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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)
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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
五十善に相当する
◯一の主なき骸を埋む
【空の時限爆弾】
基本、仏教は現世否定型の思想なので、現世の事象に価値を認めない傾向があり、それはそれで社会の敵になる余地があります。
(例えば、税金や徴兵や結婚の否定など)
だが、さすがに煩悩の否定という基本がありますので、世間の価値観は認めないとしても、基本は、山林で隠遁者のような引きこもり生活者です。
そのため、あまり社会に害悪はもたらしません。
しかし、空の論理(大乗仏教、現世肯定)は、一切の存在を否定します。
それは、煩悩を否定しますので、いいことのように思えますが、一切を否定するということは、当然、道徳的価値観をも否定します。
殺人や盗みや性交、肉食や飲酒やドラッグなど、一般に悪と言われている悪事を禁止する戒律や歯止めも否定してしまうのです。
また、一切の否定は裏返しで、一切の肯定にもなることは上記したとおりです。
論理的に、否定の否定は肯定なのです。
宗教は基本、この世が嫌いです。
教義的に、反現世的ですが、それを否定すると、親現世になります。
これも、当然、非倫理的行為の是正になります。
現世というのは悪徳に満ちている世界だからです。
一切の存在を認める一元論は、悪徳をも許容してしまいます。
空の論理を引き継ぐ大乗仏教は、在家の宗教として、現世の色々な事象を肯定せざるを得ません。
が、その中には、在家のあくどい事も肯定せざるを得ません。
そのための需要の供給が大乗仏教なのですから。
我が国の例で言うと、鎌倉時代の新興宗教の禅や念仏が流行ったのも、戦乱の時代だったからです。
戦争、つまり人殺しをしなければ生きていけなかった武士は、禅で倫理のお墨付きを貰いましたし、修行する暇も無い庶民は念仏でお墨付きを貰いました。
仏教伝来時の時点で、すでに仏教は国家御用達の宗教でした。
僧侶は公務員として官僚扱いでしたし、その教義や術は怨霊対策や国家鎮護、皇族貴族の祈祷師でした。
すなわち、道徳や戒律の否定という矛盾です。
この矛盾を背負ったまま、大乗仏教はスタートしました。
日本に来た仏教は基本、大乗仏教ですので、当然、我々にも関係がある話です。
地下のマグマ溜まりのように、この矛盾は、いつ爆発するかわからないシステムエラーの時限爆弾です。
しかも、日本史上で。
そして、この時限爆弾はたまに爆発します。
日本史においては、密教に限定するなら、真言立川流とオウムが代表例です。
※密教に限らないと相当出てきます。
※先の大戦すらその片鱗があります。
前者の真言立川流は、中世に、セックス教義の邪教として騒ぎを引き起こし弾圧されました。
後者は、説明不用でしょう。
どちらも、密教と言う危険思想から暴発した連中です。
大乗仏教、特に密教と言うのはこのような危険性があるのです。
※後、あまり知られていませんが、チベットと密教は、ナチスとの関わりもあります。
【弱者救済の精神】
インドの地で、ヒンドゥー教を取り込んで密教となった仏教は、その後、イスラムの侵攻で壊滅してしまいます。
しかし、ただでさえ、問題が多い、インドの呪術を取り込んだ密教は、その副作用に苦しむことになります。
密教の本場であるチベットでも、この呪術性の罠に陥った歴史があります。
何しろ、タントラは、欲望肯定の教義です。
本来、禁欲的な仏教教義において異物に等しい存在です。
密教を作った当時のインドの仏教は、ヒンドゥー教に対抗するために、かなり特殊な職業階層(被差別階層)を対象に入れています。
タントラは元々、そういう層の宗教なのですが、具体的に言えば、葬儀人とかあるいは、マジの追いはぎだとか人肉食の部族とかそういう方たちです。
宗教は時代が経るに従い、救済対象が普遍的になってきますが、その意味では、大乗仏教の精神に合っていると言えば合っています。
また、市場でメジャーな宗教に対抗する、成り上がりの新興宗教は、メジャー宗教が救済対象にしていない階層や組織を取り入れるのが基本です。
逆に言えばそれくらいしかスロースターターの弱者が、勝てる方法は無いのですが・・・。
釈迦の時代はスポンサーは、当時、台頭してきた商人階級などのブルジョアでした。
鎌倉仏教の時代は、武士や庶民でした。
イエスだって、当時の被差別階級の金貸しや徴税人や娼婦を対象に布教しています。
需要があれば供給があるのです。
従来の市場において、ブルーオーシャンのマーケットがあれば営業するのは、資本主義の基本です。
上記の例だと、今でこそブイブイ言わせている世界宗教のキリスト教だって、当時の外部の目(記録が残っています)から見れば、
「まともな市民には相手にされないカルトで、社会的弱者や身分の低い連中を狙い撃ちにしている卑劣な輩」
という評価です。
要するに、今の新興宗教と同じような扱いと戦略なのです。
密教が出来たころは、すでに、市場は、飽和していました。
一時期、仏教が中産階級を制覇していましたが、巻き返しをはかった伝統宗教が頑張って、バラモン階層や庶民は、ヒンドゥー教が逆転していました。
上層も中層も制覇されていたのなら、下層しかありません。
ただ、イエスのように徴税人とか娼婦よりもさらに下の階層のヤバイ連中を取り込むことで、教義的に危険性が増してしましました。
【古代の生き残り】
基本、古代からの多神教、
つまり、自然崇拝宗教、欲望肯定、世界肯定の宗教は、人間の原始性を喚起します。
分かりやすく言えば、ハレの日に乱交どんちゃん騒ぎを起こします。
我が国の民俗学にはこの手の乱交騒ぎの例がいくらでもあり、例に事欠きません。
要するに酒を飲んで大麻を焚いて乱交するのです。
この段階だったらまだいいのですが(仏教的にはアウトですが)、祭りには生贄は付き物です。
世界各地に生贄の伝統がありますが、多神教というのは得てしてそういうものです。
タントラというのは、基本、こういう多神教の地母神信仰の流れです。
WIKIのタントラの項目
実際のところ、タントラ教という宗教集団がいたわけではなく、タントラ的な考え方(タントラ哲学、タントリック)をもつ人たちである。
「大いなる意識」は「創造主」とも「宇宙」とも「神」とも解釈できるが、「自己」との繋がりは特定の人や階層によらず、すべての人に与えられた存在であり、恵みであるという考え方である。
この考えの根幹にあるのは、
『あらゆる存在に、美があり、善があり、生きている存在そのものに繋がりからの恵みがある』
というものである。
WIKIのタントラの項目にもこのようにあります。
現世肯定の論理です。
日本でも真言宗の空海や天台宗あたりがこういう思想ですね。
宇宙は生命だとか。
山川草木国土悉皆成仏とか。
現世肯定、自然肯定というのは有る意味、人間の過ちや獣性を許容するという意味を持ちます。
交騒ぎをするのも、変性意識状態を用いて、自然(人間の動物的な本能)にアクセスする意味があるからです。
枢軸宗教では本来、こういう人間の側面は否定されます。
仏教でも同様です。
しかし、仏教はこの側面を取り込みました。
本来、忌避すべき煩悩を肯定して、悟りに向かうという矛盾をどうにかこうにか止揚させたのです。
結果、密教と言う大輪が咲きました。
基本、この手の教義は邪教として、世間から弾圧されて秘密結社化しますが、仏教というフィルターを通すことで存続可能になりました。
※チベットと言う隔離環境だから成立したということもありますが。
チベット密教などは、大乗仏教の完成形として、高度な理論と実践性を誇っています。
初期仏教の教義に近い上座部仏教と並んで、仏教の双璧になっているくらいです。
日本仏教のように、中途半端な教義だと、太刀打ちできません。
【密教の未来】
まあ、ダラダラと密教の危険性を説いてきましたが、実際には、今の密教は、ゴタゴタと問題のあった歴史に学び、対処した教義です。
とは言ってもさすがに初期には、タントラと同じく、普通に女の子抱いていたセックス邪教カルトだった時代もありました。
また、その後も、不心得者が、暴走した歴史もあります。
(上記した真言立川流やオウムなど)
実際に、教義的にもタントラは相当ヤバめの教義です。
オウムがサリン撒いたのも有る意味、タントラの教えに従っただけとも言えるくらいです。
無上瑜伽タントラ系の経典は、そのまま読むと、もうツッコミどころの山です。
空海が、最澄に貸し出しを渋ったことで有名な理趣経ですら中期密教経典のぬるい教義です。
しかし、後期密教の無上瑜伽タントラのヤバさはレベルが違います。
人肉食ったり人糞食ったり殺人とか髑髏崇拝とか、やりたい放題です。
※無上瑜伽タントラでググると色々出てきますので、興味のある方はどうぞ。
インド宗教はこういうタントラ系のヤバめの教義が多いのですが、それの伝統を引き継いでいます。
よくインドの修行者や神様絵が、髑髏とか人骨のアクセサリーをつけていますがその流れです。
インドは日本以上に古代の原始性が残っている国なのでそのヤバさは日本の比ではありません。
骨をアクセサリーにしてる時点で、死体をちゃんと埋めようぜという、今回の陰徳項目に挑発しまくっているのですが、そんな批判はどこ吹く風です。
邪教として弾圧された真言立川流は、こうした後期密教(日本の密教は中期密教)の失敗例ですが、立川流の修行法として有名な、髑髏の頭蓋骨に、性の儀式で採取した精液と愛液を日夜塗りたくるとか、挑発どころか、死体に喧嘩を売っています。
しかし、もはや時代を経て公認された仏教教義として、タントラ系の行為はあくまでも観想(イメージ)内で処理されることになりました。
また、師僧の伝授と戒律により厳しいフィルターがかかっています。
密教と言う言葉自体が、公開するとヤバイ教義という意味です。
その意味で、外部に公開するとヤバイ→行動する自体もヤバイから内面だけでやっとこうという変遷を経て、本当に密教となりました。
今回のテーマであるネクロフィリアについても(別にネクロフィリアがテーマではないのですが)、
タントラ系は死体や骸骨が大好きなため、普通に密教にはよく出てきます。
が、それも今では、観想内です。
そもそも、一応、後期密教と言えども、仏教です。
別に、非倫理行為自体が目的ではなく、
こうした非倫理行為を実行(今では観想)することにより、変性意識状態を起こし、速やかに悟りの境地へ導くのが後期密教の傾向です。
現在は観想内で行うため、社会上の法律には触れません。
(例え法律には触れなくても、仏教的にはアウトですが)
その意味で、現在の密教は、宗教としては哲学性、実践性ともに、まともな部類になっていると言えます。
仏教哲学の方も、相当なレベルに達しており、他宗の追随を許しません。
修行のシステムも整っているため、宗教としてはほぼ完成形に近いのです。
後期密教(実質チベット仏教)が世界で人気があるのは、そのためです。
皮肉なことに、本来、チベットという限定的な世界でしか学べなかったチベット密教が、中共の侵略によって、チベット密教が世界中に開放されました。
海外に逃亡したチベット僧侶が積極的に布教したからです。
実はチベットはインドと同じカースト制で、密教も数十年修行しなければ学べないという、結構な障害がありましたが、輸出先では、それも緩和しています。
とは言え、教義的に欲望肯定が有る以上、これからも密教を基にしたカルト教団はどうしても発生します。
日本系の密教でもチベット系の密教でもこれは同様です。
インドと同様の神秘行体系がある、中国や西洋でも同様で、セックスを宗教的に解禁する協議は、どうしてもそれが出てくる土壌があります。
もちろん公には出来ない秘密結社やカルトと言った形式ですが、基本、性を抑圧する教義が多い中、性行為可能な教義があればみんな飛びつきます。
セックス出来る大義名分があるのですから当然です。
中国の秘密結社の例ですが、参加者の意見として、
「別に信じているわけではないが、ここ(セックスカルト)に参加していれば、老若男女よりみどりで相手に困らないから着ている」
という、正直な意見もあります。
まあ、今で言う出会い系みたいなものですね。
人類は長い間、多神教の乱交文化が基本でしたので、遺伝子レベルでこういうのがなくなることは無いでしょう。
また、枢軸宗教の反自然思想は、どうしても空理空論に走り、机上の空論や現世の衆生の状況を鑑みないダメ宗教になる場合が多く、カウンターとして必ずこういう教義の宗教が出てきます。
いい意味での自然崇拝思想や、現世や肉体への大事さ、性の重要さ、生命の尊さを再認識させる復古的な意味で、こうした教義は価値があります。
まあ、枢軸宗教をハードコアに信仰していれば人類は絶滅せざるを得ないでしょうから当然と言えば当然なのですが・・・。
長々と死体について話をしてきましたが、次回くらいで総括して終わりにしましょう。
たぶん、次回で終わるはずです。(たぶん)
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