2017年3月29日水曜日

【陰隲録】功過格表㊲ 龍樹の伝言 五十善 野ざらし死体を埋めよう⑩




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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

五十善に相当する

一の主なき骸を埋む




【異端】


前回、とてもわかりにくい説明の密教の歴史を話しましたが、基本、仏教の正統教義からは当然、異端です。

まあ、大乗仏教そのものがすでに異端と言えば異端なのですが、その中でも密教の異端っぷりは群を抜いています。

釈迦が禁止した呪術はやるし、女の子は抱くわで、戒律破りまくりのウルトラ異端レベルなのです。

しかし、そうは言っても、一応、仏教の看板を掲げている以上、少なくとも建前は、仏教の教義が掲げられます。
煩悩の否定や悟りや解脱と言った概念です。

つまり、あくまでこうした身体技法は、悟りへと至る方便であり、最終的には欲望否定の境地へと至るという説明です。

また、真っ当な伝統密教であれば、厳しい倫理的戒律の制約や、信用出来る人間への伝授という形で、フィルターをかけるという防止策を立てています。



【空論】


ただ、密教は大乗仏教に所属するので、密教の悟りの内容は、初期仏教や上座部仏教とは微妙に違います。

完全な現世否定型(例えば一切皆苦)ではなく、多少、現世肯定の余地がある「空」の論理です。

一体何が違うんだ?
そもそも、それが一体どうしたというのか?

というもっともな疑問ですが、空の論理は、と言っても基本は、仏教の普通の、無常観の意味合いです。

要するに、
世界は、本当は空で空しいものなんだよ!
という後ろ向きの世界観ですね。

祇園精舎の鐘の声が・・・!
祇園精舎の鐘の声が・・・!)
聞こえてくるよ・・・!
聞こえてくるよ・・・!
※かえるの歌風に輪唱で


お父さん・・・!鐘の声が・・・!
鐘の声が聞こえてくるよ・・・!
(シューベルトの魔王っぽく)


要するに、
「現世の欲とか権力とか空しいものだから出家して世を捨てようぜ」
とかの意味で、使われます。

ここらへんのニュアンスは、我々日本人ならある程度、理解出来るかと思います。

大乗仏教も基本、そういうニュアンスの宗教です。
しかし、やっぱり大衆用に作られた宗教なので、一捻り入っています。
一見、空しい無常観の空もその類です。



【龍樹の伝言】

※めんどくさい仏教理論になりますので、めんどい人は飛ばして読んで下さい。
※空理論はいずれ般若心経コンテンツでやります。

空理論は、空論とか中観とか言われます。

この空の論理、発明者はインドの龍樹(ナーガ・ルジュナ)という天才ですが、大乗仏教の祖師に数えられるだけあって、この空の論理にも、前述した通り、大乗仏教の現世肯定に繋がる論理展開の流れがあります。

どういうことかと言うと、大乗仏教とは基本、出家主義者の上座部仏教に反発して出来た仏教です。
出家よりも在家の方が偉いという立場です。

龍樹の空論(中観論)は、基本、仏教の原理主義として、当時、実在論になっていた説一切有部への批判として登場しました。

その意味で、本来の空は、現世否定形のロジックです。

我々の馴染みがある般若心経の色即是空(物質は空である)としても有名です。


しかし、この空の論理は、現世肯定のニュアンスも包含しており、後の大乗仏教にその現世肯定思想が引き継がれます。



般若心経にも、色即是空の後に、空即是色(空は物質でもある)と、続くくらいです。
般若心経は、いずれコンテンツで詳しくやりますが、空というロジックは、徹底した「否定の論理」です。


初期仏教は、現世否定のペシミズム的概念ですが、空のロジックは一切を否定するので、必然的に、初期仏教のペシミズムすらも否定の対象にしてしまいます。


現世否定を否定すれば、論理の裏返りは、現世肯定になります。
元々、出家主義の初期仏教を否定する目的の空の論理ですので、当然、非出家主義、在家肯定の立場になりやすいのです。


これは、当然、現世肯定の論理になります。
もっと言えば、欲望肯定です。
仏教で否定されている煩悩の肯定になってしまうのです。


これが、進めば、一切をありのままに認めるという日本的なアニミズムの感性につながりますし、
宇宙の叡智の大日如来や、キリスト教的な教義の阿弥陀仏、法華経の久遠の仏の実在という、有神論的な教義にもなります。


本来、超越的な普遍の存在を認めない仏教からは異端的教義ですが、空という完全否定のロジックはこういう教義も、認めてしまう余地があるのです。



まあ、それはそれで一つの宗教としては別に問題ありません。
実際、有神論の一神教は、世界宗教で10億単位の信者がいるのです。
我々だって神道という、有神論の多神教国家の国民です。


しかし、さらにこの空の論理のロジックが進むと、さすがにツッコミどころが増えてきます。
なぜなら、一切を否定する空の論理を徹底させると、歯止めがないからです。
五戒を初めとする戒律の破戒や、倫理項目の破棄、犯罪の肯定と言ったレベルにもなります。

ここに、大乗仏教のシステムエラーが存在します。

で、長くなったので分割して次回に続きます。

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