2017年7月2日日曜日

【陰隲録】功過格表115 渡る世間は仏ばかり 三十善 冤罪を救おう⑰





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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

三十善に相当する

◯一人の冤を白にす。







自己暗示


冤罪は、今もプロパガンダとして、敗戦国日本に対するヘイトスピーチで呪縛しています。
歴史認識という分野でさんざん議論になっています。

これは、日本に対する束縛として、思考の制限→行動を制限へと繋がっています。

まあ、日本の場合は実際的に占領国に武力占領されているので、否応無しなのですが、問題は個人が冤罪で洗脳されて行動制限されているパターンです。

別に、痴漢冤罪で不当逮捕されているということではありませんが、人間は自分にかけている冤罪で、能力を発揮できていないことがよくあります。

「不自由な人は不自由な考え方をしている」

というのは、よくあるセリフです。
自分が何らかの自己暗示をかけていることが開運の妨げになっているパターンを考える必要があります。

この自己暗示による自己洗脳は、どんな人間であろうと、逃れることは出来ません。
絶対に、人間である以上、逃れられないのです。

その理由は簡単で、人間は全知全能では無いからです。
無知無能とまでは生きませんが、有限の情報しか得ることが出来ないからです。

三次元上の自分が目指する認識範囲の体験と、4次元の時間軸上の自分が生きている時間の認識範囲の体験しか直接得られないからです。

全世界・全時代の全ての情報を得ることは絶対に不可能です。
ゆえに、人間は、制限された情報の中で生存していくしかありません。

人間の自己暗示の制限も同様です。




自己否定



では、どんな自己暗示が自分にかかっているのでしょうか?
色んなパターンがあって、全てを網羅することは不可能です。

その中でも特に冤罪と言うテーマで言うと、罪と罰の自己暗示でしょうか?

特に、因果応報理論ですと前世を想定するので、自分に見に覚えのない前世の罪を確定しがちです。

要するに、自分が運が悪いのは前世で罪を犯したせいだ。
という、冤罪自己暗示です。



まあ、因果応報が正しければ、冤罪でも何でも無いのですが、因果応報や輪廻が実証出来ない以上、冤罪です。

一応、このブログでは、運が悪いのは前世で悪行を為したからという思いっきり冤罪の考えをしています。
冤罪をやめようといいつつ、思いっきり読者様に冤罪の濡れ衣を着せているのです。

もっとマイルドに言っても、「徳が足りないから」という、努力が足りないみたいな自己責任系の言い方をしています。
そもそも、人様に向かって徳が足りないとか一体何様なのでしょうか?

しかし、そうは言っても、前世や来世を想定しないと、因果応報理論は成り立ちません。
生まれによる差やスペックの差や環境の差が説明出来ないからです。

※勿論、唯物論的にただの偶然であり意味はないという論理も可能ですが。

そのため、貴方が不幸なのも、アフリカで子供が死んでるのも、全部、自業自得であるという、論理を採用せざるをせません。

しかも、この論理をさらに展開していくと、だったら他人を助ける陰徳は悪だよねという結論に達してしまいます。

自業自得ですと今の不幸は過去の悪業の結果であり、不幸を消化することでカルマは消滅します。
なのに、勝手に助けてしまったら、カルマの解消を邪魔することになるからです。

インド人がカースト制度の中で、劣悪な環境に置かれていても、外部からの助けを拒否するのと同じです。
彼らは、自分たちの境遇はカルマの解消のためだと信じているので、邪魔するなと逆に怒るのです。

現代人から見ると、彼らの思想行動は洗脳された異様なカルトです。
しかし、彼らが仏教を生み出し、因果応報思想や輪廻思想を発明したのです。
陰徳で開運ハッピー♡というこのブログの方向も、このインド人のカルト思想の延長上線にある、同じ穴のムジナなのです。




不都合な真実



変な話ですが、上記の話をさらに敷衍すると、世界は弱肉強食という現実が逆に意味で正しいことがわかります。

上記したように、人に陰徳を施すことは実は、施される人間のカルマの解消を妨げる罪悪なのです。
陰徳を施す側は、他人を助けるという大義名分の元、相手のカルマの消化を妨害して、しかもちゃっかり自分は陰徳を積んでプラスになっているのです。

カルマを消化することも徳と言うならば、他人の徳を押し付けで奪って自分の陰徳にしていると言えます。

これが本当の陰徳的弱肉強食です。
この世は、通常の弱肉強食の世界であると同時に、陰徳的弱肉強食があります。

ぼんやり生きていたら、いつのまにか、善意の押し付けを受けて、自分のせっかくたまった陰徳ポイントを泥棒されかねません。

うっかり殺されかけて助けられたりしたら大変です。
人の命を助けるのは、功過格の陰徳でも最高の百ポイントです。
一生分の陰徳を失ってしまうのです。
しかも、助けた当人は、貴方の陰徳百ポイントでウハウハなのです。

何という恐ろしい世界でしょうか?
百年の功も一瞬にして失ってしまう可能性があるのがこの世の中です。

夜道を歩いていれば、通り魔に殺されそうになって助けられたり、山で遭難したり海で溺れそうになって、助けられる。
不摂生で病気になって、助けられる。
道に迷えば、助けられてしまう。
日本のような民度の高い国に生まれたばっかりに、陰徳泥棒がそこら中に存在しています。


発展途上国や貧困に生まれてしまえば、もっと大変です。
善人面した陰徳泥棒が、薬やら救援物資や井戸を掘ってくれたりして、なけなしの陰徳ポイントを奪っていくのです。

まことに恐ろしい世の中です。
油断もスキもあったものではありません。
渡る世間は仏ばかりです。

爪に火をともさんばかりに貯めた陰徳を盗んでいく、盗人のおかげで、常に疑心暗鬼で生きていかなければなりません。

おまけにこの泥棒行為を推奨する陰徳などという概念をブログで世間に広めようとする輩まで存在しています。

こ、こんな 殺人鬼 仏がいる場所(六道輪廻的な意味で)になんかいられるか!
俺は一人で脱出する!(解脱的な意味で)

所詮、世界は弱肉強食なのです。
相手から陰徳を奪うか奪われるか、ただそれだけなのです。

奪われる立場にいてはいけません。
貴方は幸福になるために生まれてきたのです。
人生は大勝利するためにあるのです。
奪うのです。
ひたすら他者から奪うのです。
他人の徳分を一心不乱に奪い続けるのです。

世界には二種類の人間しかいません。
陰徳を奪われる物と奪うものです。
カモと狩人しかいないのです。

カモになってはいけません。
狩人になるのです。

他人のことなんか気にする必要はありません。
奪われる方がマヌケなのです。
あらゆる人間からあらゆる方法で他者を助けて、ひたすら陰徳を奪うのです。

闇金業者は他人の金を奪う存在ですが、まだまだ我々に比べれば雑魚同然です。
我々は他人の徳を奪う存在です。
闇徳業者なのです。

これに関して、神聖ブリタニア帝国第98代唯一皇帝陛下よりお言葉がありますので、拝聴しましょう。
人から奪うことを、まだ躊躇する便所のネズミの糞のようなちっぽけなプライドを持っている人はこのお言葉を聞いて、反省しましょう。







人は・・・!
平等ではない・・・!

生まれつき足の早い者
美しい者
親が貧しい者・・・!

病弱の身体を持つ者
生まれも育ちも、才能も・・・!
人間は皆・・・!
違っておるのだ。

そう、人は差別されるためにある・・・!
だからこそ人は争い、競い合い、そこに進歩が生まれる・・・!
不平等は悪ではない、平等こそが悪なのだ・・・!

権利を平等にしたEUはどうだ? 
人気取りの衆愚政治に座しておる。
富を平等にした中華連邦は怠け者ばかり、
だが我がブリタニアはそうではない、
争い競い常に進化を続けておる。 

ブリタニアだけが前に! 
未来へと進んでいるのだ。
我が息子クロヴィスの死もブリタニアが進化を続けているという証・・・!

戦うのだ!
競い奪い獲得し支配する。
その果に未来がある!!! 


オールハイルブリタニア!!!





さあ、皆さんもご一緒に。

オールハイルブリタニア!
オールハイルブリタニア!
オールハイルブリタニア!
オールハイルブリタニア!














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