2017年7月22日土曜日

陰徳と精神的勝利法②










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その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら




精神的勝利法


前回に続き、宗教は、アヘンというテーマです。


基本的に、宗教には、人間がどうしようも無い強大な敵である、運というものについて、精神的勝利するための、太古からの智恵が満載です。

昔から人間が、いかに、現実に勝てないことを言い訳するかを、考えてきたかがわかります。



まあ、そうは言っても、
陰徳という運を操作出来る方法を知っている皆さんには、
関係の無い話なのですが。



さて、そうした人間の、精神的勝利法の神学の叡智を見てみましょう。




○運は経験値論


ゲームも人生も、経験値を積まないとレベルアップできません。

ゲームだと、裏ワザや課金を使ってチート出来ます。

が、通常は、モンスターを地道に倒して経験値を貯め、
段々とレベルアップしないと、ゴールドは溜まらないし、装備もいいのを買えません。

結果、経験を積まないと、強くはなれないのです。


モンスターとの戦闘は危険が伴うし、痛みや苦痛が伴います。

時には、力及ばず力尽きて、王様から
「おお死んでしまうとは情けない」と、
説教を食らう羽目になることもあります。


訓練や修行はつらいものです。
しかし、それを経ることによって人は成長出来るのです。


寝たきりだと筋肉が萎えて、動かなくなります。
筋肉を増強させるには、超回復の原理が必要です。
一度、激しい負荷をかけて筋肉を壊さなければ、なりません。

破壊なくして創造はありません。

ヒンドゥー教の至高の三神は、破壊神シヴァが一柱混じっています。
古い建物があるところに、新しいビルを建てるには、当然、古い建物は壊す必要が生じます。


死と生は表裏一体です。
陰陽の法則は、苦と楽が同じものであることを示しています。
苦しみなくして、不幸なくして、物事は存在しないのです。

人生は苦行なのです。
その意味で、苦行を推奨するバラモン教は正しかったのです。
少なくとも、この世の原理は、楽と苦が表裏一体なのです。

苦という経験値があってこそ、人は偉大に成長出来るのです。

水戸黄門のテーマ曲も、こう言っています。
人生楽ありゃ苦もあるさと。






○運は安定しない論




「禍福は糾える縄の如し」「史記」
「万事塞翁が馬」「淮南子」


諸行無常の原則は、
いつの時代でも誰に対してでも有効です。

この流れは誰にも止められません。


吉凶の禍福は陰陽の関係です。
二本の紐がねじりよられる縄の如く、常に陰陽として表裏一体です。

陰の裏には陽があり、陽の裏には陰があります。
太極図には、陰陽にそれぞれ対抗の兆しの小さい丸がありますが、
陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となるのが自然です。
太陽が頂点に位置する真昼は、すでに夜になるスタートです。


陰徳の話でも、今まで言ってきましたが、
権勢期には、今までの陰徳貯金を猛烈に使い果たしているのです。
さらに、調子に乗って悪事をしたら、その影響力から来るマイナス陰徳は、目も当てられません。

山高ければ谷は深いのです。

要するに、運はコロコロ変わるのです。
これは、自然現象ですのでどうすることも出来ません。





○運は認識論



私は失敗したことがない。
ただ、1万通りの、
うまく行かない方法を
見つけただけだ。

by エジソン


人間は、同じ現象に対して、本人の認識のフィルターを通して評価します。
認識上で感じる幸福・不幸が、同じ現象でも人によって変わるのです。


特に、幸福な時は、過去の思い出を美化する傾向があり、
「今までの苦労は価値があった」
と記憶の書き換えを実施してしまう傾向があります。


これが極まると、マゾ奴隷となり、どんな現象でも苦痛に感じなくなります。
本人の認識フィルターさえかかっていれば、世界は安泰です。
雨が降ろうが槍が降ろうが問題ありません。


わかりやすく言えば、一生、24時間、薬物を摂取(脳内麻薬でも)していれば、
この世はそのまま極楽浄土です。

その意味で、六道の天道の天人は、もしかしたら、環境が極楽なのではなくて、
脳が24時間、麻薬分泌物を量産している生物種なのかも知れません。

最悪の場合、六道の天人というのは、未来の人類で、脳だけ培養液の中にぷかぷか浮いていて、脳に電極が刺さっている、
一生、脳内で、幸福な夢を見ている存在なのかも知れません。





世界の実相というのは、それがどうであろうと、天国か地獄かは本人のフィルターに過ぎないのです。

過去の聖人や修行者やヒッピーの、薬物体験者の記録を見ると、
彼らの目には、世界が輝いて見えています。

当然、世界そのものは別に普通です。
でも、本人の目からは、深い愛と祝福で、かけがいの無い価値として、光り輝いているのです。

反対にうつ病患者の目には世界は地獄の風景を見せます。

外的な世界そのものは変わらないのに、こちらの認識のフィルターによって違う世界になっているのです。



要するに極論すれば、運と言うのは、本人の認識なのです。

事故にあおうが、病気になろうが、戦争があろうが、家族が死のうが、関係ありません。

全ては本人の脳内麻薬の分泌量なのです。





宗教はアヘンどころではありません。

人生はアヘンなのです。




これが法である




以上の精神的勝利法は、全部、外界の事象に対して、自分側の解釈を変える話です。

もちろん、唯物論じゃからすれば、
病気に対する医療、
闘争に対する法、
貧困に対する社会システム、
等々の、抜本的でラディカルな社会的解決策から、
目を逸らすものです。

だからこそ、マルクスの「宗教はアヘン」だというセリフが出てくるのです。
が、実際、外界を変えられない以上、本人の認識を変えるしか、不幸を回避する方法はありません。

世界を変えるよりは、自分を変えるほうが簡単なのです。

皆さんのように、陰徳で運命は改善出来るという裏ワザチートを知らない、世間の愚民は、
世界に無謀な戦いを挑むか、諦めて自分をアヘンで慰めるかしか、人生の選択肢はありません。


豊河は、この衆生の境遇を憐れみたまい、
無知な愚民へと、運命転換の秘術である陰徳の普及をすることを願い、
今後も、一段と、衆生救済の決意を固めるのです。
(この上から目線)







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