2018年2月23日金曜日

因果の想定範囲内(運命)と想定範囲外(自由)について まもって守護存在! 中編











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その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。






前回、リスク対策をとらないと陰徳が危険防止のため自動で減算してしまう!
という、話を前回いたしました。

それで、当然、連鎖する項目として、

1)リスク対策ってどうするのか?
2)どこまでが自由意志(or運命)なのか?

という話になりました。

ここを考える必要があります。



リスクマネジメント



さて、
1)リスク対策ってどうするのか?
です。

この話は元々、
「リスク対策を取らないと、リスク発生に際して、神仏が自動防御してしまい、その結果、神仏の召喚に伴うMPのリソースである陰徳が無駄に消費する問題」
という、話が元です。

リスク対策が自動で取れるのは、非常に有用です。
人間には無意識がありますが、なぜ無意識があるかと言うと、生きていくのに邪魔だからです。

心臓とか呼吸とかずーっと意識していると、毎日の生活の中でうっとおしいのです。

表意識のメモリの無駄遣いですので、無意識にやらせているのです。

リスクを自動で防御してくれる、パッシブスキル(常に自動で働くスキル)はチートスキルです。
しかし、その代償として、陰徳を自動消費するのは大問題です。

前回のご利益体験談の如く、大願が叶わないだとか、あげくの果てには、死後、出向先のランクが下るとか、悲しい状況が予想されます。

そのため、陰徳が自動減算しないために、リスク対策をとることにより初めから危機回避する必要があるのです。

リスク対策というのは要するに、危険回避です。

経営学ではすでにリスクマネジメントと呼ばれて、色々と対策がありますが、個人レベルでは、また別です。

個人レベルでは、とりあえず、基本的な人間の不幸の、貧・病・争を考えておけばいいでしょう。

人間の問題は大体この3つで、後は衣食住そろった後の暇つぶしのネタ(夢とか希望とか)です。

人生は、常にこの3つのリスクに苛まれています。

例えば、前回の話のトリガーとなったのは、交通事故のリスクでした。

交通事故は基本、体の損傷(病)のリスクで、健康が損なわれれば、貧にも連鎖してるし、原因が他者ならば争にも関係しています。

交通事故のリスク対策を考えずに、呑気に外を歩いていると、車に跳ねられたり、人を轢いて加害者になったりしてしまうのです。

前者だと、パッシブスキルの神仏の自動ガードが起動して陰徳が減算してしまいます。

後者だと、人を傷つけた(下手すると殺した)ことで陰徳が減算してしまいます。

どっちに転んでも、陰徳が減るというバッドENDです。
入院にしろ後遺症にしろ賠償金や刑務所にしろ、人生に大幅なマイナスです。

そのため、交通事故を減らすリスク対策が必要です。

外を出歩く時は注意するとか、酒を飲んで運転しないとか(すでに犯罪ですが)、事前の注意で大幅にリスクは減ります。

貧・病・争も全部同じで、事前にリスク対策すると決意すれば、実はそれだけで、もうリスク対策は、ほぼ終ったも同然です。

普通に考えて、対策するだけでもいくらでも手はありますし、全く思い使ったら、今、このブログを読まれている機器でググればいいのです。
※健康分野だったら、豊河もコンテンツにしています。


親兄弟や知人に聞いたり、お金に余裕があったら本屋に行けば、教養国家の日本は汗牛充棟の本が売っています。
※プロに相談するのも有効です。弁護士なら過当競争でデフレ化しているくらいです。
※ちなみに、お金が無くても図書館があります。


リスク対策をとることで、余計な陰徳を減らさずに済みます。

大抵のリスクは、リスク自体に目を向けて認識した時点ですでに、大幅に減少しています。

とは、言っても、人間は自分の身に起こらないと認識しない生き物ですので、痛い目を見ることによって、ようやくリスクを認識するのです。



さて、上記のように、リスク対策をとるのは、陰徳を減らさない方法と書きました。

しかし、さらに考えて見ると、さらに裏の話があります。





我に七難八苦



そもそも、陰徳と言っていますが、それは厳密に言えば、善業のプラス数値です。

逆に悪徳は、悪業のマイナス数値になります。

お金に例えて見るとわかりますが、陰徳が資産とすれば、悪徳は負債です。

これを、合算してプラスになるかマイナスになるかを帳簿するのが、功過格であり、それをプラスの黒字にすれば、開運出来ますよというのが、陰騭録のそもそもの話です。

ここらへんは、今までさんざん言ってきたので、今更な話であり、いい加減しつこいから止めろと、思われるでしょうが、しかし、この因果応報の業論は、なにぶんシステムがブラックボックスなため、外部から観察するしか手が無いのです。

自然・社会現象の理系文系に共通する、外部の観察による検証が出来ないため、どうしても理論メインになってしまいます。

要するに何が正しいかわからないのです。

因果応報システムのプログラムのコード(コンフィグ)を解析すれば、正体はつかめるのでしょうが、そんなものは無い(もしくは人間に認識出来ない)ため、正体が全く不明です。

そんな根拠薄弱な物を他人に薦める時点で、すでに誠意が無いのですが、そのため、豊河は少しでも、理屈に理屈を重ねて話しているのです。

上記のプラスマイナス合算の話も、あくまで仮定の話であって、善業と悪業は合算されないという説も、実は存在しています。

不動明王の縁起話で、次の説話があります。
※結構有名なので、ググればいっぱい出てきます。

ある僧侶が山を歩いていると、荷物を引いた牛に遭遇しました。
坂道で重い荷物のため、牛も一生懸命ですが、僧侶が見ると、荷物の後ろに、子供がこれまた一生懸命押している。
しかし、僧侶は霊眼でその子供が、人間でないことはわかりましたが、なぜ牛を手伝っているかはわからない。
僧侶が、不思議に思っていると、子供曰く、
「この牛は、前世は人間だったが悪事のため畜生道に堕ちてご覧の有様である。
しかし、生前、不動明王の慈救呪を一遍だけ唱えたため、我ら不動明王の眷属の童子は、衆生救済の誓願のため、この者の手助けをいているのだ」
と。



この話は、因果の善業悪業の合算決済をしない論として、有名です。

悪事を働いた悪業と、不動明王の慈救呪を唱えた善業は、相殺しないのです。

あくまで、善業と悪業の業は、バラバラに単独で働くということです。

この、業合算決済論が正しいのが、業独立採算論が正しいのかは、不明です。
全般的に適用されるルールなのか、例外事項や、特定の分野だけに適用されるルールなのかも不明なのです。

で、何でリスクの話から、こんな余談を長々と書いているかと言うと、そもそも、リスクの業は善業で合算消滅されるのか?
という、推論です。

そもそも、リスクがあるというのは、要するにそれは過去の悪業の因果応報の結果です。

石に決躓いて転ぶのも、試験に落ちるのも、女にフラれるのも、パチンコですってしまうのも、全てはカルマのおかげです。
早い話が、自業自得です。

※ちなみに、この自業自得理論が、他者や社会に適用すると差別主義になるので、してはいけないことは前々から指摘しています。

で、その解消法ですが、開運のために、悪業を控えて、善業を積む、つまり陰徳をしましょうというのが、この因果応報理論のライフハックへの臨床的応用です。

しかし、善業を積み、悪業を控えるというのは、あくまで現在と未来のこれからの収支です。

過去に積もった善業と悪業はまた別に存在しています。

業合算決済論が正しければ、過去に積み上げた過去の悪業は、今後の善業でプラマイゼロに出来ます。

しかし、業独立採算論ならば、この手は使えません。

悪業は今後の善業で消滅させることが出来ずに、いずれは現象化します。

システムがブラックボックスのためいつ出るかは、全く不明です。

どうも、この仕組を運用しているのが、俗に言う神仏らしいのですが、信仰心でシステムへの介入が出来るかはどの程度出来るのかは、微妙なところです。

因果応報を完全に支配すれば、不老不死が可能だからです。
死という、最大のカルマを消滅させることだって、システムに介入出来れば可能です。

しかし、それが出来た人間がいないことを考えると、望みは薄そうです。
※出来た人間が表に出ないだけかも知れませんが。

ちなみに、道教だとこのシステムは仙人が担当しています。
仙人というと、山の中でのんきに霞を食って生きているイメージがありますが、中国人の発想だと、地上の官僚制があの世にも存在していて、皇帝ならぬ上帝をトップに、仙人たちが世界の業システムを運用しているのです。

何で、現世のわずらわしさから山林に逃れた仙人が、死んでまでサラリーマンにならなければならないのか?

理解に苦しみますが、道教は中国に置いては儒教というメイン宗教のサブなため、表の科挙に受からずに官僚になれなかった敗者のルサンチマンとコンプレックスと考えれば納得はいきます。
科挙システムへの憧憬が、こういう世界観を作り上げたのでしょう。

まあ、それはともかく、悪業の負債が、善業によって消滅されないことは、リスク対策が、あまり意味が無いことになります。

リスクという危険は、悪業の結果であるからです。

善業でさえ、悪業リスク対策をしても、悪業を消滅されなかったのです。

リスク対策に成功したとしても、ただの問題の先送りです。

つまり、早い話が、因果応報的に一番いいのは、どんなリスクも避けずに、リスクと苦(不幸)を具現化させて、カルマを消滅させるのが良いという結論になります。

どの道、先送りしても後から、具現化するのですから、早めに負債を返済した方がよいからです。

業に利子がつくかどうかは、これまたブラックボックスのため不明ですが、つくとしたら、時間を伸ばすほど悪手になります。

ちなみに、この考えは、何度も言っているように、他人や社会に応用すると、カースト制度になり、人の不幸や社会悪を是認する差別思想になります。

弱者や社会的不平等を補強してしまうからです。

つまり、不幸な人は自業自得だと認識してしまうからです。

インドでは、カースト制度によって抑圧されている人を、助けようとすると、逆に当人から怒られます。

自分は、業の解消をしているんだから邪魔をするなと。
このカーストに生まれたのは、前世の悪業のせいで、今、業の解消をしているんだと。

当然、この理屈は現代日本社会の倫理観や社会観からは、受け入れられません。

あくまで、我々、陰徳道に励む者たちが、自分にかけられた非道な仕打ちに対して、慈悲を以て赦すために使う思考ツールの位置付けで考えるべきです。

しかし、この悪業を結果の苦を具現化することによって消滅させようぜという考えは、結構、根強く日本に残って、それは、修行だとか苦行だとか言う分野に残っています。

実際、人間が成長させるには、修行や苦行が必要なので、あながち否定出来ないのです。

また、神仏が試練で課してきたり、修行のためにさせたりとかしますので、そういう時に恐らく、貯まっていた悪業ポイントで苦(困難や不幸)を具現化させるのでしょう。

神仏は陰徳という善業ポイントを消費しないと動けませんが、逆もまた然りということです。

まあ、ここらへんの因果応報理論の闇というか問題点は、いずれまとめましょう。


ちなみに、もっと言えば、一番のリスクは、こうしたろくでもない世界に我々が生存していること。

六道輪廻のラットレースに我々が存在していること自体が、すでに最大最凶のリスクです。

この六道輪廻に生きている間は、完全なリスク対策はありません。

その意味でも、とっととエスケープ(六道輪廻から解脱)しましょう。




さて、リスク対策はどうするの?という一つ目の次に、もう一つの、そもそも、この問題はどこまでが運命でどこまでが自由意志なのか?という問題が二点目で存在しています。

また、今回も長くなったので、次回にこの二点目を考察しましょう。



2 件のコメント:

  1. 自分が何とか体得に近づいて、子供達にもレールを敷かねばと思っています。
    至難とは思いますが。

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  2. 匿名様

    管理人の豊河です。
    コメントありがとうございます。

    陰徳は子孫に反映しますが、やはり陰徳という考え自体が、受け継がれるのが一番良いでしょう。
    このブログを見せても怪しまれるだけですので、陰騭録の本をプレゼントして考えを共有するのが一番ベストかと思います。
    ユダヤ人は収入の一割を寄付しているという話も良いかも知れません。

    また、所詮、輪廻転生は個人単位ですので、子供達に陰徳概念が共有されなくても、自己責任ですので、別に良いという考えもあります。

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