2017年7月6日木曜日

【陰隲録】功過格表119 人の心に悪がある限り必ず第二、第三の私が・・・ぐふっ! 三十善 冤罪を救おう㉑





このブログの全体地図はこちら
はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)



なお、皆さんの記事の感想大募集です。
陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
記事下のコメント欄や、メッセージやメールで、お気軽にどうぞ。

その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら




功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

三十善に相当する

◯一人の冤を白にす。




乱交パーティ


密儀は、基本、乱交です。
夜にこっそりみんなで集まって、酒とドラッグで乱交パーティです。

これが、人間の理性を外して、原初的な獣性を喚起させる生命力復活のイベントだということは、今まで記事にしてきました。

要するに表の生活、表の理性で封印されきた要素をわざとすることで、タガを外すことが目的です。

これが西洋ですと、反キリスト教的な儀式になりますが、これはキリスト教が西洋社会では一強だからです。
キリスト教の儀式が表なので、裏が反キリスト教的な儀式になるだけです。

反理性的な物事の代表はセックスです。
今の自由な社会でも、表通りでセックスは出来ません。
昼の理性に対して夜の反理性の代表がセックスです。

ましてや乱交などは、理性の上からは反道徳的と見なされます。
だから、世界中の密儀ではまず乱交が基本なのです。

さらに乱交に加えて、酒や肉や薬などもオプションとして用意されます。
生贄を使うかどうかは、密儀によりますが、反道徳的なことほど、理性のタガが外れるため、よく使われます。

こういう密儀は世界中ほとんど変わりません。
文明国家ほど、世界宗教がメインですので、裏でこっそりやるしかありませんが、近代以前(昭和時代も)の日本だと普通に村の祭りで乱交とかは普通にやっています。

文明が通っていない田舎は、自然と身近にいるため、自然の力を必要とするのです。
これもやはり世界中ほとんど変わりません。





世界宗教というのは、自然の現象的な姿から、抽象化されていく進化(退化?)の姿です。

多神教の神々は、基本、動物の姿です。
今ですら、神道や仏教の天部の眷属は、動物です。
八幡神社の鳩や、稲荷神社の狐など、自然界の動物がメインです。

これは、多神教というのものが、大地母神、自然界の大地の力、もっと言えば、人間の理性以前の獣性の脳の象徴だからです。

人間は、地上の上に、文明を築いても、その土台は大地の自然です。
人間の脳が、獣性の脳の上に理性の脳が載っかっているのがその理由です。

人間は一枚皮を剥ぐと動物だというペシミストの言葉がよくあります。
それは、こういう進化史によるものです。

実際に大脳新皮質の理性の薄い脳を剥ぐと、下にあるのは、獣の時代の脳です。

この大地で生きていくには、この脳、つまり動物、自然、大地の力がいります。

神道や多神教には、基本、この世を捨てるという教義はありません。
そのため、陰の大地の力の象徴である動物が信仰の象徴なのです。

逆に、この世を捨てるという教義でしたら、この力は不要なのです。

初期や上座部仏教は、俗世を離れて瞑想して悟りを開き、解脱するという教義です。
もはや自然界の力の象徴の神々は拝まれません。
※門番や寺の守護神としては拝んでいるようですが。

死後、永遠の天国か地獄かの二択の、実質輪廻を否定している一神教も、そうです。
動物神は拝みません。

現世というのは、あらゆる現象的な世界、つまり五欲や五感の対象の世界です。
そこから離れるというのは、抽象的な概念にならざるを得ません。

動物的な姿の神々は、人間の姿に成り、さらに、形さえなくなります。



言葉はいらない



偶像崇拝を嫌うようになるのは、物理世界の像が崇拝対象ではないという意味であると同時に、形が無いという意味でもあります。

この世を嫌い、自然を嫌い、現世から離れるというのは、現世の形から離れるということであり、抽象的な概念の存在になるということです。

そして、同時に、地上の論理の対象にならないということでもあります。
およそ、世界宗教は、文明的ですので、言語化、論理化、論争化が大好きなのです。

実際に世界各地の多神教は、世界宗教の高度な論理に勝てずに、論争でボコボコにされてきました。

しかし、その彼らでさえ、究極的なところでは、論理を捨ててしまうのです。

一神教の絶対神や、仏教の解脱や空、道教の太極や無極、儒教の天などなど。
今まで、調子こいてロジックを展開していたのに、途端に、論理を捨てて思考停止してしまうのです。

日本だと馴染みが深いのは、この中の「空」でしょう。
大乗仏教の基本神学ですが、般若心経などで有名でしょう。
で、その空って何?
と、すると、途端に分けの分からないロジックなのです。
もっと言えば、論理化、言語化を捨てているロジックなのです。

言語の世界では到達出来ない境地という立ち位置です。
要するに、この世を嫌う世界宗教は、究極的には、この世を全て否定するため、この世に属している人間のロジックや言葉すらも否定してしまうのです。
有限の存在の人間の言葉では、記述出来ないということです。


アイシャルリターン


しかし、当然、世界宗教が世界宗教たる所以は、大衆の信者を抱えているから世界宗教になれたのです。
反現象的な高遠な教義や、高度な論理体型だけでは為しえません。


一神教も仏教も、どうしても現世的な大衆の欲望を叶える必要があるのです。

まあ、当たり前ですが、世界宗教の究極の教義は、
「この世は地獄だからさっさと死のうぜ!」
という、反生命的なカルト思想です。
キリスト教も仏教も、この世は穢土だというのは一致しています。

要するに、「ここでは無いどこかへ」と言う、現世否定な教義なのです。

こんな論理だけでは、全大衆は包含出来ないのです。
戦時でも平時でも、この世を捨てろ!という教義に賛同する人間はある一定数は必ず存在します。
しかし、この世に未練を持つ者は必ずいるのです。

豊かな平時の時代でも、宗教に超能力信仰で入ったり、もっと金を!とご利益信仰でなければ信者にならない人間はいるのです。

まあ超能力信仰やらご利益信仰やらと言えば聞こえは悪いですが、病気や貧困や闘争の貧病争は、宗教需要の基本です。
イエスだって病気治しで名を上げたのですから、衆生救済しなければ大衆は納得しません。

このため、世界宗教と言えども、どうしても、現世利益は必要になります。
そのため、今まで罵倒してきた自然宗教を迎えなければならなくなります。

ということで、また長くなったので次回に続きます。

0 件のコメント:

コメントを投稿