2018年12月6日木曜日

勝手に線引きする人間という生き物 真理編











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その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。







無限と有限





前回まで、何で人間は勝手に、大自然の空間や時間を勝手に線引きするのか?
という話をしました。

そして、その理由は、本人が有限の存在だからです。肉体という有限の存在だから、その生存のために、空間や時間を線引きしているのです。

そして、自分が有限だからこそ、無限という概念を手に入れたのです。

自分が無限だったならば、無限という概念は空気のように当たり前で、認識できなかったでしょう。

生物が酸素の存在や、魚が自分たちが水の中にいるのを認識していないようにです。

で、この無限の存在という概念を、発見してしまった人間は、宗教的に二つのルートを選択しました。

それは、

①無限の存在という概念を崇拝するグループ
②無限の存在という概念を否定するグループ

この、二つです。

およそ、宗教はこの二つしかありません。

代表的なのが、一神教と仏教です。

では、この二つはどっちが正しいのか?

当然、洋の東西の世界宗教ですので、膨大な神学教学が存在します。
さらに、補完として、延々とギリシャから続く、哲学がそれに続きます。
むしろ、現代では、哲学の方が、正鵠を得ていることがあるでしょう。

そして、結論を先に行ってしまうと、別にどっちでも良いのです。


都合の良い真実


こういっては何ですが、どっちみち答えの出ない問題です。

人間の外にある宇宙を勝手に線引きしているのが、人間です。
それぞれの教義のために世界を勝手に区切っているだけなのです。

無限だろうが、有限だろうが、どっちでも解釈出来るし、どっちでも良いのです。

もっとハッキリ言えば、道具のようなものです。

刃物を人を刺すのに使うか、包丁にするかは、使用者の都合に過ぎません。

有限か無限か?
の問題は、所詮、その程度の都合なのです。
大切なのは、人が救えるかどうかです。

別な言葉で言えば、陰陽は必ず、どんなものにもあるので、必ず、両儀が成り立ちます。

そして、少なくとも、真理を求める瞑想修行段階前の、在家の我々の段階では、やってることは大して変わりません。

普通に、善業をすること。このブログで言う陰徳で開運することです。

少なくとも、それをやっておけば、今生も来世も安泰です。
それさえやっておけば、地獄に落ちることもありませんし、それ以上を望むなら、修行すれば良いのです。

絶対存在が、有限なのか無限なのか?
仏教が正しいのか一神教が正しいのか?

どっちの体系でも、その教義にあった瞑想法があり、その教義通りの真理をつかめるようになっています。

で、在家の我々でも、利用できるこれらの真理をもうちょっと考察してみましょう。

















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