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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)
なお、皆さんの記事の感想大募集です。
陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
記事下のコメント欄や、メッセージやメールで、お気軽にどうぞ。
その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。
【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら
功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
百善に相当する
◯人を勧阻し一子を溺らせ一胎を堕さず。
いい加減、もう辞めろ!
という、読者様のお声が聞こえてきますが(幻聴)、
どうせ、書いているのは、私であって私でありません。
全ては私を通して、メッセージを送っている見えない存在なのです。
要するに私は悪くない(責任転嫁)
【仮面夫婦日本】
仏教の僧侶が構築した大和朝廷のシステムは、持つべき中心が無いという国のシステムを、生み出しました。
陰陽の法則は、男女に代表されるように、自分とは真逆な物が陰陽になります。
もっと言えば、本来完全な物が陰陽に別れたわけです。
そのため、二つは引き合います。
自分に無いものを求めるのです。
※そもそも、自分にある物だったら不要でしょう。
男女が求め合うのは、自分に無いものを求めあっているからです。
「中空構造で核が無い日本国は、必然的に核が関わってくる」のです。
嫌がっても何しようが、決して関係は無くなりません。
無意識は、全ての集合無意識とリンクしています。
そこは、一切の世界がごっちゃになったカオスの場です。
我々はそこから生まれ出て、そこに帰っていきます。
【陰隲録】改過⑱ 世界は同じ。世界は一つ ←孔明「世界三分の計。はい論破」
【陰隲録】改過㉗ 言霊の葉落ちて天下の秋を知る
そこは本来、全てが一つの世界です。
人間はそこから分派したため、母の子宮に戻りたい願望と共に、全てが一つになる世界に逆行していきます。
これが、陰陽の男女が求め合う理由であり、日本に核が関わってくるシステムです。
ユング心理学の言う、ペルソナとシャドウです。
人間は社会的に対応するため自我の上にペルソナ(仮面)をつけます。
ところが、仮面をつけるということは、そこで封じられた本来の別の面があるということです。
その封じられた可能性がシャドウです。
大抵、社会的に抑圧されたろくでもない面なので、出る時は色々不都合なことがあるのですが、シャドウからすれば、別に嫌がらせしているわけでも何でも無く、ただ単に、僕を見捨てないで!という悲痛な叫びです。
もっと言えば、俺にも活躍のチャンスを与えろ!という出演希望ですね。
抑圧された民衆が立ち上がるようなものです。
シャドウ(に限らず、女性原理のアニマも)は、別に人格を持った物に限りません。
大抵、人間関係で出てきますが、物や現象でも出てきます。
これが、日本国では中空構造というペルソナ(仮面)に対して出てきたシャドウが核ということなのでしょう。
では、日本が核兵器を持てばいいのでしょうか?
根本的な解決にはなりません。
問題の根本は、日本が中空構造で国としての核を持っていないことに起因します。
核兵器や原発はただの核の個別の現象に過ぎません。
では、その国家の核とは何か?
通常の国家と何が違うのか?
大日本帝国時代の一神教を真似た天皇絶対主義なのか?
実は未だ、豊河にも答えは出ていません。
今書いているお筆先自動書記にも、出てこないということは、まだ知るべき時ではないということでしょう。
※単に豊河如きに教える必要はないということなのかも知れませんが。
どなたか、答えが分かったら教えてください。
コメントでもメールでもドシドシご応募下さい。
シャイな日本は、仮面捨てて、優しくて残酷な素顔を見せたいのです。
日本人だけにあげるSecretを。
【腐女子用語から見る世界の真理】
さて、唐突に話は変わりますが、例えば、腐女子業界(?)の言葉に、「受けと攻め」と言うのがあります。
ちなみに、WIKIの該当ページを見ると、世界一不必要な知識を得ることが出来ます。
恋愛の対象となる二人のキャラクターを「キャラクターA×キャラクターB」などと表記する。
しばしば間の「×」は省略される。
×の前に記されるキャラクターを攻めと呼び、能動的な立場で性行為では男性側を指す。
×の後のキャラクターを受けと呼び、受動的な立場で性行為では女性側を指す。
前述した例を元にするとキャラクターAは攻め、キャラクターBは受けとなる
この関係を、記号で表すと、途端に、数学っぽい感じになります。
※謝れ!数学に謝れ!
A→B
AがBに対して一方的に恋愛感情を抱いている関係、つまり片思いであることを指す。
A×B←CでAと恋愛関係にあるBにCが思いを寄せる関係、
A→B←CでAとCがBを取り合う関係など複雑な表記もある。
「B→A←C」 - BとCがお互いにAに恋愛感情を抱く関係。「サンド」ともいう。
つまり、下のような状況なら、
マスオ→穴子くん
という数式なわけですね。
※謝れ!数式に謝れ!
さて、陰陽は平等なはずですが、違うもの同士の関係が陰陽ですので、能動と受動という陰陽に別れる関係で、陰陽の関係性は攻めるものと受けるものになります。
つまり、
陽→陰
の関係なわけです。
男女で言えば、男→女ですね。
※逆もありますが。
この関係は陰陽が世界を貫く真理である限り、万物に適用応用されます。
ライオン→シマウマ。
元請け→下請。
女王様→卑しい豚
釘→板
猫→鼠
ゴキブリホイホイ→ゴキブリ
銭形警部→ルパン三世
一切の世界の法則が弱肉強食の修羅場である限り、世界は腐女子の世界なのです。
攻めるキャラと受けのキャラの関係なのです。
これは天地に存在する一切の万人に、適用されます。
どんなたけき者も遂にはほろびぬ世界なれば、
死→生
の、諸行無常の腐女子攻めの前には、風の前の塵に同じなのです。
生老病死という攻めキャラの前には、どんな強者も受けキャラに堕さざるを得ないのです。
どんな腕力のあるムキムキマッチョのお兄さんも、
ダンディな中年も、
世界を制覇する帝王も、
腐女子の法則の前には、祇園精舎の鐘の声なのです。
世界は腐女子の法則にアヘ顔ダブルピースされているのです。
そう・・・。そのまま飲みこんで。
僕のエクスカリバー・・・
※どうでもいいですけど、天才が考えたセリフですねこれは。
【焼き討ちせよ!(信長)】
で、長々と、どうでもいい話をしていて、豊河が何を言いたいかと言うと、要するにシャドウ(潰された可能性)とペルソナ(現在の意識)の関係もこの数式なのです。
腐女子法則で言うところの、
シャドウ→ペルソナ
の受け攻めの関係なのです。
自分が封印した「もう一つの可能性」は、死ぬまで追ってきます。
日本と核の関係のような物です。
日本が核(核兵器ではない)を手に入れるまで、何度も日本は核で滅びるでしょう。
ちなみに、シャドウは一度解決したら、それで終わりではありません。
当たり前ですが、全てを統合した完全体になるまでは、永遠にシャドウは存在します。
要するに人間である限りは、絶対に解決しないのです。
そして、これは、そもそも人間や生命にとって、存在すること自体が何の意味もないことがわかります。
理由は、元々、統合されていて分離したのに、なんでまた統合するのか?
恐らく、宇宙の億単位の天文学的年数で、統合と分離を宇宙は繰り返しています。
統合と分離は、陰陽の関係です。
呼吸が吸って膨らんで、吐いて減るように、意味もなく、陰陽を永遠に繰り返しています。
個人が完全を目指してひたすら意識の統合を続け、やがて全てが一体になった境地を獲得しても、また億単位の年数でまた
ひたすら統合と分離を永久に繰り返すのです。
シャケの一生は何度か例に出していますが、
日本の川で生まれて、川を下り、海で成長して、また生まれた川に戻り、川を登って卵を生んで死にます。
そして、次の世代もまた無意味に、川を下って、海に行き、また川に戻って上流して卵を生んで死にます。
その間、旅の途中で人間や熊(お土産の熊とシャケの彫物のあれです)の餌になるのです。
先祖代々、子々孫々、ずーっとこの行動を繰り返すのです。
何か、この連中に意味はあるのでしょうか?
何もありません。
ただ、ひたすら遺伝子のままに、河を上り下りして、餌になるだけなのです。
よく、自然を賛美する輩がいますが、自然というのはかくも下らない存在なのです。
その延長上線にある人間も同様です。
同じように、生まれて同じように成長し同じように死ぬのです。
古今東西ずーっと、やれ金が無いだの、身体の調子が悪いだの、女とセックスしたいだの、取ったの取られただの、殺し合いだのずーっとずーっと同じことを繰り返しているのです。
こんなのもうやめようぜ?
もういい加減、生存のループは馬鹿馬鹿しいからやめようぜ?
という、意見が出るのも当然です。
古代インド人は、このように考え、仏教を通じて、我々は、このループ物の中止ということを知っているのです。
子供を求めるのも結構なことです。
しかも、良い子供を求めるのも結構なことです。
しかし、それはあくまで現世的な因果律の話です。
良いことを他者にすれば、良いことが自分に起きる。
そこに子供の果報がありますが、所詮、子供は現世利益の一つです。
インド人の宗教観念は、とりあえず社会的義務を終えて、仕事も家庭もこなして、老年は遁世するという人生スタイルを持っています。
しかしこれはまだぬるい方で、さらに、社会的義務もいらんとすっぱりと出家するという手合もいます。
※今の時代は単に、坊主の寺に生まれたからという世襲制の坊主が多いのですが。
釈迦は出家する前の、自分の生まれた子供に、ラーフラ(障害)というキラキラネームをつける児童虐待の屑野郎ですが、それでも、結局、全部をかなぐり捨てて出家しました。
釈迦はIQが高すぎて、行きている限り、生老病死が避けられない苦しみだというシミュレーションをした結果、克服法を求めて出家したのです。
その結果が、仏教です。
釈迦やその後の今に至る弟子たちも含めて、ただの瞑想による脳内麻薬の幸福なのか、本当に輪廻を解脱することが出来たのかは、わかりません。
そもそも、輪廻など無いもしくは解脱などないという実相だとしたら、単なる自己満足ですが、それでも合法的な自己脳内生成ドラッグで、一日中ラリっていられるという、幸福を手に入れたのですから、それはそれで成功の人生なのでしょう。
苦しい人生からドラッグで逃げるというのは、人間の逃走ルートの一つです。
別に、苦労知らずの他人如きに、非難される謂れはありません。
どうせ、逃げなくてもシャケの人生で特に意味は無いのです。
他人の子供の堕胎を、助けるのは大いに善行なので、結構なことです。
しかし、そもそも論として、別に世界に子供なんていらなくね?
新しい生命なんていらなくね?
という、可能性もあることは頭の片隅に入れて下さい。
ちなみに、これは、生存のための口減らしや、劣等種に不妊させようという優生学とは別物です。
というか、もっとタチが悪いものです。
口減らしや優生学はまだ、少数を切って多数を生かすという良識(?)が働いていますが、生命全てのジェノサイド理論は、それらを遥かに超える危険思想です。
公安は、仏教を危険思想として、その思想の保持者を、監視対象に置くべきでしょう。
彼らは国家の敵ではありません。
世界の敵、人類の敵なのです。
つまり、物部氏や唐の武宗は正しかったのです。
で、今回でようやく、堕胎編は終わりです。
百善の三科目が終わりました。
次からは五十善の項目に入ります。
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