2017年6月17日土曜日

【陰隲録】功過格表99 神なんてないさ 神なんてうそさ ねぼけたひとが みまちがえたのさ 三十善 冤罪を救おう①





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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

三十善に相当する

◯一人の冤を白にす。






今日から、新条項突入です。

原文は、漢字は今の使い方と同じです。
人の冤罪を晴らすという意味です。


理不尽な真実

世の中は、因果応報の原理が存在しています。
善人は、賞賛され、悪人は罰を受けるという法則です。
信賞必罰というやつです。

ところが、問題はこの法則が、上手く作動していないと思われることが、この世界ではよく起こります。

善人が虐げられ、悪人が我が世の春を謳歌するのです。
善行を積んでるはずの善人が上手く行かず、悪行を積んでいるはずの悪人が上手くいくという、理不尽極まる結果が良く起こります。

基本、人間は、信賞必罰の因果応報が、意識の核にあるため、この不合理な現象に対して納得しません。

そのため、古人はこの問題に対して、昔から色々と合理的な理由を考案してきました。


神も仏もいない。いるのは狸ばかり


その案はいくつかありますが、一番多い説は、善悪など無い、世界は弱肉強食だという理論が一番、世人が考える結論です。
特に、真面目に生きてきた人ほどそうなります。

社会に出て(もしくは前に)、理不尽な目にあった人は、応報は幼稚な意見だと考えます。
神や仏など存在しないと。

もちろん、だからと言って、応報を信じない人が悪人になるわけではありません。

神や仏が無いからこそ、人間を救えるのは人間だけというヒューマニズムに目覚める人もいます。

しかし、基本、因果応報や神仏の存在を信じないというのは、弱肉強食型の、悪に堕する考えに陥りやすいと言えます。

この神も仏も無いという説が、一番多いパターンです。


神の言い訳


しかし、神も仏もいないとなると、宗教人は、商売になりません。
神仏がいるという前提で、彼らは信者から金を巻き上げているのです。
光が消えた目で、ロボットのように従順に金を吐き出させるには、どうしても神や仏が必要です。

そのため、神仏の存在、因果応報の正統性を示す必要があります。
西洋の一神教の神学では、これを弁神論(神義論)と言うジャンルです。
文字通り、神を弁護する神学論です。

基本、世の中はろくでもないところで善人は虐げられ悪人は肥え太るので、信賞必罰の業務怠慢の神を弁護する必要がどうしても生じるのです。

東西の宗教は、この不合理に色々言い訳していますが、基本は、前世と来世を想定する形のパターンが多いのです。

なぜかと言うと、因果応報だとどうしても、成功不成功、幸運不幸の理由付けが必要になります。
理由も無いのに、不幸になったり幸福になったりするのは、理屈に合わないからです。

現世の一生だけ見ると、明らかに善悪の因果応報は釣り合っていないのですが、前世と来世を想定すると、この矛盾を克服できます。

生まれによる違いも、前世の因果の結果という形で証明出来るし、現世で納得出来ない善人と悪人の末路も来世の天国地獄という結果で納得出来ます。

また、現世だけに絞って考えれば、一族の系譜で因果応報を考えることも出来ます。

要するに、ぶいぶい言わせている悪人が栄えているのは、徳がある先祖がいたからです。
逆に、善人が不幸なのは、先祖に悪人がいたからだということです。
さらに子孫まで考えれば、今栄えている悪人も、没落するし、逆もまた然りです。

先祖子孫の系譜と、個人の輪廻転生の二軸が基本、宗教の弁神論の定番です。

無論、これは差別思想に繋がるので、近代的な価値観だと、バッシングされています。

しかし、神仏や因果応報を想定すると、どうしてもこの二つしか不合理を説明出来るロジックがありません。

今のところ、宗教サイドでは、表向きは差別を反対しつつ、この二つのどちらか(あるいは両方)を採用しているのが現状です。

さて、冤罪というよりも、その上位の運の概念の話になってしまってますが、またダラダラとこの冤罪というテーマで話が進みます。



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