2017年11月5日日曜日

【陰隲録】功過格表162 進化と退化は表裏一体。三歩進んで三歩下がる  十善 いい人を紹介しよう㊴











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功格五十条(善行のプラス50項目)

・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

十善に相当する行為
◯一有徳人を薦引す



修行で全てを説明する脳筋思想


前回まで、通常の因果応報と、修行のための因果応報が反比例するという幸福の科学の話をしてきました。






つまり、善行をして五欲の幸福があると、修行としては邪魔になる。
むしろ、現世的に不幸になる方が、鍛えられて霊性アップの修行になるという話です。

しかし、実際には、求道者は、脳内麻薬でハッピーだから、善行→幸福の。因果応報理論は間違ってないよという結論でした。

さらに、もっと言えば、現世的な幸福や不幸などの吉凶禍福は、ある意味、修行のための調整弁程度のオプションとも言えます。

どういうことかと、現世的な吉凶禍福は、全部、修行なのです。
ゲームで言う経験値と言うことです。

霊性のアップのためには、幸福も不幸も全部、経験値なのです。

西洋魔術(密教)のカバラには、入門前に、こう聞かれます。
「この門に入れば、必ず何かを失うか良いか?」
と。

何を失うかは、その人次第です。
修行が進んで、その時点で邪魔になる時がくれば、それが失われます。
「富が邪魔になれば富がなくなる、地位が邪魔になれば地位がなくなる。」

と。

老子の「道を得れば日に日に損す」
というのも同じです。


その逆もしかりです。

「富が必要になれば富が得られる。地位が必要になれば地位が得られる」

人間として学習するには、地位や名誉や金も必要です。
人を使う経験は地位が無ければ得られません。

つまり、善行の陰徳の、結果の法則に付随して、学習のために、幸福を得る必要があるという法則が、同時並行で進むこともありえます。

結局、因果応報は、原因と結果の法則に過ぎず、ただの道具です。
自然法則をどう使うかは、生物の意思によります。
刃物を包丁に使うか凶器に使うかは、使用者次第です。

因果応報の法則とは関係なく、世界全体の進路として、そのような霊的進化の方向性があり、それに因果法則が使われているという言い方も出来ます。

この理論は、突き詰めると、差別思想だけでなく、悪人や必要悪も肯定出来る危険思想です。
経験値のためには、悪行をすることも肯定されるからです。

また、悪人や悪行は、善人や善業のために敵として存在意義があるからです。

アンパンマンが善人面をするためには、バイキンマンが必要なのです。






ほんとかよ・・・



最終的には、山奥で一人、朝から晩まで瞑想するという段階もあります。
※最終段階かどうかは不明。

これが進めば、当然ある時点で、人間としての学ぶ学習カリキュラムが終了している人が出てきます。

もう人間という生物では、学ぶことはやりつくしたということです。

人生という学校を卒業するという段階です。

在校生(人間種という意味で)の皆さん、ご卒業おめでとうございます!
ということです。

この考えは、要するに、生物としてランキングがある。
人間というステージも含めて、上下の段階的な階層があるという考えです。

生物としての進化論の霊的バージョンと言えます。


この手の話は、二例ほど、リアルで、霊能者から聞いたことがあります。

(霊能者の自分は)人間としてのやることが終えて、次の生は人間には生まれないと。
大体、こういう人は、神様とかに奉仕するとか、霊的な人助けの一生になると。で、人間としての生は終わりであると。

まあ、単なる、霊能者の思い上がった妄言でありますが、ここには、上記のような世界観の考えがあります。

要するに、霊的ステージの世界観です。

およそ、世界は、この世だけでないというのが、宗教者の心情です。

生まれ変わりは無い!
輪廻転生は無い!
という一神教ですら、来世の神の国と地獄を想定しています。

目的論的な世界観では、当然、進化という観点が入ります。
駄目な状態から、理想の状態へと生まれ変わり死に変りして進化するということです。

下等な存在から、人間へと進化し、さらに上の世界へと霊的にアップするという考えです。

近代ではダーウィンの生物学的な進化論があり、社会的には、社会的ダーウィニズムとして、白人の帝国主義の補助思想でした。

これらは、一神教の「歴史に介入する神」と、アリストテレスの亜流の思想です。
東洋の循環思想とは、対極の考えとなります。
ここらへんは、後でまた考察しましょう。

まあ、全体としてそのような方向性が世界にはあり、あらゆる不幸や幸福はその経験値稼ぎのためにあるのです。

神仏はその手助けをする存在であり、基本、慈悲深いため、困ってれば、助けてはくれますが、単に、助けてくれるだだけでなく、修行のために、色々と試練をくれて不幸にしたりしてくれます。

で、最終的に経験値を積んでレベルアップして、人間をご卒業して、人間よりも上位の存在の神仏に近づいていく。

やがては、最高神やら絶対神へ近づいていく。

だいたい、上記が、ここ何回かグダグダ書いている、目的論的世界観です。

ここ、何回かは、このテーマの元に記事を書いてきました。

この考えは、輪廻転生を基本教義とした、欧米由来のスピリチュアル業界では、だいたいこんな感じの考えがメイン教義です。

人生における、土星としての困難や障害があった時の対処法
として長々と、記事が続いてきましたが、

つまり、一言で言えば、
「お前の不幸は、修行のためだ!」
という、身も蓋も無い、脳筋思考です。

「過去の悪業で、今のお前の不幸がある!」
という話の亜流ですが、こういう古典的な因果応報的思想よりかは、前向きな話です。

まあ、どちらも、社会福祉を制限するろくでもない差別思想(人間に霊的ステージという差別階級をつけるとは何事だ?というリベラル思想)につながるのですが、因果応報理論よりは、まだ一般受けがいいのです。

それは、現代社会が西洋一神教の進歩思想の支配下にあることが原因です。

では、次回は、この進歩主義史観の、具体的な対応策について考えてみましょう。








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