2017年3月10日金曜日

【陰隲録】功過格表⑱ 色眼鏡といういやらしい眼鏡のこと(透けて見えるとか) 五十善 家を絶やさないこと。⑨





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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)


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その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。


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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

五十善に相当する

○一嗣を延続す。




何で、「家を絶やさないこと」、というレトロな話題から、
身分制度や、怨霊の話やら、お寺が消滅するだの、催眠だとか、
四方八方に縦横無尽に話が飛んでいるのか、何が何だか、さっぱりわかりません。

というより、よくこんな色んなことを話せますね自分・・・。
一体、自分のハイアーセルフ(前世療法用語)は、この駄ブログを通じて何を世間様に伝えたがっているのか

まあ、どうでもいいや(適当)



【時の流れに身を任せ】


そもそも、なぜ先祖供養、前世供養(療法)をするかと言えば、単純な因果応報の対処だからです。

親の因果でも前世の因果でも、要するに、過去の原因があって、現代のろくでもない結果がある。
それを、解消しようと言うものです。
別に問題がなければ、わざわざこんなことをしません。
当たり前の話です。

もちろん、たとえ、過去の原因が消滅しようと、肉体的な損傷などの既に来てしまった結果は戻すことは出来ません。
ただ、現在進行形と未来予定のカルマを事前に対処・処理するということです。

そして、前世でも先祖でも、ここで共通するのは、時間軸の流れです。
過去の原因を対処して、現在の結果を変更する。
この論理が根底にあります。

これは、当たり前と言えば、当たり前です。
時間は、過去から現在に、そして未来に流れます。
原因と結果があるならば、原因を対処すれば、結果は変わり災難を防げます。

陰徳を積むのも同じこと。
今現在の悪業を止め、善行を実施すれば、種まきとなり、それは未来に実を付けるのです。
これも、時間軸の流れを意識しています。

基本、この考えで問題はありません。
別に、宗教組織に大金を払わなければ、先祖供養だろうが前世供養だろうが、いくらでもしても、良いでしょう

というより、実際、先祖を供養していれば運気は先祖パワーで上がります。
前世供養も同様です。

※例えそれが、問題の構造を前世や先祖に仮託して、操作出来るインターフェースにした構図、つまり以前述べた御霊信仰と同じ図式であるとしてもです。

↓の記事参照。
【陰隲録】功過格表⑬ 科学と魔術が交差するとき物語は始まる 五十善 家を絶やさないこと。④


家系の因縁は、やはり、何だかんだ言って、結構大きいのです。
それは、個人の運が生まれた家によって左右されるのと同じです。

ちなみに、より、大きい因縁は生まれた地域や国や民族です。
北朝鮮に生まれるのと日本で生まれるのでは、運命に差異があるのは当然です。

※もしかすると、北朝鮮に生まれた方が出世できる人もいるかも知れませんが。

さらに言えば、時代もそうです。
戦国時代に生まれるのと現代ではかなり幸福度が違うでしょう。


【デフォルト仕様】


この、現世のこうした時間軸の考えは基本として持っていてOKです。
逆に持ってないと困ります。
因果関係(ここで言う因果関係は、原因と結果の論理的思考)を理解していない人間は、ただの狂人です。

今風に言うと、ロジカルシンキングが出来ない愚人です。

しかし、それを十分に持っている人間。
宗教で言うところの、戒律をしっかりと守って因果応報を理解していて、諸悪莫作・衆善奉行を遵守している

このような人間ならば、その「上の」世界に行く資格があります。

それは、時間軸・空間軸の色眼鏡のフィルター(カント)の世界でしか存在できない人間を超える資格です。

そもそも、哲学者のカントが喝破したように、人間の認識にはあらかじめデフォルトに搭載されている設定が存在します。
上記したように、時間軸と空間軸のフィルターです。

世界を我々が見るときは、必ず、この色眼鏡(フィルター)を通して物を見て、認識し、考えます。

そのため、人間の体も、世界も、三次元空間に存在していると「思って」います。
そして時間に沿って、過去から現在、そして未来へと移動していると「思って」います。

当たり前だろとツッコミのお声が聞こえそうですが、ちょっと待ってください。
ここに一つ、落とし穴があります。

例えば、動物には色覚が無い動物がいます。

彼らが見る世界は白黒のモノクロ世界です。
人間から見たら、「下等な劣等生物が・・・!」と鼻で笑うのではないでしょうか?
(誰だよ?)

で、ここからが問題です。
この、色覚が無い生物がメルヘンにも、喋れたとしたとしましょう。

その生物が、
「世界は白と黒の世界である。それ以外の色は存在しない」
とか、言い出したらどうでしょうか?

我々は、ゲラゲラ笑って、

「グハハハハハ!面白い!面白いぞ!雑種!
余を笑わせるとは褒美をとらす!
世界の実相を知らぬ、井の中の蛙よ!
貴様の世界は、群盲像を評したに過ぎん!
世界は、貴様の狭い認識を超えたところに存在するのだ!」

と言うでしょう。
(だから誰だよお前!?)

要するに、色覚が無い生物は、世界に色があることが認識していないのです。
色が無い白黒の世界だけが世界だと思っているのです。

この例え話に、我々の認識の落とし穴があります。

要するに、我々は、空間軸と時間軸の認識のフィルターがあるわけです。
しかし、それはあくまでも認識のフィルターであり、脳の機能がそれがあるというだけです。

色覚が無い生物が、色が無いという認識のフィルターをつけているように、
我々も、時間軸と空間軸で認識するというフィルターをつけているのです。

早い話が、「世界」そのものは、我々は決してありのまま見ることは出来ません。
必ず、時間軸と空間軸で「歪んだ」状態でしか知ることが出来ないのです。

よく、「ありのまま」を見ると言いますが、それがいかに困難か。
ただ人間の連想をしないで偏見無しに見るといっても、その状態はすでに「世界」の実相からは、遥かに遠ざかっているのです。

要するに、空間と時間は、我々の認識のフィルターであって、世界の実相では無いという事です。

だから、一体何なんだ?
長々と何を言いたいのだ?
と、言われそうですが、結論として次の可能性があるのです。

我々、人間は、今まで絶対の法則であった因果律。
それを、空間と時間を無視して、因果関係を操作出来るということも出来るのではないか?

ということです。



で、次回に続きます。


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