2018年7月11日水曜日

【弁仏論】因果応報論の一大ネックである差別肯定思想について 反論②業の窃盗自由 その⑥











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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。






前回のまとめ



因果応報という、バリバリの差別思想を、無理やり擁護するための弁仏論を張る豊河。



とりあえず、



①業の不可知性
②業の窃盗自由
③業の空性
④業の無効論



の、4つの反論を「無理くり」捻り出す豊河。
※詭弁レベルで無理やりやってます。


2つ目の、

②業の窃盗自由

前回までは、運命だからあきらめろと、カーストで業を浄化したいインド人を助けるという嫌がらせを合理化してきました。

今日も、インド人への嫌がらせの続きです。



業という借金




前回、どうせ、お前の自業自得のカルマなんだから、俺に大人しく助けられろ!
ついでに徳分カルマを取られても気にすんな!

という、無茶なロジックで、インド人を納得しようとしました。

今回は、このロジックを、別方面から、もうちょっと突っ込んで見ましょう。


前回も、結局、お前を助けるのは、お前の前世の業だ!(だから俺は悪くない)というロジックでしたが、

さらに、言えば、こちらから見ると、何でこっちがインド人を助けているのかと言うと、当然、業があるからです。

ややこしい話ですが、助けなきゃいけないという、業に引っ張られているわけです。

そもそも、別によくよく考え見れば、インド人なんて土人を助ける筋合いは無いのですが、あいにくと陰徳稼業は、仕事を選べません。

めんどくさいけど、助けなくてはいけないのです。

さて、その助けなきゃいけない業ですが、当然、業には原因があります。

というか、何にでも原因があるのですが、ちなみに、これを因果応報と言います。
要するに、過去に自分が何かをしたから、インド人なんてうるさい連中を助けなきゃいけない羽目になっているわけです。

じゃあ、その業は一体、何なのか?

単純に考えれば、過去にこちらが、インド人から、助けられたという業があるからです。

まあ、じゃあ、何でこちらが助けられたのか?というと、それは助けた業があるからという無限ループになってしまうのですが・・・。

そもそも、どちらかが助けられた時点で、業は相殺してはいおしまいになっていないのか?
例えば、助けたカルマがあるとして、助けられたらプラマイゼロで、インド人との業は消滅しないのか?

という、余計な横道の論理に入ってしまいそうになりますが、まあ、今は置いておきましょう。


で、助けられたというと、受け身的で、因果応報理論には微妙にそぐわないので、借りを作ったというような感じでしょうか?

つまり、こちらから向こうに借りを作ったのです。

例えば、お金を借りたとか、助けられたけど、恩を返さなかった。
こちらから、お願いして助けられたのにも関わらず、代金や恩を返していなかった。

これが、業の借金となっていた。
そのため、今、インド人に恩を返せる環境にあるため、無理やり、業の力により恩の業を返そうとしている。

こんなところでしょうか?



悔改めよインド人


で、それがどうしたかというと、

当たり前の話ですが、こちらの借りを返したという業の応報になるわけです。

これは、逆を言えば、つまり、

「インド人がこちらに借りを返させるという善業」を積んだということになります。

当たり前の話ですが、借金というのは、恐ろしいものです。

業に利子があるかどうかは、正直、ブラックボックスなのですが、あったらエライことになります。

インド人に借りた業は、早めに返さなくてはいけません。

すなわち、インド人に借りを返す(インド人をカーストから助ける)ということは、こちらの重大事項です。

それを邪魔するインド人こそ、悪なのです。

インド人は、自分勝手なことばかり考えてないで、陰徳を実施しなければいけないのです。

インド人よ・・・。
慈悲の心を持つのです。

自我に執着してはいけません。

自己犠牲の精神で、我々に助けられるのです。



つまり、結論から言うと、

「俺の福分の業を盗むなと、手前勝手なことを言うインド人」を助けて上げることが、
そのまま、慈善という愛を教えてあげることなのです。

インド人の戯言など、全く気にしてはいけません。

これこそが、菩薩行なのです。



と、言うことで次回に続きます。






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