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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)なお、皆さんの記事の感想大募集です。
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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。
【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら
功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
五十善に相当する
◯一の倚るなきを収養す。
【三界に親なし】
托卵のケースは、実を言うと、まだマシなケースなのです。
他人の種を押し付けられた男の方は、あれですが、
何がマシなケースかと言うと、一応、途中でバレたとは言え、子供にとって、父親はいるからです。
しかし、父親が本物、托卵先双方いない場合は、子供が認知されなくなります。
片親しかいない場合となると、途端に子供は、経済、収入面で不安定になります。
基本的に世界は、男性社会なため、女性は収入面で不利だからです。
実家の援助が得られれば良いですが、托卵がバレた時点で、縁切されるケースも多く、ますます不利になります。
※父親の片親だったパターンだと、まだまだ収入面でましです。
(もしくは母親片親でも実家の援助が得られれば)
このパターン(母子家庭)の場合、コブ付きのため、再結婚も難しい状況となります。
俗に言う母子家庭、寡婦、女やもめのパターンです。
前述の通り、女性は収入面で不利なので、基本、社会の温情措置があります。
老人と同じく、寡婦に対しては、昔から、社会保障の対象でした。
聖書や諸子百家の時代ですら、寡婦に対する社会保障があります。
これらの社会的弱者に対する、救助の陰徳はまた別途出てきますのでそのうちやりましょう。
しかし、この条項の問題は、その片親すらいない場合です。
【発生要因】
生まれる前、もしくは生まれた後、すぐに殺される子供が水子です。
他人の種を、知らずに自分の子供と思って育てるのが、托卵です。
しかし、親や扶養者がいない場合は、孤児となります。
このパターンは、基本、両親がいない場合に限られます。
そのため、尋常では無い状況での結果となります。
両親が、いないパターンとしては、様々です。
事故や事件による両親死亡、貧困による捨て子、刑法犯による収監、扶養に不適格と行政が判断、戦争や大震災や飢饉など・・・。
様々なパターンがありますが、とにかく通常の状態ではありません。
一家心中などのパターンのように、子供も一緒に死ぬということもありますが、こうした親に殺されるという不幸から逃れられた不幸なパターンも、孤児となります。
この場合、親の扶養が受けられないため、どうしても他の家庭の子供と比較して、ハンデを負うことになります。
このため、社会的には寡婦と同様に、社会保障による救済が施されます。
しかし、それでも条件付きのことが多く、親のいる子供と同レベルの待遇とはいかないのが前提です。
孤児院を出た後は、ヤクザか娼婦かという現実も多々あります。
【人口問題】
この日本には、ひきこもりのように、親から保護されている子供がいる一方で、孤児のような子供もいます。
個人の業によって、生まれの身分待遇がこれほど違うという良い例です。
しかし、日本は、これでも、まだましなほうなのです。
豊かな国ですら、実情がこうなのに、貧しい国や時代だったらどうでしょうか?
悲惨の一言につきます。
収容施設が足りないため、ストリートチルドレン化や、少年兵士や少女売春、違法奴隷労働の世界へと連鎖していく不幸は、世界に山ほどあります。
途上国では、内臓の提供元としても市場が形成されています。
中国大陸では一人っ子政策を実施しているため、表の戸籍に載らない子供が、億単位で存在しています。
一国単位の人口が、戸籍に載らない人間(黒孩子)が存在しているのです。
日本でもかつては、余剰人口は、村単位で基本的に間引きしていました。
村の生産量と養育のコストが赤字になる場合は、間引きするのが全体が生き延びるための手段です。
逆に、幼児の致死率が極めて高いため、バックアップ用に量産していた時代や地域もあります。
しかし、バックアップは本体が無事に育つとお役御免となります。
育ってからの余剰人口が、都会に流民していた話は、以前しました。
これらは村単位の話ですが、これが国家単位で過剰人口が増えると、戦争や少子化で口減らしとなります。
あまり知られていませんが、戦国武士が秀吉によって統一されて、不要になると半島や大陸にリストラ(当時で言う朝鮮征伐)された前例もあります。
さらに世界単位で人口過剰問題が存在します。
これらの解決策(間引き)は、一体どのようなものでしょうか?
逆に、人口が足りないような村の場合は、村の共同財産として育てられる場所もあったようです。
村の構成員が人手が欲しかったり、所有権の概念が薄かったりした場合は、乱交文化と並んで、生まれた子供も、誰の子という概念が乏しいため、共同で育てられる場合です。
この場合は孤児とは言い切れないパターンですんね。
しかし、そんな幸福なパターンだけではありません。
世の中には、一つの法則があって、人間はおよそ思考出来る限りのことを何でもやるという法則があります。
世界には、確実にろくでもない制度が、存在しているのです。
日本各地の風習を見ると、上記のような幸福なパターンではないパターンが散見されます。
【劣等種】
別に日本に限ったことではありませんが、基本、治外法権のコミュニティの世界は、変なシステムが多いのです。
もっと言えば、全近代的な野蛮なシステムルールです。
理由は、治外法権というのは、そこの地域単体のセグメントで、一つの「国」を形成しているからです。
公的な議論が出きないシステムは、やはり変な物が多く、今から見ると、ろくでもない物が多いのです。
一例を挙げれば、日本でも屈指の有名な神社仏閣でも、普通に、生贄・人柱用の子供を飼っていました。
身寄りの無い子供などを、生贄用として飼っていたのです。
代々、生贄を提供する家すら存在していた(いる)のです。
他にも、都会への流民として例に上げた次男三男などは、地方によっては長男の、奴隷として存在していた例。
ある特殊職業の場合、普通に女性をさらってきて、山奥の村で要員の繁殖用として産ませるという例。
こうした文化は、大抵歴史の闇として忘れ去られていきます。
しかし、こうした歴史は結局、人間がやっているものです。
当時の社会環境によりこうした実例があるわけですが、要するに人間は、状況が合えば、こういうろくでもないことをやる生き物ということなのです。
しかも、大抵は正義の題目がそれに加わります。
人間には、潜在意識の奥底で神とつながり、世界に良き物を齎し、仏になれる可能性のある仏性を秘めた存在です。
しかし、それは同時に、一皮向けば動物と同じ生物です。
状況があれば何でもする畜生なのです。
人間という種そのもののエラー仕様なのです。
全人類例外なくそうですし、あなたも私もそうです。
私は普通の人間だからそんなことはしないという人間が一番危ないのです。
さらに、正義感のある人間が一番危ないのです。
正しいこと、聖なること、善なることは、必ず逆の属性を産みます。
世界は陰陽が貫徹しているので、一切の生命はここから逃れることは出来ません。
正しいことは間違っていることがあることを暗に構築してしまうのです。
何も心構えが無い人間は、悪を見ると、今までの善人の仮面をかなぐり捨てて、修羅になってしまうのです。
その瞬間、人は鬼になります。
善良な市民が、悪鬼羅刹の鬼畜になるのです。
諸行無常、諸法無我、一切皆苦の法則は、一般のイメージでは、単に、安定した幸福な状態が、不幸になるという現象的な意味で使われています。
平家物語の冒頭の、諸行無常の鐘の声のように、権勢を持っていた物の滅びや、桜が散るように。
しかし、もっと恐ろしいのは、人間、生物という存在が、状況次第で、善にも悪にもなる、信用ならない生物である、ということでもあるのです。
要するに、人間は神にも獣にもなれる不安定な存在なのです。
もっと言えば、全ての生命や存在が。
このどうしようもない実相を認識してこそ、初めて我々は、2500年前の釈迦と、ようやく、同じスタート地点に立つことが出来ます。
21世紀の我々が、2500年前の土人(しかも元王族ニートの乞食)と、同レベルの地点に追いつくことこと自体が、すでに負けているのですが。
早いとこ、インドの土人の、釈迦を追い抜きましょう。
ちなみに、養子条項はもう少し続きます。
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