2017年5月15日月曜日

【陰隲録】功過格表71 新世界の神もルールを作るのは神だって言ってたし 三十善 出家神職帰依させよう⑨







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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)

なお、皆さんの記事の感想大募集です。
陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
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その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら




功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

三十善に相当する

一人の受戒弟子を度す。





【通じ合うそんな仲に】


まあ、あまり後ろ向きなことを言っててもなんですので、前向きな話をすると、
一人の受戒弟子を度す。
というのは、普通に良いことです。
前半の受戒は戒律を受けることですが、授戒として戒律を渡すことは、道徳としても社会的秩序としても良いことです。

フロイトの超自我ではありませんが、人間は社会的環境の動物ですので、個人単位の道徳が無いと、環境にあっさり適応してしまいます。
以前も、東洋的な無我が、非個人的な集団主義だという批判があることをお話しました。

その時に環境に抵抗出来うる確たる自我を持てるか否か?

一切の社会的縁が敵になった裸の自我がどこまで強靭に出来るか?
これは、禅の考えですが、ここには、宗教という物の重要なテーマがあります。

一般に、宗教が脱自我を唱える以上、次の危険性がります。
即ち、それは結局、より大きな自我に組み込まれる没自我のロボットなのではないか?という。

この危険性は、特定の宗教でなくても、我々のような陰徳の士は、絶えず持つべきです。
そうでなくても、因果応報は差別思想や自己責任思想、虚無思想になりやすいのです。

西洋的な自我の確立は、極めて大事なのです。
そして禅という一見、非自我思想は、西洋的な自我の確立と通じ合います。


【舟板一枚下は地獄】


戒律は、この自我があやふやになる宗教の世界における自我を保つ重し(アンカー)です。
集合無意識は一般に海に喩えられますが、その海の中では、あっけなく自我は雲散霧消してしまいます。

数千年、数万年、数億年、そして天文学的単位の集合意識の生命の意識の海の中では個人など、文字通り大海の一滴に過ぎません。

なぜ、あらゆる宗教で戒律が初めにあるのか?
単純に、宗教コミュニティの集団生活の中での規則なだけではありません。
段階が進んで、その宗教の「密教」レベルまで来ると、莫大な集合無意識の海の中で、重しと羅針盤代わりになるからです。

この「密教」の段階では、その宗教の技法による、強度の変性意識状態に入り、集合無意識の海に投げ込まれます。
その時に、戒律と言う自我の絶対的な座標軸が無いと、自我が消滅してしまうのです。

キ◯ガイと霊能力者は紙一重だと以前指摘しました。
各宗教の密教はこのキ◯ガイを後天的に生成することです。
危なくないわけがありません。
密教が秘密の教えなのは、単純に危険だからです。
※現実的な話をすると、単に新しい神憑りが出てきて分派しちゃうという身も蓋もない事情がありますが。

ヨガでもクンダリーニの暴走だとか、気功の偏差だとか、禅の禅病だとかは、全部この類です。
大抵、これに薬物や宗教組織特有の現人神システムがからみます。
そうすると、本物カルトの出来上がりです。

本物とわざわざつけたのは、金儲けだけが目的の似非カルトとは違うからです。
トップも信者も普通に集合無意識に飲み込まれてマジモンのキ◯ガイになっている例です。
我々は、この例をナチスやオウムの例で知っています。

偽物は所詮、金儲けが目的ですが、本物はマジモンのキ◯ガイなので、マジでヤバイことをするのです。

いつの世も、真面目な善人のキ◯ガイが、一番ヤバイことをやります。
大真面目に魔女狩りしたり、有色人種を奴隷にしたり、劣等人種を絶滅したり、サリンを撒いたりするのです。

これを防ぐには、戒律を守って個人の自我を保つか、指導者に誘導してもらうしかありません。
例えばチベット密教がラマ(師僧)教と呼ばれていたのは、密教がヤバイから戒律だけでなく師僧の誘導が必要だからです。

普通の宗教の密教だったら、戒律だけでいいのですが(師僧も普通つきますが)、特にチベット密教はヤバイ密教(わざと破戒して変性意識を生成する)なので、戒律だけだと、自我を保てないからです。


【愛の無智】


まあ、そういうわけで宗教には、戒律というものが非常に重要なのです。
別に密教(仏教じゃなくても各宗教の密教)まで行かないという人でも重要です。

実は密教でなくても普通に生きているだけでも条件が合えばこの集合無意識の海に飲み込まれてしまいます。

例えば、いつも言っているとおり、開運の現世利益が叶わない問題です。

皆さんと違って、生まれつき霊的にステージが低く(差別発言)、守護の守りが薄い人は、特に陰徳とか戒律とか無くても、別の方法(努力とか自己啓発とか)で開運してしまいます。
しかし、倫理的な縛りが意識に無いまま、偉くなる(力を持ってしまう)と極めてヤバイのです。

まあ、ここらへんはいつも言っていますが、何回言っても足りないのでまた言いますが、未成熟な倫理観のまま、力を持ってしまうと自分も社会もみんな迷惑を被るのです。
猿に核兵器のボタンを渡すのと一緒です。

恐らくこのブログに来るような人は、易経の類友の法則(類は友を呼ぶ)で、それなりに守護が厚い人たちです。
そういう人たちは、なぜか、今までの人生で開運出来ません。

理由は守護が厚いからです。
他の守護が薄い人たちは、努力したりすればすぐに開運出来ますが、結局、偉くなって集合無意識の飲み込まれて暴走した自業自得で、今までよりも下に叩きつけられます。
※ナチスのヒトラーなんかがいい例です。

皆さんの守護霊や守護神は、前世の功徳かなんかで、一生懸命、皆さんのことを守ってくれているのです。

すなわち、「こいつは絶対出世させてやらない」と。

絶対、健康にはさせん!良縁を結ばせてやらん!幸せにしてやるものか!と、善意百パーセントで貴方を血の涙を流しながらリンチしてくれているのです。

要するに、開運するのは開運後に得る力の資格が足りないということです。
ぶっちゃけ未熟で倫理が足りない。
道徳が足りない。
力を得た時に、こいつは暴走するんだろうなと守護の方たちがOKを出さないのです。

教習所であちこちにぶつかるような人は車の免許が出ません。
それと同じことです。

本来なら、こんな教習所は不要なのです。
適当にマニュアルを渡されて、車を買って公道にGO!なのです。
貴方が教習所なんていらねえ!俺は自由に生きるんだ!
とわめいても、貴方がなにか、前世で善いことをしてしまったため、逃げられないのです。

つまり「前世の功徳」で、教習所でOKが出るまで開運出来ないのです。

要するに自業自得なのです。
恨むなら前世の貴方を恨んでください。
善いことをしてしまったら、その因果は受けなければいけません。
天網恢恢疎にして漏らさず。
己の為したその善業は己が償うのです。

これを償うには、こいつは力を持っても暴走しないなと守護が判断するまで、陰徳を積むことです。
左脇からひたすらえぐりこむように積むのです。
ひたすらえぐりこむように積むべし積むべし
真っ白に燃え尽きるまで積むのです。







【平成のガンジー(鑑真)】


ちなみに、このブログそのものが、この授戒の役目を担っています。
現代は、すでに寺や教会の権威が落ちてますので、戒律を貰う時代ではありません。
※厳密には今でも権威はあるけど、普及度が低い。
代用として、戒律を授ける機能を持った代理店が必要なのです。

鎌倉時代という末世に、真言律宗の叡尊が戒律を復活させて授戒したのと同じです。
授戒する機能を持つシステムが無ければ、一部の天才しか出ることは出来ないのです。

釈迦や空海は、戒律を貰わないで、勝手に、私度僧として修行して成功してしまいましたが、こういう天才しか出ないシステムは問題です。
万人か享受できるシステムこそ衆生救済でしょう。
※逆に天才が産まれるにはそれ(全体ぬるま湯環境)ではダメという意見もありますが。

しかも今の時代は、宗教情報や各宗教の密教情報が氾濫しています。
オウムのような事件も起きてしまいました。
密教的知識が簡単に手に入るのです。
西洋魔術だろうが仙道だろうが簡単にゲット出来ます。

普通にこの瞬間にも日本中で万単位で、集合無意識の海に飲まれてキ◯ガイになってしまった未来のオウム予備軍がいることでしょう。

果てしない自虐と果てしない傲慢。
自分が常識の境界を隔たること三千マイルの境地の頂きに立ってしまっていることでしょう。
自分が神であると、救世主であると聖なる存在との一体感と共に、現人神の精神構造になってしまっているのです。

このブログはそんな人達を救うためにも存在の価値があるのです。

なお、勝手に、僧でも神職でも無いのに、授戒していいのかとか、そもそも支那人の陰騭録の功過格表を日本人に授戒していいのかとかというツッコミがあります。
※誰も言っていませんが。

いいのです。

まったくもって大丈夫です。

そもそも、師僧の系譜やら伝授がないとダメというのは、後世のシステムです。
上記したように、師僧が居たほうが安全だからという理由が師僧伝授の理由です。

そもそも、授戒を遡って見てみれば、釈迦は別に、誰からも授戒なんぞ伝授されてません。

仏教なら釈迦とその手下共が、勝手に戒律を作ったのです。
旧約聖書なら、モーセ(殺人の前科がある犯罪逃亡者)と神が勝手に十戒やその他の細々としたのを作っています。
イエス(中年の土方)に至っては、これまた勝手にせっかく神様が作った戒律をドブに捨てて、新しく勝手に戒律を作っています。

要するに勝手に作った者勝ちなのです。
今の日本国憲法だって、GHQという米帝の侵略者共が、勝手に作って押し付けた物です。
その前の大日本帝国憲法も、薩長の田舎侍のテロリスト共がこれまた勝手に作った物です。
その前の十七条の憲法だって、聖徳太子(子孫絶滅した不徳の負け犬)が勝手に作ったものです。

みんな勝手に戒律を作っています。
気にしてはいけません。

まあ、そもそも陰騭録も功過格も豊河が作ったものでなく袁了凡の爺さん(今気づきましたが爺さんですね)が勝手に作ったものです。
著作権は切れてるので、勝手に豊河が皆さんに、授戒していいのです。

まあ、別に授戒が今でも一般的で普通に機能している時代や環境だったら別に、豊河なんぞ不要なのです。
が、今は全く(一般レベルで)機能していません。
幸いにして日本人の高い民度でなんとかなっていますが、所詮、それは社会的な民度で、個人レベルの道徳の超自我ではありません。

カントの時代には、天上の星空と共に胸の中に道徳律があったのでしょうが、今はありません。
簡単に社会環境が変われば、倫理など消し飛ぶし、上記したように開運して力を手に入れれば暴走するでしょう。

豊河のような存在の授戒でも無いよりはマシなのです。
別に好きでやっているわけではありませんが、友達がぁ勝手にぃミスコンに応募してしまったのでぇ(ノリノリな女子大生の如く)仕方なくやっているのです。

社会で誰もやっていないので仕方がありません。
私が勝手に授戒するという越法罪を背負いましょう。
私一人が地獄に行くことで、衆生が救われるのなら、喜んで地獄に行きましょう。


言わば、人類の罪を背負って十字架を背負って、ゴルゴダの丘に登る救世主の如くにです。
このふざけた時代の荒野に現れたタフボーイの救世主です。
時は正に世紀末(17年前に過ぎてますけど)。
淀んだネットの街角で僕らは皆さんと出会ったのです。

イエスが混迷のユダヤ人に新たな戒律を授けたように
釈迦がバラモン僧の支配に変わる新たな戒律を授けたように
鑑真が日本に戒律を持ち込んだように
豊河がこの穢土の穢れたバビロンに、新しい法を授けるのです。

そう、
我こそは救世主。
我こそは神。
我こそはこの黄泉の国に降り立った現人神。
我こそは常住不変の在りて在る者。

我が名を称えよ
我が 
栄光に満ちた 
並ぶ者無き 
我が名を称えよ




世界は豊河の授戒によって救世された。
しかし、その代償は大きかった・・・。
集合無意識に飲み込まれた豊河。
神は最後の力を振り絞ってこの魔神を封印し異世界に転生させたのだった。

限りない自我のインフレーションの力の前に、人は自我(I)を保てるのか?
神と獣の間で人は何を思うのか?

次回!
「異世界の中心でアイ(I)を叫んだけものフレンズ」
すごーい!君は異世界に転生した集合無意識に飲み込まれたフレンズなんだね!

※番組のタイトルは豊河の気分次第で適当に変わることがあります。


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