2017年7月1日土曜日

【陰隲録】功過格表114 油土人に国に石油が出るのはアッラーのご利益 三十善 冤罪を救おう⑯





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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

三十善に相当する

◯一人の冤を白にす。










一般に、冤罪というのは、人間間でしか起こりません。
人間とそれ以外の動物はただの弱肉強食だからです。

冒頭画像で中共の毛沢東が、害虫を食べてくれる益鳥の雀を冤罪でジェノサイドして、(中共の人民が)酷い目に合っていますが、仮に冤罪でなくても、どっちみち雀にとっては、虫という他生物を殺して食べているのです。

基本的に、冤罪というのは、「自分に関係のある対象」でなければ冤罪とは言いません。
毎日、屠殺場で家畜が膨大な数で殺されまくっていますが、別に我々は気にしていません。

目の前で、犬猫が殺されていれば、さすがに突っ込みますが、それも犬猫という「自分に関係のある対象」だからです。

人間は、その有限な肉体と精神の構造の関係上、絶対に「平等」という実行は出来ません。

自分が知覚、認識している対象が世界であり、その中で「自分に関係ある」対象の動向に反応します。
地球の裏側で、アフリカの裸土人が飢えようが、どうでもいいし、中東の油土人が爆撃されようが、やはりどうでもいいのです。

しかし、近所の野良猫がトラックに轢かれていれば、気の毒に思います。

つまり、自分に関係のない土人の命よりも、近所の野良猫の命の方が重要なのです。

これは、単純に、目の前にいるかいないかという3次元空間の距離の問題です。
遠距離恋愛が長続きしない理由がこれです。

物理的な距離は心の距離なのです。

自分の五感にアクセスしてくる対象をより「自分の関係者」として認識します。
中国人の人間関係の「幇」と実は、大して変わりがありません。
自分の関係者という「身内」は「外の人間」よりも重要で、「外の人間」はどうでもいいのです。


「自分」


もっと言えば、人間が、冤罪にしろ実犯罪にしろ、それを見て怒るのは、「自分」が被害に会っていると認識しているからです。
逆に言えば、「自分」が被害に会っていなければ、絶対に怒りません。

ちなみに、この「自分」と言うのは、結構範囲が広く、個別の自分の体以外にも対象は多いのです。

言葉で言うところの「私の~」という範囲全部です。
人間は、他の下等生物と違って、知能が高いため、多くの対象を自分と認識する能力があります。

私の体、私の心、私の家族、くらいなら、動物ならみんな持っています。
人間はもっと所有格の対象が多いのです。

私の国、私の民族、私の会社、私の仲間、私の仕事などなど、単に自分が参加している組織を、自分の存在とリンクさせてしまいます。
この対象範囲は、限りなく巨大化させていくことが可能です。

人間外の生物と人類が戦った場合は、人間という種自体を、自分と同一化させることも出来るし、宇宙人が攻めてきたら、私の星、地球と言う超巨大な所有格を構築することが出来るのです。

そして、一切の苦しみの根源はこの「自分」という迷妄から始まります。



諸法無我



仏教の基礎理論は、今まで散々やってきたので今更ですが、
三法印(四法印)です。

入門レベルの教義にして奥義なのですが、
要するに、

諸行無常
諸法無我
一切皆苦
涅槃寂静

の四文字熟語です。
※どうでもいいですけど、縦読みでも何となくお経っぽい感じに見えますね・・・。

で、この内の諸法無我がこれに該当します。

アフリカの子供がどうなろうと知ったことではない我々が、近所の野良猫が飢えて死にそうになっていれば、助けてしまいます。
自分の子供だったら尚更です。

これは、近所の野良猫や自分の子供がアフリカの子供よりも、より、「自分に関係のある」「自分のもの」だからです。

我々日本人は、オーストラリア人が、コアラやカンガルーを駆除するのを見て激怒します。
しかし、クジラは別にどうでも良いのです。

逆に、オーストラリア人は、クジラ捕鯨に関して激怒しますが、コアラやカンガルーは別にどうでも良いのです。

これは、日本人とオーストラリア人の、他生物に関する認識が違うからです。
もっと言えば、「自分のもの」の区分けが違うのです。

オーストラリア人にとってはクジラは「自分のもの」の範疇であり、日本人にとってはそうではありません。

オーストラリア人でも日本人でもゴキブリ退治の時には、別に異議なく殺します。

人間は、この地球上の(宇宙内の)、存在を勝手に「自分のもの」かそうでないか区別する生き物です。

そもそも論として地球上に勝手に線を決めて、ここが自分の国だの、自分の家だのと所有権を主張する生き物なのです。

60億いる人類の中で、線を引いて、その線引き内を、自分の仲間と称して他と差別するヘイトな生き物なのです。

その仲間に関しては、執着を生じて、愛したり怒ったりするのです。

お医者様でも草津の湯でも治せぬ、人間の不治の病いに、三毒があります。
貪瞋痴の三毒です。

貪(貪欲)
瞋(瞋り・怒り)
痴(愚かさ)

「自分のもの」と認識している対象に貪欲し、それが攻撃されてると怒りを発します。
自分の体、自分の心、自分のプライド、その他諸々の全ての「自分」です。

貪瞋痴の三毒の大元は、痴です。
諸法無我の真理を知らないが故に、他の二つが起動するのです。

早い話が、悟りを開いた者は、たとえ自分の親が殺されようと、アフリカ人の裸土人が殺されたようにしか思えません。
自分の体が斬られようが燃やされようが、中東の油土人が殺し合っているのと同じようにしか思えなくなります。

ここで、初めて、一切の苦悩が消滅します。
「自分」という究極の執着から解放された者には、もはや外界の全ての不幸は効力を発しないのです。
ここに至って、一切の吉凶禍福は終焉します。

六道の天国に行こうが地獄に行こうが、どうでも良いのです。
「自分」が無い者に、どんな快楽と苦痛があるというのでしょうか?
ここに至って、六道のラットレースは終了します。
解脱の境地に至った者は、生存の輪廻の輪から外れるからです。

究極の、開運は、この段階になって一つのゴールを迎えます。
皆さんは、ぜひこの「悟り」ルートのエンディングを迎えて下さい。

ただし、これはあくまでも数あるエンディングの一つです。
小乗(上座部)仏教的な開運ルートのエンディングに過ぎません。
他のエンディングもまた存在します。

他のルートもそのうち紹介していきますので、お好きなルートのエンディングを選んで下さい。




















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