2017年3月4日土曜日

【陰隲録】功過格表⑬ 怨霊「駆逐してやる・・・一匹残らず・・・!」 五十善 家を絶やさないこと。③



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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)


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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。


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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

五十善に相当する

○一嗣を延続す。



【鏖(みなごろし)】


跡継ぎ問題で、すぐに思いつく(嫌な思考回路)のは、やっぱりあれですね。
やっぱり、一族代々に祟る、怨霊の類いでしょう。
要するに家系単位の呪いです。

「七代先まで祟り殺してくれるわ!」
とやってるアレです。

呪ってる主体が、個人かそれとも滅ぼされた一族単位かはともかく、こちらの、一族を呪ってる、気の長いプロジェクトです。

本人に祟るならまだしも、関係ない一族全体、子々孫々まで祟る根性の連中です。
その熱意をもっと、まともな方向に向けていたら、
もっと光り輝く人生を送れたのではないかと他人事ながら、わたし、とっても気になります!

とは言え、呪う方も、そんなことは余計なお世話で、赤の他人に言われたくはありません。
そもそも、酷い目にあったのだから、それなりに言い分はあります。
というより、正当性は呪う方の方があることが多く、少なくとも、加害者の祖先は普通にアウトです。
※筋違いで呪ってくる輩もいるのですが。

元々、呪うというのは、現世的な(正当的な)報復が出来ない時に発動する代物です。
普通に、犯罪者が牢屋に入って社会的報復を受けていれば、あまり呪いは発動しません。
そうでなかったからこそ、呪ってきているのです。

一族単位で呪ってくるというのは、結構な恨みがあるということで、基本、戦争とか権力化の迫害とか、そういう社会的な規模が大きいレベルで発動しています。
つまり、呪う方も呪われる方も規模が大きい場合なのです。

ただし、これは、もう人間社会の構造的に仕方がない代物で、権力闘争や戦争では、どうしても勝ち組と負け組が存在します。
元々、フェアプレイとか存在しない世界ですし、例え、まともな方法で勝ったとしても、負けた方としては、悲惨な目に合うのは変わらないので、
「おのれ!◯◯!子々孫々呪ってくれるわ!」となるのです。

近現代史の戦争でもそうですし、戦国時代でも山ほどあったでしょうし、古代史でも、有名人だけでも、聖徳太子やら~氏とか、まあ政争でたくさん滅んでいます。
神話の時代ですら、この手の話はいっぱいあります。

※と言うより、そういう殺し合いに勝ったからこそ神なのですが。
※日本に限らず、基本、神話は神様側の方が圧倒的に卑怯なのがデフォルトです。

戦争だけでなく平時でも、やっぱり身分制の圧政の中では、当然、このような悲劇が発生します。

スケープゴートにされた話(ちなみに比喩でなく普通に生贄とか人柱とか)など、やはり珍しくもないです。

それどころか、家単位ですら、当時は治外法権でした。
悪辣な主人に、虐げられた人たちは普通に存在しています。

近現代では、お上や家が解体した結果、代わりに企業という権力単位が出てきたのでこれもまた、恨みの対象になります。

要するに、困ったことに、怨霊とか呪いというのは、ある程度、呪う方に、正当性があるということに尽きます。

とは言え、ぶっちゃけ、呪う方もそういう目にあったのは、自分の因縁なのですが、まあ、そんなことで割り切れるのは、聖人君子だけです。

言うだけ無駄と言うか野暮な話でしょう。




【霊的環境汚染問題】



そして、この手の被害は人間社会である以上、まず根絶は不可能です。
こう言ってはなんですが、呪いは、人間社会で必ず発生する、淀みやエラーのような物です。

ハッキリ言ってしまえば、毎日トイレに出すあれです。
人間社会が存在すれば、こういう排泄物は必ず生じるのです。

当人たちに取ってみれば、汚物扱いとは何事かとお怒りになるでしょうが、正直、巨視的な観点から見れば、そのようになります。

現代の都市問題で言えば、ゴミ処理問題です。
都市が存在する以上、必ず大量のゴミは発生します。
発生する以上、なんとかこうにか、どうにかして、大量のゴミを処理しなくてはいけません。

これが、出来ないと、やがて、個人単位から、家単位から国単位まで、怨霊呪いというよりマイナスオーラが充満して、やがて、全体がクラッシュすることになります。

つまり、人間社会が存在する以上、歪みは生じ、恨みは生じ、呪いが生じます。
それが、国中に充満して、処理しきれなくなると、やがてクラッシュするのではないかということです。

ちなみに、これらは人為的な問題です。
しかし別なサイクルで、基本的に、国がクラッシュするのは周期的な物であり、人間の恣意とは別の、自然界のサイクルであると豊河は怪しんでいます。

※例えば、経済サイクルにおける太陽の黒点周期などは有名ですね。

どちらが正しいのかと言うと、普通に、両方だと思います。
要するに、自然界のサイクルという絶対的な物がまず存在し、人間界のこうした霊的ゴミ処理問題も、結局、そのサイクルの中での動向ということです。

どういうことかと言うと、「気」と言う観点から見ると、自然のサイクルで生老病死や春夏秋冬と言ったサイクルがあります。
突き詰めて言えば、陰陽という生死の循環です。

ぶっちゃけ、それに人間側が準じているだけではないかと。
人間は個人単位で見ると、自分の意思で動いているかのように見えます。
しかし、巨視的に見ると、なぜか一定のサイクルを持っています。

要するに、人間は、自分の意思で動いているかのようですが、結局は自然のサイクルで動いているロボットということでしょう。
これは、天地の星々や地磁気の五行の計算通りに、人間が影響されるということで、だからこそ、占術が当たる理由でしょう。

そうすると、人間は、人生とは、どこまで自分の思い通りになるのか?
人生を形成する行動は、結局、他からの誘導なのか?
それどころか、思考に至るまで、自分の意思は無いのか?
という問題に派生していきます。

これは、当然、諸法無我という、仏教の、基本の憲法がリンクして浮上してきます。





時空を超えてあなたは一体何度―― 
我々の前に立ちはだかってくるというのだ!! 
ノストラダムス ゴータマシッダールタ(釈迦)!!!
(MMRのノリで)





いや、ノリで書いてますけど、結構重要な問題ですよこれ。(いやマジで)。

と言うより、ノストラダムス懐かしいですね。
あ、豊河は女子高生AI宇宙人なので、直接には知らない世代なのですが(適当)



【霊的国防というロマンのある響き】


国(地球も)がクラッシュするかは、何時の日になるかはともかく、このレベルの問題は、すでに霊的国防レベルの話なので、プロにまかせて放置しておきましょう。

たぶん、どこかの機関のプロがなんとかしてくれます。

※まあ、なんとかできなかったから、先の敗戦や3.11があるのですが。

で、一族の祟りに話を戻しますが、この悪霊退治のゴーストバスターズ物というのは、近年の流行り物かと思いきや、
日本文学史では、極めて歴史が古いものです。

何しろ、先程も言ったように、古代から現代まで戦争や内乱や謀略や権力闘争は付き物(憑き物)です。

どこの国にもあるでしょうが、これらの政治要因から発生する怨霊を、日本は特に気にしています。
他の国だったら、祟りなんぞ気にしません。
敗者は極悪人として、貶すのが普通です。

※先の大戦の、枢軸国へのプロパガンダなどを見れば一目瞭然です。

しかし、日本では、敗者に対してずいぶんとヨイショが多いのです。
単純に、判官贔屓の心理だけでなく、為政者側が異常に気を使っています。

怨霊信仰は日本史において、誰もが知っている話ですが、しかし、なぜ日本においてこの怨霊信仰がメジャーになったのかは、一般には、ハッキリしません。

古くは、神話の時代の出雲の大国主、平安時代の菅原道真や平将門などなど・・・。
負け犬(って言うのも何ですが)に対して、異常なまでに朝廷の供養が上げられます。

日本は、朝廷にいる階級でも、昔から呪術信仰が大好きで、何かあると、すぐに坊主や陰陽師を呼んで祈祷させていました。

日本は色んな宗教を取り入れてきましたが、どうも、為政者にとって宗教とは信じる物ではなく、単に、ゴーストバスターズのもっと強いのを、導入したいくらいの感覚らしいのです。

要するに、信仰ではなく、お祓いのプロ、技術者としての役割を求めていたということです。
仏教が葬式仏教になってしまったのは、これが根底にあります。

では、なぜ、そんなにお祓いの力を求めていたのか?
我れが神国日本列島がそんなに邪神や悪霊が闊歩する闇の地だったのでしょうか?

※実は記紀には、普通に天津神が天下りする前は、そういう地だったとディスっているのですが。

例えば、政敵を葬り去った後でも、後腐れなくするために、供養する。
供養がダメなら祭り上げて、祟りを治める。

これは、一般には、要するに、後ろめたさの裏返しだと言われています。
自分たちが正義でないと思ってるからです。
思ってたら初めからザマアミロで終了です。

このロジックでも良さそうですが、後ろめたさを感じているのは、他の国の勝者も同じでしょう。
日本だけがという、理由にはなっていません。

宗教的に見れば、例えば、一神教では、神が絶対神なので、人間の悪霊如きは大したことはありません。
まあ、そりゃそうです。
宇宙を作ったような神ですから。

人間の悪霊如きなどで坊主は呼ばれません。
人間の霊じゃなくて悪魔とかそういうレベルでようやく呼ばれます。

日本の場合は、神仏が絶対的で無いために、たかが人間の悪霊如きが、大層な力を持つと信じられています。

菅原道真とか平将門とか、怨霊として都を壊滅させるとか騒いでいますが、こう言っちゃあなんですが、ただの人間如きの悪霊にそんな力があるはずはありません。
(そもそも、そんな力があったら政争に負けはしないでしょう)

ところが、日本では、たかが貴族の怨霊如きで、朝廷が大騒ぎです。
これは、神仏と、人間の霊如きをほとんど等価に見ているという証拠です。
つまり、信仰心が足りないのですね(笑。

しかも、たかが、人間の悪霊如きに、天変地異を起こす力などあるはずはないのですが、なぜそんなことを信じているのかと言うと、要するに、彼らは人間ごときの悪霊を、自然災害と同じものだと認識しているのです。

ここに、日本の怨霊信仰のカラクリがあります。

どういうことかと言うと、まず当たり前ですが、日本人はこの日本列島に住んでいます。

幸い、四方を海に囲まれた日本は、外敵がほとんど入ってこないという、ぬるい地政学的状況にありました。
(元寇以外。さらに、近代までは)

大陸から人海戦術の支那人が押し寄せてくることもなく、北方の蛮族の騎馬民族が襲ってくることもなかったのです。

対して、外国は違います。
基本、陸続きですから絶えず、外敵が襲ってきています。

しかし、そいつらが襲ってきても、ぶっちゃけ何とかなります。
国力を高めて、撃退すればいいのですから。

※それが出来なかったら滅ぶだけです。

要するに、外国の連中は、基本、「自力」でなんとか出来るのですね。
そして、これらを成し遂げている国や民族は、「自力」の観念を持ちます。

「自力」信仰ですね。
自分たちを害する敵を、自分たちの、人間の力で何とか出来ると。

さて、翻って我々、日本です。
もう、ここまでで半分、答えを書いているようなものですので、お気づきの人も多いでしょう。

で、キリがいいので、また次回に伸びます。

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