2018年10月21日日曜日

安田善次郎の憂鬱











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その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。












安田善次郎



皆さんは、安田善次郎という男をご存知でしょうか?

というか、私も知らなかったのですが、AMAZONで、陰徳でググってみると、
もともとマイナーワードなので大してヒットしないのですが、その中で、

銀行王 安田善次郎: 陰徳を積む (新潮文庫)

という本がヒットします。

では、安田善次郎とは何か?とWIKIで見てみると、要するに戦前の安田財閥の祖です

立身出世して財閥を築いたのですが、慈善にも興味があったらしく、特に陰徳を実践しています。

東京大学の安田講堂や、日比谷公会堂、千代田区立麹町中学校校地は善次郎の寄贈によるものであるが、「名声を得るために寄付をするのではなく、陰徳でなくてはならない」として匿名で寄付を行っていたため、生前はこれらの寄付行為は世間に知られていなかった。例えば、安田講堂は死後に善次郎を偲び、一般に安田講堂と呼ばれるようになる。
要するに、陰徳で開運しましたー!
さあ、みんなも陰徳して開運しようぜ!

という、良いサンプルであると思っていたのですが、ところが、

翌日、門前で4時間ほどねばったところ、面会が許された。午前9時20分ごろ、善次郎は別邸の十二畳の応接間で朝日に短刀で切り付けられ、逃げようとしたが廊下から庭先に転落したところを咽頭部に止めを刺されて死亡した。その後朝日は応接間に戻り、所持していた短刀と西洋刀で咽喉を突いて自殺した。

斬奸状に曰く、「奸富安田善次郎巨富ヲ作スト雖モ富豪ノ責任ヲ果サズ。国家社会ヲ無視シ、貪欲卑吝ニシテ民衆ノ怨府タルヤ久シ、予其ノ頑迷ヲ愍ミ仏心慈言ヲ以テ訓フルト雖モ改悟セズ。由テ天誅ヲ加ヘ世ノ警メト為ス」とされる。


陰徳だから、世間からは慈善が認識されずに、右翼にあっさり殺されています。

全く、この世には、神も仏もいないことがよくわかります。


弁論


さて、因果応報が正しければ、このヘンテコなサンプルはどうした訳でしょうか?

いつものように、無理やり、因果応報理論を、弁論するとすれば、下記の感じになります。


①安田の悪業が多すぎて、慈善の陰徳で相殺出来なかった。
 
やっぱり、多少、慈善しすぎたところで、財閥にまでなった
幸運と悪業の量の方が大きかったのでしょう。
そのため、非業の最期を遂げたと。



②むしろ陰徳を積んでたから神仏の慈悲で殺された。

前にも言いましたが、どうもこの世の陰徳や罪業などのカルマと死後の信賞必罰は、明らかに釣り合っていません。
質量保存の法則をガン無視しているのです。

仏教だろうがどこの宗教だろうが、明らかに現世の善悪のカルマよりも過大に、来世の信賞必罰が闇金レベルの暴利で形成されます。

例えば、仏教の地獄とか天界とか、億とか兆とか京とか、そういうふざけた単位の年数が出てきます。
しかし、よくよく考えてみればわかりますが、明らかに人間一人が出来る、現世の罪というのは、ぶっちゃけ、大した罪ではありません。

仮に、独裁者が百万人殺したとしても、人一人殺した罪はせいぜい100年ですので一億年の刑期です。

しかし、百万人殺してようやく一億年です。
何をどう頑張ろうが、兆とか京とか不可能なのです。

しかし、宗教はもうテキトウに数値を乗っけているだけだと思いますが、こういう罪と罰が成り立っていない刑罰や賞与を唱えています。

で、仮に、こうした変な理屈に合わない話が本当だとして、我々にもっとも、効率の良い因果応報ライフスタイルは何か?
と考えてみると、2つあって、

①来世の功徳は、半端なく投資効果が高いので、なるべく陰徳功徳を積んで、かつ現世で消費しないで、来世の投資効果が高い環境構築に使う。

②来世の悪業罪罰は、半端なく投資効果が悪いので、なるべく悪業をしないで、かつ来世に罪と罰を持ち込まないために現世でカルマの応報を受けて消費する。

この2つの考えが合理的なライフスタイルになります。


このヘンテコな因果応報理論から、考えると、安田善次郎が、暗殺されて一見、非業の死を遂げたように見えますが、むしろ、現世で殺されてカルマを大量に消費した結果、来世の、悪業投資効果の暴利にならないで良かったとも言えます。

つまり、安田善次郎の暗殺悲劇は、彼が陰徳を積んでいたための、神仏の愛だと言えるでしょう。

ぶっちゃけ、変な理屈というか、いつも文句行っているカースト制度の差別理論に近いのですが、この理論の問題は、当然、現世の悪や搾取や悪政を正当化してしまうということです。

しかし、その弊害があるにしても、個人レベルで考えれば、あらゆる不幸を許して、感謝と慈悲の達観した境地の理論武装にはなります。

殺されようが損をしようが、それで苦悩をしなくなるというのは、それはそれで尊い境地なのではないでしょうか?

まあ、何度も言っているように、社会的には差別理論なので、社会的不公正や、あるいは個人レベルでも、「自分以外」の弱者の不幸を助けない理屈にはなりません。

そこは、勘違いしないようにしたいところですが、自分レベルの修養では、使える理論ではないでしょうか?








2 件のコメント:

  1. お世話になっております。いつもありがとうございます。大阪市中之島公会堂を寄付(当時のお金で100万円現在の貨幣価値で50~100億とも)した岩本栄之助氏も相場に負けピストル自殺をしています。公会堂の建設が始まった後、相場で失敗した岩本氏に市が資金を戻す話が浮上しましたが断ったとも聞きます。安田氏・岩本氏の真似はとても出来ませんがその心意気には手を合しご冥福を祈らずにはいられません。

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    1. 冥府魔道様

      お世話になっております。管理人の豊河です。
      やはり、どうしても財閥の長というのは、どうしても必要悪に手を染める必要から、カルマを溜め込みやすい職業ですので、終わりが良くない人は多いものです。

      安田善次郎のパターンは陰徳がかえって仇になったパターンですが、それも踏まえて自業自得の業と言えます。
      善意が報われないというのは、やはり善意を仇で返したカルマがあるからであり、それをやられると、陰徳や善業のモチベーションを著しく下げるので、やはり、相当な罪重な行為となることがわかります。

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