2017年3月17日金曜日

【陰隲録】功過格表㉔ 子の親のこと親知らず。五十善 。養子を育てよ③




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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。



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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

五十善に相当する

◯一の倚るなきを収養す。




【日本昔話】


以前も書いたように、人間が、血のつながりの無い子供を育てることは、基本ありません。

あるとしたら、よほど特殊な事情です。



むかーしむかし、あるところに、高名な坊さんがおったそうな。
(唐突に始まる日本昔話)

坊さんはみんなから慕われて追ったが、

坊さんが住んでるところに、ある年頃の娘さんがおった。


その娘はある日、彼氏の子供を孕んでしまった。

ところが彼氏はチンピラで、娘の親には言えないような男じゃった。

そのうち、出産してしまったが、さすがに男は誰かと父親から責められる。

チンピラ彼氏の名前を言うわけにもいかない娘は、苦肉の策で、信用のある坊さんの名前を言ってしまった。



激怒して、坊さんのところに、おしかける父親。

もちろん、坊さんには実に覚えの無い話じゃったが、坊さんは、そうかそうかと認知。

そのまま、赤ん坊をあずかってしまった。

無論、坊さんにあるまじきスキャンダルのため、風評被害で、坊さんの株価はストップ安を更新。

数年後には、繁盛してた寺も、すっかり客足が途絶えるようになってしまった。



当然、坊さんの収入も絶えて、日々、赤ん坊の乳をご近所の家を回り、頼む坊さん。

困窮してても、いつもどおり、そうかそうかと全く変わった様子は無い。

その姿を見た娘が悔恨の情を発して、とうとう白状。

また、父親が寺におしかけて土下座。

だが、坊さんは、やはりそうかそうかと赤ん坊を返して、いつもどおりの様子。



この件で、さらに坊さんの名声は高まった。

濡れ衣にも、一切の弁解はせず、堂々と腹の据わった大人物だと、前にも増して、寺の来客が増えたそうな。

めでたしめでたし。




【托卵】



この日本昔話のように、他人の子供を押し付けられても、そのまま受け入れる人はまれです。

まあ、あくまでも、この坊さんが人格者だと言う話なので、レアケースだからこそお話になるののです。


このように、自分の子供ではない子供を育てるというパターンのことを托卵と呼びます。

養子のように、明らかに自分の子供ではないと分かっているパターンとは別です。

この坊さんの話の場合は、坊さん自体は、自分の子供でないとわかっています。

が、夫側が自分の子供でないと分かっていないケースが、托卵の一般的パターンです。



※ちなみに、豊河は、この話の坊さんのことを、良寛だと思っていましたが、今、ググッたら白隠でした。
まあ、どうでもいいや。




この托卵は、元々、鳥類の習性から語源が来ています。

他の鳥の巣の卵を落として、自分の卵を代わりに置いておいて、他人鳥に、育てさせると言う、外道な鳥の習性です。

この鳥の習性が、人間社会に応用されて用語として使われている(ネット限定で)のが托卵という言葉です。



この托卵自体は、バレれば修羅場になりますが、DNA鑑定が気軽に出来る現代以前は、恐らく相当な量の事例があったものと思われます。

逆に言えば、現代のような状況が、人類の托卵の歴史の中では、レアなのでしょう。

男性側にとって、子供が、自分の遺伝子の子供かどうかという、一大問題が、解決出来ました。

逆に女性側にとっては、不利以外の何物でもありません。

この日本昔話のように、困ったときの托卵押し付けが出来なくなるからです。




【親知らず】



さて、陰徳から考えれば、他人の子供を育てるというのは、この条項にあるように、陰徳の一種です。

しかし、本人が托卵だと知らない場合で育てた場合に、陰徳になるのかどうか?

正直、微妙なところです。




例えば、本当の父親がもう死んでいるとか、養育能力が無いなどの理由がある場合、托卵で無事に育てたとなれば、陰徳になりそうな気もします。

が、本人が知らないところで起きた善行が、陰徳になるのかどうかは非常に怪しいのではないでしょうか?

ココらへんは、要するに善行や悪行が、認識してやったかどうかの問題、今で言う、故意か過失かの話です。

知らずにやった善行や、悪行が徳や罪になるのか?

刑法では知らずにやった罪は減刑されます。

常識的に考えたら、善きにしろ悪しきにしろマイナスされるのが妥当でしょう。


まあ、白隠のように知ってて育てるというのなら、当然、陰徳になるでしょうが。

※もしかしたら、豊河が勘違いしているだけで、本人が知らなくても、天上の法律では、徳になっている可能性はありますので、何とも言えないのですが。



ちなみに、女性側の陰徳ですと、要するに、不貞の罪になるのでしょうか。

とは言え、子供の父親がダメダメだった場合、子供の未来としてまともな男に育てさせることで、子供の不幸を防いだとなると、陰徳になりそうな気も・・・。

不貞の罪がマイナス100で、養子の徳がプラス50ですので、マイナス50という計算に・・・。

しかし、今の時代は、不貞はそんなに重くないですし、子供の命を守る方がプラスになりそうな気もしますので、やはり何とも言えないですね・・・。




陰騭録の連載の初めに、豊河がここらへんの計算はもう適当で良いと言ったのは、こういう現代的な感性や価値観では、測れないケースが多いからです。

まあ、ここらへんはファジー(曖昧)でいきましょう。ファジーで。

というか、ファジーってもう死語ですよね普通に・・・。



後、ある程度の規模の家の場合、血筋よりも実力を重んじますので、托卵だとあとでバレても、まあ揉めるでしょうが、本人の才がある場合は、なあなあで済む場合もあります。

江戸時代の商家では、ドラ息子は芸術とかやらせて、才能のある番頭が店を引き継ぐということはよくやりました。

世襲制で、何もしなくても食っていける武家とは違って、やはりビジネスの世界は厳しいからでしょう。

また、赤ん坊の時ならともかく、ある程度育ってしまうと、情が移ってしまうので、やはりそのまま育てることもあります。
(追い出すケースもありますが)



この養子問題も、陰徳の観点から見ても、このように色んなパターンがあります。

跡継ぎ問題ほどではありませんが、この条項も、何回か続きそうです。



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