2017年7月15日土曜日

【陰徳と潜在意識】宗教から見る自己啓発②





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なお、皆さんの記事の感想大募集です。
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その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら








幸福の青い鳥



さて、本当に一番良い自己啓発は、前回も指摘したとおり陰徳です。

とは言っても、どうしても陰徳などという、
裏道裏技の邪道は使いたくない!
努力と自己啓発の正道を歩む!

という、高潔な勇者のための、次善の策は、
自分が運が良いということを、「理屈」で自分の認識を納得させ、無意識に教えてしまうことです。

※陰徳でも、この理屈から攻める話が、陰隲録の本文にありました。
【陰隲録】改過⑮ 南無阿弥陀仏と唱えて、一向一揆の伝統から神風特攻隊まで
【陰隲録】改過⑯ ジョーカー・ゲーム 怒りのババ抜きゲーム


しかし、理屈なんて、潜在意識とは真逆の世界ではないか?
理屈では潜在意識は動かないのではないか?

と言う、もっともな意見もあります。
と言うより前回、そう言いました。
が、実は、そんなことはありません。


陰徳には劣りますが、正攻法的に、虚しい超人的な努力や、ぶつぶつ念仏的な人海戦術自己暗示をかけるよりも、実はよっぽど効果的なのです。


その理由は、簡単です。
「信念は実現」するという時の、信念は、読んで字の如く、信じている念です。
つまり、信用性の問題なのです。

当然、その信念があまりに不合理だと、自己暗示でも、まずそもそもの、表面意識が信じることが出来ないからです。


これは、自己啓発を実施している人たちに、じゃあ不老不死になれるか?と、聞いてみればわかります。

信じる者は救われるという信条の自己啓発者たちは、不老不死を達成することが出来ません。
不老不死というのが、理屈から離れすぎて、信じることが出来ないからです。

※心の底から信じても不老不死は無理だと思いますが、もしかしたら可能かもしれませんので、皆さんは諦めずにトライして下さい。


つまり、表面意識で理屈が通るということが、
深層意識を変えるのが目的の自己啓発において、いかに重要なのかが、わかります。

無敵の自己啓発様も、理屈の前にはあえなく屈服するのです。


自己啓発「理屈なんかに負けない・・・!(キリッ)

自己啓発「理屈には勝てなかったよ・・・

という同人誌的テンプレです。


そんなわけで、「自分が運が良い」という信念を理屈で補強するために、情報を、各古典・宗教から探してみましょう。




豊河が、探してみたところ、大体二パターンあります。
宗教的に、「俺ら運良くね?」という理屈が、意外と見つかりました。

※実は、宗教は基本、現世否定なので、こんなところ(現世)にいるのは良くない、運が悪いと否定するのが、大半のロジックなのですが・・・







僕らはみんな生きている




①存在することが奇跡系論。



神の奇跡は、海が割れることでも、死者が蘇ることでもない・・・。
今、ここに存在していることこそ奇跡なのである。
大地に種を撒けば、芽がなる。
太陽の恵みは惜しみなく降り注ぎ、雨は平等に潤す。
宇宙において、この天地自然の当たり前のことこそが奇跡なのだ・・・!


とかなんとかこういうロジックです。


つまり、進化論の論争にもリンクしますが、存在論としての話です。

あらゆる生命のシステムが存在することが、神の奇跡であり、幸運なことであるという理屈です。

地球が太陽系にあって、太陽から近すぎず遠からずの丁度良い位置にあって、
生命が存在できる奇跡的な環境という理屈も良く使われます。


このロジックはキリスト教系が、良く使います。
天地創造の神という設定ですので、このロジックは使いやすいのでしょう。
※神道なども、パクってよく使います。

豊かな地球という大自然に恵まれていることが奇跡であり、運が良いという理屈ですね。






モラトリアム




②有暇具足論


仏教系では、有暇具足(うかぐそく)と言うロジックがあります。

これは、チベット仏教の言葉ですが、要するに、お前ら余裕があるだろ?運がいいんだよ!ということです。

家計で言うところの、可処分所得です。
自由に使えるお金があるのと同じで、人生で自由に使えるゆとりの時間があるということです。


人生で余裕があるということは、どういうことでしょうか?
仏教は基本、輪廻転生を想定するので、それが前提となっている理屈です。
他の六道に比較すれば、人道はまだマシだねと言う、こういっては何ですが、「下には下がいるから大丈夫」論理です。




要するに、

「ろくでもない六道の輪廻転生の中で、人道というラッキーな環境で、運がいいね!」

と言うロジックです。





こう言うと、

そんなことは無い!
俺は人間だけど、ラッキーでも何でもないぞ!


と言う、可哀想な人が、反論しますが、そんなことはありません。
人間界に生まれるだけで、相当な幸運なのです。


この輪廻転生の中で、不幸な環境の道のことを悪趣(特に地獄・餓鬼・畜生は三悪趣)と言いますが、
ぶっちゃけ人間に生まれただけでも、宝くじに相当する凄まじいラッキーなのです。


六道は、お馴染みの、地獄、畜生、餓鬼、修羅、人、天と六つあるわけですが、
天はともかく、他の環境は、生存的に問題外です。


この環境に転生してしまうと、一年中ずーっと、他のことに忙殺されます。

例えば、修羅道だと年がら年中ずーっと殺し合いです。
地獄や餓鬼の環境は言うまでもありませんが、畜生だと、そもそも何かしようという思考すら動きません。



ちなみに、天は天で、恵まれすぎているので、わざわざ向上しようという気が起きないため、
これも環境的によくないと仏教的には認定しています。



要するに、仏教的に修行して悟りを開いて解脱したり、
それ以前でも、陰徳を積んで開運しようとか言う、前向きな行動が、他の六道では出来ないということです。



人間界に生まれてラッキーだね!
すごーい!
君は、人道に生まれて有暇具足のフレンズなんだね!

と言うのがこのロジックです。




ちなみに、人間に生まれても、まださらに、ラッキーのレベルがあります。
ぶっちゃけ、今、この駄ブログを読んでいる皆さんは、人間の中でも超ラッキーなのです。



どういうことかと言うと、文字通り、人間世界でも下には下がいるからです。
基本、六道は、およそ人間界の中にもあります(天台宗の考えなど)、
ずーっと戦争していたり、ずーっと奴隷で家畜のように働いていたりとか、教育すら受けられないとか、
悪趣と大して変わらない環境も、この人間社会には普通に、あります。
さらに、仏教的には、この偉大な教え(仏教)に出会わないとか、そういう要素も追加されます。




逆に、運がいいという意味では、上記をひっくり返した人間界の好環境に生まれたことです。
要するに、21世紀の日本に存在しているということだけでも、人間社会の中では、人生、大成功なのです。


この、日本ですら、生まれてきた時間軸が一世紀ずれていたら、
皆さんは今頃、徴用されて兵士になっていてアジアで餓死していたかも知れませんし、
国内でも、米帝の爆撃で、火あぶりになっていたかも知れません。


世界では、水も満足に飲めない人口が、億単位で存在しています。
今、この時代でです。

その中で、皆さんは、争いも、飢えも、文盲も無い、豊かな国と、日本至上屈指の良い時代に生まれて、
かつ、豊河のありがたい法話(自称)という高度な天上界の情報(自称)を受けられる縁があるという、
とてつもなく運が良い人生なのです。

しかも、さらに巨視的に見れば、
人類史の百万年単位の中で、人類はずーっと洞窟の中で暮らしていました。
地球の歴史の億年単位の中で、瞬きするような瞬間が今の時代です。

今のような、平民が、文明的な教育を受けられる時代にあり、
かつ、戦争も飢えも貧困も無い国に生まれているのです。
これがどれだけの凄まじい幸運か?

さらに、五体満足で飢えも強度の争いも無い状態で、
インターネットを使える環境で、開運のための陰徳の情報に出会う縁があり、
それを理解出来る教養があり、かつ陰徳を積むことの出来る余裕があるのです。
皆さんの運のよさは群を抜いています。



六道はともかく、現世を見るだけでも、無量の人間より下の下等な知能の生物が星の数ほどいて、皆さんはそれに生まれることから外れています。

生まれてくる座標軸がちょっとずれて、近所の犬に転生していたらどうするのでしょうか?

さらに言えば、人間が受精する時に、卵子に精子が到達するまでのレースの時点ですでに、宝くじよりも遥かに高確率なのです。



結論から言うと、皆さんの今の状況は、圧倒的に運が良い状態なのです。
皆さんの幸運は、六道の天文学的な、運の悪い生き物の上に立っている、奇跡なのです。



しかも、今の運が良い状態は、タイムリミット(時間制限)制です。

運命は誰にもわかりません。
万が一、明日にでもコロッと死んでしまう可能性だってあるのです。
病気でも事故でも犯罪でも天変地異でも戦争でも、いくらでも可能性はあります。


その後に、また人間に生まれる可能性は確定ではありません。
悪趣に堕ちる可能性もありますし、逆に天界の天人に転生する可能性もあります。

人間の人口がどのくらい、人間に転生出来るのか?は結構、意見が別れているので不明です。
大多数が可能という意見もあれば、大半は下に落ちるという意見もあります。


しかも、仮に人間に生まれ変われるとしても、人間の中でも今のような運の良い環境に生まれるとは限らないのです。


さらに、死ぬタイミングもそうです。
死ぬときに、準備が出来ていて、すでに陰徳を積みまくっており、
「よーし!いつでも来いや!」
と死ぬ準備が出来ているとは限らないのです。

陰徳を中途半端に積んだまま、悪業を貯めまくった状態で死んでしまったら最悪です。
死後の閻魔の裁きの間で、
「多少、善行をしたがまだまだ足りんな。総合でマイナスだから地獄行きな」
となったら、どうするのでしょうか?



要するに、今生きているということは、物凄く運が良い状態なのです。


と、言うのが仏教の有暇具足論です。


みなさんは生まれついての、モラトリアムなのです。
生まれついての、究極のゆとり世代なのです。





修羅の門



①と②の世界宗教のロジックで、自分は運が良いという認識を理屈で持つことが出来ます(たぶん)。

というより、ここまでグダグダ書いていますが、
豊河的には、ぶっちゃけ潜在意識への自己暗示とかはどうでも良いのです。


陰徳は実行が全てです。
陰徳的には、自己啓発などはどうでもよいのです。

今の環境が恵まれていて、かつ時限性があるから、
チャンスを逃さないように、陰徳をやりましょう、
ということが、皆様に伝われば、それで良いのです。

過去記事で、何度か言いましたが、自己啓発は、密教と同じで、表面意識のフィルターを外すという危険な技術です。
それは、表面意識の倫理や道徳の枠を外す、といことと同義語です。

世界中の密議が乱交であるのと同じように、密教も同様なのです。
後期密教は特にそうです。
師匠が居なければ絶対にやってはいけないのです。

自己啓発は、倫理道徳を伴わない潜在意識の開発ですが、陰徳は、倫理道徳を伴う、潜在意識の開発です。

安楽の法門はここにあるのです。
ノーリスク・ハイリターンなのです。

自己啓発は圧倒的な普及度であり、陰徳はほとんど知られず、普及度は、全然ありません。

狭き門から入るのです。
滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多いのです。
しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことでしょうか。
それを見いだす者は少ないのです。






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