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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)
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陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。
【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら
功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
三十善に相当する
◯一人の非為人を勧化し行いを改めしむ。
前回の、
「悪業は一回の不幸では収まらずに、その後の行動からさらに連鎖して次の因果を生んでしまう」
という、話をさらに展開します。
因果律において、あらゆる物事や事象は、原因と結果の法則を貫きます。
悪事を働いたら、それは応報として不幸が訪れます。
逆もまた然りです。
しかし、前回見たように、この応報は、その後も連鎖します。
つまり、原因→結果の関係で、結果がさらなる原因となり、新たな結果に連鎖するのです。
単純な例として、悪事がバレて牢屋に入ったとします。
そうなると、出所しても前科がついてしまいます。
当然、前科がつくと就職しにくくなり、収入が低くなったり下手をするとゼロになります。
そうすると、必然的に悪事に走らざるを得なくなり、また悪業を積んでと、
負のデフレスパイラルが生じてしまいます。
ここで、重要なのは、出所後の生活苦における悪を発生しやすい環境という状況があるということです。
つまり、悪業をせざるを得ない状況に陥っているわけです。
ム所帰りという、わかりやすい極端な例を出しているので、
かえってわかりにくいですが、これが何を意味しているかと言うと、
一見、自由意志や自業自得という自己責任に思える善悪の因果応報は、
過去の因果応報により、環境が違うため、成立の難易度の条件が違うということです。
善業がしやすい環境にあるか、しにくい環境にあるか、
悪業がしやすい環境にあるか、しにくい環境にあるか、
人によって環境による難易度が違うのです。
傲慢による罪
いや、前科者だから当たり前だろ、因果応報の自業自得だろという意見もありますが、
それは、わかりやすいこの話の場合です。
前世現世をはさんだ応報の場合、つまり今皆さまが生まれている現世の前の記憶はありますでしょうか?
前世の記憶は持っていません。
そもそも、過去の悪業が応報すると言われていますが、
前世の悪業の記憶は記憶にありません。
もっと言えば、証拠すらありません。
因果応報は、そもそも立証されてすらいないのです。
この因果応報思想は、差別思想に繋がります。
アフリカで飢えて死んでいる子供たちに、前世の悪業の自業自得だと言えるでしょうか?
犯罪の被害者が因果応報の自業自得ならば、助けは不要です。
警察すらこの世にはいりません。
恐らく、因果応報の冷徹な自然法則では、アフリカの子供たちでさえ、自業自得なのでしょうが、
しかし、ここで、自業自得と、弱者を斬って捨てるのは差別思想以前に陰徳的に問題があります。
基本、陰徳で開運という因果応報論を実施していると、
誰しもが、この自業自得の差別思想と言うロジックに陥いる危険性があります。
陰徳で開運していくと力を持つからです。
ただでさえ、権力者は傲慢になりやすく、ましてや新自由主義の弱肉強食思想の世の中です。
それに因果応報理論が加わると、いくらくどいくらいに注意してもしすぎることはありません。
さらに、困ったことに上の立場の人間は、必要悪で力を使わなければいけないのです。
陥穽は到るところにあります。
人間は、自分には甘く、人には厳しい生き物です。
理由は、他人と感覚が共有しないからです。
※兵頭会長は真理を知っています。
他人が不幸な時は、自業自得と冷淡に言い放つ生き物が、人間です。
氷の上に立つように
悪事を働く悪人に向かって上から目線で説教したり、下に見ることは簡単です。
※実際に、説教したり罰を与えて改心させることも重要ですし陰徳になるかもしれませんが。
しかし、そこには、傲慢という悪徳が潜んでいることを忘れてはいけません。
所詮は、人間の精神や行為などは、環境の産物です。
同じような環境になったら、誰しもが同じようになるのです。
わかりやすく言えば、
お腹を空かせた子供の前で、恵まれた子供が、むしゃむしゃ食っているようなものです。
少なくとも、輪廻や因果応報が、確定した真理でない以上(確定してもですが)、
弱者や悪人に対して、慈悲の心を破棄してはいけないのです。
論理的に、彼らの不幸な悪人にならざるを得ない環境自体が、彼らの過去の悪業の自業自得だとしてもです。
今、皆さんがドヤ顔して、悪者や屑に上から目線で下に見ることが出来たのはたまたまなのです。
たまたま、皆さんが、過去に良いことやって、行為の善悪を選択出来る恵まれた環境にある、というだけのことなのです。
人畜無害な善人に見える皆さんも、強制収容所に放り込めば、途端に化けの皮が剥がれて共食いをするような度し難い生き物なのです。
しかも、カルマの状況は我々には見えないのです。
いつ、理不尽な不幸が到来して、我々が復讐の鬼になり、地獄行きのカルマを作る可能性だってあるのです。
傲慢になってはいけません。
天道に滞在中の大罪
傲慢は、七つの大罪の一つです。
しかし、実はこの傲慢は、六道の天道の住人向け、天人への注意事項なのです。
天界は、人間で言えば、いいとこの上流階級の生まれです。
六道の生き物の上位種です。
人間ですら、上流階級は特権意識を持ちやすいのです。
身分制度の時代なら尚更でした。
今の新自由主義では、貧乏人を、自己責任論や怠け者で片付けています。
人間同士ですら、この有様です。
国家間や民族間で、この特権意識や優越意識で争っていたのはご存知の通りです。
他種間でしたら、その傲慢さは倍化します。
人間が、家畜に優越心を持ち、下に見て平気でモルモットや食肉として処理しますが、
天人も下位の六道の住人に対して、それ以上に見下せるのです。
有利な地位にいる者は、必ず傲慢の罠が待っています。
それに対策を持つ必要があるのです。
本来、これは天人の注意事項です。
傲慢対策は、普通の人間には必要ない話です。
いわば、上級者向けの教訓だからです。
しかし、陰徳という開運スキルを知ってしまった皆さんには、必要な話です。
現世でも来世でも、上に行ってしまう因果応報の裏ワザを知ってしまったからには、
事前に、十分注意する必要があるのです。
無法者は下位の階級だけではありません。
「自分は特権階級で法の外にいるから」
と言う、上位の無法者になる可能性は十分にあるのです。
一代での、成り上がりは特に要注意です。
このサンプル例としては秀吉の例が良いでしょう。
一代で、天下をとるまでに至っても、一代しか続きませんでした。
今太閤と呼ばれた田中角栄も同じです。
人間は社会的動物で、環境が同じならば、同じような精神状況と行動パターンを踏襲します。
それを防ぐには、よっぽどの確個とした自我が必要です。
一般の自我(エゴ)を捨てよ!
という意見に逆らうようですが、この倫理道徳縛りの自我は、絶対に必要なのです。
人類の歴史の中で、繰り返されるテンプレお約束的展開は、
「上に行って傲慢になって失敗」です。
このパターンを超えなくてはいけません。
世間の常識や決まりに、パターンに逆らうのが無法者だとすれば、
傲慢フラグをへし折る、無法者にならなければいけません。
無法者にも悪い無法者と良い無法者があります。
良い無法者になりましょう。
原因と結果の話はまだまだ続きます。
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