2017年9月16日土曜日

【陰隲録】功過格表147 御父(ヤハウエ)、御子(イエス)はまだわかるが、聖霊という意味不明な存在 十善 いい人を紹介しよう㉔











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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

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功格五十条(善行のプラス50項目)

・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

十善に相当する行為
◯一有徳人を薦引す



三位一体


推薦というのは、何かしらのコミュニティが必要です。
何らかの人の集合体である組織において、そこに推薦するという形をとります。

陰陽で推薦する人と推薦される人の二種類がいると言うことは、今まで言って来ましたが、さらに推薦先の場所が必要なのです。

つまり、陰陽では無くて、三位一体なのです。
(ちなみに、今、適当に三位一体という用語を使っています)

で、その推薦先ですが、当然、その推薦先組織にとって、有能有徳な人間を欲しています。

しかし、ここに、組織と有徳人の意識の矛盾が生じてくることがあります。




スケープゴート


どんな時代でもそうですが、倫理と生存は矛盾することが多いのです。

生存には他を殺して食うという絶対的な条件があり、それが倫理基準に引っかかるからです。

有徳人というのは、当然、有徳な人間ですが、それが有能な為政者とは限りません。

例えば、イエスや釈迦が推薦されて、為政者になっても、結果は、善意で敷き詰められた地獄へのデスロードです。

つまり、せっかくその組織に推薦したのに、徳が高すぎて返って害になるパターンです。

上記のイエスや釈迦などがそうですが、彼らは、自分の所属民族に酷いことしています。
元々は、民族単位の陰徳ポイントが溜まって、さあ待ちに待った英雄だ!と期待したら、口先だけの役立たずだったりとかです。

しかも、イエスなどは異端を創始して、後世のキリスト教で、所属民族のユダヤ人をボコボコにしてしまいました。

イエスという有徳人をユダヤ民族に推薦したら、徳が高すぎて、民族単位ではなく、人類全体へとシフトしてしまったのです。
※聖書を普通に見る限り、イエス本人はバリバリの民族主義者なのですが・・・。

早い話が、大企業の社長に推薦された有徳人が、いきなり発展途上国の難民を救おうとか世迷い言を言い出したようなものです。

基本的に組織のトップは徳が高くなければいけません。
が、高すぎても駄目なのです。

組織よりも大きなユニットの組織単位で行動してしまいます。
その結果、高確率で元の組織がスケープゴートになります。

イエスも釈迦も、自国民を滅ぼしていますが、後世の我々は、被害者を憐れむどころか、偉大な聖人の肥やしになったとしか、見ていません。

イエスは十字架に登って被害者ヅラをしていますが、一番被害にあったのは、後のキリスト教にさんざん迫害された、当のユダヤ人たちでしょう。

ユダヤ人のスケープゴートと等価交換で、イエスは人類を救済したのです。

釈迦も同様で、自分の民族国家の釈迦族は、消滅しています。

他にも、世界の大部分を支配したチンギス・ハーンのモンゴルは、今や栄光の面影もありません。



観音


このように、徳が高すぎる代表を召喚すると、その組織体がひどい目にあいます。

等価交換と言えば等価交換ですが、どちらかと言うと、謝金の前借りと言った方が良いでしょう。

実は、個人レベルでもこの類の話は結構あります。

例えば、日本人なら誰でも知っている観音菩薩。
俗に言う観音様です。

般若心経の観自在菩薩や、千手観音や十一面観音など、日本列島津津浦浦まで、見受けられます。

しかも、日本でも中国でも同様に、回りの迷惑を考えないウルトラマン並の大仏が立てられることも、しばしばです。

この観音様ですが、経典(法華経の観音経)にあるとおり、(阿弥陀如来の手下として)衆生のピンチに正義のヒーローよろしく助けに来てくれます。

そのため、苦しみが多いこの現世では、観音信仰が多いのですが、ところが、この観音信仰、大抵、宗派によらず、信者が言う、共通点があります。

一言で言うと、すんげー観音信仰の修行がハードだと。

修行というのは、別に、観音のハードな修行法が決まっているわけではありません。

まあ、仏は基本的に、衆生を助けてくれる存在ですが、信仰やお供え物を上げとけばいい他の仏(下のランクの天部とか)に較べて、菩薩はより高いレベルを信者に要求するのです。

要するに、お前が仏になれと要求するのです。
↓下記記事参照。

陰徳とお経 「助けて神様ー!」「お前が神になるんだよ!」①

陰徳とお経 「助けて神様ー!」「お前が神になるんだよ!」②




仏も菩薩とかになってくると、もう概念の化物みたいになってくるのです。

慈悲を一切衆生に与えすぎて、人間性とか無くしているのです。


要するに、他の仏が、水戸黄門みたいに助けた後、そのまま拝んでくれる信者でいてくれる程度の要求するのに対して、お前も仏になれと勧誘してくるのです。

まあ、仏になれと言われても、別に「友愛(政治用語)」されるわけでも、フランス人になるわけでも無いのですが、他の仏に較べてハードルが高い要求をしてきます。

ちなみに、菩薩よりもランクの高い如来とかは、普通に出家して解脱しろというレベルです。
実際、如来の一仏の釈迦如来はそのままです。

で、菩薩の言う仏になれというのは、観音菩薩のように、衆生救済をする正義のヒーローになれということです。

で、そのために、修行を課してきます。
徳が高い人間になるのは、徳が高いことをしなければいけません。
しかし、もっと短期間になるには、徹底的にハードな修行を積むぞ的な苦行を課してきます。

上述のイエスや釈迦が出た時に、等価交換で民族が消滅したように、何かしらの代償が必要なのです。

急激なレベルアップを実施するために、精神と時の部屋のように、集中的に徹底的なハードを修行をするぞということをさせるのです。観音が。

よく、主人公が短期間のレベルアップをするのに、隔離環境でハードな修行を積んでレベルアップするのと、全く一緒です。

観音菩薩の特徴として、衆生救済の仏を増産するために、仏(ヒーロー)をスパルタ教育で、育成させるらしいのです。

※ちなみに、私は、観音菩薩の上司の、阿弥陀如来の極楽浄土もその類ではないのかと疑っています。

今日の記事で述べたことは、要するに、徳が高い存在を生み出すということは、何らかの代償が必要だということです。

考えてみれば、陰徳自体がそうです。
陰徳をすることにより、陰徳者は少なくとも短期的には
損をします。
また、そもそも、陰徳の対象の不幸な人という負の存在が必要です。

この世は陰陽で全てが成り立っています。
徳が高い人間がいるということは、生み出すということは、この世界のどこかで、それだけ不幸になった人たち(徳が減った人たち?)がいることがいるということです。

観音経には、~なファイト一発、危機一髪の状況には、念彼観音力と唱えれば、観音が助けに来てくれると書いてあります。
逆を言えば、不幸な状況や不幸な人がいなければ、観音が来ることもなく、呼ぶことすらありません。

要するに観音が仕事が無くて、阿弥陀如来からリストラされてしまいます。

しかし、この世は、いつの世も、不幸な人は一定数以上いて、常に、観音を呼んでいます。

彼らという常連客がいなければ、仏は存在できません。

結局、何かが存在するには何かの犠牲が存在すると言うことです。

徳の高い存在がいるということは、その分、徳の低い存在が必要なのです。

ここらへんは、突き詰めれば、陰陽だけでなく、その上の太極や、空の世界になります。

真の開運もこの世界になってきます。

まあ、観音様は、般若心経の観自在菩薩ですので、この空の境地にも関係してきます。

慈悲と智慧が、仏という概念生命体の中核です。


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