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その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。
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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
三十善に相当する
◯一人の非為人を勧化し行いを改めしむ。
さて、4つ目の理由です。
④因果応報の原則があるから神仏は動けない
困ったときの神頼み
困ったときの神頼みという言葉がある通り、我々は、電車でトイレに行きたい時などの緊急時に、これ以上ないほど、真摯に神に祈ります。
あのアメリカ人ですら、オー・マイ・ゴッドと言うのです。
しかし、そもそも、神仏や悪魔は、どういう原理で助けてくれるのでしょうか?
そもそもの、吉凶禍福の原理は、因果応報が基本です。
つまり、原因と結果の法則であり、善因善果、悪因悪果の法則です。
善人は報われ、悪人は裁かれる。
この単純な法則です。
輪廻の中で、この因果応報が貯蓄されると業(カルマ)と呼ばれ、次の転生の運命が決まる。
まあ、俗に言う、死後の世界が天国か地獄か。
厳密に言えば六道です。
つまり、前世の行為によって、現世の運命が決まっているわけです。
現世の吉凶禍福が、因果応報によって決まっているということは、俗に言う運命の正体がこれだということです。
そのため、運命改善、開運には、因果応報で相殺すれば良いという結論に達します。
最悪、現世で積んだ陰徳が応報として現出しなくても、来世に期待出来ます。
これが、普通の日本人が持っているインドから輸入した世界観、宇宙観です。
このカルマの思想は、色々と社会的に差別思想に繋がるので、問題があるのですが、大抵の日本人はこういう考えです。
神は貴方を愛しておられる。助けないけど。
さて、そんな因果応報の原理原則がある限り、神仏や悪魔としては、本来、人間の運命への干渉は、どうしようもないはずです。
神仏や悪魔の援助と因果応報の関係は、イマイチわからないのですが、
今のところの解釈としては、「因果応報の融資」、ではなかろうかと豊河は推測しています。
神職や坊主や霊能者などは、今の日本に雨後の筍の如く存在します。
当然、彼らの間にレベルの差はあるわけですが、相当なレベルの人間でも、彼らにしても全知全能というわけではなく、普通に依頼に失敗したり拒否ります。
そういう時に、彼らが口にするのは、「本人の徳が足りなかった」ということを良く口にするのです。
祈祷が応現がなかったのは、本人の積んでいる功徳が足りないのが原因だと。
自分たちの無能さを棚に上げてクライントのせいにするとかプロ意識の無い連中なのですが、もしこれが本当だとすると、神仏の存在価値はかなり低下します。
当たり前の話ですが、徳があったら不幸な目にあっていません。
不徳だからこそ、悪運を相殺できずに苦しんで助けを求めているわけです。
これがもっとはっきり出ているのは地獄で苦しんでいる人たちでしょう。
苦しむ衆生を救済するのが、神仏の存在価値と思いきや、彼らは徳が無いから助けない(キリッ)では、じゃあお前らの存在価値は一体何なんだ?とツッコミたくなります。
実際、神は何で地上で苦しむ人たちを助けないの?
という素朴な疑問は、誰しもが持つので、日本人のような従属性が高く、議論が嫌いな国ならともかく、海外ではこの手の議論は熱心です。
神学では弁神論などがありますし、議論の結果、無神論になる人も多いのです。
なお、日本人は無神論ではなくただの無関心(神)論です。
神がいないという積極的な議論の果ての思想ではありません。
神仏銀行論
ここらへんの話の結論だと、今のところは豊河は神仏は陰徳金融業者だと思っています。
無条件の愛を注ぐ存在ではありません。
もしくは、凄い慈悲深い存在だとしても、因果応報の法則とか個人の命運の方がシステムとして強くて、手が出せないということです。
そのため、出来ることは、初回だけサービスで個人の陰徳ポイントの福分無視で助けるとか、福分の前借り(金融)でモラトリアム期間をくれるで助けるという可能性です。
悪魔が死後の魂を元に願いを叶えるのと同じです。
どうも悪魔と同じで神仏も、人間と契約するようなのです。
聖書の神ヤハウェもイスラエル人と契約してました(今もしている?)。
日本でもあちこちの神仏体験で、契約というか誓いとかいうか神仏との約束を破ったら酷い目にあったという話はよく聞きます。
稲荷や聖天など、現世利益に良く効き目がある神様ほどそういう傾向があるようです。
このように神仏は融資契約をするのですが、見返りは陰徳です。
陰徳という神仏に助けられる要因(カルマ)があって初めて神仏は起動します。
③でも言ったように、神仏は、良い感情を餌にしているのですが、その良い感情は、陰徳のカルマが根源的な発生源です。
陰徳→助けられるカルマが発生する→良い感情が出る→それを餌として神仏まっしぐら→開運
こういうフローですね。
まあ、金融機関(銀行)と同じようなものだと思えば良いのです。
悪魔だとヤミ金ですね。
以前も神仏銀行論として、下記の記事を書きましたのでご一読下さい。(何だこのタイトル・・・)
さて、長々となぜ神仏は金を要求するのかという話をしてきましたが、一応今回で終了です。
無法者の教化と全然関係ないですね。
まあ、いいか!(適当
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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
三十善に相当する
◯一人の非為人を勧化し行いを改めしむ。
さて、3つめです。
③神仏と取引するための通貨。
後天的神
神仏が人間や生物と同じように、食物(人間の感情)を得るのであれば、当然、人間⇔神間、神⇔神間の、取引が生じます。
仏教(インド思想)では天人はお供えの香りを摂取すると言われています。
より高いレベルの生物の神仏だともはや、お供えは、食物の香りではなくて、抽象的な感情エネルギーになります。
当然、その感情の種類は、慈悲や感謝と言った善的な物から、悪意や憎悪と言った悪的な物があります。
まあ、単純に考えて前者を摂取する生き物が神仏で、後者を摂取する存在が悪魔です。
ちなみに、人間の感情とか食わんわ!という人類以前から存在している自然神なども当然いるでしょう。
ここで言われているのは、どちらかと言うと、人間が生まれてから作り出した、神や悪魔なのかも知れません。
人間は、呪術や式神や生霊などでも分かる通り、自分の気や感情を投射するスキルを持っています。
善い感情で作られたイメージは、独立しても善い感情をエネルギー源とする後天的に作られた神仏となり、逆は、悪い感情をエネルギー源とする悪魔となります。
死後の世界もこのように、人間の想念が作り出した世界があります。
思考は現実化するというキャッチコピーの通り、神々やあの世も後天的に、人間の想念が構築するのです。
取引先の選択
まあ、先天的か後天的かはともかく、世の中には、そういう得体の知れない輩がいて、我々人類の上位存在として存在しています。
ある意味、寄生しているとも言えますが、それは家畜に対する人間にも言えることです。
我々はそうした存在と取引をしているわけです。
その通貨は、神仏なら陰徳(などの善い感情)です。
悪魔ならマイナス感情です。
一応、このブログでは開運のために陰徳を勧めていて、取引先企業は神仏にしているわけです。
しかし、取引先の選択は当然皆様にあるのですから、強制は出来ません。
神仏はいけすかねえから、悪魔の方がいい!
という方もいらっしゃるでしょう。
ぶっちゃけ、やめといたほうがいいですよと豊河は思いますが、まあ本人の自由ですので・・・。
※なんか、死後に魂取られそうですし。
まあ、神にしても旧約聖書時代のヤハウェは、どう見ても、イスラエル人たちと、焼肉目当てで契約してます。
毎日焼肉持って来いと命令してますし。
当然、神仏と悪魔では、要求される感情エネルギーが違います。
悪魔に慈悲の感情を出しても、雄山ばりに拒否されるでしょうし、逆もまた然りです。
ゲット(される)だぜ!
さて、そんな取引先との契約ですが、別に契約方式にしなくても、対価が得られれば、勝手に手伝ってくれます。
例えば、皆さんだって、すんごい美形の異性がいれば、請われなくても勝手に、ちやほやするのと一緒です。
向こうからすれば、ヒャッハー!ご馳走だー!となるのです。
当然、利のある人間として勝手に保護してくれます。
ましてや、のこのこと自分のテリトリーに入ってきて参拝していれば尚更です。
レアなポケモンゲットだぜ!となるのです。
神仏から見た我々が。
ゲットされる立場にこちらがなるのです。
水は方円の器に随う
そんな感じですが、要するに、契約の対価として、人間側は神仏に出す通貨は、善い感情です。
この善い感情エネルギーですが、慈悲にしろ感謝にしろ、仁義礼智信にしろ、当たり前の話ですが、人間が出す物です。
ところが、人間は、体があり、さらに社会に存在しているため、感情含めた思考、つまり精神は、肉体や社会に依拠します。
要するに、肉体と社会によって、ころころ変わってしまうのです。
特に良い感情は、肉体と社会が安定していないと出しにく代物です。
プロに成ると、外界がどうあっても内面を平静化出来るスキルを持てるのですが、普通はそうはいきません。
韓非子にあるように、水は方円の器に随うのです。
ドアの外で借金取りがガンガン扉を蹴っているようでは、良い感情は出しにくいでしょう。
憎い相手がいる状態では、慈悲の感情は出しにくいのです。
電車でトイレに行きたい緊急事態では、神聖な気持ちは出ないのです。
思考と行動の矛盾
特に、善い感情は、この外界依拠の傾向が、別な意味で強いのです。
それは、善悪の行動をしていると、それに引っ張られるということです。
例えば、殺人をしているとしましょう。
人間は罪悪感や因果応報の思考が後天的に、インストールされているので、殺伐とした思考や後悔の念で満ちていれば、慈悲の感情は出しにくいのです。
行動で悪行をなしていて、思考で善いことを思うのは、矛盾となります。
懺悔でいくらかは緩和出来るでしょうが、現状進行形の悪行では、それにも限界があります。
認知不協和の原則で、人間の精神は矛盾を解消しようとします。
悪行を正当化してしまうか、善い思考が無駄なことだと正当化してしまう恐れが高いのです。
何せ行動の方が思考より、インパクトのある行為なのです。
これにより、善い感情が出せなくなるという結果に陥ります。
布施と戒律の存在意義
あらゆる修行体系の中で、戒律がなぜ、あるのかはこれが理由です。
仏教でも戒定慧と、戒・定・慧がトップに来ます。
集中した修行環境の構築のためでもありますが、精神的に悪い子としていると、善い感情や気が出せないという理由だからです。
さらに、在家用だと、出家よりも軽い戒律と同時に布施の指示も出るのです。
大乗仏教では、六波羅蜜と言って、戒・定・慧とは別のカテゴリ分けがあります。
布施・持戒 -「利他」
忍辱・精進 -「自利」
禅定・智慧 -「解脱」
の六種類ですが、やはり布施と戒律がトップに来るのです。
この二つは、陰徳で言えば、積善と改過です。
良いことをするのと悪いことをしないということで、陰徳を積むのと一緒です。
布施は実質的に、お金を払うのと一緒です。
お金じゃなくても、労力や時間などを投入します。
これらは、現代ではコストと言いますが、実質的にお金に換算出来るものです。
要するに、神仏がお金をご入用というのは、
「取引の通貨となる、善い感情を出すために、布施を含めた陰徳」
という意味なのです。
さて、4つ目ですが、また長いので次回へと続きます。
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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
三十善に相当する
◯一人の非為人を勧化し行いを改めしむ。
前回の神仏はなぜ金をとるのか?
の理由の続きです。
②信者ネットワーク間で金を融通する。
宗教と麻薬と闇金業
表の金融機関を経ない、地下経済は今でも世界各国に存在します。
といより、近代になるまでは、各業界やコミュニティの頼母子講が金融のメインです。
各ギルドや組織で、一定の保険料として徴収し、構成員に何があったら配分する。
ある意味、近代の資本主義は、この仕組と同じ、株式会社から始まりました。
宗教組織は、アヘン業が基本です。
精神的にアヘンを与えるのもあるし、実際にアヘン(薬物)を摂取していたのです。
薬物は洗脳や神秘体験を容易に生成出来るアイテムです。
神道で麻がメインなのはそれですし、密教でも護摩や錬丹術は薬物がメインです。
インド人の行者は今でも普通に大麻を吸っています。
メスカリンは、南米のインディアン御用達でしたが、欧米に伝わって、ヒトラーも愛用していたアイテムです。
まあ、そういうアヘン業と共に、重要なビジネスとしては闇金業があります。
宗教は古来から治外法権の場です。
おまけにマンパワーと金が集まりやすいのです。
理由は、神への奉仕や寄進です。
陰徳を積もうと考える輩が昔からいるため、宗教組織は、集客率が多ければ、金は集まるのです。
その中には、実力者などの太客(キャバクラ用語)もいるため、公共事業としての資本追加も期待出来ます。
日本でも昔から、歴代天皇や~氏やら、地方の戦国大名やらが、せっせと寄進したりしました。
信仰心は不動産や資本を呼ぶのです。
さて、そうした資本の集中は先程の頼母子講としての、闇金業に投入出来ます。
まあ、信者相手にはそこまであこぎな闇金はしないでしょうが、信者以外には別に遠慮する必要はありません。
普通に、農奴として取り立てするとか普通でした。
まあ、少なくとも信者内の、身内ネットワークでは頼母子講として、相互扶助する必要があるのです。
戦後の新興宗教ですら、この相互扶助が目的だったのですから当然と言えば当然です。
まあ、中にはひたすら信者から搾取する組織体もあったでしょうが、組織単位の戦闘が日常的にあった時代には、相互扶助としての機能が強かったのです。
科挙合格のための元気玉
信者同士のネットワークで仕事を融通したり、金融支援したりと、現在で言えば、在日ネットワークや、華僑ネットワークに近いものがあります。
例えば華僑ネットワークだったら、中国中の、広げては世界中の同じ「幇」のネットワークの中から、優秀な子を検索します。
見つかったら、その子を支援します。
貧乏人でも集まれば、ある程度の金になるのです。
その金で勉強させて、科挙に合格させます。
※陰徳の話でも科挙の話はよく出ていましたね。
科挙は、合格すれば底辺からでも一発逆転出来る夢の宝くじです。
中国の庶民と科挙合格者は、まさに天と地の違いがあります。
ソ連の庶民と共産党員くらいの、違いがあるのです。
中国人は今も昔も公金と私金の区別がつかない生き物です。
民草から税金を徴収すれば、中央に一定の額を届ければ、後は自分の物です。
清廉潔白な人間ですら、地方長官(今で言う知事)を三年勤めれば、三代まで続く莫大な富を手中に出来ました。
清廉潔白レベルですらこれです。
今でも、中共の汚職事件で、国家予算レベルの汚職が発覚することがありますが、日本人だと想像すら出来ないレベルの腐敗っぷりなのです。
そのため、そういう役職になれる科挙合格と言うのは、「幇」のネットワークからすれば目指すべき目標です。
一人科挙に受かれば、一族郎党とネットワークがぶら下がります。
株や宝くじと同じ投資なのです。
神社仏閣ネットワーク
さて、神仏もこれと同じです。
よく、神社仏閣で、縁結びという話があります。
今でこそ、単なる婚活女子の自分磨きとして機能しているのですが、本来は、上記の科挙のように、生存に関わる重大な話なのです。
※婚活女子の機能も生存に関わると言えばそうなのですが。
単純に、昔は、神社仏閣は、祭りの時期に、乱交場所として機能していたという古代以来の民俗学的機能もあります。
が、それ以外に、ネットワーク、金融機関のノード(NW機器)として機能していたのです。
それは、実際的に神社仏閣が仲介したいたのもあれば、見えない縁として仲介する場合もあります。
それこそ、縁結びなどが後者ですが。
例えば、産土神社などは、その管轄地域の縁を結んでくれるとよく言われます。
氏子は縁が繋がりやすいのでしょう。
大きな範囲では、東京や近隣県では、大國魂神社などが、旧武蔵国の産土神社です。
東京に住んでいる人間は、仕事や婚活の縁のネットワークとして、(神社に参拝した人間は)、縁を繋いでくれると言います。
この縁レベルも、要するに頼母子講と同じく、保険料の支払いのレベルだと言うことです。
東京に住んでても、神社に参拝しないならば、縁が無いので関係ありません。
頼母子講のネットワークとして、普段から参拝したり、頼母子講料金を払っている人間は、このネットワークに参加出来ます。
なぜ神が金をとるかの理由は、頼母子講の保険料徴収だということです。
管轄の信者の氏子ネットワークの相互扶助ということでしょう。
神仏が、基本的に自分の氏子以外に異常に冷たい理由というのはこれです。
ギルド制だった時代の産物なのです。
もっとぶっちゃけて言えば、地域のボスなのです。
地元の旧家や政治家やヤクザと同じようなものなのです。
神社仏閣やパワスポに参拝するというのは、要するに、地元の顔役に挨拶するという意味なのです。
さて、3つめの理由に行きましょう。
で、また長くなったので次行きましょう。
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【ギブミーマネー】
人のふり見て我がふり直せという言葉通り、
基本、他人にあまり干渉することなく、自分の向上を高めようというのが、古来からの教えです。
しかし、因果応報の原則は、自分の成功は陰徳が無ければ失敗することを教えています。
変な話ですが、俗世間の出世や事業などと一緒で、精神世界の修行も、陰徳がなければ成就出来ません。
地獄の沙汰も金次第という言葉がありますが、俗世間も出世間も、成功するには金(陰徳という通貨)が必要なのです。
全く、世界はせちがらいですね。
金(陰徳通貨)!
金(陰徳通貨)!!
金(陰徳通貨)!!!
と、金(陰徳通貨)が全ての世の中です。
所詮、全ては金(陰徳通貨)なのです。
唯物論、唯心論、唯識論と色々な世界を構成する唯一絶対の真理を表す論はあります。
ここに、豊河は新たに新説を追加したいのです。
唯金(陰徳通貨)論と。
※発音しにくいわ!
金こそ全てなのです。
金こそアルファにしてオメガなのです。
金しか見えない
金がいなければ我々はいないのです。
金こそ王なのです。
金こそ万軍の主なのです。
金こそ常勝不敗の将軍なのです。
つまり、金の将軍様にして主席なのです。
【免罪符】
無法者を教化する話が、なぜか世界の無法者国家の独裁者を賛美する方向に脱線してしまいましたが、
しかし、冗談抜きで、この、
「精神世界は、金(陰徳通貨)がいる」
「神仏は、金(陰徳通貨)をご入用とする」
というのは、結構、マジな話です。
精神世界が詐欺ビジネスで欲得まみれという社会的な意味ではありません。
目に見えない神仏は、どういうわけか、かなり金を要求するのです。
この話は、私は始め聞いた時、はじめ銭ゲバ坊主神職や霊能者のヨタ話かと思っていました。
しかし、その後、あちこち見聞きするうちに、どうもこの変な話は、本当らしいと思うようになりました。
なぜ神や仏が金がいるのか?
本来、そういうものを拒否する側では無いのか?
強欲宗教家のプロパガンダではないのか?
免罪符の否定こそが近代宗教の幕開けではないのか?
その理論背景はどうも、次の感じです。
【道場するなら金よこせ】
①単純に神仏が現界に影響を与える場の整備として金がいる。
要するに、神社仏閣がこの世にある以上、建築維持費として、どうしても予算がいります。
天から人間に語りかけるだけなら別に予算はいらないのですが、人が集まってくる神殿には金がいります。
修業の場としての道場の形成維持としても同様です。
神殿インフラがあるのと無いのでは宗教は集客率が段違いです。
伊勢神宮やメッカを見てみればこれがわかると思います。
例えば、ユダヤ人の悲願は今でも、イスラエルの約束の地に第三神殿を形成することです。
ちなみに、そこはイスラムにとっても聖地なので、岩のドームが立ってます。
もちろんユダヤにとっては邪魔以外の何者でもないので、いずれユダヤ人はここを破壊して神殿を立てることが目的です。
そうなったらもちろん、イスラムとユダヤのハルマゲドンになると言われています。
ほんと宗教キチガイって嫌ですね。
で、神仏はどうも食物連鎖で人間よりも上位の捕食者で、人間の感情を食っている生き物の可能性があります。
効率よく、餌を摂取するには、人間が下位の生物にやっているように、信者を範囲を区切って飼育することです。
神は我らの羊飼いというのは、比喩ではなく単純な事実なのです。
まあ、要するに、神殿を形成維持するために、どうしても金がいります。
神が取引として金を寄越せというのは、当然です。
で、二番目以降の理由ですが、
また長くなったので、次回に回します。
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【何様】
無法者を善導する、教化するというのは、よくよく考えてみると、凄い上から目線のてんこ盛りです。
一体、人様を善導とか何様のつもりでしょうか?
余計なお世話も甚だしいのです。
金八先生は、学校の先生という職業だからこそ、仕事で教化しているのです。
別に関係ない人生に干渉する必要は本来ありません。
しかし、陰徳ポイントに載っているため、本当はやりたくないのですが、仕方なく我々は無法者を教化しなくてはいけません。
陰徳道はシグルイなのです。
【イエスよりも上の力】
そんな無法者の教化ですが、当たり前の話ですが、彼らは他人の話など聞かないから無法者なのです。
他人の話を素直に聞くような人間だったら無法者とは言いません。
釈迦は天上天下唯我独尊と生まれた瞬間に唱えた、傲慢男ですが、家族も国家もぶっちして出家した無法者です。
父親も母親も妻も彼を説得しましたが、他人の言葉などアウトオブ眼中でした。
たまたま、その後に宗教業界で出世したので、多目に見られてますが、本来なら人の情を解さない無法者なのです。
聖人の釈迦ですらこの有様です。
ましてや普通の無法者だったら、もっと他人の話など聞かないでしょう。
前回も言いましたが、無法者を教化するには、教化する方にも、それなりの力が必要です。
あのイエスですら、あっさり殺されたのです。
イエス以上の力を身につける必要があります。
【徳力】
では、その力とはどういうものでしょう?
一言で力と言っても、様々な種類があります。
腕力や暴力、金力や権力、知力から、長州力まで、様々です。
あの非暴力主義の観音ですら、念彼観音力を持っているのです。
まあ、一般には信用される人格や善人オーラや真摯さなどが、あげられます。
時には、家族の自己犠牲のイベントで、以後、まともに更生するパターンもあるでしょう。
人の心を動かすには、人の心しか無いのです。
海原雄山先生も、そう言っています。
これは、陰徳道を歩んでいけば、勝手に徳の充実と共に、身についてきます。
徳のある者は孤ならずと孔子も言っています。
あえて言うなら徳力と言ったところでしょうか。
【げんじつ】
これらの正道的な人格力は、必要スキルの一つとして、さらに世俗的な力も必要です。
理由は簡単で、身も蓋もない現実として、別に人格などなくても、同様に教化出来るからです。
そもそも、衣食足りて礼節を知るという管子の言葉通り、
人間は豊かになれば必然的に争わないからです。
まあ、それでも闘う人はいるのですが、大抵の人は争わなくなります。
貧困で物資が足りないからこそ、争います。
途上国の犯罪率が高いのは単に貧しいからです。
寸土を争い寸利を奪う民度の国の人間が、豊かになると全く逆の民度の人間になります。
清貧などというのは、豊かな時代の妄言に過ぎません。
豊かさという力こそが、無法者を教化する大原則です。
要するに、通貨の力、言ってしまえば、金の力です。
そして、人の心を安心させるのは、不当な暴力に晒されない安全な環境です。
危険な場所ですと、心がすさみ、無法者が多くなります。
これを担保するには、国家の暴力機関である軍隊や警察などが、外敵や内敵を制圧できる力があることが前提となります。
これは、さきほどの通貨の力、金の力とリンクしています。
力と金があれば、賢い人間を雇えます。
そうすると、大衆を騙す策が使えます。
知識人は大衆を騙す洗脳が作れるからです。
歴史にしろ宗教にしろ、大衆を制御できる幻想を構築出来ます。
カースト制度などが、その成功例ですが、大抵はそこまで成功した洗脳は支配層も拘束してしますのですが・・・。
これらの世俗的な力は、ある程度、徳力とリンクしています。
陰徳は、徳力と同時に世俗的な力をも兼ねるからです。
元々、人間は地位の高い人間や金のある人間、力のある人間に従う傾向があります。
それを徳力と言ってもいいでしょう。
実際、世俗の力のある人間は、徳力の大事さを知っていますので、偽装できますし、両方兼ね備えている人間も多いのです。
結局、徳力も、世俗的な力も、陰徳から手に入れられます。
何だかんだ言っても、陰徳に話が戻るのです。
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新章突入!
グダグダ話してきた出家の項も終了し、無法者の項に入ります。
【無法者】
◯一人の非為人を勧化し行いを改めしむ。
新しい条項です。
無法者を教化しろだとかいう無茶振りミッションが、今回のテーマです。
そもそも、無法者というのは、無法を振る舞えるだけの力があるから、無法者なのです。
要するに周りの人間が、制御出来ない力を持っているからこそ無法者なのです。
そんな、輩を教化するには、ある程度の力がこちらには必要です。
金八先生が、不良を更生させられるのも、教師という学校内における権力者だからです。
そもそも、この人口爆発の時代に、改心させる必要があるのでしょうか?
ケンシロウも悟空も、その強大な戦闘力で悪党を成敗していますが、改心させた例は、ほとんどいません。
基本、駆除するほうが早いのです。
腐ったリンゴは早めに削除したほうが良いのです。
【無法者ランキング】
さて、そんな、無法者の教化です。
無法者と言っても、レベルや難易度があります。
RPGや異世界転生の冒険者ギルドで討伐対象になるモンスターと同じで、無法者にもランキングがあるのです。
駄菓子屋で万引きをする悪ガキから、独裁国家の独裁者まで、討伐対象に難易度のレベルがあります。
つまり、教化するのにも、攻略に必要なレベルが必要なのです。
冒険者ギルドでは、レベルが低い冒険者(陰徳者)が、高レベルのモンスター(無法者)の討伐依頼は受けられません。
高ランクの無法者を討伐するには、こちらのレベルを上げれば良いのです。
レベルMAXのステータスがカンストした冒険者が、スライムに楽勝に勝てるのと一緒です。
こちらのレベルを、ひたすらあげていけば良いのです。
【再配分】
しかし、困ったことに、そもそも論として、人間は同じものが集まる原理があります。
無法者は無法者で固まり、まともな人間はまともな人間で固まるのです。
陰徳をあげていけば、いつのまにか周りは陰徳に満ちた人間だけの環境に変わっていきます。
そうすると、ますます無法者と陰徳者の陰徳格差が広がり、別々の世界の住人になってしまいます。
これが死後になるともっと極端で、善人は天界に行き、悪人は地獄に堕ちるので、もうマジで別の世界です。
そうすると、ますます無法者が善人にあわずに教化されなくなります。
金持ちと貧乏人の格差が無くならないように、善人と無法者の格差は縮まらないのです。
そこで、再分配の必要性が生じてきます。
富を何らかの形で下に放流しないと、全体が貧しくなります。
陰徳の教えも何らかの形で下に放流する必要があります。
陰徳は富の素なのです。
食べ物をあげてもその場限りですが、釣りの仕方を教えれば一生物という考えと同じです。
格差の対策の再配分になると共に、無法者の教化という一石二鳥の方法となるのです。
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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。
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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
三十善に相当する
◯一人の受戒弟子を度す。
14回もダラダラ続いてきた、出家回も今日で終了です。
というより、功過格が76回目って一体全体、何なんですかね?
100条項終わるまでに、どのくらいかかるのやら・・・。
まあ、いいか!(思考放棄)
【何の因果かマッポの手下】
出家というのは、要するに神仏に仕える職業、つまり宗教のプロを作ることです。
世間には様々な職業があり、それでお金を貰っている人をプロと言います。
出家はこの宗教のプロに該当します。
つまり、出家者や神職は、サービス業としてお金を貰っているサービス業者なのです。
しかし、どんな職業でもそうですが、お上に逆らえば全ての職業は成立出来ません。
許認可が無ければ、商業活動は出来ないのです。
共産国家を見ればわかるとおり、所詮、公権力の暴力で宗教活動は停止出来るのです。
要するに、国家にとって宗教活動は、問題ない商業だと考えられているということです。
それどころか、役に立つと考えられているのです。
では、宗教は国家にとってどんな公共的な役割があるのでしょうか?
【ルール】
大局的に見れば、宗教の公共的な役割は、マネーロンダリングや票田と言った、実務的な役割以上に、人心掌握ツールと言った役割が一番のメインです。
人間は権力で動かせます。
具体的には金や法(暴力)で動かせます。
しかし、金や法だけですと、そのコストは莫大な物になります。
人間の歴史は色々な社会統治の歴史です。
色々な政治形態を実験していますが、金や法だけだと、どうしてもガチガチの支配体制になってしまいます。
これは、秦の始皇帝の法家の統治や、共産主義を見てみれば一目瞭然でしょう。
大衆を統治するのに、金や法だけだと、人心は従わないし、それを抑えるために莫大なコストがかかって結局、自由がない管理社会になってしまうのです。
管理社会は資本主義が機能しないため、最終的には国が消滅してしまいます。
チベットのように、外界から隔離された環境なら可能なのですが、大抵の国家は外国と面していますので、大衆の管理に高コストをかけている国家は、長続き出来ないのです。
大衆の管理コストを低減するための、管理ツールが、宗教です。
前回までに、王権神授説の話をちょろっとしましたが、大抵の国家がその方式をとっているのは、この理由があります。
何しろ、本来、獣に等しい人間という欠陥種を治めるのです。
人を治めるというのは、実は相当難易度の高い技術なのです。
日本の戦国時代を見てもわかるとおり、この狭い日本ですらあの有様です。
世界に至っては、21世紀に至ってもまだ、統一政府など出来ていません。
現在進行形で戦争という殺し合いのパレードの真っ最中です。
聖書を見ても、絶対神ヤハウェという超絶権力者が直接、人々の前に臨場しても、エジプト脱出から約束の地に至るまで、さんざん統治に苦労しています。
三人よれば派閥が出来るのが人間です。
10人の善人がいて仲良くやっていても一人の邪悪な人間がいれば、不和で目茶苦茶になるのが人間です。
万人の集団などもはや制御不能なのです。
ところが、それを可能にするのが宗教です。
王権の権力だけでは、不可能な自主的な倫理遵守を大衆に守らせ、悪政をしても試練だと従属し、おまけに身分制度まで耐え忍んでくれるのです。
殺すな、盗むな、嘘をつくな。
これは、統治者がさんざん大衆にやっていることです。
反乱者や戦争があれば殺すし、税金や戦時徴収で盗み、さまざまな嘘をつかなければ統治はやっていけません。
しかし、支配者側はやってもいいが、大衆がやってもらっては困ります。
大衆が殺し、盗み、嘘をしまくったら統治もへったくれもありません。
お上にその対象が向けられても困るし、何より、円満な市場取引という前提が崩れます。
【無くなる職業】
市場の場で常に殺し合いや盗みや嘘がまかり通ったら資本主義は上手く行きません。
例えば、工場で製品を作ってもそれが市場に届く前に、野盗に略奪されるような国に、資本主義は根付きません。
盗みや嘘も同様です。
契約が守られない社会は、資本主義の信用ルールがうまくいかないのです。
大抵、こういう国は通貨の信用自体が無いのです。
要するに「信用」というシステムが機能していないのです。
この信用という概念は、国の根幹です。
上記した通貨や取引や契約が代表的ですが、これが無いと、国は成り立ちません。
そして、倫理項目はこの信用の構成要件です。
殺さない、盗まない、嘘をつかない。
宗教はこの倫理を管理コスト無しに自発的に機能させる洗脳ツールです。
洗脳されている本人は、神様の罰が怖いからとか、死後地獄に行きたくないとか、陰徳が減るからとか、洗脳された脳で勝手に倫理を守ってくれるのです。
聖書は、神を羊飼いに喩えます。
要するに人間は、大衆は羊なのです。
家畜の中でも最も馬鹿な家畜の羊が、神と権力者と宗教から見た大衆なのです。
この、大衆の調教ツールの宗教のプロが、出家・神職者です。
基本、どんな宗教も必然的にお上に逆らわないようなシステムになっています。
※でなければ、とっくにお上から弾圧されて潰されています。
神仏を拝めば、そのままお上を拝むように設計されているのです。
戦乱の時代があって国家が分裂していても、統一されればまた元通りお上を拝む機能は復活します。
宗教以外のコミュニティは戦乱などであっけなく滅んでしまいます。
権力も金持ちも、数代で滅んでしまうのが歴史の教訓です。
しかし、宗教は何十代も持ちます。
ローマ法王も寺社の座主も、何十代も持っています。
戦乱で表の権力が転覆しようと、裏の宗教権力は残ってしまうのです。
中国の歴代政府が何回も儒教を弾圧しましたが、未だにしぶとく生き残っています。
いずれ情報通信と電脳化で完全な管理社会が出来るまで、宗教はその公共的役割から、滅びることは無いでしょう。
その意味では、あと数世紀は宗教の需要が無くなることはありません。
IT化で無くなる職業は星の数ほどありますが、その中でも長持ちする方だと言えるでしょう。
さて、14回続いた出家の項も、終わりです。
次回から新条項に入ります。
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なお、皆さんの記事の感想大募集です。
陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。
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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
三十善に相当する
◯一人の受戒弟子を度す。
前回からの続きです。
【神に代わって仕置仕る】
しかし、この預言者。
実は宗教業界だけではありません。
あらゆる業界にいるのです。
一般に、宗教業界以外は、これを「天命」や「使命」と呼んでいます。
一般に、人は成り上がりに成功して、富や権力を握ると、次に求めるのは名誉です。
慈善や芸術新興に従事したり、名家の嫁を貰いたがるのはこのためです。
後ろ暗い背景がある成り上がりほど、これに執着したがります。
権力闘争に勝つには、綺麗事では済みません。
あらゆる後ろ暗いごとが必要になります。
これが一番、わかりやすく出るのは戦争です。
戦争中も、相手を貶め、戦後は戦勝国として、自分たちは正義だと宣伝しなければいけません。
敗戦国の我々日本人は、その例を良く知っています。
要するに大義名分ですが、この大義名分。
実は、結構簡単に作れてしまいます。
理由は、地位が高くなると、配下の人数が多くなるからです。
国家ともなれば、億単位の人口です。
ここまで数が多くなれば、複雑な利害関係の組織がありますので、必ず何らかの正義が存在するのです。
あの大日本帝国だって、白人からのアジア開放という大義名分があったのです。
要するに理屈は何にでもつけられるのです。
そして、この大義名分を保証してくれるのが、宗教です。
神様仏様が、自分の正義を保証してくれるならば、大義名分としては十分です。
そのため、王権神授思想は、あらゆる国家の基本です。
神から地上の統治を認められるというのは、およそ全ての国に存在します。
西洋でも東洋でもこれは変わりません。
神に代理を委任され地上を統治し、まつろわぬ民を、天に代わっておしおきするのです。
中国の皇帝が天子と自認し、日本の皇帝が天皇と自認するのはこのためです。
【天命を受ける者】
この王権神授説は、国家だけではありません。
国家未満のあらゆる権力者にも、共通の心理です。
上は大名から下は中小企業の社長まで全てです。
権力を上位から保証されるというのは、権力基盤の基本中の基本です。
戦国大名が、朝廷や幕府に賄賂を送って、官位を貰ってたのはこれが理由です。
人間は権威に弱いのです。
しかし、誰でも、権力からお墨付きを貰えるわけではありません。
それどころか、権威に反逆しなけれればいけないマイナー権力者もいます。
彼らは、現世の上位の権力から、お墨付きを貰えません。
その場合は、彼らは実際の現世の権力をすっとばして、宗教権威からお墨付きを貰う方向に向かいます。
※外国から権威を貰う場合もあります。卑弥呼とかがそうです。
信長が第六天魔王とか言ったりするのがそれです。
また、道教事件の時に、八幡神から託宣を貰った日本史は有名です。
権威は上から貰います。
上はお上であり、さらにその上は神ですので、最終的に神(宗教権力)から貰えれば大義名分は立つのです。
が、こうした実際的な権威の話ではなく、中には神話の英雄よろしく、神から直にお告げを預言される者もいます。
大義名分でしたら吹聴する必要がありますが、人には言わないで自分だけの信仰とする者たちです。
直に預言を貰わなくても歴史上の偉人に自分を擬えたり勝手に天命を自称する人たちが少なからずいるのです。
そんな彼らが使う言葉は、「天命」です。
「天に使われている」という言葉もよく使います。
これは、人間の心理の補償作用です。
どういう事かというと、要するに、上に立つ者と言うのは孤独なのです。
下っ端は、上から言われた通りに動いていれば良いのです。
自分で判断する必要はありません。
責任は上に押し付けることが可能です。
しかし、上に立つ者はそうは行きません。
身分制が確立した社会ならば、あまりそうした心配は無いのですが、
流動的な時代、戦乱の時代や現代のような資本主義社会ではそうは行きません。
諸行無常の法則により、常に未来は不透明です。
時間は螺旋状の同じような歴史を辿ると嘯いても、その螺旋は生と死、繁栄と崩壊の螺旋です。
社会から個人まで、必ず、栄枯盛衰があるのです。
個人の未来だけでも不安なのに、上に立つものはさらに多くの配下の面倒を見なければいけません。
経営者なら、毎月毎月、綱渡りで従業員の給料を払わなくてはいけないのです。
多くの、社長は騙されて社長になってしまいます。
しかし、待っているのは、弱肉強食の市場と、繰り返される資金繰り地獄です。
少しでも途絶えれば、今まで面倒見てきた社員が、被害者ヅラして取り立て人になるのです。
※夜逃げする社長も多いのですが。
経営者程度でこのストレスですが、さらに命がかかる領主や国主、軍人などはさらにストレス値が倍プッシュです。
何しろ、敵を殺さなくてはいけません。
基本、人間の道徳は殺人、盗み、騙しを否定します。
しかし、戦時にはこの道徳は全てひっくり返ります。
自分たちの範囲を守るために、敵を殺し、盗み、騙さなければいけないのです。
内部の熾烈な権力闘争も同様です。
罪のない人間を手にかけなくてはいけないこともしばしばです。
そんな彼らが、上位の神の精神的後ろ盾を得ようと思うのは必然です。
古代からの為政者が、陰陽道などの暦の日取りや方位を気にしていたことは歴史の教科書に載っています。
合理的な戦国大名すらも、兵法というカテゴリの中で、気にしていたのです。
現代人から見ると、はぁ?という迷信ですが、現代でもこの心理は実は変わりません。
平安当時の、膨大な責任を追う立場の人間は、暦という天の運行から来る吉凶に従うことで、天命に従うという認識だったのです。
平凡な民草と違って、それが天命を受けた貴人の義務だと考えていたのです。
彼らは、宗教業界人とは別の意味で、天から命を受けた預言者なのです。
それは、今でも変わりません。
あらゆる業界の為政者は、預言者なのです。
【選ばれし者】
今でこそ、宗教的な恩恵というか教義が万人向きになりましたが、昔は宗教は一部の権力者だけのものでした。
王権神授説もそうですが、要するに、天から選ばれた人間にのみ神は言葉を下したのです。
仏陀以前のインドも、イエス以前の中東も、神は民族単位の上流階級のための宗教だったのです。
天から命を下されるのは、天に近い場所にいる人間だけです。
人の上に立つ権力者だけだったのです。
あとは物理的に高い場所、山の上にいれば天からの命は降りやすかったのです。
モーゼもシナイ山の上に登って十戒を受取り、イエスは山上の垂訓を述べました。
神社も仏閣も山の上に建立します。
※単に山の上だと空気が薄いので変性意識状態になりやすいという唯物的な理由もありますが。
この天命を受けた人間は万人から天に選ばれた人間です。
前世含めて彼らには資格があると認められた人間です。
しかし、資格があっても不祥事によって失脚するのもまた人間です。
毎年のように資格持ちの人間のスキャンダルがニュースを賑わせます。
資格を得て合格した後も、定期的に、天の人事考課があるのです。
毎回紹介する菜根譚の天の賊という箇所には、
天、一人を賢にして、以て衆人の愚を誨んとす。
而るに世は反りて長ずる所を逞しくして、以て人の短を形わす。
天、一人を富ましめて、以て衆人の因を済わん。
而して世は反りて有する所を挟みて、以て人の貧を凌る。
真に天の戮民なるかな。
とあります。
意味は、
世の中には星の数ほどの人が存在する。
その中から天は、一人を選び、賢人や富者にした。
その理由は、衆人の愚を救い、貧を救うためにその力を与えたのである。
しかし、いざ賢や富を与えると、彼らはその使命を忘れ、衆人を侮り、搾取する存在に成り果てた。
これこそが天の賊というものである。
というものです。
毎年、合格者は天に選ばれて世に出ます。
しかし、天命を忘れ、陰徳を積むことを知らないため、資格没収されてしまうのです。
陰徳のポイントスタンプは十個集まると一品無料!のように、ある程度貯まると、資格ゲットし、
マイナスポイントが貯まると、資格喪失となります。
結局、陰徳をひたすら貯めることが世渡りの最上の方法なのです。
これが本当のライフハックです。
ちなみに、私の感覚で恐縮ですが、意外と、天は、かなり性善説的に、人に資格を与えてくれるっぽい存在です。
なんとかこうにかして、地上の人間を助けようとしているようなのです。
その意味では、万能ではなく、全知全能では無いっぽいですが、まあ神仏なので、人間の善性の塊のような生き物です。
あと、全体的に見て、地上の「人手不足」と言ったイメージです。
天命を受けると言えば聞こえはいいですが、神仏の手下です。神の下僕です。
前回、スパイダーマンの話をしましたが、怪人は悪の秘密組織の手下でした。
天命を受けた者は、天の手下です。
それが、天の人手不足状態っぽいです。
理由は、単に、今の人間の陰徳不足でしょう。
このブログの読者様はあまり関係ないですが、一般には陰徳なんてあまり知られていません。
ただでさえ、現代人はその高度な文明で、安楽を得ており、昔の人間よりも福徳ゲージを急速に消耗しています。
水一つ取ってみても、昔の王侯貴族並の生活をしています。
天から見て、人々の陰徳不足なので、天が使える人間がいないということでしょう。
ちなみに、その人間を天の使い、天使と言います。
この天使の数が少ないと、世は乱れます。
要するに、皆さんには、陰徳を積んで、天使となって貰いたいのです。
このブログはその意味では、天使養成所なのです。
前回のスパイダーマンはイメージが悪かったですが、これなら問題ありません。
さあ、皆さん、天使になって下さい。
ちなみに、豊河は遠慮しておきます。
理由は、何か、ブラックそうだからです。
世の中には、工作員養成所や声優養成所のようなブラックな養成所はいっぱいありますが、
もしかしたら、天使はさらに輪をかけてブラックかも知れません。
聖書の天使たる預言者はブラックなことは前回書きました。
預言者じゃない普通の天使も、聖書に出てくる連中は、大抵、神様からの命令で大量殺人鬼としての仕事しかしていません。
ナチスの親衛隊レベルで、上下下達の殺戮部隊っぽい感じですし・・・。
よく、キリスト教原理主義者は、悪魔や悪魔崇拝者達が、世界を破滅するとか言っていますが、
聖書を素直に読む限り、黙示録とか含めて、世界を破滅させたり人間を大量殺戮しているのってどう見ても神様の手下の天使っぽいのですが・・・。
まあ、豊河は遠慮しておきますが、皆さんはぜひ、天使を目指して下さい。
八正道にもある通り、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定の正しい行いが全てです。
特に、天使になるという正しい熱意、正念が一番大事です。
聖書に出てくるような残酷な天使のように、正念で神話になって下さい。