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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)
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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。
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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
五十善に相当する
○一嗣を延続す。
【ゴミ屋敷】
身も蓋もない話ですが、そもそも論として、仏教に先祖供養の概念はありません。
そういった意味では、先祖供養をしている日本の坊主は仏教ではないわけです。
死人の骨などガンジス川に流して散骨させればいいし、そもそも、魂など諸法無我なので存在していません。
百歩譲って存在していたとしても、輪廻転生で次の場所に言っているのだから、祟る余裕などありません。
要するに、先祖供養というのは、中国の宗教です。
しかし、そうは言っても、仏教が単に、物を知らなかった無知蒙昧な輩なだけかも知れません。
やつらは出家主義者なので、在家の都合などどうでも良かっただけの可能性もあります。
魂の絶滅が目的の仏教出家主義者からしたら、一族の祟りとか、どうでもよいアウトオブ眼中(死語)なのです。
葬式仏教しか知らない我々日本人からすれば異様ですが、元々仏教というのはそういうものです。
「諸法無我」も、別に魂が無いという話には繋がりません。
実際、我々の自我だって、「諸法無我」で無いはずなのに、我々凡俗からの目からしたら存在しているわけです。
魂だって同じニュアンスの可能性はあります。
要するに悟れば自我も魂も無いとわかるのでしょうが、悟ってなければ存在している(厳密に言えばそう認識している)と言うことです。
輪廻転生については、魂魄理論で説明はつきます。
要するに、魂は輪廻するけど、現世にゴミが残ると。
前回も言ったように、ゴミ掃除が基本なのです。
言うなれば、一族が祟られているというのは、家が、ゴミ屋敷のようになり、生活が不便になった状態と同じなのです。
【ブラックジャックによろしく(霊的な意味で)】
一般に先祖供養と言っても実は日本人は普通にしています。身内が死んだときには、当然墓参りするし、周期的にその後もお盆や、~回期と、ある意味で、毎回律儀に、先祖供養しているわけです。
1人暮らしの若者の家ならともかく、夫婦の家だったら、仏壇や神棚は普通にありますので、
毎日手を合わせて、結果として先祖供養になっています。
※その意味で行くと、墓参りや法事の習慣が消えつつある日本は、先祖供養をしなくなっていると言えるかも知れません。
先祖のラインが消えれば、子孫のラインも消えます。
日本の少子化に何らかの因果関係があるのではないでしょうか?
しかし、一般に言う、先祖供養という言い方は、こういう形式には使われません。
どう使われるかと言うと、大抵は、そういう平和な話ではなく、もっとハードな場合に使われます。
つまり、原因不明の事故や怪我。
難病奇病。
一族、家族がかたっぱしから不幸に合う。
もっと、直接的に、落ち武者の霊が夜な夜な・・・etc。
と、明らかに通常の状況ではない場合です。
こういう場合に、かけこんだ先の、坊主や霊能者や宗教団体が、使用する用語が先祖供養です。
駆け込み先の連中が、この問題の原因は、先祖の因縁にあると診断。
各々の先祖供養だかお祓いだかすると、問題解決。
めでたしめでたし。
こういう話です。
このストーリーは、日本人の儒教道徳にヒットしたためか、
戦後宗教においてメジャーな地位を占め、
先祖供養は神道系だろうが仏教系だろうが、こぞって採用しました。
猫も杓子も先祖供養です。
困ったときは、先祖供養。
困らなくても、先祖供養。
と、まるで先祖を供養すれば一切万事が解決すると言わんばかりです。
元々、人間社会は極めて不安定な物で、常に、病気と闘争と貧困の問題があります。
戦後の宗教団体は貧病争の、三原則をターゲットにしていました。
現在の、詐欺霊能で使われるコールドリーディングも、人間の悩みはだいたい同じです。
それだけ、人間の悩みは古今東西変わらないのです。
それらが、正攻法で解決できる問題ならともかく、正攻法で解決出来ない問題なら、
人間はなんとかしようと正攻法以外の解決を求めます。
そして、悩みが大きければ大きいほど、出すコストも大きくなるのです。
つまり、お金を供出します。
原因不明の問題は、先祖の過去にある。
この考えはある程度、合理的です。
理由の無いものは存在しません。
全ての物事には発生する原因があるのです。
因果律の法則は、別に道徳的な応報だけでなく、
~があったから、~がある。
つまり、~がある理由は、過去に~があったから。
という、時間軸の流れの原因と結果です。
釈迦ですらこのことを縁起の法則と言っていました。
それだけ、人間は時間軸の考えに沿って生きているのです。
今起きている、意味不明で理不尽な不幸は、遡れば必ず原因がある。
それが、先祖(もしくは先祖が加害者で、被害者)の祟りだったりするわけ(ということにしている)です。
つまり、先祖の霊が不肖で、子孫に迷惑をかけているということですが、
理由(原因)がわかれば、後は簡単です。
その原因を解決すればよいのです。
で、先祖供養で解決です。
このロジックは基本的に水子供養と同じです。
人の弱みにつけこむ商法と言えましょう。
何しろ解決策が無い人のためなので、みんな藁にもすがるので、やりやすいのです。
医療費は国が厳重に決めています。
理由は簡単です。
歯止めがなければ際限なく、医療側が患者に要求できるからです。
自分の命が人質に取られているので、金をいくらでも出さざるを得ません。
本来、患者は、ブラックジャックのように大金を要求されるような立場なのです。
霊的な世界は法律の縛りが無いので、好き勝手に値段設定出来ます。
だからこそ霊感商法の被害が叫ばれるわけです。
しかし、何事にも流行り廃りはあるもので、資本主義の自由競争の前に、この先祖供養ビジネスも、
新たな商品の挑戦を受けることになります。
【寺社消滅の危機】
先祖供養はあれだけブームだったのに、今では、ほとんど忘れられてます。
新興宗教よりも逆に、伝統仏教の方が今では先祖供養商法に熱心なくらいです。
東京でも屈指の観光客数を誇る、浅草寺などは、毎日、先祖供養の儀式を数回やっているくらいです。
しかし、なぜ先祖供養はビジネスモデルとして、廃れたのでしょうか?
理由としては、単純な話で、核家族化によって、戦後の家族関係が崩壊したからです。
戦後の大家族、地域住民の近親縁者のネットワークは、戦後どんどん崩壊しました。
少なくとも、地方から都会に出てきた人はそうです。
戦後の新興宗教は、この層をターゲットにしましたが、彼らは田舎の人的ネットワークと仏壇を、都会でも提供したのです。
会社(企業)も同様です。
戦時体制を引き継ぎながら、終身雇用、年功序列のシステムを基に、会社は、新たな家族を提供したのです。
そして、これらは、もはや、日本人は近類縁者の家族ネットワークを持たなくても良いことを立証しました。
戦後の豊かさが、さらにこれを押し上げます。
豊かになった家族は、子供に高等教育を受けさせ、サラリーマンにしたがりました。
※昔のサラリーマンはエリート階級しかなれなかった。
大卒率が大幅に増え、彼らは自分の家の家業を引き継ぎません。
家庭内制主工業(マニュファクチュア)、つまり自営業は、子供に労働参加を義務付けますが、
家族の結びつきを強める原因ともなっています。
しかし、サラリーマン家庭にとって、家族とは学校と塾からの帰りの巣でしかありません。
父親は、夜遅くに帰ってくる存在であり、自分の生活に関係ない存在です。
家長(自営業の長でもある)を中心とした家制度は、とうに崩壊しているのです。
これに、さらに科学(家電)の発達により、家庭作業が楽になったことや、近年のIT化による通信世界が広がったことも要因として加わりました。
これらの血縁ネットワークの消滅は、個人の自由を増進するとともに、最低限のセーフティーゾーンが消滅したことを意味します。
現在、日本は、グローバリゼーションが国家を解体する時代に突入しています。
自由と引き換えに得た、自由市場でひたすら先進国の労働賃金は下落していっています。
家族の価値が相対化した今、バラバラに分化した個体となった日本人が、先祖供養の需要が低下するのは当然です。
要するに、先祖のことなど知ったことでは無いというのが正常な感覚なのです。
上記に伴い、檀家の少子化、貧困化も相まって、檀家制度で江戸時代から食ってきた寺は、崩壊の危機に直面しています。
全国の檀家制度のシステムで収入を得ていた寺は今や崖っぷちです。
全国からの観光客が集まる大寺や、大量の檀家人数しかない寺で無ければ、軒並み消滅してしまいます。
豊河も地元の寺で、坊主が愚痴っていたのを直に聞いてるくらいです。
30年後には全国の寺の三分の一まで消滅すると(三分の一が消滅だったかな?)。
何しろ、新興宗教と違って、勧誘(営業)努力もノウハウも存在しないのです。
数百年、檀家システムで食ってきたのですから、今更方向転換出来ない。
基本、宗教は、現世からの超越を説く物です。
特に、枢軸宗教はその傾向が強いのですが、それでも、長続きするには、現地に根ざした経営をせざるを得ません。
そうでない宗教は消えていってしまいます。
土地の定住や土俗化がどうしても必要なのです。
しかし、逆に土地にどっぷり根付いてしまうと、方向転換が効かなくなる、軽いフットワークが出来なくなるのです。
檀家制の伝統宗教だけでなく、新興宗教も同様です。
今の時代は、昭和の老境に入った信者か、二世三世ばかりです。
多くの、宗教信者予備軍が、どこかの組織に入らずに、流動化しているのが実情でしょう。
まあ、逆を言えば、実はこれは、チャンスでもあります。
どこの組織でも、少子化高齢化は同じです。
企業は入る(正社員)のは難しいですが、こういう少子高齢化組織は入るのが容易です。
(あまり知られてないのですが)地元の政治家の後援会でも、宗教組織でも、大抵の組織は、皆さんの年代なら、ほとんど入れ食い状態です。
開運と言うより世渡りのライフハック系のノウハウになりますが、仕事とは別にプライベートでこういう組織に入ることは有用です。
相互扶助コミュニティというのは、元々、個人が生き残ることを目的としています。
人脈というのはそれだけ、有用なのです。
上手くすれば、老人世代の後の組織を牛耳れる可能性があります。
少なくとも、地域レベルでは楽勝でしょう。
真面目な話、マジで老人しかいないので、高地位の人脈形成、情報・紹介のゲットチャンス、地位や名誉や権力や異性の獲得など、若手や働き盛りの人間でしたら、相当美味しいチャンスです。
マーケティング的に言えば、競争相手がいないブルーオーシャンです。
無理やり陰徳的に考えるのなら、「老人介護」や「伝統保護」、「神社仏閣の修繕」など理屈はつきます。
ぜひやってみましょう。
なお、やる時は、年単位での信用を考えて下さい。
入ってすぐに美味しい利権があると考えてはダメです。
10年くらいのスパンで考えましょう。
別にそんなコストは考える必要は無く、単に暇なときに行けばいいだけです。
例えば、政治家の後援会ならせいぜい選挙の時とか宴会くらいです。
なお、当たり前の話ですが、自分の宗教的・政治的信念は、そこでは封印しましょう(笑
政治系、宗教系の地元のネットワークは、時に凄まじい威力を発揮します。
終身雇用制や家族親戚ネットワークが崩壊した今、これらのコミュニティネットワークの重要性はますます高まっています。
今は、あまり知られていませんが、いずれ、ライフハックとして騒がれてくるでしょう。
その前の、ブルーオーシャンの内に、参入して下さい。
実は、今回も、また世継ぎ問題の項が、終わりませんでした。
次回に続きましょう。
次回こそ、次回こそ、終わらせる・・・!
この無益な戦いを・・・!
苦しみと悲しみの連鎖を・・・!
(棒読み)
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