2017年7月21日金曜日

陰徳と精神的勝利法①











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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら






君がいないと何にもできないわけじゃないと



ものすごく今更ですが、そもそも、このブログは、開運をテーマにしています。



しかし、当たり前ですが、運の良い人は、わざわざ開運なんて気にしません。

運そのものにも、意識を求めないでしょう。



健康な人は、体の健康のことを意識しません。

水に溺れたり、空気が汚染されたり、呼吸器官が悪くならない限りは、
酸素のことを意識しないのと同じです。


水と平和はタダというのは、戦後の日本人の常識です。

北朝鮮からミサイルが飛んできたり、放射能で水が汚染されて、ようやく気にするようになるのです。


3.11で、計画停電という示威行為がされたことは、記憶に新しいのですが、
当時は、「愚民どもよ、電気のありがたさを知れ」と、犯罪テロリスト企業の東電が普通に、仰っていました。

資本家は生産手段を支配するというマルクスの言葉通りの大変分かりやすい具体例でした。

この、犯罪者の開き直った態度に、日本国民は激怒しましたが、大きな目で見れば、これも先の話と、同じ範疇の話です。

人間は、電気を含めて、平常使われている物に、あたりまえだという認識を持つのです。

何かあって、ようやく、その存在の価値を知ることが出来ます。
失ってから初めて、人間はその価値に気づくのです。

あのボンクラの、のび太でさえ、ドラえもんがいないと部屋ががらんとして寂しいと気づくほどです。



そしてこれは、運と言う存在も同じです。





俺達は世界最強である。
なぜなら、俺達は世界最強だからだ。



癌で無い人は、医者でもない限り、癌のことを勉強しません。

自分に関係無いからです。

差別も貧困格差も、自分に関係なければ、普通は関わり合いません。

運のことも同様で、自分の運に不満があるからこそ、運を改善する方法を、調べます。



しかし、運の改善というのは、そもそも矛盾した概念です。
改善含めて、人為的に後天的に操作出来ないから、運と言うのです。
簡単に改善出来る物なら、運とはいいません。

道端の邪魔な石ころのことを、不運とは言いません。
石ころは簡単に排除できるからです。

簡単に改善出来ない邪魔な事象を、運、運命、命運と呼びます。
そして、簡単に改善出来ないからこそ、運の改善は難しいという堂々巡りの、トートロジー(同義語反復)です。


幸い、このブログに出会えた皆様は、陰徳という、この改善が難しい運という物の対処法を知っていますが、大抵の人は、自分の運に、不満をもって生きていくしかありません。



上から目線のてんこもり



宗教はアヘン、というマルクスの金言は、古今東西を貫く名言です。

一般にこの言葉は悪い意味で用いられ、
宗教は、社会的矛盾や搾取を是認しているという意味で使われます。

しかし、愚民を騙していた歴史の宗教を、批判している現代人は、言論の自由や政治的信条の保障がある安全な時代から、上から目線で批判しているだけです。

実際に、近代以前に生まれて(記憶を持ったまま異世界転生でもいいですが)、
ご政道批判を出来るのか?
革命を起こして民主主義を実施できるのか?
と言えば、答えはNOでしょう。

分かりやすく言えば、北朝鮮に生まれて、革命を起こせるような人間は、ほとんどいません。
できるとしたら、それは英雄か他国の工作員です。

異世界転生物だって、女神からチートを貰って初めて無双できるのです。
転生時に、何らかのチート能力を貰わないと、異世界で無双は、不可能でしょう。




アヘン・・・!飲まずにはいられない・・・!


アヘンでも、やらなければ、人生やってられないのは、昔も今も同じです。

現実逃避の、アヘン代わりの娯楽は、いつの世もなくなることはありません。

酒やタバコや漫画もゲームも映画も小説も芸術も、全てその類です。
あのウルトラ統制国家の江戸幕府だって、農民の下に穢多非人を作って、農民のガス抜きをしていたのです。


運に関しての不満を、宗教やその他のアヘンによって、緩和し、ようやく人生を歩んでいくことが出来るようになるのです。

幸運な人は、自分の脳内麻薬物質を分泌して、人生を謳歌していますが、それが出来ない人は、外部のアヘンに頼るしかありません。

※それが、娯楽というアヘンなのか、リアルのアヘンなのかは別ですが。



この運に関しては、あまりにも人によって不公平なので、宗教や古典は、昔からこれについて民衆を宥める役割を負っています。

人生はストレスがかかるのです。
上も下も同じです。

不満のガス抜きというか、信者に対して、この不公平を、合理化しなければ、自分たちの救いの教義と矛盾するからです。


以前も指摘しましたが、基本、宗教の基本は、どんな苦難でも歓んで受け入れるマゾ奴隷を養成することです。

外界の苦難は変えられなくても、それを受け入れる側の人間の認識は変えられます。
普通の人には鞭で打たれるのは苦痛ですが、マゾ奴隷にはご褒美です。

これは、洋の東西を問いません。
所詮、宗教は、人の枠を超えられないのです。
不老不死にはなれないし、空も飛べないのです。

外界の現実が変えられない限り、内面の認識を変えるしかありません。


本人にとって、変えられない外界の不幸を解消することが出来るし、
統治者にとっても、自分の失政や搾取による、大衆の不満を解消できるし、いいこと尽くめなのです。

お金や資源は、リソースに限りがあり、万人に分け与えることは出来ません。
しかし、抽象的な自分は幸福だという教義なら、いくらでも与えることが出来るのです。

倒産前の空手形は、いくらでも切れるのです。
死後、天国や極楽浄土に行くことが出来るという空手形は、現実の死という倒産まで、有効なのです。



さて、この手口に関して、特に運についても、いくつかのテンプレがありますので、
いくつかご紹介しましょう。




長くなったので次回に続きます。




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