2017年10月26日木曜日

【陰隲録】功過格表160 この輪廻の支配からの逃走 修羅道の闘いからの逃走  十善 いい人を紹介しよう㊲











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功格五十条(善行のプラス50項目)

・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

十善に相当する行為
◯一有徳人を薦引す



逃げ


前回も説いたように、通常の因果応報の吉凶禍福と、霊性の修行の因果応報は、素直に比例しません。

困難であればあるほど、神仏(と信者)は大喜びするというマゾプレイの関係が見られます。

以前から、何回も言っていますが、基本、宗教とは、この辛い現世を緩和するための、SMプレイです。

宗教はアヘンだと喝破したマルクスの言葉は、万古不易の金言です。

信者の私は、私ついていくよ
どんな辛い世界の闇の中でさえ
宗教があれば怖くないのです。

無明の闇の中でも、宗教という精神安定装置があればこそ、人類は今までの無窮の時間を生きてきたのです。

苦痛は、そのままでしたら、苦痛ですが、宗教フィルターをかぶせると、なぜか、信者は苦難だと大喜びします。

聖書は基本、キチガイが大勢出て来るライトノベルですが、旧約よりはまともな新約ですら、読んでいて頭痛の出るような、キチガイが大勢出てきます。

まだ国教になる前の、違法カルトだったキリスト教信者は、ちょくちょくローマの官憲にとっ捕まって鞭打たれたりしますが、みんな大喜びです。

ムチという苦痛すら、殉教フィルターをかけると、大勝利のスパイスになるのです。
ライオンの餌にされても、同様です。

刑死は普通、不徳の極みですが、宗教フィルターをかけると、なぜかご褒美になってしまうのです。

ここでも、通常の因果応報と、霊性修行因果応報は反比例することがわかります。

通常なら、精神が発狂するような状況ですら、ご褒美プレイに変換してしまいます。
(コロシアムで)きっとあなたは輝いて
超える未来の果て
弱さ故に魂こわされぬように殉教精神で大勝利なのです。

宗教道のmy way 重なるよ

神と自分の、いまふたり(同行二人的な意味で)に God bless...

この手の、宗教フィルターは、色々とパターンがあり、基本、この世の苦難を上手く、変換出来るように作られています。

逆を言えば、それだけ、精神安定の需要が、世界にあるということです。

例えば、単に年貢がきついから、一揆起こして、鎮圧されるとただの、反乱ですが、宗教をフィルターかけると、途端に殉教になります。

念仏を唱えながら、不退転の強さを見せた一向一揆や、キリスト教の天草の乱など、単なる反乱が、強靭な宗教反乱にシフトしてしまうのです。

先の大戦でも、日米双方の軍部は、兵士に宗教の祝福をかけています。
考えることは、大体同じなのです。
効率よく、兵士を戦場に参加させるのに、宗教は有効なのです。

死の恐怖も、殺人というタブー破りも、宗教フィルターをかければ成立出来てしまいます。

人間は正義のためならなんでもやるという大前提のパターンの一つとも言えます。

もっと言えば、人間は何からしらのフィルター、理由を与えてやれば、何でもするということでもあります。

当然、これは、人を動かす必要のある職業、つまり為政者にとっては、必要な統治スキルです。

言ってみれば、為政者とは、人の上に立つ人間の条件とは、他人に、「理由」を与えて動かすことの出来る人間ということです。

為政者でなくても、常に資本主義社会での戦場参加を強いられる現代人にとっても有用です。

市場、企業、家庭、恋人・・・。
人間関係の大小に関わらず、他人という人間を御する必要のあるのが、人生です。

開運というテーマのこのブログも、少し横道にずれると、こういう危険な技術の知識が手に入ってしまいます。

開運という枠組みでは、社会上で優位に立てるスキルとしては正しいのでしょうが、問題は、その使い道です。

悲しい話ですが、神仏が大儀のために、大の虫を生かして小の虫を殺すように、現実世界でも同様の法則が成り立ちます。

あらゆる心理誘導テクニックや洗脳やプロパガンダ、ウソや誤魔化しを含めた悪行は、本来はアウトなのですが、これが一度、大義の名分をコスプレすると、神算鬼謀の叡智と讃えられます。

三国志で孔明は、あらゆる卑劣な手を使って、敵国を謀略して陥れ、大量殺人していますが、彼の業績に文句を言う人はいません。

要するに、100万人が助かるのであれば、一万人を殺しても、許される(少なくとも現世的には)のです。

恐らく、このブログを読んでおられる方々は、陰徳という裏技を知ってしまって運命を改善してしまっている人でしょう。

そして、それは、将来に「力」を身につけることと同義です。
権力であったり、地位であったり、智慧であったり、金であったりと色々ですが、何か大きな社会的影響を振る舞える立場にいるということです。

その時の対策としては、せめて、力を振るう時は、大義名分のために使って下さいというのが、豊河のお願いです。

仮に、一億人を殺しても50億人を助けるという大義名分があれば、何とかなります(たぶん)。
私利私欲でやっちゃったら、もうどうしようもないですが、まだ、大義名分があれば、情状酌量の余地はあります。

もちろん、至高の選択肢は、孫子の「戦わずして勝つ(目的を達成する)」ということです。
ぜひ、これを目指して頂きたいのですが、どうしても出来ないというのであれば、最悪、逃げてもいいでしょう。

出家と言う、システムが世の中にはあります。
漢を建国した英雄劉邦や一族は、建国後は、片っ端から、馴染みの部下を粛清しました。

しかし、張良は、さすがに賢人なためか、「仙人修行します」とさっさと、逃げ出しています。

まだ、仏教が来ていない時代ですので、今だったら、出家しますというのと同義語です。

開運を考えると、この逃げるという逃走の選択肢も重要だとわかります。
ドラクエでも「たたかう」の直下に「にげる」という選択肢
があります。
それほど、重要なのです(これがゲーム脳の弊害です)。

家康でも曹操でも、英雄はみんな逃げています。
三十六計逃げるに如かずと兵法も言っています。

逃げることは、人間が猿やもっと下等な哺乳類だったころから、やっています。
逃げるという行動がなかったら、人間は誕生していなかったでしょう。

逃げなかった生物はみんな死んでいます。

もっと言えば、そもそも、釈迦の悟りを開いて解脱というのだって、輪廻転生からの逃走です。

釈迦ですら逃げているのです。
我々が逃げちゃダメだというのは、ありえません。
対使徒用決戦兵器に載っているので無ければ、逃げていいのです。

あの無敵を誇った旧日本軍陸軍ですら、撤退を「転身」という用語で誤魔化して逃げていたのです。

で、次回は、話のついでに、出家の話でもしましょう。



































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