2017年9月14日木曜日

【陰隲録】功過格表146 輪回のデスゲーム(ライトノベルのタイトルっぽく)  十善 いい人を紹介しよう㉓











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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)



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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

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功格五十条(善行のプラス50項目)

・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

十善に相当する行為
◯一有徳人を薦引す



社会が悪い


推薦されるというのは、元々、本人の運です。

運が良ければ、推薦される。

しかし、わざわざ陰徳として、有徳者を推薦することが、条項にあるということは、要するにそれが成されていない現実があるということです。

個人レベルでみたら、能力があるのに推薦されないという運命を持っているということです。

単純に考えれば、単に過去のカルマで能力があるのに推薦せずに追い落とした人がいるとかの因果応報です。

しかし、こういう個人レベルの話と違って、明らかに、足を引っ張る民度のコミュニティ組織や地域や国家単位や時代が存在します。


有徳者が上に行けない社会というのは、その社会が駄目な社会であるということです。

賄賂と世襲と謀略で、人事が決まる社会システムが長持ちするかどうかは、歴史が証明しています。

その意味で、現代の難関試験の科挙システムを受け継いでいる官僚制は、人類が辿り着いた叡智のシステムです。

少なくとも無能な馬鹿が、運営している社会よりはよほどマシです。

※あえて言えば、その官僚の腐敗を抑止するシステムが無いことが、科挙システムを導入した時代からの課題なのですが。



上が悪い



小規模でも大規模でも、上に誰が推薦されるかどうかは死活問題になります。

不徳な者が上に行けば、その組織は滅びますし、個人も巻き添えを食らいます。

3.11の時には、当時の日本の指導者達の運が極めて悪かったことが、命運的に見るとわかります。

上に立つ人間は、個人の命運の良し悪しや徳の如何が、所属する組織全体の運命をわけるのです。

基本は、運の悪い人間は上に行けません。
まあ、当たり前の話です。

しかし、その組織自体の運命が尽きている時には、その運や徳が悪い人間が上に行ってしまうのです。

つまり、独裁者や売国奴が上に立ったから、対象組織が崩壊したという表の事象だけ見ただけでは実相ではありません。

その不徳な者が上に立つということ自体が、その組織の命運が尽きているのです。

駄目な社長が出るような会社は、元々、駄目な会社なのです。
駄目な首相が出るような国家は、元々、駄目な国家なのです。






自分が悪い




世の中の人間には命運的に、貴賎の差があります。
これは二種類あり、現世的な地位や金などの貴賎と、人格的な貴賎の二種類です。


トップが駄目な組織に入ってしまった。
格差社会の国に生まれてしまった。これは、運命で決まっていることで、どうしようもありません。

駄目な組織に入ってしまうような因縁を持っているということです。
運が良ければ、最初から駄目な国に生まれないし、駄目な会社に入社しないのです。

例えば、皆さんが日本国に日本人として生まれた時点で、すでに勝ち組(現在では負け組のカテゴリに入りそうな世相ですが)なのです。

生まれた緯度経度がずれて、朝鮮半島に生まれてしまったら、目も当てられません(半島へのヘイトスピーチ)。

よく、危機一髪で、難を逃れて、運がいい、自分は守られていると考えるシチュエーションが世の中の一般的解釈です。

しかし、厳密に言うと、これは間違いです。

本当に運がいい人は、はじめから危機一髪になるようなトラブルには巻き込まれないのです。



ある剣術の流派の後継者選抜で、道端で牛が暴れているシーンに対してどう対応するかという話があります。

候補者①は、颯爽と、牛を取り押さえました。
候補者②は、ひらりと身をかわして牛の攻撃を避けました。
候補者③は、牛を見るや、くるりと方向転換してその道には入らないで、別の道を進みました。

選抜結果は、③が合格したのです。

このように、運がいい人間ははじめから災難に遭いません。

ある意味、世襲制で、推薦されるまでもなく、初めから地位名誉財産を受け継いでいる人間こそが、最も運がいいのです。

有徳者を推薦するされるという時点で、すでに運が悪い、不徳な存在なのです。



ループ


まあ、とは言え、生まれてから何の問題もないというのは、希少過ぎて存在しません。

世襲制で何の苦労もない人間も、それなりに悩み苦しみがあるのです。

ここに、人間の存在の矛盾があります。

戦争や飢餓や格差やら差別やらで、懲りた世代が何とか頑張ってそれがない社会を作っても、次の世代は、生まれた時からそれが当たり前のため、ありがたみがわかりません。

で、結局、台無しにしてしまい、また、戦争や飢餓や格差やら差別をリスタートしてループするのです。

この台無しにした世代も、前世でそれなりに陰徳を積んで、今世では恵まれてきた運命を持った世代ですが、それがために、苦労を知らず台無しになってしまったのです。

ここらへんの矛盾は、人類の業ですので、何千年も繰り返してきました。
今後の科学技術で何とかするしか無いのですが、個人レベルではどうなのでしょうか?

輪廻の輪をぐるぐる廻るということは、上記のプロセスをクリカしているということです。

苦労して陰徳を積んで、上に上がっても、その果報が尽きたら、また落ちてリスタート。

延々と、穴をほって埋める拷問に近いのです。

この無意味なループは、アガリがあるのか無いのかがまず問題です。

そして、アガリの条件は何かということです。

人間は、この輪廻転生の三千世界の中で、延々と大規模デスゲームの参加者を強いられています。







各宗教では、それぞれがこのデスゲームについて説明してアガリについても説を出しています。

しかし、どれが正解かは、最終的には個人の判断するしかありません。

しかし、少なくとも、好き勝手生きて、アガリということはどの宗教も言っていません。

陰徳は、どの宗教も推薦する最低必要条件です。

正しい、正解がわからなくとも、最低限確実に必要な代物ですので、遠慮なく陰徳を実施して下さい。

もし、輪廻転生を数巡しても、陰徳はアガリに関係無かったということがあったら、クレームは、陰騭録の著者の袁了凡にご一報下さい。
ちなみに、豊河は悪くありません。
悪いのは袁了凡です。(責任転嫁)
皆様、クレームの宛先をお間違えないようにして下さい。



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