2017年9月4日月曜日

【陰隲録】功過格表141 釈迦族とイスラエルを等価交換して仏陀とイエスを錬成に成功! 十善 いい人を紹介しよう⑱










このブログの全体地図はこちら
はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)



なお、皆さんの記事の感想大募集です。
陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
記事下のコメント欄や、メッセージやメールで、お気軽にどうぞ。

その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら



功格五十条(善行のプラス50項目)

・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

十善に相当する行為
◯一有徳人を薦引す

前回からの続き





掃き溜めの鶴




有徳な人間を出すにはどうしたらいいか?

国家や時代を変えるレベルの有徳な人間が出るには、環境の条件があります。


しかし、この環境の条件は、歴史という前例を見ると、たいていろくでもない環境ばかりです。

世界史的に超有名な徳のある人間というと、釈迦やイエスなどでしょう。

日本史だと、行基や聖徳太子や空海・最澄や鎌倉仏教の祖師たちなどでしょうか?

彼らの環境変数を見てみると、そのろくでもなさがわかります。

要するに、環境というか社会がにっちもさっちもいかなくなって、どんづまりの状況です。

もっといえば、こういうどんづまりの状況でなければ有徳人などは出てこないのではないか?

という、嫌な現実が見えてきます。

環境的に楽に生きられる環境では、別に有徳など必要ないからです。

先進国は、民度が高いのでおしなべて善良です。
犯罪率も低いのです。

国民の道徳性も平均的であり、飛び抜けた存在など不要なのです。





生贄


以前も、陰徳は回りが陰徳とかしない環境でこそ光り輝くという話をした記憶があります。

↓記事参照。


【陰徳社会論】日本人はなぜ寄付しないのか?②




釈迦やイエスも、出身が、滅びゆく国や民族から出ています。
釈迦族もイスラエルも彼らが登場した後、滅んでいます。
釈迦族はコーサラ国に、イスラエルはローマ帝国に滅ぼされています。
※イスラエルはしぶとく生き残ってますが。

つまり、滅びゆく共同体を犠牲にした等価交換で、有徳者を排出したのでしょう。

それは、滅びゆく民族魂や民族神が最後のチャンスを民族に与えたのかもしれませんし、せめて民族の記憶だけでも残そうとしたのかも知れません。

二人共、教義的には世界宗教の教祖です。
世界宗教を産むには、出身民族の存在は不要です。
というより、むしろ邪魔です。

世界の人間の魂を救う宗教を産むために、釈迦族とユダヤ人は消されたのでしょう。
※ユダヤ人はしぶとく生き残ってますが。

そう考えると、有徳者というのは、規模が大きければ大きいほど、破壊の属性を持つことになります。

ワールドクラスの有徳者はナショナルクラスの組織を破壊しますし、ナショナルクラスの有徳者はドメスティック(家族単位)クラスの組織を破壊します。

破壊無くして創造無し。

陰陽の原則に従って、有徳者の出現は、まずは既存の破壊が必ずつきまとうのです。



ゴール


この既存の破壊は死という形で行われます。

死なない人間はいません。

人間がエデンの園から叩き出されてから、人間はガンガン死んでいます。

なぜ死ぬのか?
答えは簡単です。
変化するためです。

エデンの園にいた時は、死なないため、何も変化はありません。
働く必要がないニートが動かないのと一緒です。

死ぬから人間は動くのです。

もちろん、死ぬとその個体に依存している情報やスキルは消滅します。

しかし、完全に情報が残っている(つまり生きていると)、人間は進歩しません。

人間が違わなければ全く違う視点は生まれないのです。

例えば、絵画一つとっても見てもそうです。

西洋の絵画(近代以前)は写実的です。
それに対して、我が国の浮世絵の違いは説明不要でしょう。

もし、太古からの人間がずーっと生きていて、世界中に移動したら、世界中同じような絵しか描かれなかったでしょう。

従来の既存の枠組みを破壊するのは天才です。
しかし、天才の枠組みを簡単に飛び越えるのは、別文化・別文明の人間です。

個人が死ぬように文化や文明を牽引する民族や国家が死ぬことで、新しい文化や文明が生まれます。
しかも、まったく途絶するのではなくて、新しい文明にも引き継がれるのです。


祖父が死んで、親が死んで、自分が死んで、子が死んで、孫が死ぬ。

この遺伝子リレーと文明リレーは、延々と続いています。

この進化経路は、どこを目指しているのか?
そもそも、誰が作ったのか?
ループしているのかいないのか?

全くの謎ですが、西洋と東洋の宗教は、これに関しては、意見が別れています。

西洋一神教の思考法は、全知全能の神に近づくことで進歩史観ですし、東洋宗教は、ループと考えて無意味な生存とします(六道輪廻など)。

ただ、出家しない在家の個人レベルでやることは、どっちでも同じです。

世界の発展に尽くして善行を為すことです。
その意味では、西洋一神教の世界観の採用でしょう。

戦争も貧困も起きない世界への実現へ寄与することが善行です。

まあ、平和のために戦争をするとかの現実的な問題はありますが、個人レベルではあまり関係ありません。

普通に、善行を積んでいけば、陰徳で開運は出来るし、老後や死後も安泰です。

とりあえずは、そこらへんをゴールにしていけば良いのではないかと思います。

正直、そこまで行ければ上等でしょう。

なぜこんなことを言うのかと言うと、このテーマも、別途詳しくやりますが、死後の行き先の話になるからです。

統計は出ませんが、大多数が普通に人間に転生出来るのか、それとも大多数が地獄に落ちるのかは、世間の宗教家の意見が別れています。

普通に暮らしているだけでは、下手すれば地獄に落ちる可能性があるからです。

真理(うちの宗教)を信じなければ地獄行き!
という、教義はともかく、小市民として普通に人生を暮らしていた場合、死後の総決算はどうなるのか?

普通に人間として転生するのか、地獄行きになるのか、わからんからです。

とは言え、陰徳を実施しているような善人が地獄行きになるのは、道理があいません。
普通の人生が地獄行きになるとしても、陰徳実践者が地獄に行くようならば、それはそれで世界の方がおかしいでしょう。

陰徳と何らかの(カルトでない)神仏の信仰をやっておけば、まず安心だと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿