる陰徳に使うのです。

そうすると、陰徳が複利になります。

より大きな陰徳になってリターンがさらに増えていくのです。

しかし、世の中にはこの理がわからない人たちも多く、運を浪費して単利になるどころか、マイナスになってしまう人もいるのです。

山高ければ谷深し。
ゲットした金や健康や地位や名誉を使って、陰徳どころか悪徳を重ねてしまい、前よりも遥かに下に堕ちてしまう人も多いのです。

ぜひ、皆さんには、陰徳の運用は、単利ではなく、複利で投資して欲しいのです。

税金の累進課税と同じです。
上に行けば行くほど、求められる陰徳資本は大きくなります。

関連記事
陰徳における収入からの割合の問題


うまれつきの名家では、ココらへんの理がわからずに、放逸に傲慢に振る舞って陰徳の福分を浪費してしまいますが、徳のある家系は、代々、こういう理を伝えるので長持ちします。

上に行けば行くほど、陰徳をしないことのリスクは高まっていくのです。

理由は、その地位にいることで、ゴリゴリと陰徳ポイントを削っているからです。

もっと言えば、今の日本という贅沢な環境に生まれただけで、相当な陰徳ポイントを皆さんは使ってしまっています。

衣食住で何の問題も無い社会なんて、日本の歴史では信じられない天国なのです。

今の状態ですら、慢心してはいけません。

怠らずに、陰徳に精進してください。



















































2018年2月13日火曜日

【貧・病・争対策シリーズ健康編】③操体法 身体の歪み











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ちなみに、健康法コンテンツ含めて、皆様の体験談やオススメ健康法なども募集しています。

ご遠慮なく、コメントやメール下さい。 









さて、前回の記事で、足裏健康法を紹介しました。

基本、足裏は全身のツボが入っているので、本来、これだけでも、万病に対策出来ます。

しかし、そうは言っても、病気の原因は、様々です。

いくら足裏で対策しても、そもそも、入ってくる病のインプットをシャットアウトしなければイタチごっこです。

例えば、毎日、酒をガバガバ飲んで、肝臓を痛めていては、いくら足裏を揉んでも、ザルに水を注ぐような物です。

こうした人間の病の原因は様々ですが、パーセンテージで大きい物から対処していけば、病の確率はぐっと下がります。

足裏に続いて、病気の原因のパーセンテージが大きい物としては、身体の歪みがあります。

整体とかカイロプラティックとかヨガとか導引術とか、身体の歪み関連です。

実は、足裏も、身体が歪んで変な体重分配で足裏に負担がかかっているというトリガーが多いのです。

整体法は、巷に山のようにあるので、皆さんも色々と御存知かと思いますが、その中でも、豊河が屈指の効果を誇る整体法と認定する操体法を紹介します。




そもそも、身体の歪みとは何ぞや?
というと、要するに関節が変な風に固まってる状態のことです。



ちなみに、身体が歪むという定義は、一般的には、骨自体は、別に歪んではいません。

骨と骨の関節である筋肉や腱がズレているということです。

こうした関節のズレは、我々は、日常よく修正しています。

指をパキパキ慣らしたり、首をゴキゴキと回したりすることで無意識に矯正しているのです。

あまり運動しない人は、たまに鉄棒にぶら下がってみるとよいでしょう。
バリバリと背骨が矯正されます。

こうした体の歪みは、身体の血流や神経を妨げ、内臓や脳に負担をかけます。

五臓六腑が圧迫されていれば、本来の機能を十全に発揮出来ません。

さらに、丹田を中心とする身体の運動や姿勢なども、ずれて、力がしゃっきり出ません。




精神の平行にも関連があり、精神不安定や性格にも影響が出ます。
身体の歪み具合で性格すらわかるほどです。

精神の問題も姿勢から始まるのです。




知能にも、影響があり、その証拠に、成績上位者と成績下位者、クラスや学校などの上位下位の学生を見れば一目瞭然です。

姿勢が明らかに違います。

これは、家の教育により姿勢がいいから、身体が歪まず、結果として成績が良いというのもあります。

逆に、身体が歪んでいれば、いくら教育で姿勢を正しても、姿勢を正しているのがきつくて猫背や左右前後に傾いてしまいます。

不良の子供が、姿勢が悪かったり、ヤンキー座りをしているのは、偶然ではありません。

彼らにとっては、身体の歪みからまっすぐ姿勢を正すのが苦痛なのです。

要するに、身体の歪みを直せば、姿勢はちゃんと伸び、成績も上がります。




まあ、ここらへんは、整体やヨガがさんざん力説していますので、詳しくは省きますが、身体の歪みもまた万病の元ということは、いくら言っても足りません。

上記したように、足裏にも影響があり、逆を言えば、身体の歪みを正せば、足裏はいらないくらいです。

身体の歪みを正して、ついでに身体の隅々まで柔軟すれば、今まで固まっていた身体の悪いところがほぐれて、病は治るからです。

その意味で、真の健康法の白眉は、身体の歪み治しに軍配が上げられるかも知れません。




で、この整体法にはヨガを頂点として色々あるわけです。

世界中、人間が考えることは大して変わりませんので、身体の歪みが健康に悪いというのは、みんな経験則として知っているのです。

正直言って、身体の歪みを治すという最終目的、つまり身体を柔らかくするのでしたら、別に、特殊な方法は不要なわけです。

日本人なら誰でも体育の時間に習った、ストレッチ(柔軟体操)でいいわけです。

毎日、風呂上がりにでも、ストレッチをやれるのでしたら、それでいいわけです。

毎日の継続でそのうち身体が柔軟になり、必然的に歪みはなくなってきます。

もし、出来るのでしたら、足裏と一緒に、ぜひやってみてください。





さて、上記の説明のように別に、身体の歪み治しにはどんなスタイルの整体でも良いのですが、その中でも劇的に歪みが治る方法を紹介すると、操体法という整体の流派があるわけです。

というか、普通にWIKIに、操体法のページがあるので、ざっと読んで下さい。

橋本敬三という医師が開発したこの整体法は、他の全ての整体法と違った点があり、それが特徴となっています。

例えば、ストレッチにしろヨガにせよ、全ての整体法は、動かしにくい方法を気合と根性でぐいぐい押すのが、基本です。

例えば、開脚だったら、90度しか開かない硬い股関節を、頑張って毎日練習して180度まで開くわけです。

ところが、操体法の技法や思想は、ゴールは同じでも、根底からやり方が違います。

具体的に説明すると、

身体に歪みがあって、動かしにくい方向(不快)があったら、それを逆にやりやすい方向(快)に動かすのです。

これが、他の整体と一線を画しているシステムです。

この動かしやすい方向に動かすという他の整体の真逆の発想が操体法のキモです。





例えば、首が歪んでいるとします。

左右に動かすと、何か、右に傾けるのがつっかかるとします。
逆に左方向に傾けるのが楽であるとします。

そうしたら、普通の整体は、ぐいぐい右に動かして何とか左と同じようにします。

しかし、操体法は、左の動かしやすい(快)の方向に動かすのです。

そうすると、歪みがとれて、右にも動くようになるという発想です。

もっと具体的に言うと、ゆっくりと息を吐きながら、左に動かしながら、手でちょっと抵抗を加えます。

そのまま抵抗をちょっと加えながら、首を倒して行って、気持ちのよいところまで行ったら、息を抜いて首の力を抜きます。

これを数回やって、左右に首を動かして、確認します。

上手く行けば、この時点で歪みはとれています。

逆に、左の方が動かしにくくなったら、逆をやります。

また、前後やねじりの左右も見て同じように処理します。



今、首で説明しましたが、他の全ての関節も同様です。

手や足や胴体や腰や股関節や顎のあらゆる関節も全て同様です。

通常のストレッチがやるような痛い方向ではなく、逆の方向にやるのです。

これはいわば、柔よく剛を制すの発想で、合気道や柔道の発想です。

本来、人間の身体は完璧に出来ているので、気持ち良い方向に動かせば歪みはとれるという思想に基いています。

もちろん、色々と医学的な理屈はありますので、興味有る方は本でも読んで下さい。

操体法の本は、普通の大きな本屋には大抵、健康コーナーに置いてあります。

どれでも同じですが、あえて選ぶとしたら、
茂貫雅嵩 『操体法の実際』(愛蔵版) 農文協
でいいでしょう。
橋本敬三 『万病を治せる妙療法―操体法』 農文協
も、開発者の橋本敬三の自伝ぽく、色々と興味あるエピソードが載っていますので、ついでに購入しておきましょう。

全ての関節に適用出来るので型はあって無きが如しですが、一応、基本形として、

左右の膝倒し、左右の踵の突き出し、左右のひざの引き上げが三点セットで本に載っています。

まあ、どの本にも載ってますし、今の時代、普通に動画でいくらでもありますので、本を買うなり、ググるなりで、調べて下さい。



この操体法も前回の官足法と同じく、自分で出来る代物です。

初期投資は、官足法は一万円くらいでしたが、操体法は、本代くらい(ぐぐればそれすら不要)です。

本物は、金も人も手間もかからない代物なのです。

しかし、いくら世の中に本物があったとしても、縁なき衆生は出会えないのです。



      



開運の白眉である陰徳と同じく、ここに紹介した健康法の数々も、この広いインターネットの中で、泡沫ブログのこのブログの読者様という、少数の選ばれし者しか、知ることは出来ないのです。

いくら豊河が衆生救済を願っても、詮無きことなのです。

まあ、ここらへんは、どうしようもないので、運良くこれらの健康法を知ることが出来た読者様は、自家薬籠中の秘宝として、ゴキゴキと自分の身体の歪みを整体して健康になって下さい。

また何か、紹介した健康法で、快癒への進展があったら、ご遠慮無く、豊河までご連絡下さい。