2017年3月24日金曜日

【陰隲録】功過格表㉜ へんじがない。ただのしかばねのようだ。 五十善 野ざらし死体を埋めよう⑤




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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

五十善に相当する

一の主なき骸を埋む



死体が大好きネクロフィリアの世界枢軸宗教。

ネクロマンシーイエスが開祖のキリスト教に並ぶ、世界宗教の仏教も同様です。

基本、インド人宗教っぽく、死体はファイヤーするのですが、仏教の死体への偏愛は、並大抵の物ではありません。




【燃える生ゴミ】


基本、死体というのは生ゴミです。
身も蓋もない言い方をすればそうなります。

死体が忌み嫌われている理由としては、単純に、生ゴミのため、腐るという性質を持っているからです。

人間は腐る物を基本的に嫌います。
臭いし、不衛生だからです。


発酵食品という腐ることを利用した文明の利器もありますが、死体はさすがに食べられません。

ウジは湧くし、孵化してハエは湧くわで、家の中に置いても迷惑千万です。

ただでさえ、腐るものは上記の性質を持っているのに、さらに、それが元人間ということも拍車をかけます。

生き物の死体や腐敗は、人間でなくても気持ちが悪いものですが、自分と同じ種の人間だと、その気持ち悪さもひとしおです。

身内であったら尚更でしょう。



しかも、腐敗死体には根源的に、人間の魂の奥底に湧き上がる得体の知れない恐怖を感じさせます。

それは、普段意識することのない、絶対的な敵。

即ち、「死」という絶対的な敵の存在です。




【メメント・モリ(死を忘れるな)】




人間や生命は、普段はこの死を意識することはありません。

繁殖を遺伝子の目的とする生命は、死という概念は、意識すると、ストレスのかかるものだからです。

死に伴う、痛みや恐怖、崩壊は、自分の遺伝子にとって、最大限の敵です。


とは言え、人は、生命は、誰でも死にます。

普段、忘れたふりをしていますが、人は自分は必ず死ぬのです。


猫も杓子も釈迦も達磨も、等しく死ぬのです。

そもそも、開祖ヅラして偉そうに我々を睥睨する、釈迦もイエスも、コロリと死んでいます。

どんなに偉そうなことを言っていても、人はあっけなく死ぬのです。



人間は、いずれ来るこの絶対的な敵を忘れることで、かろうじて精神の平衡を保っているのです。

死は人間にとってどうしようもない強制イベントなので、考えてもどうしようもないのです。
どうしようも無いものは考えても無駄です。

そんなことにストレスを感じるくらいなら、思考停止した方がよいのです。
そのため、人間は、普段、死について考えるのをやめているのです。

死体はその閉塞した思考停止のタブーを破ります。

普段、意識からわざと除外している「死」について、強制的に想起させてしまうのです。


だから、人間は、死体を忌み嫌います。

そして、逆に言えば、死体は我々が普段忘れている死について、強制的に認識させるという機能を、デフォルトで搭載していると言えます。

死の強制認識装置。
ここに、仏教が死体が大好きな理由が存在します。




【観察される死体(早く埋めろや・・・)】


現代の日本では、そうそう簡単に出来ることではありませんが、死体は、仏教の修行にとって、役に立つアイテムです。
修行促進アイテムなのです。

具体的には、死体を観察(もしくは観想)することによって、諸行無常の訓練をするからです。


仏教の瞑想法には、不浄観や死観と言うものがあり、名前だけでも普通にどんなものかわかると思いますが、要するに、死を徹底してイメージしたり、死体の腐乱段階を、自分の身体に見立てて、イメージします。

九相図という死体の腐乱フェイズ図がありますが、要するにこういう物を瞑想して、執着を無くすわけです。

ちなみに、その九段階は、こんな感じです。


1.脹相(ちょうそう) - 死体が腐敗によるガスの発生で内部から膨張する。
2.壊相(えそう) - 死体の腐乱が進み皮膚が破れ壊れはじめる。
3.血塗相(けちずそう) - 死体の腐敗による損壊がさらに進み、溶解した脂肪・血液・体液が体外に滲みだす。
4.膿爛相(のうらんそう) - 死体自体が腐敗により溶解する。
5.青瘀相(しょうおそう) - 死体が青黒くなる。
6.噉相(たんそう) - 死体に虫がわき、鳥獣に食い荒らされる。
7.散相(さんそう) - 以上の結果、死体の部位が散乱する。
8.骨相(こつそう) - 血肉や皮脂がなくなり骨だけになる。
9.焼相(しょうそう) - 骨が焼かれ灰だけになる。

対象としては、女性(なるべく美しい方がよい)の身体が選ばれます。

肉体への諸行無常と、共に、人間の三大煩悩の性欲(男性修行者限定)の対処と一石二鳥を狙っているわけです

これによって、肉体と性欲の執着を無くすわけです。
基本、人間は自分の身体が大好きです。
自分だけは死なないと思っています。
自分の身体の愛着は凄まじいのです。

無常という概念の基礎として、一番身近で一番愛着のある自分の身体を観想するのです。

そう言うと、
「いずれ老いさらばえて死ぬとしても、今は美女じゃんか!今を生きるんだ!」
と、ハッスルする意見も出てきます。

しかし、タバコと肺の癌画像の併用のように、やはり条件付けとして、腐った死体と美女がリンクするので、執着は消えやすいのです。

執着が消えれば、賢者モードになって智慧が出てきます。
欲にかられて盲目になると、智慧は隠れます。

兵法では、こういう人はいいカモです。
魚が餌針につられるように狩られてしまいます。
つまり、開運(マイナス防止分野)としても有効なわけです。

さらに、死体になるということはイコール死を認識するわけです。
葉隠に「武士道とは死ぬことと見つけたり」という有名な言葉があります。

別に我々は武士でも何でもありませんが、死を認識することは心の浄化に非常に重要です。
ここらへんは、あとあとの回でもとりあげます。

無論、対象の美女死体への執着が、消えるどころか、段々と興味が湧いてきて興奮してきたら、それはそれでネクロフィリア(死体愛好)の危険信号なのですが。




【コナンや金田一という、行く先々に死体を生成する死神】




しかし、当然、死体を気軽に部屋に置いておくことは出来ません。

死体は人を呼びます。

下手をすると、国家権力の手先によって、お縄となってしまいます。
密室だったら、名探偵が出張ってくる騒ぎになってしまいます。

名探偵だったら冤罪で捕まることはないでしょうが、迷探偵だったら、殺人の冤罪を着せられてしまうかも知れません。
少なくとも死体遺棄の罪に問われてしまいます。

うかつに、死体を用意するのは、容易ではないのです。
現代社会は、それだけ死体を用意するのは、難しいのです。

葬儀、医療関係者や、裏社会の人間ならともかく、死体を見る機会すら現代ではなかなかありません。


まあ、とは言え、つい前世紀には、死体などゴロゴロ転がっていた時代です。

今だって、日本は、大震災や戦乱を含めていつ、地獄絵図になるかわかったものではありません。
自分の身体だけでなく、日本国の身体(国体)も、諸行無常の響きに満ちているのです。

執着が消えれば智慧が出てきます。
国体が常住不変の物でないと分かれば、国が仕掛けている洗脳から逃れらます。

国だけでなく会社も家族も全部同じです。
万物を貫く法則の諸行無常は、例外を許さないのです。

本来、世俗の開運は、これらに感謝し奉仕することが基本です。
(そもそも陰徳自体がそう)
しかし、究極にはこれらはゴミ同然の価値でしかありません。
非世俗の境地にはこれらはゴミとして捨てられるのです。
だからこそ、古人はこう言うのです。
仏の前にゴミはなし(538年日本に仏教伝来)と。


また、死体を見る代替案としては、幸い、ネットがあります。
興味のある方は、今、目の前にある画面で検索して下さい。
いくらでもグロ画像が出てきます。



まあ、仏教のネクロフィリア属性の基本レベルは、大体上記です。
が、
さらなる、ハードコアなネクロフィリア属性の上級レベルは、次回にまわしましょう。

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