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【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら
漢文
皆さんは、お経や真言や祝詞や賛美歌と言ったものをご存知かと思います。
ありがたい功徳があると信じられているため、世界中の善男善女が、この瞬間にも、熱心に唱えています。
しかし、そもそも、このお経(その他も)とは、何でしょうか?
お経は、当然のことながら、釈迦の説法です。
聖書も神の言葉やイエスの言動録なのと一緒です。
釈迦は、別に、お経を唱えるような呪文信仰を勧めていないので、お経の本来の目的は、釈迦の教えの記録媒体を読んで、釈迦の教えを知ることです。
この、キリスト教なら、賛美歌はイエスを讃えたものですが、当然、賛美歌ばかり歌ってるのは論外で、聖書を読んで、イエスの教えに従うように教義が出来ています。
まあ、中世には、活版印刷が普及する前は、カトリックが、ラテン語しか聖書が無いのを良いことに、勝手な教義を作っていましたが、要するに聖書が、現代語訳で普及することによって、初めてイエスの教えを、民衆が読みことが出来たのです。
その意味で言うと、未だにお経が漢文であることは、ラテン語聖書の中世キリスト教と、まだ日本の仏教は同レベルと言えるでしょう。
意味
さて、そうは言っても、この呪文信仰のお経やら真言やら祝詞やら賛美歌は、実は、こうした唯物的な考えとは別に、効果はあります。
インドのマントラから始まる呪文信仰は、音の響きや発声による腹式呼吸などで、人体に好影響を与えるのです。
また、ありがたい呪文として、霊的に浄化されるのかも知れません。
少なくとも、やらないよりは遥かに良いのです。
しかし、やはり、さらに一歩進むと、単純な呪文信仰よりも一歩進んだ世界があります。
呪文信仰の大家の密教でも、三密と言って、口で真言を意味もなく述べるだけではなく、印とイメージを伴います。
何をやるかと言うと、要するにただ漫然と、真言を唱えるだけでなく、イメージで仏と一体化するのです。
ぷち召喚魔法といえましょう。
もちろん、召喚するのは、仏というまともな精神体です。
ここに、お経や真言や祝詞や賛美歌が功徳の有る無しを決定します。
これらを唱えるのは、ただ単に呪文効果だけではありません。
※単なる呪文効果もそれなりにはありますが。
大切なのは意味の方です。
唱えることで、唱えた人間の意識が、変わることが一番重要です。
インストール
人間は、環境の産物であり、社会的に著しく影響されます。
皆様は、大半が、唯物論者か、神道か仏教でしょう。
せいぜい、大穴でキリスト教か、新興宗教です。
当たり前ですが、まずイスラム教徒はいないでしょう。
なぜか?
このブログは日本語で書かれていて、読んでいる人も、日本人だからです。
少なくとも、日本に在住している人たちです。
だから、上記の宗派の信仰をしている人間なのです。
これらは、生まれた時の環境、つまり、莫大な外部からの情報の結果、今の信仰の形態になっています。
要するに、人間は外部からの情報によって、信仰まで決定させられてしまうのです。
お経を唱えるというのは、これを更に後天的にやってしまうというシステムです。
そこに書かれてあることを自分にインストールすることで、自己洗脳するという儀式なのです。
では、具体的にどういうことでしょうか?
次回は、サンプルとして、観音経を例にとってみましょう。
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