2018年2月4日日曜日

【陰隲録】功過格表177 十善 いい人を紹介しよう54 神は言っておられる。汝の隣人を殺せと。












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功格五十条(善行のプラス50項目)

・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

十善に相当する行為
◯一有徳人を薦引す



椅子取りゲーム


いい人を推薦するというのは、現代社会では、そのMAX行為は選挙になります。

昔は、軍事力で領土争いをしていたシステムから、選挙システムに移行したのです。

今でも、選挙戦という言い方は、それを表しています。

当たり前ですが、別に選挙以下の組織の推薦でも、推薦される人間がいるということは、推薦されない人間がいるわけです。

ポストは有限なので、必然的に椅子取りゲームの奪い合いになります。

前回の記事で、ライフハックの話をしましたが、なぜライフハックが流行るのかと言うと、この椅子取りゲームは、人生の縮図だからです。

人間がサルだった頃の、ボス山戦争から、同種族、他種族との殺し合いに至るまで、世界は弱肉強食の殺し合いなのです。

陰徳を実践している我々にとっても、世界のシステムからは逃げられません。

我々が、陰徳で開運するということは、この地球上で誰かが閉運するということに他なりません。

金、地位、愛は地球上で有限です。

質量保存の法則に従って、誰かが幸福になれば、誰かが不幸になるのです。

少なくとも、我々、人間が生きているだけで、家畜や魚は大量に殺されています。

弱肉強食の世界は、比喩でも何でも無く、普通にリアルで、この世界に、存在しているのです。

我々、人間は、たまたま捕食者の地位にいるから、それに気づかないだけで、恐竜が跋扈していた時代には、人類(の祖先の生き物)は被捕食者でした。

さらに、日本人に生まれただけでも相当なラッキーです。

世界三位の超経済大国の日本は、圧倒的な捕食者です。

そのため、世界が弱肉強食だという地獄を、あまり思い出すことなく、暮らしていけます。

しかし、知らないだけであって、世界の実相は、ろくでもない穢土だという現実は変わりません。



代理人



良い人を紹介するというテーマは、突き詰めれば、応援と同じです。

さらに言えば、奉仕と同様です。

選挙システムは、ギリシアの時代から、衆愚政治に堕すということは、さんざん言われています。

推薦する側に知性が無ければ、とんでもない人間を推薦してしまいます。

近代の選挙システムが始まってからメディアが発達した現在まで、常にまともな選挙が行われたことはありません。

結局は、金が有る方が勝つという現実があるだけです。

フランス革命以後、ブルジョア階級が王権を駆逐して以来、ブルジョア階級の代理人として、選挙システムという茶番が行われてきたという現実があります。

そのため、実質的な、政治運営は、選挙システムで選ばれる代議士はもはやお飾りの代名詞です。

二世、三世が当たり前のように選挙で受かる日本の現実は、もはや民主主義といえるかどうか疑問ですが、元々、民主主義自体、選挙システム自体が、幻想なので、何をか言わんやです。

運営は、ちゃんと科挙システムで受かった高知能の官僚が回しているので、あまり問題は出ないようになっています。

日本は、昔から、権威と権力を分離する天皇制システムを採用してきました。

江戸時代の商家でも、バカ息子と番頭の分離が基本です。

しかし、そうは言っても、では官僚が腐敗したらどうするのか?

という問題は残ります。

日本の問題は、この問題を抱えており、戦前の軍部から戦後の財務官僚まで、官僚への掣肘が実質的に外圧くらいしか無いのが問題になっています。

官僚国家の先輩のシナ帝国でも、この問題は随時発生しています。

基本は、モグラたたき的に、汚職者を処刑しているようですが、向こうの官僚は、科挙に受かると一族ぐるみで汚職するため、規模が拡大する傾向があります。


汝の隣人を殺せ


これらの問題は、椅子取りゲームという世界の弱肉強食システムがやはり根幹にあります。

さらに言えば、自他という存在の分離が原因です。

我々は、一律の遺伝子の全滅を防ぐために、生命の多様化の果てに存在しています。

要するに、バラバラの億単位の人間がいるのは、差異を設けて、単一の病気や災害で滅びないためです。

一種類の遺伝子配列しかなかったら、あっけなく病気で滅びてしまいます。

しかし、バラバラな存在であるということは、お互いに殺し合う余地が生まれてしまいます。

肉体と精神のワンセットの存在が、別個のままでいるということは他者を殺せることと、同義であるからです。

自分が生き残るために、他者を殺すというのは、生命が生まれたからには必然的な結果です。

逆を言えば、殺し合いをするだけの、遊びの余地、自由さが生命にはあるということです。

絶対に相手を殺せない、絶対に不幸にはならないという世界は、自由ではない世界です。

幸福・不幸、苦楽という陰陽は、どちらも世界に存在するということでもあり、それを選択出来るということでもあります。

要するに、世界は、自由であるということでもあります。

実は、人間は、本当は、自由な存在なのです。

こうしなければいけない、こうでなければならないというのは、全て、後天的な洗脳に過ぎません。

社会的に、洗脳を受けているだけなのです。

例えば、殺人一つとってもみても、それはやってはいけないという洗脳を我々は、されています。

しかし、それを社会的にそう言われているだけで、実質的にそれを止める術は、誰にもありません。

隣人程度だったら、殺すのは簡単です。

今すぐにでも、隣人のところへ赴いて、金属バットでも包丁でも、凶器は何でもいいですけど、KILLすればいいだけです。

肉体的に非力でも、スタンガンでも拳銃でも毒でも今の時代、簡単に手に入ります。

実行自体は別に、困難でも何でも無いのです。

これが出来ないのは、理由が二つあって、心理的障害と、社会的障害の二つです。

罪悪感や宗教観(陰徳とか)などの心理が邪魔をしますし、さらに、殺人をすれば逮捕されるという社会的障害があります。

しかし、逆を言えば、それさえなければ、容易に殺人は可能なのです。

殺人をやってはいけないという理由は、自然界には存在しないのです。

自分が生き残るために他者を殺すというのは、生物の基本であり、人間界においても、やはり基本です。

どんなに美辞麗句を重ねても、個人から国家に至るまで、この基本は徹底しています。

21世紀になっても戦争があることがその証左です。


孔明の罠


しかし、こうしたろくでもない生命の実相に対して、我々がどのような態度をとるのかが、一番の問題です。

世界がクソだというのは、今更な話です。

だとしたら、我々は、結局、どうするのかを考えなければなりません。

陰徳から見て、殺人を含める他者を傷つける行為はマイナスになります。

しかし、それは、正当防衛や悪人退治も含まれるのか?

従軍した戦争ではどうなのか?

祖国のために戦うのは悪なのか?

侵略戦争はダメで防衛戦争はOKなのか?

ちなみに、陰騭録の著者の袁了凡は、為政者として、豊臣秀吉の朝鮮征伐に民側の将軍として参加しています。

陰徳を説いている人間が、戦争に参加しているのです。

必要悪の問題は、実際の陰徳ポイントが可視化されない以上、どうしてもブラックボックスです。

良かれと思ってした結果が、マイナスだったり、ダメと思っていた結果がプラスだったりするかも知れません。

死後、閻魔大王の前で、確認しない限りは不明なのです。

正直、豊河には今だにわかりません。

まあ、常識的な範囲で、正当防衛や悪人退治はセーフという観点でいいのではと思います。

それでも、なるべくなら、被害を与えないでスマートな方法で収めるのがより高得点でしょう。

ここらへんは、こちらの知能レベルによります。

三国志で、孔明が猛獲を七度捕らえて、七度離して、結果、南蛮を服属させました。

我々は孔明を見習わなければならないのです。

※我々凡人が、孔明になるのは無理だろというツッコミは華麗にスルーします。

























































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