2017年6月2日金曜日

【陰隲録】功過格表84 不良「腐ったリンゴから上位職の(反面)教師にジョブチェンジ!」 三十善 無法者を教化しよう⑦




このブログの全体地図はこちら
はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)



なお、皆さんの記事の感想大募集です。
陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
記事下のコメント欄や、メッセージやメールで、お気軽にどうぞ。

その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら




功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

三十善に相当する

◯一人の非為人を勧化し行いを改めしむ。






鏡よ鏡、世界で一番美しいのは


学習でも仕事でも修行でも、必ずチェック者がいます。

学習ですと模擬試験ですし、仕事では作成物へのダブルチェックや経営なら監査などです。
修行なら師匠が必ずついています。

理由は、自分のことは自分が一番わかっていないからです。

人は外見をチェックする時には鏡を用います。
鏡を見ないと、自分の姿が見えないからです。
それでも、さらに他人の目を通して、再チェックしなければいけません。
自分のセンスが正しいかどうか、わからないからです。

内面のチェックはさらに重要です。
人はみんな自分が正しいと信じて疑わないから注意しろと、聖徳太子も十七条の憲法で言っているくらいです。


神道では祭壇に鏡が置いてあります。
拝むべきは他ではなく、自分の神性を拝むのです。
鏡は鑑みるであり、鏡を持って自分の内面をチェックします。
(大体、内面は外見にも出ます)
カガミからガ(我)を取ればカミ(神)になるという言葉遊び(言霊)は有名です。

鏡は自分自身を映し出します。
鏡で実相を見なければ、世界で一番美しいのは正しいのは私だと、誰しもが、思うのです。


要するに、自分自身を見るには、他人や鏡という外界が必要だと言うことです。

これが無法者の存在意義です。


昔の人曰く、


人の振り見て我が振り直せ。

この言葉の同類は論語にも出て来る、人類の昔からの、教訓です。

子曰わく、
賢を見ては斉しからんことを思い、
不賢を見ては内に自ら省みる。

里仁 四ー十七

人間は所詮、環境の社会的動物です。
一歩間違えれば、貴方が見ている無法者になっていたかも知れません。

見下したり、無視したりするのでは向上のチャンスを失ってしまいます。

賢者は誰からでも学べるのです。
それこそ、森羅万象あらゆる物から学べます。
般若経では天地万物が経を唱えると言っています。
ましてや、豊河の値千金の聖言のこのブログから学べないはずはありません。
(大言壮語)




どう学ぶか?


人生、生きていると、あらゆる場面で、ならず者や無法者が出現します。
たしかに、邪魔なのですが、元々、集合無意識の理論では、貴方の人生に現れる存在は、貴方のシャドウ(影)です。
要するに、貴方の人生に必要だから出て来るのです。

このことをよくよく考えてみましょう。
具体的には、次のような観点で省みてみましょう。
ちなみに、相手が無法者じゃなくて、まともな人だったら普通に素直に美点を真似すればいいだけです。

①ユング理論のシャドウとして見てみる。

こいつ(人生を妨害する無法者)は、何らかの自分の足りない部分が抑圧されて出てきたもう一つの「可能性」である。
今までの自分の人生で、不要な物、劣った物、邪魔なもの、悪な物として封印してきた「可能性」だ。
こいつが持っている物で、自分に足りないのは何か?


②普通に、反面教師として学ぶ。

何かチェック項目リストがあるとわかりやすいので、何でもいいですが、五常の徳にしましょうか。

仁・・・慈悲に欠けていないか?
義・・・正義や道理に欠けていないか?
礼・・・礼儀や作法に欠けていないか?
智・・・賢さに欠けていないか?
信・・・信用に欠けていないか?

無法者ならどれかに引っかかりますので、それを参考にしましょう。
無法者がやっている反対をやればいいのです。
これをやると、無作法になるというわかりやすいケースの参考です。

上記の①と②をチェックとして見てみましょう。
学べるものがあるはずです。


0 件のコメント:

コメントを投稿