2017年7月3日月曜日

【陰隲録】功過格表116 人生ゲームにリセットボタンは無いという現実 三十善 冤罪を救おう⑱





このブログの全体地図はこちら
はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)



なお、皆さんの記事の感想大募集です。
陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
記事下のコメント欄や、メッセージやメールで、お気軽にどうぞ。

その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら




功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

三十善に相当する

◯一人の冤を白にす。







ノーリスクハイリターン


冤罪に限らず、罪と罰の自己暗示の洗脳は、人間に深く影響を与えています。

単純に、~をしてはならないという罪と罰の観念は、人間を縛り付けているものです。
そして、多くの場合、その観念は正しいのです。

町中で刃物を振り回したいという欲望が起きても、それを実行する人は稀です。

理由は自分が捕まるからです。

自分が死刑になる、または人生を棒に振るような長い刑期を、わざわざ犯すリスクを犯す馬鹿は存在しません。
あらゆる犯罪に言えることです。

稀に、そのリスクが発覚せずにまたは他人に押し付けて(冤罪)、自分が逃れた場合は、リスクが低減された経験としてその後も、犯罪を実行し続けます。

一般に、犯罪は、罰(刑法)というリスクが無ければ、極めてリターンが大きいからです。

労せずして金が手に入り、女が手に入り、地位や名誉が手に入るのです。
他人の迷惑を考え無ければ、これほど効率的なライフハックはありません。

本当のライフハックとはいかに捕まらないように悪事を働くかにあります。

ライフハックの風雲児として、一世を風靡したホリエモンが御用になったのは、このグレーゾーンの線引が極めて曖昧だからです。

ホリエモンは権力闘争に負けましたが、古来より、新興勢力はただの野盗や山賊と対して変わりがありません。
成功した山賊を、創業者や建国者と呼ぶのです。

日本の明治の近代化や中共共産軍なども、この手の類であることは以前にも記事にしました。

平時と善悪がひっくり返るのが戦時ですが、戦時で犯罪者の蠱毒の壺の勝者が、次の時代の王族貴族になるのです。



殺すしかない


しかし、ここで我々は、人類の矛盾に直面します。

善悪とは何かという問題です。

平時と戦時では善悪がひっくり返ります。
平時では禁止されている、殺人や強盗が詐欺が、戦時では美徳になるのです。

源義経も織田信長も、卑劣な犯罪者ですが、後世の人間は偉大な革命家として扱っています。

敵を一人殺せば殺人者だが、百万人殺せば英雄です。
戦場では最も、人を殺したものが勝利者になります。

原爆という民間人の大量虐殺が、戦争を終わらせた英断になっているのです。

敵国領土から糧秣を奪うのは、兵法の常識です。
(何せ、孫子にも推奨されているくらいです)

あらゆる詐欺や拷問は、戦争に勝つためには許容されます。

一体、これは何なのでしょうか?

陰徳という方法を通して開運しようという我々陰徳師にとって、この問題は看過出来ない問題です。
必要悪の問題のカテゴリですが、平時と戦時では善悪の基準がひっくり返るのは、許容出来ません。

罪と罰の明確な定義をハッキリさせるという、罪刑法定主義は、近代刑法の基本です。
人は、何が悪で何が罪と罰なのかをハッキリさせないと、迂闊に行動出来ないからです。


例えば、戦場に出た時、指揮官の権限を持ったとしましょう。
相手を速やかに制圧して戦争を早めに終わらせた。
この場合はどうなるのでしょうか?

もっと大きなレベルであれば、乱世を統一させた。
この場合の人生は果たして善か悪か?

陰徳の総決算はどうなっているのか?
戦争や乱世を終わらせたという功は陰徳的にもプラスに思えます。

しかし、その経過で、敵国の兵士(民間人も)大量虐殺しているのです。
その分は、陰徳的にもマイナスになっているはずです。

結果として天下泰平になった功でマイナスは帳消しにされるのか?
善と悪の功は、合算されずに別々に応報が来るとすれば、度の道、大量虐殺の因果応報が巡ってくるはずです。

しかも、これは、勝利した場合のまだマシな方です。
敗北者になったら、目も当てられません。
今までの苦労は水の泡ですし、残ったのは、大量虐殺の罪ポイントだけです。

思いっきり、損な役割です。
祖国の徴兵に応じて、愛国心と正義で戦ったのにも関わらず、全く報われません。

徴兵拒否という手もありますが、逃げられない場合は、どうしようもありません。

ここらへんは、正当防衛の功罪にもリンクする話なのですが、要するに、乱世に生まれただけで、罪を犯してしまう環境が生まれながらに、あるということなのです。

もちろん、何から知らの回避策はあるでしょうが、それを思いつけなかったり実力的にできなかったとしたら何の意味もありません。

もしかして、平時と戦時など、環境によって、善悪は入れ替わる。
あるいはもっと言えば、善悪や罪と罰は一定していないという可能性もあります。
この問題は別の機会にやりましょう。




諦めたらそこで試合終了



単純に、この殺すしか無い環境と言うのは、やはりこの生存領域の世界に存在します。

むしろ、人類の大半の歴史がそれだったと言ってもいいでしょう。
何百万年も狩猟時代をしてきた人類です。
徹底して生きるために、他の生物を殺してきて、さらに人間を殺してきたのです。

六道の修羅道は、現実世界のオマージュです。
殺すしか無い環境というのは存在します。
その環境に居なかった人間が、安全な立場から説教を垂れているだけなのです。

この修羅道は、人間界の中であっても、六道の修羅道の中であっても同じです。
陰徳を積みにくい世界です。

それでも、修羅道が地獄や畜生や餓鬼に比べて、上の世界と言われているのは、まだ回避策があるからと言えるでしょう。

以前も、この回避策の記事を書きましたが、


【陰隲録】功過格表106 生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ 三十善 冤罪を救おう⑧




やっぱり何だかんだ言っても、こうならないようにするのが一番重要です。

虫歯でも癌でも、末期になってしまったら手の付け所も無いし、治すのに高度な技術がいりますが、初期なら簡単に直せます。

修羅道に陥らないように、平時の時分に、陰徳を積んでおく必要があります。
上記の記事は、不徳にも修羅道(この世でもありますが)に転生してしまった方の対応策ですが、やっぱり事前の対応が一番なのです。

修羅道に転生するようなファクター(要因)を除去すれば良いのです。

要するに、他者に対する憎悪を捨てれば良いのです。
しかし、当然、これは難しい代物です。

人間は生存本能があるので、自分の不利益になるものに対して憎悪しないわけにはいきません。
それが出来たらすでに聖人君子の領域です。

さらにややこしいのは、この憎悪、正義の概念とからんでくるとです。
当たり前の話ですが、憎悪は敵に対して向けられます。

しかし、逆恨みや冤罪はともかく、大抵は、この憎悪、真っ当な理由がある代物です。

自分や家族などが悪意で被害に合えば、怒るのは当然ですし、社会的秩序の面からも放置しておいてはいけません。

改心していない現在進行形の悪を許し、起こらないのは果たして善なのか?
正当防衛で悪を倒してしまうことは悪なのか?

人間である以上、この問題はどうしてもつきまといます。

そのため、隠遁という方式が探求者が古来から取られてきました。
人間界で生きる以上、どうあってもこの問題は解決出来ないからです。
善を行う以上、正義の問題から抜けられないからです。

これは、世界のシステムが欠陥があるということです。
輪廻のシステム自体が、弱肉強食の世界であり、また正義と悪の修羅道の世界であるということです。

ここに至って、やはり釈迦の一切皆苦というものが真理として上がってきます。
要するに、この生命のシステムが初めから、クソゲーなのです。

とっととこんなクソゲーワールドは、ログアウト(解脱)するべきですが、困ったことにこのクソゲーは、ログアウトするにも課金が必要な、骨の髄までクソゲーなのです。

良い環境にいるためにも陰徳という課金が必要ですが、ログアウト(解脱)するためにも、陰徳という課金が必要です。

要するにボッタクリ商売ですが、どういうわけか、我々はこのクソゲーに高性能VRでログインしてしまっています。

早めにログアウトするのが一番の開運です。
幸い、現在、地球上だけでも、このクソゲーのユーザーが60億人以上もいるのです。
多少、抜けたところで、運営の経営にはあまり関与しないと思われます。

まあ、もしかしたら、強制収容所からの脱出者レベルに管理が厳しい可能性もありますが・・・。






0 件のコメント:

コメントを投稿