2017年3月26日日曜日

【陰隲録】功過格表㉞ 現人仏の国 五十善 野ざらし死体を埋めよう⑦





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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

五十善に相当する

一の主なき骸を埋む



仏教の、ネクロフィリア(屍体愛好)っぷりは前回やりましたが、さらなる境地へ攻めてみましょう。
※攻める必要があるのか?



プロジェクトX


エジプトのミイラや中国のキョンシー、南米のゾンビを始め、死体の復活は、人類の夢です。

逆に言えば、それほど死と生は不可逆的な物なのです。
この、難題に対して、人類は挑戦し続けて来ました。
プロジェクトX〜挑戦者たち〜なのです。

まあ、それで出来た物が上記のろくでもない存在なのですから、なかなか現実とは厳しいのです。

以前、カルト教団が、信者の子供が死んで黒化した死体を死んでないと言い張って事件になった話がありました。

どうやっても死んでしまう人間の運命を逆転させるのが難しのならば、せめて復活時に備えて、死体を保存しようというのが人間のサガです。

共産国家などでは指導者の死体を防腐処理して、観光化するのが流行りのトレンドですが、要するにこれは世界共通の真理なのでしょう。

この腐敗処理した死体というのは、中々インパクトがあり、死体と並んでその圧倒的な存在感のオーラを醸し出しています。
これは、普通はミイラと呼ばれています。

等身大の人形も結構ホラーなのですが、さらにミイラだとそれが倍増します。
要するに死にたくないという、人間の本能の表れです。

理想はそもそも死なないことなのですが、現実問題としてそれが無理そうなので、とりあえず死体だけ残しておこうという先送りの精神です。

現在では処方薬が無い難病治療を先送りにするための、コールドスリープ(冷凍睡眠)と同じ発想です。
未来ならなんとかなるだろうという未来への宿題です。

※日本政府の借金問題や、3.11以降の原発論議でも核廃棄物に対して同じような議論があったような気がするのですが・・・。





【ミイラ文明


この死体をミイラにするという発想は、人間ならば古今東西変わりません。
世界中どこにでもあります。

挙げ句の果ては、人間だけでなく、他の生物にまで実施してしまいます。
猿とかがよく犠牲になりますが、大抵、そのままミイラになるのではなくて、色々とオプションをつけて加工されます。

具体的には、角とか色んなオプションです。
で、鬼のミイラとか河童のミイラとかにされて、各地の寺で奉られるようになるのです。

人間は異形の物は殺すか崇めるかどちらかの選択肢しかしない生き物です。
この性質を逆手にとれば、異形の物を作り出すことで、聖遺物にすることが可能です。
この例はそれをよく表しています。

まあ、単に輸出用の商品だっただけの可能性も高いのですが・・・。
※欧米に結構輸出していたようです。
向こうではジェニーハーニバスと呼ばれていたそうです。

ある意味、食料品の保存と同じような物ですね。
魚の干物とかと同じです。
人間は、自分たちだけではなく食料の保存も熱心に創造してきました。
食料保存が出来ないと冬を越せないからです。

干し肉や干し飯、発酵食品など食品を長持ちさせる手法には事欠きません。
特に軍隊では兵糧の問題がありますから、死活問題です。
ミイラなんかより、食料(これも死体ですが)を腐らせてダメにさせない長持ちさせる手法は、こっちの方が死活問題です。

そう考えると、人類の文明は、生老病死という自然のサイクルに立ち向かう文明と言えましょう。
常に、常住不変の邪見を実現させるための反仏教的な邪道の文明です。

そう考えると、仏教などは人類の文明に一ミリたりとも貢献しないダメ宗教ですね。
そもそも、仏教が生老病死に勝てなかったよ・・・と2500年間屈していましたが、現代科学でそのうち何とかなりそうですし・・・。

そうした負け犬宗教の仏教ですが、生老病死に負けっぱなしではさすがに、沽券に関わると考えたのでしょう。

不老不死の研究を始めます。
そうして、数多の人体実験をすること幾星霜。
とうとう、不老不死に成功します。

それが、即身仏です。



【即身仏】


即身仏とはそもそも何か?
ぶっちゃけて言うと、僧侶のミイラです。

元々、仏教は悟りを開いて解脱するのを最終目的としています。
※後世の大乗では衆生救済の方が建前としてメインになっていきますが。

解脱は要するに輪廻からエスケープすることで、別な言葉では消滅です。
しかし、この初期仏教の、諸行無常のドグマも段々と仏の永劫普遍化に伴い、大乗仏教になると、すっかり他宗教と同じように、永遠の神を信仰するような教義になりました。

法華経などでは、久遠仏として、実在の釈迦以前から今に至るまでずーっと存在していると言われています。
ある意味、一神教のGODと同じような存在になった仏ですが、一点だけ相違点があります。

西洋の一神教のGODは、被造物の人間とは隔絶された存在です。
しかし、仏はそうではありません。
釈迦に代表されるように、人間から立身出世した存在です。

ある意味、イエスも人間からの立身出世組ですが、キリスト教の教義システムは、人間からの神への出世ルートが無いので、せいぜい天国に行く程度の出世しかありません。

この点が一神教と仏教が違う点です。
つまり、仏教だと人が仏になる余地が残されているということです。

この出世ルートは、しかしある意味、不可能なルートです。
人間はどこまで行っても人間です。
空を飛んだり手から光線を出すのは相当難しいのです。
※難しいとかそういう話では無いのですが。

しかし、一般の仏のイメージはそんなことが出来る連中です。
ここに、理想と現実のギャップが存在します。

精神的になら仏になることは可能です。
上座部仏教含めて基本、仏教はそれを目指しているし成功しています。
しかし、物理的な身体の次元ので仏(不老不死)になるのは難しいのです。


理想と現実のギャップがある場合、どちらかが妥協しなければいけません。
理想を諦めるか現実を諦めるかです。
しかし、人類は先程の保存食の話のように、自然に逆らうという性質を持っています。
なんとか人間を即身成仏出来るように色々と実験を積み重ねています。

基本的に、このリアル仏製造プロジェクトは、中国の仙人と同じような物です。
実際、同じようなことをしています。

理論や修行法も、共通点が多くあり、単純に人の行き来で情報交換があったことが伺えます。
※錬金術などに至っては東洋と西洋の行き来があります。

で、肉体レベルを仏(仙人)にしようという目論見の支流に、この即身仏が位置しています。

ミイラと違って即身仏になるには大変です。
ミイラは専門のプロが、普通の死体をせっせと防腐処理してくれますが、即身仏はあらかじめ五穀断ちとか断食とかして、最初からミイラに近い状態になって死ぬ必要があります。

要するに、即身仏とは、修行の一環なのです。
千日回峰修行を達成した行者が行き仏として崇められるように、即身仏も同様の崇拝対象となるのです。
※昔は嫌がる坊主を無理やり生き埋めにして即身仏にした例もあるのですが。

現人神と言うと、現代では問題になりますが、生き仏というと何だか有難そうなイメージがあります。
忌み嫌われる存在の死体が、一転して有り難いものに変わる錬金術です。
※そもそも、仏像でいいじゃんというツッコミは華麗にスルー。

これはある意味、生贄と同じものだと思っています。
生贄と言っても自分からなる生贄です。
自分が即身仏に成ることによって、崇拝対象となる。
以前も述べましたが、どんなものでも拝まれることで神聖化します。
即身仏として拝まれることで、神様化(仏化)してしまうのです。
その意味で衆生救済という大義に殉じた存在が即身仏と言えます。

何で仏になる目的がミイラにすり替わっているのか、仏とミイラが何の関係があるのか?
それは上記のような理由です。
生贄の一環なのです。
天皇陛下と同じく神と人とをつなぐ、人身御供なのです。

永遠の仏という概念を表すのにミイラが都合が良いのはエジプトと変わりません。
まあ、理想は、あんな干物ではなくて、もっと瑞々しい死体を希望していたのでしょうが、当時の人類の防腐技術ではミイラが限界だったと言うことです。

高野山の空海も即身仏(ミイラ)になって、未だに奥の院に存在しています。
一応、生きているという建前で、ご飯や掃除と言った世話係がいるくらいです。

ぶっちゃけ、さっきの死体遺棄の新興宗教団体とある意味、やっていることは同じなのですが、高野山は新興宗教団体ではありませんので、罪にはなりません。
法律というのは、権力の前では無力なのです。

さて、即身仏というミイラは実はまだマシです。
仏教のさらに奥義のネクロフィリアはまだまだ先があります。

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