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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)なお、皆さんの記事の感想大募集です。
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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。
【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら
功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
五十善に相当する
◯一の主なき骸を埋む
色々、豊河は問題発言をしてきましたが、ついに、世界宗教(キリスト教や仏教)に、ネクロフィリア(屍体愛好)などというウルトラヘイトスピーチの誹謗中傷を与えるところまで到達しました。
豊河の真理を求める求道と、異端(正統があるのか?)に対する悪口雑言は留まるところを知りません。
凄い!凄いよ!陰徳ゲージがストップ安だよ!
あ、ちなみに僕が言っているんじゃなくて、お筆先を書かせているハイアーセルフ様が言っているだけなので、僕は悪くありません。
悪いのは、ハイアーセルフ様です(責任転嫁)。
【死ってるのか死らないのか】
さて、言い訳も終わったところで、前回の続きです。
おさらいとしては、まず、世界宗教は二元論なので、天上とかあの世とか神とか仏とか解脱とかが大好き。
逆に、肉体とか現世利益とか肉欲とか女とか大嫌い。
必然的に死体は大嫌いなはずなんだけど、でも、豊河は、世界宗教は、実は死体が大好きだとヘイトスピーチを言う。
こんなところですね。
で、なんでそんな寝言を言っているかと言うと、簡単です。
死体は、たしかに肉体という唾棄すべき物であり、同時に腐敗というさらに穢れた物であり、その陰惨なイメージは、聖なる領域にふさわしくないものです。
妖怪も発生するし。
しかし、同時に、死体は、ある属性があります。
「死体」の文字の前半の「死」です。
死んでるから死体なのです。
生きていたら生体です。
(当たり前だ)
この死という一文字は、実は、世界宗教が大好物な物なのです。
だからこそ、世界宗教(枢軸宗教)は、死体を毛嫌いしながらも、異様な愛着を持っているのです。
これが前回の答えです。
【おらこんなところ(現世)やだ】
なぜ、世界宗教が死が大好きかと言うと、簡単です。
現世が嫌いだからです。
肉体も肉欲も女も全部嫌いならば、必然的に死を歓迎します。
天上界や、神仏や、精神が好きならば、それに至るため、死が必要です。
要するに、大嫌いな肉体が死んで、霊性が天上に登るのを待ち望んでいるのが、世界の枢軸宗教です。
「死」という属性は、そのダークなイメージとは裏腹に、世界宗教が恋い焦がれる相手なのです。
まあ、厳密に言えば、死が大好きだと言っても、世界枢軸宗教内にも、そのネクロフィリア度の、レベル段階の差があります。
真のネクロフィリアへの道は、高く険しいのです。
仏教のように、完全な消滅を望む、ハードコアなネクロフィリアのレベルから、死ぬのはかまわないけど、復活して永遠の命が欲しいとか言う、中途半端なネクロフィリアのキリスト教まで、ネクロフィリアレベルの段階は幾つかあるのです。
だが、どちらにしろ、死を待ち望んでいるという、ネクロフィリア属性は同じなのです。
共通点は、「この現世や肉体はウザイから捨てようぜ」という反現世思考です。
死と言うのは通過儀礼です。
世界中に、死と再生の通過儀礼があるように、人間は死を潜り抜けなければ、新しい自分になれません。
↓記事参照。
善光寺(長野県長野市元善町491) パワースポット(長野)
あらゆる部族に、大人になるための死と再生の通過儀礼があるのが、その証左です。
現代の社会人ですら、入社時には、不合理な軍隊的合宿をして、今までの学生気分の自分を殺して、社会人(社畜とも言う)として復活するのです。
死んでからの復活は、イエスの専売特許ではありません。
むしろ、イエスなんぞは、死と再生の通過儀礼の一例に過ぎないのです。
【】
死への愛好は、死体への愛好にリンクします。
表向きは、世界宗教は死体を穢れとして毛嫌いします。
しかし、それは単に、腐敗すると、疫病が流行ったりするためで、彼らも泣く泣く、忌避してる振りをしているだけなのです。
彼らの愛する死体へのこのツンデレ態度に潜む、深い愛と悲しみには、断腸の念が隠れています。
彼らの魂の慟哭に、豊河は滂沱として感涙するのみです。
※勝手に、ヘイトなレッテルを貼って同情する、ヘイト手法。
キリスト教では、復活のために土葬がメインですが、一応、仏教では死体は、ぱーっと燃やしてしまいます。
やっぱりインドのような暑い国ですと、死体を放置すると、パンデミックの恐れがあるからでしょう。
また、輪廻転生思想が徹底しているインドでは、死体はただの魂が去ったあとの、粗大生ゴミだと言う考えもあります。
その意味では、インド系(仏教含む)では死体への愛着は少ないと思われがちですが、次回以降説明するように、それもただのツンデレです。
とりあえず、一神教の方を見てみると、このネクロフィリア(死体愛好)性癖がよくわかります。
キリスト教は、ドクロとか骨とか使った異端は、即効で悪魔崇拝と決めつけられますが、よくよく考えてみると、彼らの方こそ異端なのです。
メメント・モリ(死を忘れるな!)こそが、キリスト教の真髄です。
汚らわしい現世に、うつつを抜かす方が世界枢軸宗教的には異端なのです。
※ちなみに、今、汚らわしいと書こうとして、毛皮らしいとタイピングしてしまいました。
しかも何度も。
さらに、紛らわしいと書こうとして間際らしいとタイピング。
もう、何が何だかわからない・・・。
死を忘れた緊張感の無い、宗教の方が堕落しています。
そして、一番、ネクロフィリアなのは、もちろん、開祖イエスです。
彼のネクロフィリアっぷりは群を抜いています。
イエスは、死体を生き返らせるザオリクの呪文を仕えることで有名ですが、そのスキルを使って、ガンガン死体を復活させています。
釈迦ですら詭弁(みんな死ぬから我慢しろ)で逃げたこのテーマ(生き返らせてくれ!)に対して、ザオリクという力技で生き返らせて答えました。
信者の要求に、みんなみんなみんな叶えてくれる、不思議な奇跡で叶えてくれるドラえもんイエスは、宗教者の鑑です。
やはり宗教者たるもの、ベホマとザオリクのスキルは必須です。
これだけ持っていれば、一生食いっぱぐれはありません。
※イエスは失敗して死んじゃいましたが・・・。
ちなみに、さっきから、イエスイエスと呼び捨てしてますが、このような偉大な先人には、ちゃんとイエスさんと敬語を使わなければいけません。
さらに、呼びにくいので、エスさんと呼びましょう。
Sさんと表記すると、星新一の小説の登場人物みたいになります。
イスラエル在住の新興宗教団体教祖のSさん。
救世主様が、途端にいかがわしさが・・・。
余談ですが、Sさんは生前にも、死霊術で死体をゾンビにしていましたが、特に、Sさんが死んだ時に、ゾンビを大量発生させて、イスラエルを襲撃させるという嫌がらせを敢行しています。
マタイの福音書 27:50-53
27:50
イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。
27:51
すると見よ、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。また地震があり、岩が裂け、
27:52
また墓が開け、眠っている多くの聖徒たちの死体が生き返った。
27:53
そしてイエスの復活ののち、墓から出てきて、聖なる都にはいり、多くの人に現れた。
ネクロマンサー(死霊魔術士)イエス。
死せるイエス生けるゾンビを走らす。
ゾンビの専門家のブードゥー教やキョンシーの専門家の霊幻道士も、希代のネクロマンサー・イエスには敵いません。
何しろ、終末には、全人類をゾンビとして復活させる予定です。
※まあ、厳密には信じる者だけ救ってあとは地獄に放り込むようなのですが。
※イエスが出る前の2000年前の死人はどうなるのか私とっても気になります!
イエス、ゾンビ復活数100億人突破!
お主こそ、世界無双のネクロマンサーよ!
(三國無双風に)
で、次回は仏教のネクロフィリアの話に移ります。
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