2017年4月26日水曜日

【陰隲録】功過格表60 単純作業中は誰しもが時空間魔法を使えるようになる 五十善 仕事を世話しよう㉑




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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら




功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

五十善に相当する

一人の流離を救免す。




【環境適応】 

前回のポピュレーション調整では、進化論の弱肉強食とセットで併せてよく語られます。

しかし、進化というのは、環境に適応できるか否かが全てです。
一般に、弱肉強食というイメージ認識が強い進化ですが、
厳密には間違いで、運の要素が非常に大きいのです。

例えば、恐竜は人間の先祖の哺乳類よりも遥かに強かったのです。
が、それでも地球規模の環境変化に適応出来ず滅びています。

体が大きく強い恐竜はそれが弱肉強食の頂点に立っていました。
そして、環境の変化に適応できなかったのもその強さのためです。

弱く小さな小回りの効く哺乳類が生き残って、強く大きな恐竜が滅びたのです。

要するに、強いかどうかというより、環境にあっているか否かという運の要素なのです。

この進化の法則は、強者と言えども、運の要素には勝てないことを意味します。
戦国時代にブイブイ言わせていた武士が、江戸時代にリストラされたように、運の前にはあっけなく敗退するのです。

猛きものも終には滅びるのです。
ひとへに風の前の塵に同じなのです。

この適応の問題は、今回のテーマの求人の話にも容易に繋がるものです。
若者が職が無いという現在の日本社会の問題の原因は、マクロ視点では、グローバル化とITによる効率化によるリストラです。

しかし、日本企業がイノベーションについていけない理由として、
従来の戦後の日本的経営のシステムが足を引っ張っていることが理由の一つです。
要するに、新しい世界の環境への適応できないケースですね。

日本は、冷戦後の環境に異常に適応して空前絶後の繁栄を成し遂げてしまいました。
その宴の後始末は、まだ続いています。






【サイクル】 


では環境の適応と言うのは何でしょうか?

はっきり言ってしまえば、人為的な力は一切無関係の自然の循環(サイクル)です。
恐竜の自己責任による努力など無意味に、恐竜という種のサイクルなのです。


個人に、生老病死のサイクルがあるように、種にも生老病死のサイクルがあります。
このサイクルは、全てに共通な物で、春夏秋冬のサイクルがわかりやすい代表格でしょう。

生まれて、少年少女、青年、中年、老年、死などのサイクルは春夏秋冬と同じです。
個人も種も国も全てそうです。

ちなみに、春夏秋冬は四段階のサイクルです。
スタート地点の発生から、成長で登っていき、頂点に辿り着き、衰退で下降し、消滅する。
円を描くように、このループを万物が回るのです。

この四つのサイクルは、西洋の古代哲学では地水火風の四大です。
中間を入れれば東洋哲学の五行にもなります。

さらに、突き詰めれば、省略してしまえば、発生と頂点と消滅の上昇と下降だけに集約出来ます。
イメージとしては、上下の棒だけのイメージですね。
上に上がって頂点まで行ったら下がる。

太陽の一日の動きを見るとこれがわかります。
夜と昼です。
朝、昼、夕方、深夜と6時間ごとに分ければさっきの春夏秋冬と同じです。

成長と衰退だけに集約出来ます。
発生と消滅。
生と死と言い換えてもいいでしょう。

これを陰陽と言います。
現代文明の電子機器が全てゼロと一のオンオフで成り立っているのと同じように、世界はこの陰陽で成り立っています。

もっと言えば、生と死の陰陽しか、世の中には存在しないのです。
全ての存在はこの法則の中に入っています。
その意味で、陰陽道というのは、生死の道なのです。

必然的に全ての宗教だろうが職業だろうが全ては陰陽道に包含されます。
全人類は陰陽道の信者なのです。
釈迦だろうがイエスだろうが、陰陽道の教徒です。

その証拠に、彼らは大言壮語しても、あっさり生まれたからには死んでいます。
彼らが生まれたのは2500年前と2000年前です。
その後、今でも生きているならまだしも、当然のことながら彼らは凡人と同じように、死んで、生きていません。

陰陽道(生死)なんかに負けない(キリッ)!
→陰陽道には勝てなかったよ・・・。

という、お約束の流れなのです。

口では偉そうなことを言っても身体は正直だなあぐへへへへ。

と言う、エロ同人の世界なのです。



【超人】 


世界がどんなに複雑になったとしても、結局、この陰陽に集約されます。
この陰陽の他は、些事に過ぎません。

時代が変わろうが、地球上の支配種が変わろうが、全てやっていることは同じです。
生と死の陰陽でしか無いのです。

マクロの世界だろうが、ミクロの世界だろうが、全て同じです。

どんな生物も物質も、生まれた後は、一切の例外なく、死に向かいます。
生まれた時から、全ての存在は死ぬことが決定しています。

基本的に、全ての哲学、宗教は、陰陽道に喧嘩を売る形で存在しています。
ギリシャのイデア論とユダヤ人の絶対神から始まった、永遠不滅の絶対神は、
陰陽道に支配された現世のあらゆる存在に対するアンチテーゼです。

死への恐怖から宗教は生まれました。
需要があれば供給が産まれる。
要するにそれだけ、我々人類は死にたくないということです。
道教の不老不死も、仏教の解脱も、要するに死にたくないということからスタートしています。

陰陽道の生死のループは、それだけ人間から見ると抵抗があるということです。

まあ、気持ちはわかります。
死ぬだけだったら、まだあれですが、だいたいはスパッと死ぬのではなく、ダラダラと苦しみが続くのが人生です。
貧乏だったり病気だったり闘争の弱者だったりと色々と苦しみがあるのです。

さらに言えば、我々は、自分に関係ないどうでもいい存在だったら、死のうが消滅しようが別に意に介しません。
自分やお気に入りの存在が、死んだり消滅したりするのが苦なのです。

そう考えると、厳密に考えると、我々は死が嫌なわけではありません。
執着のある対象(自分やお気に入り)が死んだり消滅したり苦しんだりするのが嫌なだけなのです。

死と言う現象自体に、問題があるのではなくて、それを嫌だと思う認識のシステムに問題があるということです。

つまり、世界そのものに問題があるのではなくて、自分の認識に問題があるということです。

いつも言っているように、宗教の究極はこのような自分の認識の自己責任論に帰結してしまいます。

要するに、自己責任論は、因果応報や新自由主義の資本家のプロパガンダだけではありません。

生物と言うのは、全く理由が不明のまま、自己責任論の世界に放置させられて、人生ゲームをさせられています。

一体、誰が何のために生命を発生させているのか?

やはり最終的には、哲学で言う「なぜ存在しているのか?」という存在論そのものになってしまいます。

しかし、釈迦が無記や毒矢のたとえで逃げているように、解答最悪、理由など判明して無くても、とにかく無意味でかつ危険なループに我々は存在しているということだけは、確実なのですから対策法が重要になります。

そして、宗教の言うように、永遠不滅の完全体が、果たしているかどうか(我々がそこに行けるかどうかも)は、謎です。

あるのなら、そこがゴールなので別にいいのですが、無い場合は、結局、このループのゲームを終わらせる必要があります。

ここに、輪廻の停止という仏教(インド哲学)の解脱の話になります。

しかし、さらに最悪を想定するならば、解脱という救いすら無い可能性も考慮しなければなりません。

永久に輪廻のループを無意味に繰り返す可能性です。
ニーチェの言う永劫回帰です。
我々は、無意味なループを未来永劫繰り返すことの出来る超人になれるでしょうか?

ぶっちゃけ無理だと思います。
豊河は昔、単純作業の仕事(工場とかのライン作業)を社会勉強のためにやったことがありますが、ひたすら苦痛でした。
よし!もう一時間くらい経ったろうと思うと10分くらいとかざらです。
たぶん、ループの三順目くらいで飽きるでしょう。


そもそも、キン肉マンを読む限り、超人と言っても、ひたすらプロレスしてるだけの3K労働職のようですし、あまり楽しい職業ではなさそうです。
※そもそも超人は職業なのか?

しかし、こう言ってはなんですが、別にループしても構わないのではないかと言う意見もあります。
生まれ変わりでは記憶の消去が前提としてあるからです。
※たぶん、前世のことを覚えていると、飽きるからでしょう。

この記憶の消去というのは、何もしなくても(解脱しなくても)、人生とは一回きりの一発勝負だとも言えます。
記憶が無いというのは、別人格と同じですし。

そうすると、そもそも解脱をする必要がなくなってしまいますが、少なくとも、今世で生きている限りは、苦しみにあう可能性は高いですし、現在進行形で苦しんでいる人にとっては必要でしょう。

また、そもそも来世が人間界でなかったら、記憶リセットされない可能性もあります。
※記憶が無くて地獄で反省しろと言われても反省しようがないですし。

まあ、こういうリスクがありますので、来世の保険も兼ねて、陰徳を積んで開運して無事に今世をすごしましょう。

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