2017年3月7日火曜日

【陰隲録】功過格表⑮ 賤業ほど儲かるという資本主義の闇 五十善 家を絶やさないこと。⑥




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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)


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その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。


【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら





功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

五十善に相当する

○一嗣を延続す。



【犬畜生家の一族】


前回は、めでたく人類の不断の努力により、悪霊・怨霊の、人権(怨権)も確立しました。

ただ、一族郎党根絶やしにするぞ呪いというのは、別に怨霊だけではありません。

さらに、別パターンとして、
そもそも呪ってるのが、単なる怨霊じゃない場合です。

依頼されたプロの術師とか、人間に無礼を働かれて激おこぷんぷん丸の神様とか、さらに高度なパターンも散見されます
前者はともかく、後者は基本、為す術はありません。

あとは当然、生きている人間とかがリアルで一族郎党皆殺しする場合もあるのです。
現在だと、そうは無いでしょうが、昔だったら連座制がありましたので、九親に至るまで斬首とか、普通にあったのです。

これも、一族郎党皆殺しのパターンでしょう。

そもそも、どのパターンにしろ、どういうわけか、相手は、こっちの一族単位で呪ってきていますので、関係ない子孫にとばっちりが、来てしまいます。

まあ、源頼朝を温情で生かしておいたら、後に恩知らずにも、平家を滅ぼしにきた例もありますので、やっぱり仇は一族郎党皆殺しにした方が後腐れはありません。
マキャベリも、先王の子は生かすな、と言っているくらいです。

日本の例で言えば、占領軍のGHQは、戦後、対ソ連の統治用として皇室を生かしておいていますが、それでも将来、消滅させるために血筋バックアップを、片っ端から皇室離脱させています。
その結果が今の皇位継承者問題です。

要するに、現代でも、敵の王族を生かしておくなというのは、引き継がれているわけです。

当たり前の話ですが、討ち漏らして、親の敵討ちとかされたら、何のために一族郎党皆殺しにしたのか意味がありません。

ゴキブリは一匹見かけたらまた増えるのです。
一匹残らず駆逐しなくてはいけません。

向こうも生きるのに必死なのです。
こちらと向こうの生存競争なのです。

ちなみに、どうでもいいですが、呪いとか祟りとかで一族郎党皆殺しにされた場合、その皆殺しにされた人たちの霊って何やってるんでしょうね?

普通に、呪い殺されたら、その瞬間に霊になるわけです。
要するに、怨霊になるわけです。
その場で、自分の一族を呪ってる怨霊にリベンジすればいいだけのような気がしますが。


まあ、それはともかく、要するに、陰徳的に言えば、これらは、
積善の家に余慶あり
の逆パターンなのです。
この言葉の元ネタの易経には、厳密には、
積不善の家には必ず余殃有り。
と続きます。

一族が滅ぶような被害は、はっきり言って、怨霊一匹如きに出来る芸当ではありません。
※同じような恨みを持つ連中の集合体という説もありますが。

怨霊自体はただのトリガーです。
実質的に、怨霊がいなくても初めから、既に滅ぶべき一族だったということです。

構成員の、一族の人間も、滅ぶべき一族に生まれたということ自体が、すでに、薄徳の証拠です。
ただ、こうした一族単位でも、構成員の一族が、徳を積めば、当然改善できます。

しかし、当然ながら、一族の意思を統一するのが難しく、全員が徳を積めるわけではありません。

そもそも、徳が薄いからこそ、滅びかかっているのです。
こういう末期には、根性も悪い人間が勢ぞろいしています。
そのため、ますます徳を増そうとはしません。

仮に善人がいたとしても、一族の中で孤立無援で、どうすることも出来ないのです。

さらには、元々、こういう滅ぶ理由は、一族単位の呪いが出るような因縁を形成出来る環境、つまり、一族絶頂の時に仕入れた(?)因縁です。

地位や権力がでかくなればなるほど、リスクは増すと常々言っていることの具体例ですね。
権力を持っていた時に、形成した巨大なカルマ(被害総額が大きい)は、没落して絶滅しかかっている一族の力量では、覆せないことが多いのです。

単純に言えば、絶頂時に、一万人殺してしまったカルマや呪いは、後に善人が陰徳で1人2人助けたところで、焼け石に水、と言う理屈です。

かろうじて、その陰徳を積んだ善人だけが免れるとか、そういう結果が関の山でしょう。

前から言っているように、個人レベルだと、開運は結構容易なのです。
しかし、集団や組織とか歴史に残るレベルだとかは、個人以上の徳がからんできますので、是正は難しいのです。

理由としては、単に陰徳的な問題ではなく、サイクルの周期がからむからです。

およそ、国でも個人でも栄枯盛衰のサイクルがあります。
これは、自然の法則なのでどうしようもありません。
冬が来るのは嫌だと言っても、冬自体が来るのはどうしようもないのです。
※無論、それにどう対応するかは、陰徳含めて余地があります。

一族や企業や国も、法人としての生き物です。
衰退期には何をやってもダメということです。

で、今書いていて気づきましたけど、法人も言霊で言えば、人ですので、生命ですね。
感謝と慈悲の対象になります。
人工パワースポットとして使えますね。

↓人工パワースポットの作り方は、下記参照。

【開運講座:符呪派】



【職業差別】


変な話ですが、本来は、祟る方に理があります。
逆恨みだったらまだしも、大抵は、ひどい目に合わされた方が呪うのです。

そもそも個人単位で見ても、呪われてる一族の構成員として生まれて呪いの被害者になるというのは、前世の宿業です。
何事も自業自得なのです。

その意味で、悪霊を退治する陰陽師や坊主や霊能者は、本来、余計なことをしているのです。
※この論理はカースト制を是正する危険思想なのですが・・・。

呪う方からすれば、正義の執行をしているのに、それを邪魔されるのは、心外だと言うでしょう。

しかし、前世の記憶も無い、会った事も無い先祖の因縁など、呪いの被害者にとってはどうでもいいことです

前にも書きましたが、先祖やら前世やらの責任は現代の刑法では問われません。
というわけで、理不尽な被害にあっている被害者です。

当然、解決のために、一族を祟る悪霊怨霊を退治する、依頼を出します。

こういう仕事は、ゴーストスイーパー(お化けの掃除人)と言われますが、文字通り、人の底辺同士の、どうしようもない因縁の掃除人なのです。

職業差別になってしまいますが、宗教的に見ても、実は、ゴーストスイーパーは、あまり程度の高い仕事ではありません。
もっと言えば、格下の身分とされてきたのです。

前にも言ったように、江戸時代に浄土系がプロパガンダした結果、脚光を浴びるようになったのです。

これは、芸人の地位と同じです。
昔なら、賤業だった職業が今の自由社会では、むしろ憧れの職業になっています。
霊能者や陰陽師や坊主も同じです。

穢れを祓う者は、穢れと同レベルに見られます。
屠殺業界や、葬儀関連、処刑人などの職業が賤業だったのはこれが理由です。

夢を壊すようで何ですが、陰陽師が公務員だった頃の、朝廷の宗教人の身分ランクは、
坊主>神主>>超えられない壁>>陰陽師
です。
穢れを扱うから、下級の扱いだったのです。

坊主の方は、江戸時代になって、葬儀利権をゲットした坊主の印象が今でも、強いのです。
お経で、悪霊怨霊を成仏させるイメージが強いのですが、

実際は、坊主の本来の仕事は、供養ではありません。
まあ日本の仏教は元々、日本に招来したのは、神道で対処できない物を封じるための封印技術ですので、本来の目的に合ってると言えば合ってるのですが・・・。
庶民の個人レベルの悪霊など、どうでも良かったのです。

神道に至っては、穢れを嫌うため、悪霊退治どころか葬儀すら忌避します。

要するに、基本、悪霊退治は、マイナーだったのです。

魂魄の話も前にしましたが、魄は地上に残って、さ迷ってるか、地縛霊になってるか、してますが、宗教から見ればゴミ扱いです。

ゴミ掃除は、それはそれで尊い行為なのでしょうし、陰徳にもなるので別に良いのですが、それ自体が目的だと言うのは、宗教としては問題です。
※掃除などの手段と目的を一致化させる禅のロジックもないことはありませんが。

禅や仙道など、深い瞑想に入る修行では、こうした霊能力などが、付随としてついてきます。

しかし、禅では魔境と断じて十把一からげに、無視してしまいますし、仙道の修行マニュアル本(普通に書店で売ってる)でも、いつまでも、こういうのを相手にしていると、永遠に不浄物霊を救済する霊能者の地位に、堕ちかねないと言ってるくらいです

そのため、本来の宗教修行では、こういうのを、無視してさらに先に行くことが優先されます。

とは言え、ぶっちゃけ庶民相手に金儲けが出来るので、さっぱり捨てることも出来ません。

しかし、坊主は、さすがに当時のシンクタンクのため、ここらへんの問題について色々、智恵を絞っています。

日本国は、何せ、悟りの智恵である「空」ですら、中空構造として国のシステム作りや、風水都市政策技術、果ては、悪霊怨霊を成仏させるために、応用しているありさまです。

そもそも、悪霊怨霊といっても、何度も言ってるように、理不尽な目にあってきた人たちで、ぶっちゃけ言えば、為政者の生贄です。

そのまま、悪人たちを祟り殺すのを放置しておいた方が、いいような気もしますが、権力お抱えの坊主はそんなこと気にしません。

修行の結果の「空」のパワーで、悪霊怨霊を浄化してしまいます。
一切は、空であって、執着をすることは迷いである。
恨みを捨てて、成仏するのが救いである・・・・。と。

要するに、権力に阿って、権力者の悪事を、文字通り、闇に葬っているわけですが、さすがに権力相手だけだと体裁が悪いのか、今では、一般客も相手にしています。

先祖供養だの、阿弥陀佛が、衆生救済で全人類を極楽浄土に送るだのと言って、この浄霊アルバイトを、公認しています。

まあ、時代が下って、貴族相手だけでなく、不特定多数の民衆の市場が増えてきているのですから、これを相手にしない理由はありません。
その意味で、水子供養と先祖供養は、本質的に対して変わらないのです。

多産の時代に水子がいない家はあまりいませんし、先祖がいない人間もあまりいないからです。
陰陽師や霊能者にお祓いを依頼というと、ハードルが高いですが、寺で先祖供養というと、なぜかハードルが下がります。

そうした意味では、先祖供養は、葬式利権を持っている日本の仏教が持っている利権なのでしょう。

次回は、この先祖供養を、もっと突っ込んでみましょう。
さすがに、次回あたりでこの項も終わるでしょう(たぶん)。


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