2017年7月26日水曜日

馬鹿とテストと禅問答④











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時空間魔法




脳筋ワールドの、続きです。

この言語が通用しない世界というのは、
もっと具体的に言えば、
「時間と空間が存在しない」世界
です。
時空間魔法の世界なのです。

時間と空間というのは、我々の認識の大元のインフラです。

カントが認識論で、人間の色眼鏡のフィルターは、時間と空間だと喝破しました。

我々は、どうしても認識に時間と空間の機能がデフォルトで搭載されているため、それを通してしか世界は見えないのです。

カントの認識論は、要するに世界をそのまま見ることは出来ないという意味があります。
まあ、ここをもっと深く突っ込むと、世界の実相、「物自体」がどうなっているかは、また別のテーマとしてやりましょう。

しかし、ここで言っているのは、我々は、通常の世界、言語の世界では、時間と空間の認識の中でのみ語っているのです。

逆に言えば、時間と空間がなければ、我々の言語は通用しないのです。


空間が無いということは、あらゆる存在の区別が無いということです。

猫も杓子も釈迦も達磨も全部、一緒です。
宗教の一大テーマの、「自我」も、もはや問題にすらなりません。
何せ、自分の体すら、一緒のごちゃまぜなんですから。

今目の前にあるPCもスマフォも、自分の肉体と別ではないのです。

宗教の問題の自我すらありません。
私も貴方も全部一緒です。

以前、肉体がなければ、すべての問題は解決するという話をしましたが、自分の体も世界も一緒なら、もはやどうでもいいことです。
あらゆる問題や苦しみが、無い世界です。

敵も味方も、愛する人も、憎むべき悪人も全部一緒です。

軍事も経済も政治も全て存在しません。

お化けにゃ学校も試験も何にもない世界ですが、瞑想を極めた仏も同様なのです。
というより、神も仏も無いのです。

(瞑想下の)世界には、神も仏も学校も試験も何にもないのです。


般若心経は、日本人の我々は、誰でも知っています。

その観点で見ると、意味がよくわかります。

観自在菩薩が、般若の波羅蜜多の智慧を深く行じている時、蘊は、皆、空であると照見しました。
その結果、一切の苦厄は度されました。

要するに、空は瞑想下の特殊な世界なのです。
空が時間も空間も無い世界ならば、一切の問題は解決します。
そういう話なのです。

初めから、論理や言語で解釈しようとしても意味のない話なのです。




時間


空間だけですら、この有様です。

瞑想下の世界(面倒なので空の世界と以下呼称します)は時間と空間が無いのです。

時間も無ければ、さらにわけがわからない世界になります。



このブログで言っている陰徳やら因果律やらは、全て時間と空間に依存しています。

自分以外の存在(空間的)に陰徳を施し、それが、後に帰ってくる(時間的)というロジックです。

時間がなければ、陰徳も因果応報もへったくれもありません。
道徳的行為も悪行も、差異はなくなります。

結果も原因も同じになってしまうことに、何の意味があるのでしょうか?

時間の流れが無ければ、生死も関係ありません。
生まれたことも、死んだことも同じになってしまいます。
もちろん、生まれ変わりも輪廻も、地獄も浄土も同じです。
六道輪廻も、そこから離れる解脱も、無意味になってしまいます。

神も仏も、釈迦もイエスも、絶対神も悪魔も、全部一緒で、全部存在しません。

時間と空間という、我々が認識しているインフラが無い世界というのは、これほどヤバイ世界です。

だからこそ、この空の世界は、言語では説明不可能なのです。
瞑想下のこの時間と空間が無い世界は、言語下不可能。

だからこそ、論理は必要ない脳筋の世界なのです。

ある意味、この時間と空間が無ければ、それが宗教的なゴールで、究極です。
あらゆる悩みや苦しみが解決されるのですから。

さらに言えば、時間の存在を逆手に取れば、因果応報を操作して、開運にも繋げられます。

最悪、歴史を変えるということすら可能です。

まあ、マクロ的な歴史を変えるレベルまでは難しいでしょうが、個人レベルの歴史を操作するこては可能でしょう。

時間と空間が無い世界というのは、逆に言えば、時間と空間を無視して行動出来るということです。
自分や相手の、体や記憶や歴史を操作出来るということです。

オカルト的な能力、呪術や奇跡、加持祈祷の力の正体の一つがこれです。

瞑想下で時間と空間の壁を突破出来た者は、こういうことが出来るということです。

ここに、戒(戒律)、定(瞑想)、慧(智慧)の三段階のいち段階名の戒律、つまり道徳的観点や顕教の重要性が存在します。

要するに、危険な力を保有しているがため、制約が必要ということです。





40歳を超えると魔法使いになる



一般に、こういう能力は、人間が持つ能力の延長乗線にある能力です。

恐らく、そのうち科学が解明して当たり前に使えるようになる能力でしょう。

しかし、現時点、今までの長い間の人類の歴史では、当然、普通ではなかった能力です。

何しろ、こういうサイキックな能力は、完全犯罪が可能な能力です。

時間停止や幽体離脱が出来たら、まず考えるのは、犯罪です。

もっと言えば、無制限に金が引き出せるATMに使用権があったら、どれだけの人が使わずにいられるでしょうか?

瞑想で得られる力で、条件として戒律があるのは、当然なのです。

戒・定・慧の順に並んでいるのは、それなりに理由があります。

とにかく、戒律の枠が無いと、非常に危険なのです。

西洋魔術のカバラは、40歳を超えないと伝授されないという縛りがありますが、要するに信用がおける人間でないと伝授してはいけないのです。

前々からテーマにしていますが、戒律が無いのに、こういう世界に入るのは危険なのです。

逆に、戒律をクリアしていれば、陰徳を積んでいればOKなのです。

縁があれば、こういう世界に入れるし、仮に、こういう無意識下の世界に入らなくても、陰徳で開運して死後も、幸福な境涯になれば、それだけでも人生大成功なのですから、やらない道理はありません。

急がば回れということわざがありますが、あらゆる神秘行や修行を目指したい人は、まず、しっかりと、戒律段階をクリアしてから、おすすめします。


まあ、実は、本当は、こういう瞑想なり気功なり霊能なりは、実は、若いうちにやったほうが進歩は高いというぶっちゃけた話もあります。

芸事と同じで、10代からやったほうが体や脳が柔らかいので上達しやすいのです。

中共の管理下で、そういう人間を育てるために、子供を集めて修行させたケースもあります。
完全な管理下が出来るのならば、それでもいいのですが、先進国でやるのは、リスクが高いでしょう。


もうちょっと話すことがあるので、次回も、このテーマです。













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